第??話 獣ノ刻 その5
過去編で回想をやる暴挙を許して……
師匠と出会ったのは、私が生まれたばかりの時でした。
――道ばたで偶然拾ったのだと、師匠は言います。
なんでも、用事の帰りに夜道を歩いていたら赤子の泣き声が聞こえたそうで。まさかと思って見に行けば案の定。当初は赤子の世話などしたことがないのにと、途方に暮れたそう。それでも放置すれば、死を待つだけの命だと渋々引き取って、育てることにした……とそんなふうに話してくれました。
ともあれ、師匠には感謝しかありません。なにせ血のつながりもないのに私を育ててくれたのですから。
師匠は私の事を手のかからない赤子だったと言います。思ったよりも子育ては楽だった、と。
それもそのはず。私は転生者なのですから、普通の赤ん坊のように泣き叫んだりは――うん、あんまりしませんでした。
私を拾った師匠は人里離れた場所に住み着き、しばらくは拠点を転々としていました。今でこそ移動は少なくなりましたが、当時は頻繁に場所を変えていましたね。
治安があまり良くないのか山賊や野党になんども襲われました。このあたりは獣人の数が多いのか、ほとんどの賊が獣人でした。移動が多い分出合う回数も相応に増えてしまう。
けれど師匠は強かった。当初から初老に差し掛かっていましたが、それを感じさせない身のこなしで、賊なんかは一捻り。紐で括って背負われた私を気にして、優しく動く余裕があったほど。
敵どころか寧ろ「臨時ボーナスがのこのこと……。今日は良い酒が飲めるな」と嬉しそうにする有様でした。……いやもう、どちらが賊かわからないですね……。襲いかかる全員をもれなく軽く討ち取り、持っている物品を軍資金として徴収して、賊は街で引き渡したりしなかったりして幾ばくかの金銭を受け取り、そこそこ不自由のない生活をしていました。
そんなある日、今日も今日とて師匠は賊を退治していました。あまりの頻度で沸いてくるので背中で揺られながら『治安悪いですね……』と他人事のように思っていた、その時。
ブツリ。
そんな音と共に浮遊感。私を支えていた紐が千切れてしまったのです。
「むっ!?」
しかも運が悪いことに師匠が激しく動いていた所だったので、しがみつく事もできず遠心力で豪快にぶっ飛ばされました。
「ぐえ」
放物線を描いて地面に落ちた私はかわいくない悲鳴を上げて、そのままころころと転がって目を回してしまった。
「うぅ……、めがぁ……」
「おい……!!」「あいつが……!!」
そこに待ってましたとばかりに殺到する賊達。強い師匠ではなく、無防備な私を人質にして起死回生の一手にしようという魂胆でしょう。
紛れもなくピンチです。しかしおとなしく捕まってやるつもりはありません。時間さえ稼げば、師匠ならすぐに駆けつけてくれる。それまで逃げ切ればいいのです。
つまり―――逃げるが勝ち!!
『魂源輪廻』に意識を伸ばし、前世の力を開放。体を無理矢理強化してあちこちに逃げ回る。
「てやぁ!!」
「このガキ!!」「すばしっこいぞ!?」「なんて速さだ!?」「ハイハイってレベルじゃねえぞ!?」
小さな体を駆使して賊の間を縫うようにすり抜ける。そうすれば、私を捕まえようとする賊そのものが壁になって守ってくれます。
「クソッ!! 焦れってぇ……、時間が掛かりすぎだ。ここで殺すぞ!!」
「ば……待て!?」
狼のような耳をした短気な賊が、もはや人質も関係なしとばかりに抜き放った剣で斬りかかってきた。
「わ!?」
気づいても急には止まれない。反射的に体を傾けた拍子、手元にカランと何かが当たる。咄嗟にそれを引き上げ、剣と私の間に滑り込ませた。
「なっ!? こいつ!!」
私が掴んでいたのは槍でした。それも師匠にへし折られた賊の槍。お誂え向きの手頃な長さ。師匠は再利用できないように短く折ったのでしょうが、それは私には丁度良い長さだったのです。
まさか私に防がれるなんて思っていなかったらしい。賊は驚きから込める力を緩めてしまう。その隙を逃さず、剣の圧を受け流し、賊の体勢を崩すことに成功した。危ない危ない、結構ぎりぎりであのままだと押し切られてましたね。
つんのめった賊はといえば、焦りは見えるものの、しかし余裕も持っていました。私も獣人とは言え、まだまだ小さな赤子。このまま一撃もらったとしても、致命傷はないと踏んだのでしょう。
まあそれは私が普通の子供なら……ですが。
短く息を吸い込み、体の中心に力を集めていく。これは折れてるとはいえ今の私には手頃な長さ。ならば使うのになんの問題ない。
無色の光が槍の先端に集う。
「【一閃】」
「ごっ!?」
避けようともしていなかった賊を捉えるのは容易く、大した手間もなく撃退に成功しました。
「ふう……、ふう……」
荒くなった息を整えつつ、額の汗を拭う。戦撃は成功。なんとかなりました。
「お前……」
「わひゃっ!?」
真横から突然の声。びっくりして思わず飛び上がってしまった。声の主は師匠。いつのまにか傍に立っていました。
「お、おどろかさないでくらさい……」
舌っ足らずに抗議をして見せる。そこでふと音がしないことに気づいた。ぐるりと周りを見渡せば賊は全部倒れていました。おそらく師匠は全ての賊を殲滅し終えた後、すぐ傍で見守っていたのでしょう。
「……もう、たおしたんですね」
師匠はそれに答えず、じっと私を見つめていた。その視線に、私は失敗したと身を固くする。
――しまった、やりすぎました。
この歳でまともに戦えるような赤子など、どう考えても異常。いくら身体能力に優れる獣人とはいえ、奇妙でしかない。それどころか不気味ですらあるでしょう。
彼と私は血もつながって居ないのです。きっと――――簡単に捨てられてしまう。
……それは、もう何度も繰り返してきたこと。
『なんだいこの子は……気持ちが悪い……』
『不気味だ……、なにか取り憑いてるんじゃないか?』
『こんなの……あたしの子供じゃない!!』
『このニセモノ!! ウチの子をどこにやった!!』
『バケモノめ……!! 退治してやる!!』
遠巻きにされるなら良い方で、悪魔だとか魔女だとか魔物だとか、そんな風に思われて殺されかけることもありました。
結論として、世間には隠すのは当然として、家族には無理に隠すのではなくちょっと抑えた状態で対応を見て、無理そうなら出て行くという形に落ち着きました。私にとっても、相手にとっても無理するのは苦痛。それくらいなら傷が浅い内に距離を置くほうが良いのです。
でも……私が出て行っても彼ら彼女らの望んだ子供が戻ってくるわけではありません。所詮私は異物に過ぎません。本来別の誰かがいるはずだった場所に横入りして居座った、恥知らず。
私が望んだことではないとはいえ、それは事実。
――だから。
私なんかがあなたの家族として生まれてきてすみませんでしたと。本当の子供じゃなくてごめんなさいと。そして今まで育ててくれてありがとうと。その言葉を小さく落としてせめてものお詫びとしています。
日も登らぬ薄暗い中、育った場所に背を向けて何度一人で踏み出したでしょう……。
今回も……そうなる。そう思っていた私の上に影が差す。
はっと気が付いたときには伸ばされた手から逃げられない距離になっていて。
咄嗟に両手で頭を庇うも、予期した衝撃はなく、代わりにふわりと浮遊感が訪れる。脇に手を差し込まれて抱き上げられていたのだ。
「かっかっか!! すごいじゃないか!! なんだあの攻撃は!? ちっこい体で大人を一撃とは、これは傑作じゃな!」
腕の中から見上げれば、抱き上げてきた彼は破顔していて暗い感情は少しも伺えませんでした。予想外のことにパチクリと目を瞬かせる。
「きもちわるく……ないんですか」
自然に漏れた問いは、小さく震えていた。心臓が締め付けられるような感覚を受けて彼の顔を見ないように視線をふいと逸らせた。
気を使っているなら、そんなものはいらない。お願いだから、笑っているふりはしないでください。
無理に耐えようとしたってどこかで素の感情は顔を見せる。笑顔で傍にいた人が突然豹変するほうが、何倍もつらいのだ。
「あん? 何を言ってるんだお前さんは」
怪訝な表情を浮かべた彼はしかし、そんな不安を朝の露を払うように軽く吹き飛ばした。
「誰かがすげぇことをしたらすげぇって思うのは当然だろうが。自分にできないことをやったやつを貶すマネなんてしちゃぁ、……自分を貶めているのと変わらんだろうに」
持ち上げていた私を腕に乗せるように抱え直し、強い瞳で言葉を続ける。
「ワシはそんなくだらんマネをするほど、落ちぶれちゃおらんぞ」
「!!!!」
胸がぎゅっと締め付けられる。そんなことを言われたことなんてなかったから。
私は彼に『歳不相応の行動をとる子供が気持ち悪くないのか』といった旨で問いかけました。そして帰ってきたのは微妙にずれた『すごいことをしたら誰であろうと認める』という答え。
取り繕いじゃない。否定でも肯定でもなく、ただ真っすぐな称賛。
それは千の言葉よりも雄弁に教えてくれたのです。
――――私のことを、奇妙な存在だとかけらも思っていないことを。
私を受け入れてくれなかった人もいれば、受け入れてくれた人もいます。
拒絶されるのは身を氷で突き刺されるよりも辛く、受け入れられるのは陽だまりにいるように心が温かくなる。その感覚は何度受けてもなれないものです。
それをここまでストレートに信じることができる言葉を貰ったのは初めてで。
だからでしょうか、なんとなしに気恥ずかしくなって「その、りろん、ならあなたもバカっていったからバカになっちゃいますよ」なんてそんな憎まれ口を叩いてしまったのは。
「――――!!」
ぴたり、と動きを止めた師匠。もしや怒らせてしまったのだろうか?
「あ……その……」
恐る恐る見上げれば……彼は目を細めて懐かしそうで……そして少し痛みをこらえているようなそんな顔をしていました。
「あの……どうしたんですか……?」
答えはなく、代わりに私を地面に下すと上からぐしゃりと橙色の頭を撫でられた。
「ま、別にお前さんが無理に戦う必要はないんだ。そういうのはワシに任せておけ。お前さんは……幸せになっていいんだ」
「え……?」
頭から手をどかした彼は、何かを懐かしむかのように一房だけある黒髪を指に引っ掛けたかと思えば、賊の所持品の物色に移ってしまいました。
それからしばらくして、おもむろに立ち上がった師匠が指を鳴らすと、周りの茂みからうめき声が発生した。何事かと身を固くしていると、地面が盛り上がり土にまみれた賊たちが顔を出した。すでに意識は失っている。
「わぁ……」
おや? ……さっき倒した中にはいなかった連中ですね。
「こそこそ隠れてた奴らだ。息を潜めてやり過ごそうという魂胆だったんだろうが……、ワシ相手にそれはちと甘かったな。……十分見終わったし、埋め直してそろそろ移動するぞ」
「わかりました」
顔を出した賊たちが再び埋まっていく。歩き出した後ろで、なにか鈍い音が聞こえた気がした。




