7.山菜採りの日
よく晴れた日だった。朝食を食べ終えたレイナは、大きなカゴに昼食用のバオン、お茶の入った竹の水筒を入れて家から出た。
前日の夜、夕食を食べながら明日は畑仕事の手伝いではなく山菜採りに行くように、とティズに言われたのだ。
なんでもアイゼルが、子ども達だけでも山菜を採れるようになった方がいいと言ったそうで、気候のよいうちに山の中へ連れて行ってくれることになったのだ。レイナのほかにも、5 歳くらいから 13 歳くらいまで、総勢 15 名ほどの子どもたちがマオの家の前に集まる。アイゼルがやってくると、山の中での行動について注意を始めた。
「山に入ったことのある者は多いと思うが、山には危険が多い。基本的には獣道を行くことになるので、獣と遭遇する危険もある。獣と遭遇したときは、驚いて声を上げたり逃げ出したりしないこと。私が先頭に立つから、決してはぐれないように。しんがりには年長の者がつきなさい。それから、私が触ってよいと許可した山菜以外には触れてはいけない。毒をもっているかもしれぬ」
よくとおる声でアイゼルが子どもたちに言い含める。ロイが忙しいときは代わりに治療することもあり、山菜などの知識に長け、水田づくりも指導するアイゼルはこの村で「先生」と呼ばれて一目置かれているため、子ども達も真剣だ。
「言いつけを守らなかった者はその場に置いていく」
ひんやりとした声でアイゼルがそう言い放つと、子ども達はビクッとした。
先生だから言うことを聞く、というわけではなさそうだとレイナは首をすくめた。中身が 25歳のレイナからしても、アイゼルの物言いは怖い。
この世界にやってきた日以来、レイナはアイゼルと話していない。ロイとは何度か顔を合わせて様子を聞かれているが、アイゼルはロウダから助けてくれたときのやさしさが幻かなにかだったようにレイナとは顔を合わせない。今日もレイナの方はまったく見ず、避けられているように感じる。
特殊能力のことに触れられたくないのかもしれない、と自分を納得させて、レイナは出発の列に加わった。
なんとなく出遅れたので、そのまま 13 歳のトーマとしんがりを務める。
トーマはマオの長男の息子で、ティズとマオの孫に当たる。子ども達のなかのリーダーのような存在だ。
「レイナは一緒に山へ入るの、初めてだよな?」
「はい、ちょっと緊張しています。山は怖いところなので…」
玲奈時代は整備された登山道しか歩いたことがない。整備されていない山で獣道を使って子ども達だけで登るなど、下手に知識がある分かなり危険なことに思える。そういう意味で「怖い」と話したのだが、トーマはレイナが妓楼から逃げて山へ迷い込んでしまったと聞いているせいか、顔をくもらせて謝った。
「怖いこと思い出させてごめんな。じいちゃんからも言われてたのに…。でも大丈夫だ。俺、おっとさんが休みの日はたまに山菜採りに来てるんだよ。ちゃんとレイナを守ってやるからな」
赤い短髪を風にそよがせて、トーマが胸を張る。親やティズたちから言われていたのだろう。
レイナに対しても頼りになるお兄ちゃん然とふるまおうと張りきっているらしい。
レイナはふふ、と笑った。
「すごく頼もしいです。よろしくお願いしますね」
トーマは少し頬を赤くして、「お、おう」と呟いた。こんなところはまだ子どもである。
道々で、アイゼルが立ち止まって山菜やキノコを摘み、子ども達に見せて説明する。ワラビのように穂先が丸まっているものや、シイタケのようなキノコがある。小さな子ども達は我先にと教わった山菜を摘もうとし、たまにアイゼルに叱られていた。
――せっかく教えてもらっても、すぐ忘れちゃいそう。メモしたいけど、ここには紙もないからなぁ。
ジオ村で暮らすなかで、レイナはこの世界がなんとなく古い時代の中国なのではないかと当たりをつけている。アイゼルがファンタジーな力を使っていたり、人々の髪や目の色が非現実的だったりするので必ずしも同じ世界線ではないだろうが、文明的にはあながち遠くないはずだ。
中国は文明の発展が早かった地域だし、木簡や、もしかしたら紙もどこかに存在しているかもしれないが、貧しいジオ村には当然そのようなものはない。つくづく、昔の人の生活はサバイバルだったのだなと思い知る。
生きていくためには、この機会を逃さずに覚えるしかない。これでも大学を出て社会人をやっていたのだから、知識を吸収するのは得意なはずだ。
レイナが決意を胸にアイゼルを見つめると、ちょうどアイゼルが足元で群生している濃い色合いの葉をつまんで説明していた。
「…これは食べられる山菜ではないが、腹痛に効く薬草だ。ビャク草という。そなたらも腹痛のとき、ロイに飲まされたことがあるだろう」
子どもの1人が、ゲッと言って顔を引きつらせる。飲んだ覚えがあるようだ。アイゼルはその声を気にも留めずに続ける。
「ビャク草は苦味が強いが、よく効く。覚えておいて損はないだろう」
アイゼルはそう言って歩き始めたが、子どもたちはビャク草にいい思い出がないのか、ビャク草を摘まずに避けるように進んでいく。レイナは摘まれずに残っているビャク草をせっせと摘んだ。たしかに、ドクダミのような匂いがする。子どもたちには嫌いな味かもしれない。
「すごいな、レイナ。ビャク草の匂いが大丈夫なのか?」
トーマは感心したような、近づきたくないような微妙な表情で尋ねた。
「お腹を壊したときに、ぜひ欲しいので…」
ビャク草を飲むくらいなら死んだ方がマシだとでも言いたげな表情でトーマは「ハァ」と言い、首をかしげながらレイナを先へ進むように促した。
この世界では、衛生管理の意識が低い。川で汲んだ水はそのまま飲むし、洗剤もないし、野菜はざっと洗っただけですぐに鍋に突っ込んでしまう。食器も水がもったいないからと洗わずに水に浸けるだけだ。当然だが手洗いうがいの習慣もないし、風呂もない。3 日に一度、川に水汲みにいったときに濡らした布で体を拭く程度で、頭を洗うことも少ない。レイナは凍えそうになりながら川の水で頭を流しているが、村人からは奇異の目で見られている。
そんな暮らしだから、いつお腹を壊すか気が気ではない。体はこの世界にカスタマイズされているのか、今のところとくに不調はないものの、もしものときのための薬はぜひ欲しいのだ。
他にもビャク草が生えているところはないかキョロキョロしながら進むと、突然視界が開けた。
この世界にやってきたときにロウダに襲われた場所のようだ。あのときはアイゼルに抱えられて山を下りたので村のすぐ近くのように感じたが、今日は子どもたちの足に合わせて時折立ち止まりながら登ってきたので、1 時間ほどはかかっただろう。
「このあたりで少し休憩としよう。池の水は飲み水ではないから、持参した茶を飲みなさい」
アイゼルが指示を出し、レイナはトーマと一緒に木陰へ腰かけた。なんだか遠足みたいだ、とほのぼのしながらお茶を飲む。ひと息ついていると、トーマが話しかけてきた。
「なぁ、あとでカロンの実を採りに行っていいか、先生に聞いてみようぜ。レイナ、カロン食べたことないだろ?」
「カロン? ないです」
レイナがふるふると首を横に振る。
「腹は膨れないけど、うまいぞ。この季節にしか採れないお宝なんだ」
目を輝かせながらトーマが語る。低木に生る赤い実で、甘酸っぱいそうだ。砂糖は高価で甘味を食べる習慣はないから、甘い果物や木の実は“お宝”というくらいごちそうのようだ。カロンがどんなにおいしいかを熱心に話すトーマをほほえましく思いながら、心地よく吹く風に身をゆだねる。
このひと月、一心に働いてきたレイナにとって、久しぶりにゆったりとした時間だった。村の人たちに迷惑をかけないよう、どこかで気を張っていたのかもしれない。きれいな空気に癒されるのを感じながら、レイナは休憩の終わりまでトーマとのおしゃべりを楽しんだ。
事件までの道のりが遠くてすみません…(汗)。次の話で触れられそうです。