第59羽 おばけだぞ
あの後、後ろから抱きかかえられ、しばらく無言のままヴィネアさんと時間を過ごした。
落ち着いた頃合いを見て、就業場所から彼女の拠点に送り届けた。
「……今日のことは忘れなさい」なんていうから、「別に言いふらしたりしませんよ」と返した。
夕焼けが夕闇へと変わっていく街のなか、私はミルの家へ向かって歩く。
今日はなにもしないにしても、顔くらいは確認しておきたいです。
さすがにもう起きているでしょうし、ご飯を作って一緒に食べるのも良いかもしれませんね。
「ミルさん、起きてますか?」
ノックしても反応なし。
時間をおいてもう一度ドアノッカーを叩いたが――――やはり反応はなかった。
「……? まだ寝ているんでしょうか?」
家を周って寝室の方へ向かう。音を確認して寝ているのかを確認するためだ。
その途中で、別の部屋から物音が聞こえた。
それは何かでカリカリと削っているような音。それとブツブツと呟く「ここの符号をこう繋げて……あれ、でも干渉が強すぎる……。うーん、式の位相を反転させれば……?」といった声も聞こえてきた。
得心がいった。これは紙に文字を書き留めている音です。
どうやらミルは魔術の勉強をしているみたいですね。2日目にして、本無しで勉強してるって何処まで進んだんですか……? もしかしたら、ミルには魔術に関するとんでもない適正があるのかもしれません……。
ただそれはそれとして困ったことになりました。ミルはかなり集中しているようで、防音がしっかりしているのか外から呼びかけても気づきません。壁を壊すわけにもいきませんし。
……1つ案があります。
実は昨日ヴィネアさんと戦ったあと、ソウルボードにセットできる前世が新しく2つ増えていました。
その1つがこの状況を打開できそうです。
まあせっかくですし……、ちょっと脅かして見ましょうか。
気づかないミルが悪いんですからね……♪
ソウルボードを表示して、昨日増えていた前世をメイン欄にセットする。
―― ソウルボード ――
コア:アジャースカイファルク
メイン:幽魂族
サブ:呪人族
サブ:普人族
サブ:獣人:チーター
サブ:エルフ
サブ:鬼人族
――――――――――――――――――――――――
さて……、 追憶解放、と。
メインにセットした幽魂族に追憶解放すると、体が半透明になり、ゆらりと地面から浮かび上がった。
そうして真正面の壁に向けて前進すると、体は壁に当たることなくスッとすり抜けた。
そうして見えてきたのは、背を向けて机に向かうミルの姿。
真剣に勉強しているのを邪魔するようで悪いですが、……ちょっとだけイタズラさせてもらいますね♪
まずは離れた場所から、ミルの背中に指を向ける。
まるでつつくように指を動かすと、距離が離れているにも関わらず彼女はビクリと反応した。
「な、なに!?」
勢いよく椅子から立ち上がり、辺りを見渡すその表情は目が見開かれていた。
私はといえば、その前に地面に沈み込んで姿を隠している。彼女から私が見えるはずはない。
しばらくすると「気の所為だったのかな……」と再び椅子に座り直した。
その様子にほくそ笑みつつ、今度は本棚に指を向ける。斜めになっている本に力を加えると、それはパタリと倒れた。
最初のような集中力はもう発揮できていないのか、ビクッと飛び上がってペンを取り落としたミル。恐る恐る振り返った先には本棚、そして倒れた本。
「た、倒れただけだよね。……自然に」
自分を納得させるように、そう呟いて机に向き直った先。
――――インク壺にきれいに突き刺さっている羽ペンの姿。
それも、まるで最初からそう在ったかのように自然で。
さっき落としたはずなのに。
「ッ~~~~!!?」
ついにミルは声にならない悲鳴を挙げた。
なにか、何かが起こっている。それも自分の預かり知らない間に、恐ろしい何かが……!!
恐ろしいなにかを見落としてないか、部屋中をくまなく見渡す。
それでもなにも見つからない。見つかるはずがない。それで良いはずなのに、むしろそれこそがより恐ろしいことのように思えて仕方がない。
――――この部屋の何処かに、得体のしれないものが隠れているのかも……。
そう思ってしまえば、もうじっとしてはいられない。
「と、とにかく部屋から出よう」
そそくさと机から離れ、逃げ出すようにドアの取手に手をかける。
そして勢いよくドアを開け放った、その先に――。
「ばあ♪」
長い黒髪で顔の見えない半透明な少女が浮いていて。
「にょ、にょあああああっ!!?!」
ミルはとっさに左手で《壁盾》を張って身を守り。
右手を向け、《白陣:砲魔》を向けた。
それはミルの才能が垣間見える、素晴らしい速度であった。
「ちょ待っ!!?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「もうっ! メルったら、本当に怖かったんだからね!!」
「ご、ごめんなさい。ノックしても反応がなかったので……つい……」
「う……。それは、あたしも……ごめん」
あの後。
とっさに向けられた《砲魔》。放たれれば、私はともかく家は吹き飛ぶ。そんなことになれば、私は腹を切って詫びるしかなくなります。
それを防ぐため。
追憶解放を解除した私は、闘気をまとった手刀で白陣を切り裂いた。
魔術は発動前に陣を、かき消すことでその発動を止めることができます。間に合って良かった……。
「じゃあ……ここは、両方悪かったということで……」
「良いんですか……?」
「こっちこそ、それで良い?」
手が差し出される。そういうことなら、是非もない。
手を握り返して仲直り。そういう事になった。