第44羽 壁になりたい
「メル、そろそろ冒険者ギルドに向かわないと……」
「うっ」
嵐のように現れて、嵐のように去っていったトコトさん。
それを何もできずに見送った後、今日の孤児院での修行に区切りをつけて、冒険者ギルドに向かっていた。
あの腹痛ゴブリン事件のあと、ミルに頼まれて訓練をつけてすでに1週間。少し残念な噂が流れたこともあって自然と脚が遠のいていた。
けれど、いつまでも避けてはいられない。そろそろ覚悟を決めて、冒険者ランクを上げるために依頼を受けに行かなくては……。
それにトコトさんが言っていた、剣の買い取り金についても確認をしないといけないですし……。さすがにさっきの今でお金を引き出せるようにはなっていないでしょうけど。
そうやって悶々としつつ、ミルに押されるようにして、私はギルドの扉を恐る恐る押し開けた。
すると、いきなり少女の大声が飛び込んできた。
「だからあいつを出しなさいって言ってるでしょ!?」
「それがもう1週間ほどいらっしゃってなくて……」
「なにそいつ、サボりなの!? 真面目に働きなさいよ!!」
透き通るような青髪をサイドテールでまとめた女の子が荒ぶりながらカウンターにかじりついて吠えていた。ギルド内の視線が彼女に集中しているのがわかる。
「……ミルさん、今日は忙しそうですし帰りましょうか?」
「そういう逃げ腰はもういいから。行くよ?」
「うぅ……」
ミルが冷たい……。なぜでしょう、これまで何かと理由をつけて冒険者ギルドを避けて続けてきたからでしょうか?
三十六計逃げるに如かず、ですよ。避けられる危険はとことん避けるべきです。これは避けてはいけないもの?
それはそう……。
とはいえ、危惧していたような視線の濁流は訪れませんでした。
あの青髪の女の子が騒いで視線を集めてくれているおかげでしょう。そう考えるとこのタイミングで冒険者ギルドを訪れたのは僥倖だったかもしれません。日頃の行いのおかげでしょうか。ありがとうございます、神様。
嫌なことも実際やってみると案外すんなり進むもの。こればっかりは、何度転生しても慣れませんけどね。
そんなこんなで何事も無く、依頼が張り出されているところまでたどり着きました。
「ミルさん、今日の依頼はどれにしましょうか?」
「そうだね……。Fランクの依頼は何事もなければ問題ないってわかったし、今日はEランクの依頼を受けてみよっか」
「良いですね。こちらのオーク討伐などにしますか?」
オークとは二足歩行の豚の魔物です。世界によっては美味しい豚肉扱いされてたりします。ここはどっちでしょうかね。
「今日はもうお昼過ぎだから日帰りで考えると結構時間ギリギリかもね。探すのに時間がかかると今日中に間に合わないかもしれないけど……、行けそう?」
う~ん、一時的にチーターに追憶解放すれば匂いで探し出すことは可能だと思います。
だから大丈夫……と言おうとしたところで。
「――――ねえ」
ズイッと顔が迫ってきた。
「!!?」
「メル!?」
整った目鼻立ち。生意気そうなつり目の少女がこちらを見下ろしていた。
かわいらしい八重歯の覗く口が開かれる。
「ちょっと聞きたいんだけど」
「な、何でしょうか……」
「なんで逃げるのよ」
「ひえ」
そろそろと横に移動していたところ、ドンッと少女の腕が壁に突きつけられた。反対の腕も同様に、壁に押し付けられている。両腕で退路を絶たれ、追い詰められてしまった。
これ、俗に言う――壁ドン……というより捕獲が近いですね……。
さながら私は籠の鳥。
壁に押し込まれて少女を見上げることしかできない。揺れるサイドテールの青髪が顔に当たってくすぐったい。
「あんたがあのこんちくしょう蛇を倒したって本当?」
「こんちくしょう蛇?」
なんですかそれは??
「とぼけるんじゃないわよ! 物流の妨げになってたはた迷惑な大蛇のことよ! あんたが倒して商人を助けたんでしょう!?」
ああ、フィスクジュラのことですか……。
街に入る前に倒した大蛇ですね。
「その顔、心当たりがありそうね」
「う、それで……、それがあなたとどう関係が?」
少女の余裕のあった顔が苛立ちに歪む。
「……たのよ」
「はい?」
「負けたのよ……! あいつに!」
「え?」
「魔法が効かないなんていうインチキしてたのよ!? しょうがないじゃない!!」
「そ、そうですね。ズルいですよね……」
「そうなの! わかってくれるのね!?」
「え、ええ。もちろんです。……だからちょっと離れてください。顔、近いです……」
しかし少女のヒートアップは止まらない。それどころかもう鼻がくっつきそう……。
「ちょっと!」
そこに割り込んでミルが助け出してくれた。ありがとうございます……!
「……なによ?」
「近すぎるよ! それに嫌がってるでしょ!」
「……そう? 失礼。わたしとしたことがごめんなさいね」
そう言って少女はあっさり身を引いた。
しかし私は後ろから抱き抱えられたまま。あの……、下ろしてもらって大丈夫ですよ? だめ?
「ともかく! あんたが大蛇を倒したって言うじゃない。だからこうして話を聞きに来たのよ。なのにあんたったらここ最近、顔を出していないから全然会えないじゃない!!」
「ご、ごめんなさい?」
「まずは感謝を。わたしが倒しきれなかったアイツを倒してくれて助かったわ。おかげで、余計な被害を出さずに済んだ」
押しは強いけど、悪い人ではなさそう。
「いえ、襲われたから身を守っただけですので気にしないでください」
その返答に少女はわずかに目を細めた。それも一瞬のこと。
「でも――――わたしも負けっぱなしは癪なの」
少女はすぐに、堂々たる笑顔に戻って宣言する。
「だから――――わたしと勝負をなさい!」
「え゛」
「自己紹介が遅れたわね。わたしはヴィネア・オケアニス。Sランク冒険者、"大洋"のヴィネア。オケアニス家最強の魔法使いよ!」
こちらに来て初のSランク冒険者……! とりあえず勝負はご遠慮したいです……!!
返答をしようとして……抱きかかえたままのミルをちらりと見る。
「メルです。Bランク冒険者です……」
「Bランク……? あれに勝っておいて……? ん、まあいいわ。あんたを倒せば、ただ相性が悪かっただけでわたしが弱くないってことを証明できる! さあ、勝負よ!」
「い、いやです……」
気づけばギルド中の視線が集中している。
なにせ、さっきまで注目を集めていたこの少女がこうしてここにいるのですから当然でしょう。
目立ちたくはない。しかし彼女と勝負して実力を証明できれば、Sランクにぐっと近づくのでは?
しかし目立ちたくはない。しかしすでに目立っている。でもランク……。いやでも……。
混沌とした脳内が出した結論は……。
「……か、帰っていいですか?」
「なんでそんな死にそうな顔なの!?」
今すぐこの場から消えてしましたい……。壁……、壁になれたら良いんじゃないでしょうか? できればギルドの外の。
「メル、しっかりして!?」
長年の経験から主人公はとりあえず最初に逃走できるか考えます。




