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9.食中毒の対応

グジの家はマオの家から3段下ったところにある。

マオ、ティズ、レイナがグジの家につくと、家の前には人だかりができていた。


「ジーア、レイナがビャク草を持っていたよ!」


ジーアと呼ばれた女性が涙を流しながら振り返る。グジの母親のようだ。

レイナが家に飛び込むと、ひどい臭いがした。グジが吐いたり、下したりしたものがそこらに飛び散っている。グジは寝台の上でハァハァと荒い息で横たわっていたが、その寝台に敷かれた毛布も吐瀉物で汚れている。


――ビャク草以前に、この状態はまずいんじゃ…。


レイナはぎゅうっと目をつぶった。この世界では、汚れた果物を食べたで命を落としてしまうこともある。今なら、簡単な対処で間に合うかもしれないのに。

同時にロイの声が脳内に響く。言ってはいけない。やってはいけない。ここで静かに暮らしたかったら、言われたとおりにビャク草を差し出すだけにしないといけない。


――でも、それでグジが死んじゃったら嫌だ。


自分のせいでだれかが死ぬのはもう嫌だった。たとえこの村で生きられないとしても。グジを助けられなかったら、この世界で“やり直す”意味がない。

レイナは意を決し、目を開いてジーアに尋ねた。


「ジーアさん、グジは山でカロンを採ったときに、落っことして泥がついた実をたくさん食べてしまったんです。それでお腹を壊していると思うのですが、グジはどれくらい実を吐きましたか?」


突然尋ねたレイナに、そんなこと今はどうでもいいから早く、という顔をしつつ、ジーアが答えた。


「…赤い色のものをたくさん、お椀いっぱいくらい吐いたから、ほとんど出たと思うけど…」


それならひとまずは安心だ、とレイナは考えた。

ただ、泥の中にどんな細菌やウイルスがいるのかわからない。O-157やノロウイルスのような強力なウイルスだったら、汚物をこのままにしておくのも危険だ。レイナは服にまいていた帯紐の一部を引き裂いて口元を隠すように当て、頭の後ろで布の端を結んだ。

呆気に取られている周囲に、レイナは指示を出す。


「吐瀉物や汚物に、悪い菌がまだいるかもしれません。口に入ると危険なので、この家にいる方は口に布を当ててください。もう汚物を触ってしまった方は、急いで触れた部分を水で洗って、お酒をふりかけて消毒してください」


ショウドク? とマオが首をかしげつつ、レイナに言われたとおり頭にまいていた布をほどいて口を覆う。マオを見た周囲の人々も渋々口に布を巻く。


「そんなことよりッ、早くグジにビャク草を飲ませておくれよ!」


ジーアが焦ったように叫ぶ。

レイナはジーアの目を見て、落ち着かせるようにゆっくりと話した。


「グジはおおかたの菌を吐き終わったはずです。胃のなかが荒れて水分が抜けているので、まずはビャク草よりも先に、一度沸騰させたきれいな水を飲ませてください。あ、水にはほんの少し塩を入れて。今、グジは体から一気に水が抜けていて、その方が危険なのです。塩を少し入れると、体が水分を吸収しやすくなります」


生理用食塩水を思い浮かべながら、レイナは言った。てきぱきと指示を出すレイナにジーアは驚きつつ、気圧されるようにうなずいた。

戸の外から見ていた村人が、「ちょうどさっき沸かした水があるぞ!」と言って走って家に取りに戻る。

レイナはグジに近づき、よいしょと持ち上げようとするが、さすがに12歳の体でグジをもち上げるのはひと苦労だ。奮闘していると、ティズが走りよってグジをもち上げた。次になにをすればいい、とその目が聞いている。レイナは「ありがとうございます」というと立ち上がってティズに告げた。


「吐瀉物や汚物をきれいにします。これがある空間は危険なのです。すててもいいようなボロ布で拭いたら、お酒を振りかけます」

「わかった。聞いていたか! レイナの言うとおりにするんだ!」


グジを抱きかかえたまま、ティズが声を張り上げる。ティズの命令で、マオを始めとした村人たちが一斉に動く。男たちは家具をもち上げ、女たちはせっせと汚れを拭いていく。

あっという間に家の中が片づき、汚れていた部分に酒が振りかけられる。そうこうしているうちに、女たちが煮沸した水に塩を入れてかきまぜたものをジーアに渡した。


「それを少しずつ、グジに飲ませてください」


レイナが言うと、ジーアは震えながらうなずき、水差しから少しずつグジに塩水を飲ませた。グジはうめきつつ、少し口から水をこぼしたが、時間をかけてすべて飲みきった。

ホッとしたレイナは、ふぅとひと息ついた。これで脱水症状が少し緩和されるはずだ。あとはビャク草を飲ませれば平気だろう。


「グジをロイさんのところへ連れていきましょう。この症状に、どれくらいのビャク草を飲ませればいいか、私にはわからないです」


レイナが言うと、よし、とティズが頷き、グジを抱えて段々を降りて行った。ジーア、マオ、レイナが後ろに続く。


ロイとアイゼルの小屋の戸をマオがどんどんとたたくと、中からロイが出てきた。


「はいはい、今日は山菜採りでみんな浮かれて酒を飲むだろうから、飲みすぎたやつがそろそろくるかなと思ってたんだ――って、グジ!? どうしたんだ!?」


ぐったりとしたグジを見たロイが驚いて声を上げる。ティズが落ち着いた様子で説明した。


「カロンの実を泥に落っことして、その泥ごと食べたのをジーアに言わなかったらしい。腹を壊して吐いて、それから下してもいる」

「どれくらい前だ?」

「半刻ほど前に…」

「なんでもっと早く来なかった!」


ロイの怒鳴り声に、ジーアがびくっとする。

ティズがそれを制して続けた。


「レイナが摘んだビャク草を飲ませようと、ジーアの家に行ったんだ」


それからレイナが指示した内容や行ったことをティズが淡々と説明する。話を聞いたロイの顔が少しずつ安堵に変わり、それからなんてことをしてくれたんだというような顔でレイナを見た。


「…驚くほど的確な対処だ。ビャク草の処方量を俺に任せることも含めて、だ」


ハァ、とため息をつきながらロイが言う。間違った対処でなくてよかった、とレイナは安堵の息を吐いた。


「あとはこちらで引き取ろう。レイナは残してくれ」


ロイが告げると、ティズとマオはなにも言わずに頷いた。安心でその場にへたりこみ、レイナを拝むジーアをなだめて、3人は段々を登って帰っていった。

ロイはグジを小屋の隅の寝台に寝かせ、レイナからビャク草を受け取ると、すり鉢のようなもので煎じ始めた。ゴリ、ゴリという音が小屋に響く。アイゼルはロイが薬を煎じる間、ときおりグジの腕をとって脈を確かめる。グジはまだ少し呼吸が辛そうだった。

煎じたビャク草をお湯に混ぜ、冷ましたものを匙で少しずつ飲ませる。ビャク草のあまりの苦味にグジが吐き出しそうになるが、ロイは容赦なく口に流し込んでいった。なんとかすべてのビャク草を飲み終え、グジが穏やかな呼吸で寝息を立て始めると、アイゼルは立ち上がってレイナを見た。


「さて」


冷たい声にはどこか怒りが混じっている。


「これで我らはそなたを連れて行くしかなくなったな」


レイナの背筋が凍った。うすうす、わかっていたことだ。過去をなかったことにし、この村になじめるよう今日まで努力してきた。玲奈としての知識が前に出そうになることもあったが、それを押し込んで見て見ぬ振りをしてきたのだ。けれど、グジの命の危機を前にして、見て見ぬ振りはできなかった。ロイが言っていたのはこのことだったのだろう。すでに村人にはレイナのやったことが伝わっているはずだ。知識のない世界の、小さな村。12歳のレイナが行ったことは人々の目にかなり奇異に映ったはずだ。

レイナはそれでも、と反論するようにアイゼルを見た。


「…助けられることを知っているのに、放っておくことはできませんでした。一刻を争う事態だと思って…」

「…君の判断は正しい。そのおかげでグジは助かった。言われるがままにビャク草をグジの口に詰め込んだところで、グジは助からなかっただろう」


ロイが口を挟む。そして、「だが」と続けた。


「僕は君に言ったね。君がこの村にふさわしくないと感じたら、僕たちと一緒にこの村を出てもらう、と」


レイナはうなだれて、コクリと頷いた。

まだひと月しか経っていないけれど、ジオ村での暮らしは穏やかで、マオやティズのことも大好きになっていた。この村で、穏やかに暮らしていく人生を受け入れ始めていたのだ。

じわりと目に涙が浮かぶ。

その様子を見たロイが、ふぅ、とため息をついた。


「…今日は、長い夜になりそうだ」

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