第??話 人ノ刻 Ⅱ その5
「先輩!!」
手足の骨が折れ蓑虫の様になってしまった監督生の方を、クラリオンさんが抱き起こそうとする。
「ダメです!! クラリオンさん、今下手に動かすと彼は死んでしまいます!!」
「そんな……!!」
「その子の言うとおりだ。竜に投げつけられた衝撃で肋骨が幾つか内臓に刺さっている。今動けば出血多量で死ぬ。捨て置け。俺は逃げられない」
「でもこんな先輩を置いて行けない……!!」
悲壮な声を漏らすクラリオンさんに得心がいく。なるほど、二人は知り合いなのですね。
……今もドラゴンはこちらに向かって来ています。時間が無い。
「監督生の方、ベースキャンプまでは後どのくらいですか?」
「さっきのペースなら15分と言った所だ。あいつが俺を喰っている間に2分は稼げる。早く行け」
「わかりました」
ベースキャンプまで15分。ベースキャンプには確か脚が速いスキル持ちが数人居たはずです。そして治療系のスキル持ちも。帰りはもう少し早くなるとして、往復で20分でしょうか。全身を骨折しているのにまだ話せているのを見るとかなり生命力が高い様子。これならなんとか間に合いそうですね。
「――――クラリオンさん。その人、今からベースキャンプに向かって助けを呼べば、処置が間に合って助かる可能性が高いです」
「う、うん」
「それでは頼みましたよ」
「―――――え?」
惚けた顔をするクラリオンさんを置いて前に駆け出す。今も歩いて来ているドラゴンの方へと。
「おい!馬鹿!!」
クラリオンさんにはたくさん良くしてもらいました。今こそ、恩を返すとき……!!
息を大きく吸い込み、踏み込んだ脚が地面を割り砕いた。
「【魔喰牙】!!!!」
戦撃の発動と共に一気に加速。無色の闘気をまとって高速で突撃する。ドラゴンとの距離が一息で無くなって。
体をギリギリと捻り、戻したことで全身のパワーを余すこと無く乗せた一撃がドラゴンの頭部へ轟音と共に突き刺さる。破城槌が高速で突っ込んできたが如き一撃は、しかしドラゴンの強靱な鱗に傷一つ付けることは出来ていなかった。
「オーボエ様、ドラゴンの鱗の方が硬いじゃないですか……!!」
泣き言を言いながらも動きを止めない。覚悟はしていましたが、限度ってものがあります。
でも大丈夫です。私が倒そうだなんて考えていないから。歩み続けていたドラゴンが脚を止め、血走った目を私に向けた。
足止めは出来なくても、囮にはなれる……!!
ドラゴンが巨大な前脚を振り上げる。爪をまともに受ければ細切れ、押しつぶされれば容易くミンチ。私のスピードでは逃げ切れない。だから――――
「ちょっとだけ、【魔喰牙】!!」
【魔喰牙】の加速力を回避に流用しジャンプ。
ドラゴンの振り上げた前脚、その反対から回り込む様に頭上に向けて飛び上がることで、前脚の一撃を避けることに成功。振り下ろされた前足が地面を抉ると同時、ドラゴンの頭上に着地して。
頭を踏みつけた。
「こっちですよ、お馬鹿さん」
ブチリと何かが切れるような幻聴が聞こえた気がする。
「ゴアアアァァァアァァアァァァァァアァアアァ!!」
怒りの咆哮を上げ、身を震わせたドラゴン。その頃には私はドラゴンの背を滑り降り、尻尾を伝って地面に降り立っていた。滑り降りるのはちょっと面白かったです。こんな遊具があれば楽しそう。
ドラゴンは後ろに居る私に向けて、振り向きざまに爪で切り裂こうとする。とはいえ既に範囲外、当たることはありません。走って逃げていく私を血走った目で睨み付け、追いかけてくる。
ドラゴンの敵意は私に向きました。これならあの二人も大丈夫、助かります。クラリオンさんがベースキャンプに向かえば、助けが……きっと来る。
あとは私が逃げ延びる事が出来るかどうかだけ。
木の間を縫うように走り、木をへし折りながら迫るドラゴンからひたすら逃げ続ける。
ドラゴンの足音が突如止まる。何かが焦げるような匂いが強くなり、危機感が警鐘を鳴らす。振り向けばドラゴンがブレスを吐き出す所だった。
「ッ!!【魔喰牙】!!」
扇状に広がっていく炎。範囲が広すぎる……!! 横に回避することは困難と判断。すぐさま戦撃で加速して上空に飛び上がり、木の枝の上に飛び乗った。木登り、思ったよりも簡単でしたね。まあ普通にやったら私では多分登れないですけど。
そんなことを現実逃避気味に考える。さっきまでいた一体は火の海。ここまで熱と煙が上がってきて、熱いし息苦しい。
「ケホッ、ケホッ……。どうしましょうか」
幸いに、と言えるのかはわかりませんが火の燃え広がりはゆっくりです。今が乾燥した時期だったらもっと酷い火事になっていたでしょうね……。
逃げる場所を探していた時炎の明るさに照らされた空に、薄らと何かが見えた。
上空でゆっくりと滞空する火の玉。あれは……照明弾? 私が走ってきた方向です。監督生の方が持っていて打ち上げたのでしょうか?
そこまで考えた所で大木がグラリと揺れた。倒れる!?
傾いていく巨木。このまま落ちれば火の海に真っ逆さま。
急いで太い幹に飛び移り、先端に向かって走る。少しでも距離を……!!
そして倒れるスピードが上がりきる前に。
「【魔喰牙】!」
戦撃ジャンプ。倒れ行く巨木を蹴り飛ばしてさらに距離を稼いだ。おかげで火の海からは脱出することに成功しました。炎に照らされて辺りがヤケに明るい。
「はあ……ッ、はあ……ッ」
膝に手を突いて息を整える。【魔喰牙】をこんな風に移動に使ったのは初めてです。連続使用すると体力的に結構重いですね。煙と熱で息がしづらかったのもあってなかなか息が整わない。
そう言えばドラゴンはどこに……?
ふと足音のしないドラゴンに違和感を覚え、視界の端に動く何かを捉える。
「ッ!?」
咄嗟に逃げようとしたものの避けきれず、はね飛ばされて地面を転がされた。
痛い痛い痛い痛い痛い!!!
「ふ、ぐぅ……!! ……そんな」
左腕にまるで燃えるような痛みと喪失感。私の肩から先が無くなっていた。
感じる痛みに自然と涙がこぼれ落ちていく。それでもドラゴンは待ってくれない。押しつぶそうとでもいうように前足を振り上げた。地面に蹲ってしまいそうなほどの痛みを歯を食いしばって耐え、体に力を込める。
肩から血が流れ落ちていくのも構わず、地面を転がって無様に避ける。急いで立ち上がって、ドラゴンの体の下を駆け抜けた。ドラゴンは巨体故に体の下に潜り込んだ私を見失っている。そのまま走って離れようとしたところで、鞭のようにしなって迫るドラゴンの尾を視界に捉えた。
見えづらい……!!
このドラゴンの鱗は赤褐色。それが炎に照らされて保護色のようになっているのだ。
尾との間に槍を挟んでガードしたものの焼け石に水。とんでもない力ではね飛ばされてしまう。
「ぐぅッ!? ……ゲホッ!! ゲホッ!!」
意識が朦朧とする。口元から血が零れるのも構わず、走って離れようとする。だが、数歩としないうちに倒れ込んでしまった。
バランスが……!?
片腕が無くなったせいで上手く走れない。もう一度立ち上がろうとしたものの、今度は足がついてこず、ストンと座り込んでしまった。
力が入らない。血を流しすぎてしまった。私が走ってきた後には流した血の量が一目でわかるレッドカーペットが敷かれている。
鮮血の道の先ではドラゴンが何かを咥えている。あれは……、私の腕? 骨が砕かれる不穏な音と共に腕が飲み込まれた。
背筋が凍り付く。次は自分がああなるのだと思うと、呼吸もままならない。
力なく座り込んだまま、少しでも距離を稼ごうとズリズリと後ろに下がっていく。背になにか当たった。木だ。もう下がれない。振り返れば、こちらを睨み付けるドラゴンと目が合った。
ドラゴンが一歩進む。
「あ……」
もう、逃げられない。私の呼吸音は重たい足音に押しつぶされる。
嫌だ。死にたくない。今でも死ぬのは――――怖い。
目が、耳が、鼻が、舌が、肌が。何も感じられなくなって。寒くて。心細くて。自分というものが少しずつほどけて消えていく。
もう、このまま戻れないんだって。暴れるくらい怖いのに、指一本動かす事なんてできない。
怖い、怖い。怖くてたまらない。
ああ、でも。クラリオンさんは助かったから、良いか……。
せめてその瞬間を知らなくても良いように目をつむった。
「ダメぇぇぇぇぇぇッ!!」
「……え?」
それは聞こえるはずのない声。ここにで聞こえてはいけないはずの声。間違いであってくれと願いながら目を開く。
生臭い吐息が感じられるほど直ぐ側にドラゴンの顔があった。そこにコツン、と何かがぶつかる。
小石だ。それが当たったところでドラゴンにダメージなんてあるわけが無い。でもそれはドラゴンを振り向かせるには十分だった。
「なんで……」
視線の先には息を荒げたクラリオンさんが。振り向いたドラゴンに怯えている。当たり前だ。彼女に戦う力なんてない。
「逃げて下さい!! こっちに来てはいけません!!」
その時、今まさに私を喰らおうとしていたはずのドラゴンがクラリオンさんの方へと踏み出した。そのまま迫っていく。
「なんで……?」
クラリオンさんは思わず一歩下がり、転けた。腰を抜かしたのか起き上がれないでいる。
「なんでそっちに行くんですか!!」
私が動けないから、逃げられないように元気な方を狩ろうとでも言うのか。ドラゴンは私の手の届かない場所に遠ざかっていく。
「私がここにいるでしょう!!」
クラリオンさんはまだ起き上がれないでいる。涙を流してドラゴンの巨体を見上げるばかり。
「早く逃げて下さい!!」
もう手が届く。対して私は立ち上がることもできていない。
「やめて!!」
竜の顎門が迫る。私は祈ることしかできない。
「やめて!!」
クラリオンさんの、涙を湛えた瞳と目が合った。
「やめろォォォォ!!!!」
彼女は笑う。「逃げなくてごめんね」と。
これは自然の摂理。弱いものが食い物にされ、強い者が富む。弱肉強食。当然だ。抗うことなど、できはしない。
――――本当に?
血が沸騰する。怒りで自分を殺してしまいそうだ。抗うことなど、できはしない? なんだそれは。
目の前で失ってどれほど後悔した? もう失いたくないから力を求めた。例え私がどれほど弱くても、――――抗うのを辞めるのは死んだときだけだ。
「あああああああッ!!」
喉が裂けるほど叫ぶ。自然と立ち上がっていた。
左足を大きく踏み出す。右腕に槍を携え、体を捻ることで力を蓄えて。闘気をかき集める。槍に集った闘気が不足を知らせるように不明瞭な点滅を繰り返す。
闘気が足りない。なら……もっと奥底から!! 無色透明な闘気が命を引きずり出した様な紅蓮に染まる。不明瞭な点滅が止まった。
弱肉強食は世の摂理。
お前が彼女を喰らうというのなら―――――私が先にお前を喰らってやる……!!!!
右足で地面を蹴りつければ。ドンッ!!と地面が深く抉れた。
「【魔喰牙】アアアッ!!!!!」
彼我の距離が一瞬で無くなる。突きだした槍は。
爆音と共に鱗を砕き、衝撃波をまき散らしながらドラゴンを宙に舞わせた。砕けた鱗がキラキラと輝く。落下したドラゴンが地面を転がり、地面を震わせた。
ドサリと、槍を突き出したままの格好で地面に倒れ込んだ。
「ホルンさん!?」
クラリオンさんが抱き起こしてくれました。でも動けそうにありません。
「逃げて下さい。ドラゴンはまだ死んでいません。私は……動けません」
ほら、今目を開けた。
「いやだよ……」
自分の呼吸音が嫌に大きく聞こえる。雨が顔に落ちてくる。いえ、これは涙? 雨の音は聞こえませんので。
「置いて行けない……」
自分の心臓の音、クラリオンさんの心臓の音、ドラゴンの不規則な心音。全部聞こえる。なんだか全部ゆっくりですね。
自分の中で、何かがカチリと音を立ててきれいにはまったのが分かった。ああ、そう言うことですか。私のスキルってこうするんですね。
手が動く。親指で涙を拭った。
「しょうがないですね……」
あんなに怖がっていたのにまだ逃げないなんて。
「え?」
「《薔薇九拿》」
無くなった左腕。そこからこぼれ落ちていた私の血が、地面にまき散らされていた血が。まるで生き物の様に蠢く。薔薇のように棘を生やした、赤の鞭が九本。体を起き上がらせたばかりのドラゴンを縛り上げた。
クラリオンさんはもう逃げてくれないから。それなら逃げる必要を、消し去ればいい。
恨まないで下さい。弱肉強食、ですので。
おまけ三話くらいのつもりだったんだけどなぁ。終わらない……。




