第90羽 迎撃戦 その2
翼を切り裂かれ胴まで達する深い傷跡。生暖かい血が広がっていく。
腕の中で傷ついた母を見て庇われたのだととすぐにわかった。
お母様を呆然と見下ろす。また私のせいで誰かが死ぬ……?その事実にまるでガツンと殴られたような衝撃が頭に走り、サッと血の気が引いていく。
「お、お母様……。お母様、返事をしてください!!……こんな、嘘……!!何でッ!!」
思わず揺さぶりそうになるのをグッとこらえた。下手に動かすと危険です。
いくら動揺していても過去の経験でこんな状況は嫌ほどあったから、やってはいけないことくらいはわかっている。その時、お母様が目を開いた。
『……五月蝿い。バカ娘……』
「お母様……!!良かった……!!」
『チッ、硬化してもこの程度防げんか……。面倒な……』
切り裂かれた自身の翼を持ち上げ気怠げにそう溢す。自身の怪我に頓着していないその様子に思わず声が荒くなった。
「なんで庇ったりしたのですか!!そんな大怪我を負ってまで!!」
『五月蝿いぞ、馬鹿者。これでも母親だ。前は守ってやれなかったからな。これくらいさせろ……』
「それって……」
蛇が巣を襲ってきた時の事……?まだ気にしていたのですね。勝手に動いたのは私なのに……。
「……さっきは助かりました。ともかくすぐに治療を――――」
「させるわけねェだろォ!?」
「ぐッ!?」
『おい!?大丈夫か!?』
治療を施そうと腕を動かした時、突然意識外から妨害をされてしまい、お母様との距離が開いた。見えない何かに物凄い勢いで追突された様な衝撃に、体がシェイクされたみたいな錯覚に陥る。
結構痛いですね。ちょっと吐きそう……。
「大丈夫ですお母様。すぐに治療に向かいますのでちょっとだけ待っていてください」
さすがにゲロインの称号は勘弁なので、気持ち悪さを飲み込んで起き上がり、下手人を睨みつけた。
怪我したお母様を見たショックでコイツの事を忘れていました。不覚を取り、庇わせてしまったのは私のせい。
しかし怪我そのものの原因はコアイマであるこいつだ。そのドゥークがニタニタとした顔で嗤いながら歩いてくる。
苛立ちを隠すこともなく吐き捨てた。
「邪魔しないでもらえませんか?」
「そうは行かねェ。お前のおかげで天帝をここまで追い詰められたンだ。ありがとよォ?」
「……ッ!!」
臍を噛む思いをポーカーフェイスで押し隠す。傷つけたのは貴方でしょうに……!!
槍を向けようとして砕けた事を思い出し、素手で構える。
あの大剣の威力、おそらく硬化して本物の鎧のようになった『氣装纏鎧』でも防ぎきれずに切り裂かれるでしょう。今の私が出せる全力の出力でも、上手く受け流せればなんとか、といった所でしょうか。
口元に親指を持って行き、皮を食い千切る。零れた血が私の意志のままに形を成す。
「《血葬:紅蓮》」
手元に集まった血液が、歪な槍の形を作り出す。とりあえずの急造品です。
残念ながら血葬は戦撃を発動する武器に向いていません。硬さはあるのですがその分粘りがなく壊れやすいので。
素手ならば血葬が砕けても手足に戦撃の発動判定があるので問題ありません。ですが武器として使った場合、砕けた瞬間戦撃は失敗、先ほどのように大きな隙を晒すことになります。
それに体力がない今、あまり血は消費してしまうと貧血になってさらに不利になるので避けたかったのですが……。そうも言っていられません。
距離が離れたせいで、私とドゥークに挟まれる形になったお母様を避けるように、ジリジリと横にずれる。巻き込んでしまっては大変です。
「おら」
ドゥークが腕を突き出して不可視の攻撃を飛ばしてくる。上に飛んで避け、空中で加速。お母様の反対側に回り込む様に接近する。そのままの勢いで槍を腰だめに構え突進。
それに対してドゥークは迎え撃とうとする。横薙ぎに振るわれた大剣と槍が激突、痺れるような手応えが返ってくる。拮抗は僅かな時間、すぐに朱槍が砕けることになった。
勝ちを確信したドゥークが笑みを浮かべる。
迫る大剣に、槍が砕けることを確信していた私は次の手を打つ。
砕けた槍を液体に戻して手元に集め、同時に『強風の力』で風を真下から自分に叩きつける。ちょっと痛いですが我慢です。
羽ばたきも合わせ空中で上に急加速、大剣を飛び越えドゥークの頭上へ。もちろんドゥークの攻撃はミス。
「なにッ!?」
「【奈落回し】」
「ゴッ!?」
見下ろすような形から戦撃を発動し、脳天に踵落しをたたき込んだ。
「《血葬:紅蓮》」
地面に降りたって、手元の血液がすぐさま槍の姿を取り戻す。壊れはしますが再利用は可能です。ドゥークの背後から槍を二度三度と突き込んでいく。その度に金属質な感触が手元に帰ってくる。やはり硬いですね、厄介な。
「ちょこまかせずに死んどけや!!」
立ち直ったドゥークが振り向きざまに大剣を振るうのを、身を屈めて一歩踏み込むことで避ける。同時に朱槍が形を崩し、円柱の形を成して右手に集まる。
「【血葬:打衝】」
命中。突き出された拳は硬質な金属音を奏で、ドゥークが吹っ飛んでいく。……また傷跡はギリギリで避けられました。
「はぁ……、はぁ……」
「ちッ!!めんどくせえ奴だなァ!!」
すぐに起き上がったドゥークがこちらに突貫してくる。
傍目に見れば押しているのは私の方。それなのに追い詰められているのは私。理不尽な状況に目眩がしそうです。
「おらおらおらおら!!」
雑ではあるものの小枝のように大剣を振り回すドゥーク。打ち合うだけで槍が砕ける今となっては対処が非常に難しい。後ろに下がりながら隙を伺い、大剣に朱槍を叩きつける。
朱槍は砕けたものの、大剣の軌道を僅かに逸らす事に成功。前に踏み込む隙を作り出す。ほぼゼロ距離から脚を持ち上げ。
「【貪刻】ッ!!」
「ぐッ!!」
土手っ腹に全力の横蹴り。重い振動が響き――――、ドゥークが悪鬼のようにこちらを睨み付けた。脚が掴まれる。
威力が足りなかった!? マズい!! 避け――――。
「効かねえよ!!お返しだァ!!」
「ッ!!」
振るわれる拳。避ける間もなく側頭部に良いのを貰ってしまった。しかも不可視の攻撃のおまけ付き。距離が近かったので大剣を喰らわなかっただけマシですが。
吹き飛ばされ、木の床を何度もバウンドする羽目になる。
「う……。あ……?」
立ち上がろうとしたところで脚が滑った。上手く立てない。
ダメージが脚に来ているようですね……。平衡感覚も少しおかしい。
藻掻く私の様子を見て凶悪な笑みを浮かべた。
「おい小娘。そいつを足止めしてろ。俺は邪魔されない所で天帝を殺してくるわ」
「うえ!?……わかりましたぁ」
隠れて様子を見守っていたリブにそう指示すると私に背を向けてお母様の方へ歩き出した。
「う、待ちなさい……」
『羽天:――――』
「おとなしくしてろ」
『ぐッ!?』
「お母様!!」
反抗しようとしたお母様をドゥークが足蹴にした。あいつ、また……ッ!!
「じゃあなクソガキ」
そう言ってドゥークはお母様を連れてさらに枝を登っていった。この場に私とリブが残されることになる。
「……悪いけどこれもお仕事だから」
そう言って近づいてくるリブは既に意識の中には無かった。
あるのはただ、慚愧の念だけ。でもまだ、終わったわけじゃない。後悔なら全部終わってからいくらでも出来る。今はただ、助けるとこだけを考えろ……!!
拳を自分の脚に叩きつけ、無理矢理活を入れる。じんわりと熱が広がり、感覚が戻ってきた。
疲れがどうした!?目眩がなんだ……!!
体はまだ動く。ならこんな所で寝てる場合じゃない……!!まだ生きているなら、助けられる可能性なんて無限にある……!! 血が出るほど拳を握りしめ、歯を食いしばって顔を上げれば目が合った。
「ヒッ!? 速くなあれ!!」
怯えたような表情になったリブは鷲づかみした多数の鉄球を宙に放るとそれを大槌で殴りつけた。
散弾のように高速で飛んでくる鉄球。避ける隙間など存在しない面の攻撃。それが到達する前にフラリと立ち上がると、その攻撃の私に当たる軌道の鉄球を全て見切り、それに向けて槍を目にも留まらぬ速さで何度も突き出した。朱槍の穂先に押しのけられた鉄球達の軌道は外にずれ、その先に私の姿は存在しない。
速いだけ。軽すぎる。その光景に驚いて固まったリブに肉薄。
「――――邪魔。【貪刻】」
「かぺ……?」
避けることも出来ずにまともに食らい大樹の幹に激突、そのまま崩れ落ちるリブ。
彼女を殺せばお母様は元に戻るでしょうか。……止めておきましょう。戻らなかった時のリスクが大きい。
それよりも今はすぐに追いかけないと……!!視線を上に向け、すぐさま飛び立った。