第??話 獣ノ刻 その6
本日2話目です。ご注意ください。
それから数年。
私は本性を無理に隠すことなく、彼と過ごしました。もちろん多少の加減はしていましたけれど。
最初は不安もありました。いつかまた、これまでの人たちのように奇妙な目で見られるのではないか。煙たがられるようになってしまうのではないかと。
しかしその心配が現実になることはありませんでした。彼はそんなそぶりを見せることは微塵もなかったのです。私が槍の話を熱心にした時に「お、おお……」と少し身を引いていたくらいで、それ以外は常に、ごく自然に接してくれたのです。
彼は普通の赤ん坊よりも成長が早い私を、気味悪がることなく、むしろその成長を喜び、歓迎すらしてくれました。すごい子だと、褒めてさえくれました。
彼は私を普通の子供として扱って、ひとりの人間として接してくれたのです。それは私が今までの多くの親に求め、けれど諦めてきたものでした。
――――だからこそ、私にとって彼はかけがえのなく、信じることができる存在なのです。
気づけば、霧のように漂っていた僅かな不安は、いつの間にかなくなっていました。
ただ、一つだけ不満があるとすれば、賊に使ったあの日から頑なに槍を握ることを許してくれなかったこと。最初に槍を手に取ったときの彼の反応とは裏腹に、断固とした表情で拒み、わずかに不満をにじませながらも私の要求を退けたのです。
単純な体力トレーニングならつけてくれたのですが……。
何か理由があるのだろうと、私は少しばかり槍を強請るだけにとどめ、無理を言うことなく我慢してきました。はいまあ、槍は使わなくても好きですからね。眺めているだけでも楽しいです。振るう想像をするだけで胸が躍ります。
そして私が5歳になろうかという頃――
どうしても槍が恋しくなって、木の棒を削り、先端に石を取り付けた即席の槍を振り回していた日こと。
師匠が街に出て私は人里離れたこの住処でお留守番。これ幸いとばかりに久々の槍の感触を満喫。体にしみついた型の練習を終えて、一息ついたとき。
気づけば背後にパイプをくわえた師匠が紫煙を燻らせながら佇んでいました。
「あ……、これは……。その……」
秘密裏に訓練をしていたことが、またしても見つかってしまったようです。これで……10回目でしょうか。バツが悪くなって、『つつく君Mrk.10』を背後に隠して目を逸らす。
パイプを咥えた師匠が煙と共にため息を吐き出す。
腰を下ろしたその体を、地面から生えてきた椅子に受け止めた。師匠の魔術によるものでしょう。息をするように当たり前に魔術を使う姿は、いつ見ても感嘆してしまいます……。
眉間にしわを寄せた師匠はたっぷりと時間をかけてパイプの煙を吸い込むと、同じくらいの時間をかけて吐き出した。
「……ワシはお前を蝶よ花よと育てるつもりだった。お前がチーターの獣人だと分かった時点で、その思いは増した。チーターの獣人の持っているポテンシャルは高いがそれが日の目を見ることはそうはない。訓練に費やせる時間があまりに少ないからな。
お前は平和に生きればいい。わざわざ血生臭い道から遠ざけることが出来ればとな。ワシはそう思った。そしてあの日、お前の槍を見てその思いは一度揺らいだ。潰すには惜しい……、あまりに――――惜しい一撃だった。
だがその感情に蓋をして再び抑えつけた。平穏を与えることこそが正しいのだと、そう思ったからだ。
しかしそれはワシのエゴで、お前の道を塞ぐことなるのではという思いが日ごとに膨らんでいったのだ」
私を見つめたまま言葉を吐露した師匠。しかしその視線は私を見ているようで、どこか遠くを見ているようにも感じられた。立ち上る煙が風にもてあそばれてユラユラと踊る。
「ケホッ、私の……道?」
「おっと……」
風の流れが変わり、今まで揺らいでいたタバコの煙がこちらに流れてくる。「少し話しすぎたな」とこぼして、彼はパイプの火を消した。
「お前さん、やはり……槍は好きか?」
「はいそれはもう!槍の素晴らしいところはまずその長さにありますその長さは一方的にリーチで勝っている相手に有利をとれるだけでなく武器の重量を増しても重心を手元に残したままに出来慣れれば細やかな操作が可能と威力と利便性を兼ね備えた美しい武器ですそれだけでなく槍の主な攻撃が突きであることで防ぎづらいという特性もあります打撃のような面でも剣のような線でもなく点の攻撃であるので当然ともいえます性能だけを挙げましたがそれだけでなく槍はどの子でもかわいくて戦いに出すのがもったいないくらい愛おしく感じてしまい―――」
「待て待て待て待て!! もう良い! お前の槍好きはこの数年で嫌と言うほど知っておる!!」
「ええー……」
語り足りない私をせき止め、安堵の息をついた師匠を『聞いてきたのはあなたなのに……』とジトリと見つめる。師匠は素知らぬ顔でパイプの火が消えているのを確認すると懐にしまい込んだ。
「もう……、やめだ。無理に縛ることもないだろう。お前は好きにするといい」
私の橙色の頭に手を乗せた師匠は、前髪に一房だけある黒の髪を持ち上げて薄く笑った。師匠はこれを気に入っているのかたまにそうしてくれます。
「えっと……?」
「つまりだ。これからは好きに槍を使うといい。お前が望むなら鍛えてやる。ワシももう随分遠くまで来た。弟子など考えもしなかったが、子もいない以上……どうせならお前にワシの技術を教えるのも……いいかもしれんな」
師匠の教えを受けて、強くなった私がそこでさらに魔術を使う。そんな未来を想像したのか師匠の目が楽しそうに細まった。その瞳に、未来への期待が滲んでいたのを……忘れることはないでしょう。
「どうだ? ワシの技をすべて修める気はあるか?」
「はい! ぜひ、お願いします!!」
もちろん私は二つ返事で申し出を受け、このときから彼と私は師弟の関係を結んだのだった。
そして師匠の手ほどきを受けながら、本格的な修行の日々が始まったのでした。
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「今……なにもないところでこけたな?」
「いえ師匠、石があります」
「こけんなバカ弟子」
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「だから、体の動かしかたは重心を常に低く持って――」
「こうですか?」
「その軟体動物みたいな動きが正解だと思うのか!?」
「じゃあどうしたらいいんですか!?」
「今ワシが説明したよな!?」
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「魔術ってのは魔法が苦手なものでも扱うことができる、理論に基づいた術だ。感覚でなく、構造と理屈で成り立っておる。ワシが考え、いろいろあって世界に広まった。使い手によって見た目も感覚もまばらな魔法を『陣』という形にすることで、その『発動過程』から『現象の起こり』を固定する。同じことをすれば、同じ現象を起こせるというわけじゃ。ほれ、本に書いてあるこのお手本を見て魔力で陣を作ってみなさい」
「形を……、難し……!? 師匠、魔術陣が爆発しました!!」
「……ぼ、暴発……? 発動しないどころか、暴発? 魔力の逆流を防ぐセーフティーだぞ……? それを初歩の術で……? ワシの設計も……まだまだか……」
「え、なんで師匠が落ち込んでるんですか? おかしくないですか??」
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「今日は街に行ってくる。お前は留守番だ。ちゃんとメニューをこなしておけよ」
「私も行きたいです!!」
「お前はだめだ。キレーな姉ちゃんに会えんじゃろが」
「もう! そう言って私のこと全然街に連れて行ってくれないじゃないですか!! 私だって師匠と一緒にお出かけしたいです!!」
「まだまだガキンチョのお前は外には出せんのぅ」
「むう……そればっかり……。それに帰ってきたらいっつもお酒や女の人の匂いをさせて……。体に悪いですよ!!」
「酒は薬で、女は活力だ。生きるにはなくてはならんものよ」
「またそんな世迷言を……!! そんなわけないでしょう!!」
「ちんちくりんのガキンチョにはわからんじゃろうなぁ?」
「この……色狂いの飲んだくれバカ師匠……!!」
「な、なんじゃと!? このバカ弟子が……!! 目上の者に向かってなんて口の利き方だ!!」
「事実を指摘したまでです。べー」
「この……!!待たんかバカ弟子!!」
「きゃー!!」
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「師匠! ご飯できましたよ!」
「ふむ……腕を上げたな……」
「おいしいですか!?」
「ああ美味いよ。ありがとうな……」
「一度教えてもらったレシピは忘れませんからね!!」
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弟子を取ったのは初めてだが、頭の痛いことが多くて叶わない。見捨てるつもりは毛頭ないが、どう伸ばしたら良いのか皆目検討もつかん。
魔法はだめ。魔術は暴発させる。訓練時間も限られる。体術はギリギリ素質あり。槍の扱いは上手いが戦闘における思考は下。その他は伸びが著しく遅い。料理は身内びいき込みで上々。
そして……。
「記憶力はピカイチか……」
「どうしました?」
「いや、なんでもない。教えたことをよく覚えてはいると思ってな」
「はぁ……?」
それがどうしたと言わんばかりの弟子の顔を見下ろす。ワシの手元にはこの国の簡単な歴史を教え、どれだけ覚えたかテストした結果は――――完璧。教えた内容と寸分の狂いもない。
戦闘だけできても、知恵が回らなければ拙いことも多い世の中だ。多少の学もつけさせようと試しに教えてみれば、想定を遥かに超えるこの結果。
一度教えたものを復習しようとすると「もう覚えてますよ?」と不思議そうにしていたから試したが、これほどとは……。
記憶力があまりにも優れている。
応用は利かんが、事務関連のほうが向いておるのかもしれんな……。しかし戦闘にはなぁ……。
「うぅむ……」
いや、待てよ。記憶力が生きる戦い方もあるのでは……?
噛みタバコを口に含みつつ、そんな考えを巡らせるのだった。
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師匠に師事して数年。決して順調とは言えないものの、日々の訓練で実力は少しづつ伸びてきている……はず。ただ、それも成長に伴ったものばかりで、技術面ではさほど進歩を実感できていないのが本音だった。
模擬戦で、一度だって師匠に戦撃を当てられていないのも、その思いに拍車をかけています。
なんでも「初見ならともかく、一度見てしまえばお前さんの動きは『今からすごい攻撃をしますよ』と教えているようなものだ。どれだけ槍の技術が高くても、事前に分かれば避けるのはそう難しいことではない。スピードで圧倒できればわかっていても避けられんだろうが、格上には当たらんよ」とのこと。
そう言われればぐうの音も出ない。
威力は絶大だが、今の自分が使えば隙だらけ。今の私にとって戦撃はそんな立ち位置です。
魔術という革新的な技術体系を築いた師匠に、こうして直接教えてもらえているのは信じられないほどの幸運です。
……師匠は本当なら才能のない私なんかを相手にしているよりもっと有意義な時間の使い方ができたはずなのです。それこそ魔術を確立した偉人として高官に取り立てられたりとか、技術が生み出す利益だけで濡れ手に粟の左団扇で一生遊んで暮らすこともできたでしょう。
それだけの人が、私なんかのために、時間を割いてくれている――。
せめて彼の名に恥じないだけの成果を出さなければ申し訳ありません。
そんな師匠の欠点。それはかなりの遊び人であること。
私が一人でも平気になったとわかると、彼は度々家を空けるようになりました。帰ってくるのは夜遅くか朝方。体からはお酒の匂いを漂わせてふらふらと歩いてくる。
そう、こんなふうに。
「うぃ~」
「おや、今日は随分早いお帰りですね。誰かと思いましたよ」
家の前で、修行に一息いれて汗を拭っているとふらふらと覚束ない足取りで歩いてくる師匠が目に入った。思わず皮肉がこもった言葉を送ってしまう。獣人の鋭敏な嗅覚が風に乗ったお酒の匂いを感じ取った。
見ればわかりますが、今日もまたたくさん飲んできたようですね。
「お前はこんな時間まで修行か……? 年頃の娘らしくちょっとは遊んだらどうだぁ?」
「遊ぶ相手が近くにいないんですよ。残念ながら」
「あ~、うむ……、それはすまんな」
「別にそれはいいですよ。……私はこちらの方が性に合っていますし」
そう言って、私は手元の槍を持ち上げて見せる。
師匠は人と話すのを嫌うタイプではありませんし、人を避けて街に居を構えないのにもなにか理由があるのかもしれない。
――――それがどうあれ、私にはどうでも良いことだった。重要なのは平穏であること。
多少不便なだけで、逆に言えばその程度。特に不満もない。
そこで私は師匠の姿に違和感を覚えた。
それは師匠の首筋にある赤いもの。
――あれは……口紅?
「また……色街にでも行ってきていたんですか?」
視線の温度が下がっていくのが自分でもわかる。
意識してみれば、獣人の高い嗅覚がお酒の匂いに混じって――――薄っすらと女性の香りを拾う。
口紅に強い視線を差し向けていれば、心当たりでもあったのか慌ててパシリと手で覆う師匠。その行動は自白と一緒でしょう。
「ごほっ!!ごほっ!!……そんなこと……ないぞい? この目を見ろ。キラキラ輝いているじゃろ? これが嘘をついている目に見えるか?」
「この前近くに来た行商人から、絞りに絞って無料同然で身ぐるみ剥いでいた時の目に似てますね。躊躇なく純粋に人を貶めることができる目です」
「それはあやつが足元みたからつい……」
「つまり、否定はしないと」
「……うおっと」
「はあ……。――不潔です……」
思わず絶対零度の視線を送ってしまうと、師匠はナイフで刺されたように呻いた。
「さ、刺さっておる刺さっておる。つららのような視線が……。師匠にはもうちっと優しくするべきじゃぞぉ~」
「知りませんっ。早くお風呂に入ってきてください。――くさいです」
ドドメの一撃が効いたのか、師匠は「ぅぐっ!? これは一番堪えるな……」と呟きながら、よろよろと住処に向かっていく。その途中で、訓練を続ける私の手元に目を落とした。
「ずいぶんボロボロになったな……」
「え? ああ、そうですね……。もう長いこと使っていますからね」
私は槍を振るうのをやめて、手元に視線を落とした。そこにあるのは、刃こぼれを起こし、グリップがすり減った鉄槍だ。
もうこの子は数年前から使っている。身長の伸びが悪くなってから、合わせて買い替える必要がなくなってしまった。
長く使っていれば愛着も沸く。もちろんそうでなくたって。
まだ使えるから、もうちょっとと先延ばしをしているうちにこんなにボロボロになってしまった。
そろそろ買い替えないと本当に壊れてしまいそうだ。
名残惜しく槍を見つめていれば、師匠があきれたように鼻を鳴らした。
「ちがうわバカ弟子め。お前の手のほうだ」
「……ああ、こっちですか? ちょっと擦りむいただけです。ほっとけば治ります。この子は治らないですけど……」
私の体と違ってこの物は治らない。時間が解決してくれることはない。
「……お前というやつは……」
「な、なんですか……!!」
残念なものを見る目を向けられて、わけも分からずむっとして睨み返す。
「何でもないわい」
師匠は首を振って家に入っていった。
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それからしばらく、師匠が朝から街に出ていく頻度は変わらなかったものの、遅く帰ってくる頻度は減ったことに気づきました。確認したところ総じて出費も減っています。
「最近、出費が減りましたね……。更生したんですか?」
「更正とは何じゃい。……最近襲ってくる賊も減ってきたからのう、出費を抑ようと思っただけだ」
「……そういえばそうですね。治安が良くなったんですかね?」
「治安は悪くなる一方だがのう……」
「え?」
「いや、なんでもないわ」
その時は単に、日頃口を酸っぱくして言っていたのが効いたのだろうと喜んでいただけだったのですが、それから数ヶ月後に、師匠から驚きの提案をされるとは思ってもいませんでした。
「そういえばお前ももう少しで10歳だろう」
「そうですね、師匠が私を拾ってもう10年です。本当に感謝してます。実の子でもな――」
「はいストップ」
「……むう」
感謝の言葉を続けようとした私を師匠が遮った。虫でも払うように手を振って、実に嫌そうな顔をしている。
「そういうのは良いから。もう耳にタコができるくらい聞いたわい。いい加減やめろと言っておろうに」
「……むう」
「そんなことより、お前さん街に行きたいと言っておったろう」
「はい。その時は同行するのは拒否されて酒と女の人を楽しんだ師匠を一人寂しく家で待っておりましたね」
「ぅぐっ……」
喉になにか詰まったのか潰れたカエルのような声を出した師匠。
「おい、感謝していると言うならそのチクチク言葉をやめんか……」
「それはそれ、これはこれ、です。無理な相談ですね……」
ジトリとした視線を寄越す師匠に、ツンとそっぽを向けば、やがて諦めたのか溜め息が聞こえてきた。
「……まあ、話というのは他でもない。お前の誕生日ということで街に行かんかということだ」
「ホントですか!?」
「ああ、どうだ? きちんということを聞くなら街に連れて行ってやるぞ?」
師匠の言葉に思わず息を飲み、その後もちろん……
「行きます!!」
2つ返事で了承した。




