もういいかい?
「前よりも良くなっているな。この調子で頑張れよ」
「はい!」
先週に行われた期末試験から一週間が経った週末。今学期最後の授業も終わった後のホームルームの時間。
先生から手渡された、試験の総合成績表を持って席に戻った私は、そこに並べられた数字に満足していた。
夏休み前のこの時期に行われる試験は、副科目も含めた全教科で試験が行われるが、そのほとんどが90点以上。主要科目では少し苦手な数学と地理、それから副科目でいくつかの教科が80点代だ。
クラス内の総合順位は5位。
まぁ悪くはないだろう。前回の中間試験よりも順位が上がっている。
この調子で行けば、私が1位になる日も遠くはないはずだ。
勉強は嫌いじゃない。
やった分だけ結果に反映されるし、掛けた時間だけ自分に返ってくる。
努力って言葉がただの幻想で無いことを再確認させてくれる。
後ろの席から、トントンと肩を突かれる。
「ね。テストどうだった?」
普段からよく話したりしている友達だ。
彼女の方を振り返る。私よりも先に返却されていた成績表を手に持っている。
「点数教えてよー」
「えー、やだよ」
「良いでしょ?どうせ隠すような成績じゃ無いんだし」
確かにそれはそうだけど。
むしろ見せることで自慢してるみたいになったら嫌だな、とは思う。
とは言え、過剰に隠すのも嫌味っぽく取られるか。
「まぁ、じゃあ、良いよ」
「やったー!」
どうしてそこまで他人の点数が気になるんだろうか。
「うわ、やっぱ凄いなー。私なんて全然だよ。へこむー」
「そっちが見たいって言ったくせに、勝手にへこまないでよ」
「いいなー、部活もやってるのにいつも成績良いんだもん。私なんか、夏休み中も塾の夏期講習行かされるんだよー」
涙声を作って嘆く友人に「はいはい」と言って宥める。
勉強は嫌いじゃない。
いい点数を取れば、友達は褒めてくれる。
学校の先生や親も私に期待してくれている。
努力を続けることは楽な事ではないけれど、結果が必ず付いてくる。
そのことが私の心を支えてくれる。
「ほら、もう良いでしょ?」
彼女から成績表を返してもらったタイミングで、ちょうど先生がクラス全体に向けて言葉を放つ。
「全員に成績表は渡ったな?良かった奴も悪かった奴もいるが、お前らも来年は受験生だ。夏休みだからって気は抜くんじゃないぞ?」
クラス全体を見渡すようにして、
「各教科かから課題も出されている事だろうし、休み中に遊ぶのも結構だが、少なくとも課題が終わっていないなんて事にはならないように」
そう言ってホームルームを締めくくった。
「あ、そうだ。この後どっか寄ってかない?」
クラスメイト達がざわざわと解散し始めたところで、後ろの席から再び声を掛けられた。
しかし、それとほぼ同時に前方からも声が掛かる。
「ああ、そうだ。学級委員長はすまないが、少し手伝って欲しいことがあるんだ。ちょっと来てくれないか?」
学級委員長というのは私の事だ。
クラスの推薦で言われるがままにやっているだけだが、みんなに信用されるのも、頼りにされるのも、悪い気はしない。
私は先に声を掛けてくれた友人を振り返って謝罪を述べる。
「という訳だから、ごめんね」
「あ、じゃあ用事終わるまで待ってるよ」
「ううん。どうせ部活にも行かないとだから、今日は先帰ってて」
「そっかー。残念」
また夏休み中にまた誘うね、と言い残して彼女は去っていった。
*
前期最後のホームルームを終え、多くの生徒が休み中の予定に心躍らせながら帰宅してしまった後。
部活でもあるのか、それともただ暇なだけか、屯して駄弁っている生徒たちが疎らに残る廊下を、私は歩いていた。
「悪いな。やっと夏休みって時に引き留めちまって」
「私は学級委員ですから。このくらい何でもないですよ」
隣を少し先行して歩いている先生が放った言葉に、微笑みを浮かべて返事する。
「しっかりしてるよな。頭もよくて、責任感も強くて、みんなに頼りにされて。俺もお前みたいなら良かったのにな」
そう呟いて溜め息を漏らした先生は、何かの本やプリントなどの詰まった紙袋と、プロジェクターの入った布のケースを両手に持っている。そして私は、先生が持ち切れなかったノートパソコンを横向きに抱えて、その充電ケーブルを上に積んで運んでいる。
「ところで、何に使うんですか、これ?」
「ん?ああ、この後ちょっと会議があってな。その準備を担当させられてるんだ」
「会議ですか」
「後期の授業をどういう風に進めるか、そのために夏休み中にどんな準備が必要か、みたいなことを学年の先生達で話し合うことになってるんだ」
この人の年齢は正確には知らないけれど、30歳手前といったところだろうか。この学校にいる教師の中だと比較的に若い方だと思う。だから、そういう雑用みたいな仕事も任されるのかも知れない。
「生徒はこれから夏休みなのに、先生は大変なんですね」
「ホントだよ。教える内容はどんどん増えてるのに、授業時間は変わらないし、それでも授業の質は落とせないし……」
そこまで言いかけて、ふと私を振り返る。
「ああ、すまない。お前に愚痴っても仕方ないよな」
「いえ、気にしないでください」
会議に使う部屋に荷物を運びこんで、少し机を動かしたりプロジェクターをセッティングしたりと準備を済ませる。
「よし。こんなもんかな」
準備の整った部屋を見回して、先生が告げる。
「ありがとう、助かったよ。遅くなっちまったが、もう帰っていいぞ」
「はい、ありがとうございます。頑張ってくださいね」
そう言い残して、私は次に部室へと足を向けた。
会議の準備にかかった時間は30分程度。予定の時間よりも少し遅れてしまった。
先輩たち、怒ってないと良いけど。
少しずつ静寂に近づいていく廊下を小走りですり抜けて、上がった息を整えるのもそこそこに辿り着いた部室の戸を開く。
「すみません、遅くなりました!」
部屋の中央辺りで、寄せ集めた机を囲んで座っている先輩方がこちらに視線を向ける。
そのうちの一人がこちらに向かって言葉を放った。
「遅いよぉ。私たちも忙しいんだからさ」
「本当にすみません。学級委員の仕事が急に入って」
ここに集まっているのは、私の所属している吹奏楽部の3年生。あまり規模の大きな部では無いため、3年生は全員で5人しかいない。全学年を合わせても30人もいないくらいだ。
夏休み中の予定について話し合いが行われる予定だったのだが、副部長である私もこの場に召集されていたのだ。
「ま、いいよ」
また他の先輩が口を開く。
「話すことは大体話し終わったし。後は任せてもいいかな?」
「えっと、何をでしょうか?」
問い返した私に、彼女は続ける。
「まず、文化祭で演奏する曲なんだけど、部内でとったアンケートの票をまとめて上位の物を抽出しといたから。この中から適当に選んで、演奏会のプログラム作ってくれる?」
言って、曲名の連ねられた一枚の紙を手渡される。
「あ、はい」
「演奏する曲が決まったら、楽譜の用意とか、どうやって練習進めるかとかのプランを決めてね」
こちらの返事を聞いているのかいないのか、立て続けに言葉を並べる。
「それから、うちら三年生の予定を突き合わせて、この辺りで今年の合宿をすることになったから」
部室の壁に吊り下げられたカレンダーを指さして、二週間程度の期間を合宿候補日として示した。
「二泊三日くらいで合宿の予定を決めてくれるかな?取り敢えず日程と、どこに行くかくらいをザックリ決めてくれたら良いから」
「ごめんねっ。色々任せちゃって」
「あ、いえ……」
「あたしたち受験生で今年は忙しいからさっ。あたし、もう行くねっ。塾があるから」
そう告げて立ち上がった先輩に続いて、いそいそと先輩方が帰り支度を始める。
私の横をすり抜けながら、口々に激励を飛ばしていった。
「少し大変かもしれないが、頑張ってくれ副部長」
「部長は去年、もっと大変だったもんねぇ」
「よっ!期待してるぞ、次期部長っ」
「じゃあ、練習日とか決まったら連絡お願いねー」
「……おつかれさま」
私が言葉を発する隙すら与えずに、彼女らは部室を去って行った。
嵐の去った後のように静まり返った部室で、私は一人呟く。
「……よし」
頑張ろう。
顧問の先生も忙しいらしく、部の運営の多くは部員に委ねられている。
先輩たちもみんな期待してくれてる。ちゃんと予定とか立てとかないと、1年生たちも困っちゃうもんね。
乱雑に放置された椅子の一つに腰を掛けて、私は早速作業に取り掛かった。