5.マレビトの少女
マオにあわただしく追い出されると、ロイは仕方なく食卓にしている岩の前に腰かけた。だいぶ日が落ちて、もうすぐ夕食どきだ。昼のうちに積んでおいた小枝に火をつけてその上に水を張った鉄鍋を引っ掛け、湯を沸かす。鍋から湯気がたつのを見つめながら、アイゼルに声をかけた。
「アイゼル、あの娘をどう思う?」
ロイが目を向けると、アイゼルは木にもたれたまま目をそらして答えた。
「…マレビト、だろう」
ロイはため息をつく。唐突に山の中腹に現れた美しい少女。アイゼルは初め街から逃げ出してきたことを疑ったが、それにしては足の傷は異様に少なく、足以外の体には傷ひとつない。それに妓楼や屋敷の下働きの娘たちは、たいていの場合満足な食事を与えられずやせ細っているが、レイナは華奢ではあるが栄養失調で倒れるほど細いわけではない。突然山の中に現れないと説明がつかないのだ。
「はやり、マレビトか」
「ロイ、あの娘はいくつだった」
「気をとおしたところ、12くらいと見た」
ロイは手のひらを見つめる。先ほどレイナの足の裏に手を当てたとき、少し念力を使って気をとおした。気の巡りで体の年齢はだいたいわかる。体自体は12歳くらいだった。
「マレビトは体の年齢と魂の年齢が違うことが多い。あの落ち着いた様子だと、魂は成人しているかもしれぬ」
アイゼルは呟くように言って険しい表情になった。
マレビト、と呼ばれる存在をこの国で知るものはそう多くない。王族と首長一族、それに仕える腹心の側近たちまでで、一般の民には厳重に秘匿されている。アイゼルとロイはマレビトの存在を知る数少ない者だが、2人ともマレビトにはいい印象がない。とくにアイゼルはマレビトを憎んですらいる。はからずも自分の手で助けてしまったのが悔しいのだろう。
「彼女も戸惑っているように見えた。マレビトはみな、望んでここにやってくるわけじゃない。来たばかりで、道理もわかっていないはずだよ。王族に知られる前に彼女に言い含めれば敵にはならないだろう」
「そんな危険を我らが犯す必要はない」
アイゼルがぴしゃりと言う。マレビトの存在など知るはずもない流れ者の医者であるアイゼルとロイが、レイナにお前はマレビトである、などと教えればいつどこから2人のことが王族に知られるかわからない。
「でも、変な噂が立つ前に、さっさとこちらの支配下に置いた方が安全じゃないかい?」
「村の者には妓楼から逃げてきたと思わせておけばよい。妓楼で辛い目に合い、その苦しみで記憶を失ったのなら説明がつく。この村は新しいから、ティズとマオの元に預ければ村の者も受け入れよう。普通の民として生きていけばよいのだ」
アイゼルとロイは、国を転々とする流れ者の医者だ。今は東端のミセン州にあるジオ村に滞留している。ジオ村はここ数年で開拓された村で、流れ者を受け入れて少しずつ大きくなっている。リーダー格であるティズとその嫁のマオが受け入れれば過去は問われない。
「そうかな。マレビトは異なる知識をもつ者たちだ。初めは普通に過ごしていても、この村にいれば少しずつ特異性が明らかになってしまうと思うよ。…まぁ、仮にミセン州の首長に知られても、あの御仁ならば王族から隠してくれそうだけど」
ロイはミセン州の首長であるジョンウを思い浮かべて言った。東の蛮族との争いが絶えないミセン州を長年治める老人だ。蛮族に対抗しつつ州の民が飢えないように開拓にも力を入れ、ミセン州を高い軍事力と収穫量を誇る強い州に育ててきた。アイゼルとロイは昔からジョンウと顔見知りで、今回のジオ村の滞在もジョンウに頼まれてのことだった。
「わからんぞ。あの者の置かれている状況は常に危うい。保身のためにはマレビトを王族に差し出すこともあり得る。私は彼女をあの者からも隠した方がよいとすら思っている」
アイゼルは顔をしかめながら答えた。結論が出ないでいると、小屋からマオが出てきた。
「ロイ、あの子の着替えが終わったよ。今はバオンを食べている。食べ終わったらウチへ連れていくからね。ここで寝かせるわけにはいかないでしょう」
「ああ、マオさん。すまない。様子はどうだ?」
「落ち着いているけど、なんも覚えていないって…でも、着替えさすときに見たところ乱暴はされていないみたい。きれいな娘だから、どこぞへ売られるところだったのかもしれないねぇ」
かわいそうに、とマオが顔を伏せる。レイナは「なにも覚えていない」と言ったらしい。アイゼルとロイは顔を見合わせると、難しい表情でマオの方を向いた。
「マオ、彼女はレイナという。12くらいだと思う。マオの言うとおり、体の方は大事ない。マオの家で預かれるかい?」
「もちろん、先生とロイの頼みとありゃあね」
マオが快諾するのを見て、ひとまずロイは安心した。
レイナが食事を終えたのを見計らって、マオがレイナを小屋から連れ出してきた。相変わらずそっぽを向くアイゼルをしり目に、ロイがレイナを見下ろす。
「レイナ、この先のことはわからないだろうが、しばらくマオの家に厄介になりなさい。今日はよく眠るんだよ。傷が痛んだらこれを塗って。明日少し、今後について話そう」
塗り薬の入った丸い木の容器をレイナに差し出すと、受け取ったレイナがぎこちなくほほ笑んだ。
「ありがとうございます。みなさんによくしていただいて、私…助かったみたいです。明日から、よろしくお願いします」
その目に先ほどより強い光が浮かんでいるのを複雑な気持ちで眺めながら、ロイはレイナを見送った。
レイナは自分の置かれている状況を少しずつ理解し始めていそうだ。落ち着いた態度で、魂の成熟を感じる。マオに聞かれたことにも慎重に答えたのだろう。なにを考えているのかよくわからないが、この世界のことを受け入れつつあるようだ。
ロイは振り返ってアイゼルを見た。
「…どうなるかわからんが、俺たちも夕食としよう。なるようにしかならんさ」
アイゼルはフンッと鼻を鳴らすと、食卓に着いた。