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第??話 獣ノ刻 その9

 


 視界が白く塗りつぶされてなにも見えない。耳もなくなってしまったように、音も届いてはこない。


 私は……森のヌシの攻撃を受けて……それから。


 私は……死んでしまったのでしょうか……?


 ……いえ。


 ……さっきまでの体の痛みが、今もなお焼き付くように残っている。痛みがあるということは、私がまだ生きているということ。首の皮一枚でつながったようですね。……痛みに感謝することが来るなんて皮肉です。

 生き残る要因となったそれ(・・)が崩れないように手をかざして意識を集中させる。


「間に……合いました……!! 《禍ツ鏡(まがつかがみ)》……!!」


 目が眩んで見えないけれど、正面にあるそれの姿ははっきりと感じ取れる。

 お盆の形の真紅の盾。咄嗟に血を凝固させ緊急で編み上げた私の盾。物理的な防御に加え、表面で光が散乱・反射するちょっとした鏡面仕様のおしゃれな盾。


 それがこの光の海の真っ只中で、私を庇護してくれている。光の奔流に飲まれて跡形もなくかき消される直前で、なんとか間に合わせることが出来たようです。


 周囲は光に支配されている。どこを向いても眩しくてまともに目を空けられない。左右は強大なエネルギーの奔流に飲まれ、唯一の安全地帯は今私がいる盾の後ろだけ。


(あつ)ッ……!!」


 時折盾の防御を食い破り、反射も光を押し返しきれず、盾をすり抜けて屈折したものがすぐ脇の地面を削っていく。

 薄らと見えるそこはあまりの熱量にか赤熱してガラス状になっていた。きっと《禍ツ鏡(まがつかがみ)》の防御範囲から出た地面は同じようになっているでことしょう。


 先ほどの地面を滑るようなヌシの突進は質量でひき殺すものでしたが、これは悉くを消し飛ばす滅却の一撃。脅威度が段違いです。この《禍ツ鏡(まがつかがみ)》がなければ私もそうなっていたでしょう。


 ……お姉様に感謝ですね。


 この《禍ツ鏡(まがつかがみ)》は物理的な盾の能力と光を反射する能力を併せ持った防御用の血葬魔法です。


 これは吸血鬼として生きていた時に、私が苦手な陽光や光系の魔法をどうにかしようとお姉様が考案してくれた魔法……なのですが、私は真祖ではないので血が陽光に触れると能力そのものも弱体化してしまう。ヌシの光線は陽光ではありませんが、光量が膨大なのでなので反射は想定通りの能力を発揮していません。

 それでもこうして私を守ってくれているのですから、そのポテンシャルはやはり本物。

 お姉様が使うと真価を発揮することができるのですが……彼女は太陽克服者(デイウォーカー)なのでそもそも必要ないちょっと残念な魔法です。


 などと冷や汗を流しながら現実逃避ぎみの思考を垂れ流していると、盾に加わる圧力が少なくなっていき、やがてなくなった。


 ……助かったようですね。


 でも消費したリソースは少なくない。砲撃を防いだせいでさっき撒き散らされた血液の大半が熱で蒸発してしまっている。この量だと……次防ぐのは難しいですね。

 盾がパシャリと形を崩して、槍を保護するように纏わり付いた。

 生き残った安堵から一息ついて胸をなで下ろそうとしたところで、思わず呻く。


「ぐ……ッ!? 熱い……!!」


 肌に刺さるような熱が包み込む。

 焼けた空気が押し寄せ、火山の火口にでもいるのかと錯覚する程。ぼんやり戻ってきた視界には、地面がぐつぐつと赤熱して地獄のような有様が写っている。


 周辺の木々は焼き払われ、隠されていた空がむき出しになっている。別け隔てなく降り注ぐ日の光が、瞬く間に肌赤く染めていく。……今の私に日の光は毒と変わりありません。


 この灼熱と陽光が襲いかかる場所から、すぐに逃れなければ。


 砲撃を免れた僅かな区域――――あの安全地帯。ヌシの後ろへ。


 正面のヌシに向け、すぐさま助走へと踏み切る。


 未だ動きのないヌシを戻ってきた視界で睨み付ける。

 ヌシは……動かない。纏っていた紫電も消えている。足下に大地には深々と後退した痕跡が残されていた。あまりの威力、反動であの巨体すらも後ろに滑ったということでしょう。


 動きが無いのはもしや、発射の衝撃を受け止めるため、全身に力を込め、その反動で硬直でもしているのでしょうか。あれほどの砲撃、全身に力を籠めて放ったのだ。


 今はそれを耐え、動けないでいる——そう考えるのが自然。

 

 しかし動かないのはこちらを誘い込む罠の可能性も否定できません。それでも私にはもうあとがない。日の光が体を蝕んでいるのだから。


 ならば――――


 覚悟を決めて突き進むしかない……!!


 結論が出た思考を打ち切り、微動だにしないヌシに向けて地面を蹴り飛ばし、跳躍。爆発的な加速を得る。


「【血葬:魔喰牙(ばくうが)】ッ!!」


 血を纏い、肥大化した槍をヌシに向ける。戦撃の加速を受けた朱槍を頭部に受け止めたヌシの体が、グッと沈みこんだ。


 攻撃を受けても沈黙を保ったままのヌシの頭に着地。そのまま背を伝って地面が無事なヌシの背後にまで駆け抜けていく。


 ついでとばかりに背に幾らかの攻撃を加えつつ、さらに先の一手を残す。


「――置き土産です」


 走り抜けた背後、幾多もの血の杭が乱雑に宙に並んでいく。少なくなった血液の大多数を投入しました。今の血液量の《禍ツ鏡(まがつかがみ)》では、あの砲撃は防ぎきれない。ならば少しでもヌシの体力を削る為に使う……!!


「《ドレッド・カーペット》」


「オオオオオォォォ!!??」


 背から飛び降り、地面に着地すると同時、血の杭はヌシの背へと一斉に牙を突き立てた。それは正に、深紅に血塗られた地獄への一本道。無数の杭は犠牲者の体を戒める楔となる。


 しかしヌシがこれで終わるはずもなく。


 大気に紫電が迸る。


 まるで心臓が鼓動を打つように、断続的に雷鳴が轟く。一拍ごとに、ヌシの巨躯にエネルギーが充填されていく。その力威圧感たるやヌシが一回り大きくなったと錯覚してしまうほど。


 いや……実際に大きくなっている。紫電の活性化によってか、筋肉が膨れ上がり、血の杭を押しのけ地面に散らしたのだから。まるでパンプアップしたかのよう。


 肩越しに「よくもやってくれたな」とばかりにこちらを睨みつけてくるヌシ。巨大でありながら軽々と振り向くと、素早い動作で前足を振り抜いてきた。


 もちろん私もジッとしていた訳ではありません。ヌシが振るう前足とは反対方向へと跳んで……ッ!?


「ぁ……ぐぅ……!?」


 メキメキと。

 側面からの衝撃で、思考ともども体が吹き飛ばされる。きっとこの場を見ている人がいれば私は間の抜けた顔を晒していたでしょう。

 なにせ確実に避けたと思った攻撃が私を横っ面から跳ね飛ばしていたのですから。

 いくらヌシが素早くなったはいえ、今のは確実に回避は成功していました。骨格的に攻撃することは不可能な場所に、攻撃が来るより先に逃げたのですから。


 しかし現実に私は骨を軋ませるほどの衝撃を体に受けてしまった。その予想と現実の乖離に思考が混乱する。答えを導き出せない。


 しかし答えが出せるまでヌシが律儀に待ってはくれずはずもなく。追撃に訪れる攻撃の気配に、思考を打ち切って起き上がった。


「ふ……ぅ……ッ!!」


 頭上から叩きつけられる前足。懐に潜り込むようにしてその攻撃を避け……られない!?

 とっさに血葬で強化した槍をつっかえ棒にして、押しつぶそうとする攻撃をやり過ごす。なおも上から押しつぶそうとする前足。頭上から襲う圧迫感に呼吸が引きつった。


 一気に追い詰められてしまいましたが……今ので何となくタネが分かりました。


 私が前に駆けだしたのと同時、ヌシの体がスライドして後退したのです。前進した分だけ後退して回避距離を無理矢理打ち消したことで、攻撃から逃げることは出来ず、捕まってしまった。


 さっきの攻撃を喰らってしまったのも私が横に避けたのと同じだけスライド移動して無理矢理当ててきたのでしょう。


 ヌシの攻撃力で、重力や慣性、重心の移動を無視して確実に当ててくるのは洒落にならない脅威です。なによりその変態軌道を対処させられる方は強い違和感から、対処がし辛い。


「気持ちの悪い……挙動ですね……!!」


 ヌシは心外だと言わんばかりにさらに力を込める。


 槍が限界を訴えるように嫌な音を立てる。マズい……!! このままでは槍がへし折られてしまう。

 そうなれば、私は押しつぶされてペシャンコ。死にはしないかもしれませんが、動けなくなった所を襲われてしまえば、再生する暇なんてないでしょう。そのまま消し飛ばされるのがオチです。

 かといって槍を失ってしまえば、ちょっと素早くておまけにミソッカス体術がついてくるだけの雑魚です。


 そんな迷いに揺れている間も刻一刻と時間は過ぎていく。


 もう持たない……!! 悲鳴を上げる槍を見つめ、冷や汗を垂らす。


「うぅ……!!」


 この子を置いて逃げる……? そんなの……。私は……!!


「ごめんなさい……!!」


 素早く身を引いて圧死の未来から逃れることを選んだ。取り残された槍が折れ、前足が地面を叩く。同時に先ほどの出血で得た血も、全て強化に回していたので失われてしまいました。


 ごめんなさい……。残骸となった槍を目にして、胸の中心を乾いた風が通り抜ける。見捨てることになった相棒に心のなかで謝罪を送った。


 残念ながらあそこから槍を取り戻す術はありませんでした。槍がなければまともに戦えないのは事実ですが、死んでしまっては戦う以前の問題です。


 土煙から飛び出した私をヌシが()めつける。バチリと弾けるような音がして、気づけばヌシは目の前へ。既に腕は振り上げられている。


 ……タネが分かっていても速すぎる!!


 槍が無い今つっかえ棒はない。避けられなければ詰みだ。

 一縷の望みに駆けてその場から飛び退くも、ヌシは滑るように追従して攻撃範囲から逃がしてくれない。


 ……仕方がありません!!


 素早く手を口元に運び指を噛む。歯が皮膚を突き破り、血が零れる。……この出血(しゅっぴ)は痛いですね。タダでさえ無駄遣いは出来ないのに……。


 指先に滲む血を必要十分まで増加させ腕を振り上げた。


「《ブラッディ・スカー》!!」


 血の斬撃が飛翔。すんでの所で腕の動きを僅かに遅らせる。ギリギリで攻撃から逃れ、風圧に背を叩かれゴロゴロと転がった。分かっていても切り抜けるのがギリギリ攻撃って……厄介すぎる!!


「はぁっ……! はぁっ……!」


 すぐさま起き上がる。額に流れる汗を目にかかる前に拭えば、ジャリッと不快な感触。

 邪魔にならないのならとそれには頓着せず、直していなかった指の傷から血を集め、槍を(かたど)る。《血葬:紅蓮》だ。

 もう、距離を取って仕切り直すような余裕はない。無理矢理呼吸を整え、手を叩きつけたままのヌシに踏み込んた。急ごしらえの槍を突きつける。


「【一閃(いっせん)】!!」


 闘気をはらんで素早く突き出された穂先は、しかしヌシを捉えることはなく。滑るように穂先から離れることでヌシは回避した。戦撃を空振り、体が硬直。あいた距離を詰めるようにヌシは突進を敢行。


「待っ!?」


 動けない。出来るのは迫る重量を見つめる事だけ。どれだけ自分の体に指令を送っても全て突っぱねられる。目に見えて速度の上がっていくヌシ。その時が来るまで身も竦むような恐怖をジットリと味わい、訪れた衝撃に空に突き上げられた。


「!!!?」


 一瞬ここがどこか、自分がなにをしていたのかすら分からなくなる。内臓があちこちに引っ張られるような気持ちの悪い感覚の中をたっぷりと漂って。


「がっ!!?」


 地面に叩きつけられた衝撃で正気に引き戻される。空気が肺からたたき出され、悲鳴も引きずり出される。


 ……幸いさきの突進と比べて助走距離は短かった。威力は大幅に減っている。だからまだ……動ける。


 そう自分に言い聞かせて震える脚を叱責する。ふらついて立ち上がった所に、霞むような速度で近づいてきたヌシの尾が振るわれたのが視界に映った。


 ―――既に回避出来る距離ではない。


 視線が尾に向けて引き寄せられるような、全身で見つめているような。意識が体からたたき出されているような不思議な感覚。そんな中で無意識に取るべき答えが浮かんできた。


 避けられないなら――相殺するしかない。歯を食いしばって痛みを訴える体にむちを打つ。


「ぐ……、あああぁぁ!! 【乱莫(らんぼ)】ッ!!!」


 全身がボロボロで力の入らない中、スルリと自然な動作で一撃目の突きが尾に吸い込まれる。自分でも驚くほどに予想外の速度での発動。ここに来て過去最速の一撃。心なしか速度が遅くなったように見える尾へ、一撃目の速度に引っ張られるようにして二撃目の薙ぎ払い。さらに尾の威力を減じ、力のつばぜり合いに(たわ)む朱槍。最後の突き上げに移行するために振り抜いたところで……槍が粉々に砕け散った。


「!!?」


 武器の消失により強制的に戦撃が中断。振り抜いた姿勢のまま、見えない鎖で地面に縫い止められたように体がギシリと硬直する。先ほどと同じように迫る攻撃を見つめることしか出来ない。


「ぐ……、ぶっ……!?」


 振るわれた尾が腹部に沈み、濁った声が漏れる。跳ね飛ばされた私と一緒に砕けた《紅蓮》の欠片も届けてくれる気遣いに思わず涙が零れそう。

 力無く地面をゴロゴロと転がっていく。速度を自力で緩めることは出来ず、背を大樹にぶつけたことで視界の回転はようやく止まることになった。


「は……あ……ッ!! は……ぁ……!!」


 震える腕に力を込め、体を持ち上げる。ゆっくり浮き上がった体は、しかし力無くベシャリと地面を叩いた。一方ヌシはと言えば強者の余裕でも見せたいのか、私を見つめながら悠然と歩いてくる。


 ……時間をくれるなら有効に使ってやります。後悔しないことですね。ゆっくりと近づいてくるヌシを睨み付け、ギリッと泥を噛んだ。


 転がっていった距離をヌシが縮める間に、何度か体を起こすのに失敗し、背を大樹に預ける形で座る格好に落ち着いた。


 見上げる私と見下ろすヌシ。デジャブを感じる構図。ヌシは大きく息を吸い込むと歓喜するように身体を振るわせた。


「オオオオォォォォ――――――!!!!」


 それは勝利の宣言か……雄叫びを上げるヌシ。その圧に目を細め、髪を引っ張られながらも思わずクスリと笑みがこぼれる。


「はぁ……はぁ……。もう……勝ったつもりですか?」


 こちらの言葉がなんとなくわかるのか怪訝な顔をする。既に勝負は決したと思っているのでしょうか。まだ私は……死んでいないのに。


 それを証明するように指を指す。そこは―――ヌシの足下。


「先ほど―――置き土産と言った筈ですよ?」


 言葉と同時、ぶわりと地面から赤が空を呑むように立ち上る。逃げるように身を引くヌシ。でも―――もう遅い。


 広がった赤は既にヌシを包囲している。捕食するように包み込み、流動しながら、逃れようとするヌシの自由を奪っていく。


 ヌシがいたのは、先ほど《ドレッド・カーペット》を発動した場所。墓標の様に無数に突きたった杭が絨毯のように広がっていたそこに、慢心したヌシは立っていたのだ。


 体から振り落とされたものと地面に突き刺さった血の杭。それが形を崩さぬまま地面に潜り、私の制御下で虎視眈々と機会を窺っていた。


「《薔薇九拿(バラクーダ)》!!」


 九つの棘鞭が逃れようと藻掻くヌシを縛り上げる。残念ながら血液量が足りず不完全で、拘束力も弱まった代物ですが、欲しかったのは高速で動き回るヌシを私の攻撃が捉えることができるだけの時間。その役目は十二分に果たしてくれる。


 もたれかかった大樹に体が張り付いたのではと思うほど体が重い。それでも背を大樹から引きはがし、跳躍した。


「もう一度、出血大サービスです。《血葬:紅蓮》」


 手首を爪で切り裂いて血液(リソース)を確保。スッと体が浮くような喪失感と、重しを乗せられたような矛盾した感覚に目が回りそうになる。ここで……出し惜しみなんてしない。失血死ギリギリまで絞り出して形成した朱槍に力を押し込める。


「【血葬】――」


 動けなくなったヌシの眼前で両手で握りしめた巨大な槍を構え、全身から全霊の力をギリギリと練り上げる。一瞬というには長い溜め(チャージ)。それを解放すれば、さしものヌシも目を剥いた。


「【剛破槍(ごうはそう)】ッ!!!!」


 脚から腰へ、腰から背、背から腕へ。全身を使って伝播させたエネルギーをたらふく飲み込んだ深紅の剛槍が大気を引き裂いた。


 無防備な頭部を捉え、発生した衝撃が大気を押し返す。しかしヌシは未だ力尽きてはいない。力を緩めることなくなおも押し込んでいく。


「う……ああああァァァあああああああああああアアアアアアアァッ!!!!」


 血を吐くほどの裂帛。遂に受け止め切れなくなったヌシは膝を折り、腹の底に響く音を辺りに叩きつけ、頭部を地面に埋めた。

 地面に押し込まれなおも力は加えられ続ける。逃げ場を失ったエネルギーが行き場を探して荒れ狂う。


 そして―――蓄積された衝撃が限界を迎えたように弾けた。そしてそれは宙を舞う黒いシルエットとして姿を現す。


 ―――くるり、くるりと。


 そう、先ほどまで威容を誇っていた大角が片方、へし折れたのだ。


 ―――オオオオォォォォ――――――!!???


 痛み。喪失感。忘我。すべてを綯い交ぜにした咆哮を上げ、ヌシが知性を置き去りに、激情に身を任せて暴れまわる。


 一方の私はと言えば、爆発したエネルギーの嵐に巻き上げられ、寿命を迎えたセミのように地面に向かっていった。


「う゛っ!!?」


 まともに受け身を取れず地面でバウンドする。ボロ雑巾のような姿で地面に転がった。


「は……ぁ……!! ッ……!! ぁ……!!」


 地面に手を突いて顔を上げた先には悲鳴と破壊音を轟かせるヌシ。自慢と角をへし折られた精神的なものからか、痛みからか、我を忘れて暴れまわっている。もちろんとっくに《薔薇九拿(バラクーダ)》は振り解かれてしまった。


 正気に戻られたら、もうまともに相対するすべはない。


 ―――ここで倒します……!!


 《血葬:紅蓮》を杖にして、亀に鼻で笑われてしまいそうな遅さで身を起こす。

 震える脚を叱責し、完全に自分の世界に入ったままのヌシへと歩みを進めた。追撃の構えを取る。残った気力を振り絞り、槍に闘気を注ぎこむと、透き通る光を発生させた。右手に構えた槍を引き絞る。


「ゼェ……ッ、ハァ……ッ、【魔喰(ばくう)】が―――」


 ――――しかし。


 踏み出す瞬間、穂先に集った闘気が限界を伝えるかのように不規則に明滅し、遂には散り散りに宙に解けていった。


「――――え」


 戦撃のサポートはなくとも、体は戦撃の動きに沿うように踏み出した。結果それは、中途半端な速度の不格好な突撃で。

 唯一まともなスピードすら見る影もなく。タイミングもあったものではない状態で、暴れる巨体に突っ込めば当然――――


「ぁがっ……!?」


 風に弄ばれる木の葉のように吹き飛ばされた。


 見境無く暴れるヌシからもらったのは普通の頭突き。攻撃の意志さえない、無差別に暴れるだけのもの。


 それでもヌシの力は常識外れで、折れた角の根元、ざらついたおろし金のようになっているそれが、胸元を深く抉った。

 再びぼろ雑巾のように地面を転がる。


「う……ぐ……」


 あんな遠回りな自殺みたいな飛び込みで、これで済んだのは奇跡かもしれない。角が折れてなければ、間違いなく心臓ごと体を貫かれて死んでいたでしょう。


 はは……、まさか昔みたいに戦撃を失敗するとは思いませんでした。ええ、次は成功させますよ。まだ、まだ行ける……!!


 そう思って立ち上がろうとした瞬間、脚からストンと力が抜け落ちた。


 ――――あ……れ?


 ズシャリと。

 脚の間に体が落ち、座り込んだ姿勢から脚を動かす事が出来ない。まるで自分の体でなくなったかのよう。


 ……なんででしょう? なぜだかすこぶる苦しいような?


「か……ひゅ……」


 ああ……、そっか、と腑に落ちた。


 呼吸、ですね。呼吸が上手く出来ていないんです。これはうっかりしていました。息が出来なかったらそれは苦しいですよね。……あれ? えっと……呼吸って……どうするんでしたっけ?


 思考がふわふわと、雲のように宙を漂っている。気づけば熱に浮かされたような高揚感は消え去って、代わりに、酩酊するようなダルさが泥のようにへばりついてくる。それなのに汗と泥にまみれてうっすらと寒い。

 体は麻痺したように感覚が希薄だ。

 さっきまで広がっていた世界が、急速に狭まっていく。まるで自分が押しつぶされそうになっているみたい。


 何かをされた訳ではない。ただの、時間切れ。

 体力なんて、とうに空っぽで気力だけで動いていた。無意識ながらも気づいてしまえばもう脚を持ち上げる事もできやしない。


 ドウ、と。

 ついに体を支える力さえ失って地面に崩れ落ちる。


「ぁ……は……」


 口を動かしても呼吸は叶わない。

 魚のように、空気を求めて口をぱくつかせるだけ。


 限界を迎えると人は呼吸の仕方すら忘れてしまうのでしょうか。自分の惨状がどこか遠くの事に思えて、なんだか笑ってしまいそうになる。


 まるで赤ちゃんみたい。でも私は生まれたときから記憶があるので、普通の赤ちゃんとは違いますね。

 うん? で……も赤ちゃんってすぐに呼吸できますよね。今の私は赤ちゃん以下なのでしょうか?


 思考と体が同期せず、考えもまとまらない。体は動こうとせず、足りない空気を貪ろうとするばかり。


 まぶたが……重い。誰か引っ張っているみたい。


 今にも眠ってしまいそうだ。でも寝てはいけない気がするのはなぜでしょうか。


 気づけば周りが静かになっていた。恐ろしい表情でこちらを睨み付けているものがいる。


 角を折られたせいで警戒度も上がっているのか、動けもしない標的を油断もなく確実に消し飛ばそうとする。

 ぼやけた視界の中、折れた角の間で紫電が瞬く。


 きらきら、きらきらと。


 きれいな光。思わず掴もうと手を伸ばそうとして、腕が動かないことに気づいた。


 光を掴むどころか腕すら伸ばせない。なんだか酷く嫌な気分になる。


 そうだ、あれを止めなければいけない。ふと、そんな考えが浮かび上がってきた。


 でも、……なんででしたっけ?


 散々暴れたヌシの頭上。倒れた樹木の隙間から空がのぞく。

 こんな時でもヌシの背後に広がる空は……憎いぐらいに蒼く澄んでいた。


 長い長いチャージが完了して。放たれた砲撃は空をも染め上げ世界を塗りつぶしていく。


 それは、すべてをかき消す紫の奔流。その光が遂に私に到達する―――。


 そのとき。


「ここにいたか。……探したぞ」


 唐突に影が光を遮った。


「《白亜伏陣(はくあぶじん)》」


 光を遮る影が割り込んで、世界が白に断絶される。


「《拒交神盾(アイギス)》」


 それは全てを貪り突き進む紫の光を完全に拒絶して、ピタリとエネルギーの奔流を押しとどめた。

 その絶技を披露して見せた影は。逆行で上手く見えないはずなのに眩しく輝いて見えて。


 ヌシより小さいはずのその背中は。なぜだかとても、大きく見えた。


「……し……しょ……?」


「おう、バカ弟子。随分やんちゃしたな。……無事で良かった」



 tips


 血葬について

 基本的に自分の血液に魔力を少し混ぜて操る、魔法と種族特性の中間に属する技能。

 外に出た血液量以上に増幅できるが、無制限に増やせるわけではない。増幅量の最大値は流血量に対して一定の倍率。その倍率は当人の吸血鬼の格と技量に左右される。主人公は公爵級の吸血鬼にしては、血液増幅量が最低レベルを少し下回る。一滴の血が大きなバケツに満ちるくらい。同格の吸血鬼なら手足が伸ばせるサイズの浴槽が満たせる。

 お姉様レベルだと一滴の血が25メートルプールを満たしてまだ余裕があるほどになる。

 


 無くなった血を再生産する造血能力も他種族に比べればかなり高い。ただ、普通に『魂源輪廻(ウロボロス)』で力を引き出している状態だと、結構弱体化している。


 操作性

 操作するにはある程度の液量が必要。あまり少なくなると対象を上手く指定できず、操作できなくなる。血葬使用者の技量に左右される。

 主人公では固めている時に砕けた小さな破片は無理。蒸発すれば論外。

 逆に多すぎても今度は制御が追いつかなくなる。単純作業ならなんとか。《薔薇九拿(バラクーダ)》は棘鞭をそれぞれ操るので結構キツい。大分雑な制御をしている。魔法系が苦手なのも拍車をかけている。


『吸血鬼ノ刻』の魔王は気化しても大丈夫。吸い込んだら敗け。

 お姉様と勇者君はしっかり防いでた。



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― 新着の感想 ―
変態的な魔術の師匠はマジで変態で変態的な魔術を使うスケベジジイだったんかい!!
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