27.別れの近づき
村は夏の盛りを過ぎ、ひぐらしが鳴く。
秋の気配が近づいてきたこの頃、少しずつ涼しくなる季節とともに別れの寂しさも近づいていた。
「先生やロイと、うまくやっていけそうね」
レイナが出立するまであと3日という日の夜、夕食をとっていると、マオがおだやかに言った。
この家を出て行くと決まったときは寂しくてたまらなかったマオとティズだが、それから三月ほどが経ち、今では心の整理がついて、「たまには帰って来なさい」と言ってくれている。
いつになるかわからないが、レイナはアイゼル達の“悲願”がかなった暁には、この村に戻ってくるのもいいなぁ、と考えていた。2人とは本当の親子のように、すっかりくだけて話せるようになった。
「最近は、先生とも少しずつ世間話ができるようになってきたの。まだまだ距離は感じるけど…」
「仕方ないさ。先生たちがこの村に来たのは去年の秋のことだけど、私たちと気軽に話すようになるのにひと冬かかったよ。偉ぶってお高く止まって見えるから、初めは村の男たちと揉めたもんだよ」
「威勢のいい奴らが先生の胸倉をつかむのを何度止めたことか…。首長様が開拓のために派遣してくださった、大切な先生だからな。殴ったりしたら罰せられちまう」
マオとティズは苦笑しながら話すが、大変な時期だったのだろう。心なしか遠い目をしている。
アイゼルとロイは本業は医師・薬師としているが、開拓や開墾の知識があり、猟の技術も高い。村人の代表であるティズが、見回りにきた州の役人に開拓が難航しており、ロウダ被害が出ている旨を訴えたところ、アイゼルとロイが派遣されてきたそうだ。
「それにしても、小さな村にまで州から先生を派遣してくれるなんて、ミセン州の首長はお優しいのね」
「ああ、立派な方さ。高貴なお生まれで王族の血を引いてらっしゃるが、我々平民のことをとても大事にしてくださっている。開拓の指導者が派遣されているのは、この村だけじゃないんだよ」
「まぁ、結果的に収穫量が上がって税が増えれば、州も潤うからねぇ。この州は蛮族との争いが絶えなくて軍に金がかかるから、男手が戦に取られても収穫を落とすわけにはいかないんだよ。ここしばらくは戦になってないけど、戦になれば男たちは兵隊に取られてしまうからね。今のうちに農地をたくさん作りたいんだろうさ」
「はぁ、おっかさんはもっと首長様に感謝しろよ…。俺は開拓者としてご命令をいただいたときに遠くからお顔を見たが、とても優しそうな方だったぞ!」
首長に心酔しているティズと違って、マオの方はいくぶんか冷静だ。
ティズとマオが生まれ育った村は人口が増えすぎたため、2人は10代半ばごろに新しい土地の開拓団に入った経験があるらしい。その成功を買われて、じきじきに首長に呼ばれ、現在のジオ村開拓を仰せつかったそうだ。同じときにほかにも何人か呼ばれている人がいて、次々に開拓の命令が出されていたそうなので、ミセン州は本当に農地開拓に力を入れているのだろう。ティズにとって、殿上人である首長から役目を言い渡されたのは一生の誉れで、それゆえに派遣されたアイゼルやロイにも礼を尽くし、村人たちとの架け橋になれるよう奮闘したようだ。
「はいはい、本当に首長様様さ。おかげで、水田もできるし。来年の春には稲が植えられるのは私も楽しみだよ」
マオがにっこりと笑った。
アイゼル達のいちばんの目的はこの村に水田をつくることだった。今年の夏の終わりまでに水田を作り終え、来年の春には田植えができる状態にしておく。水田はいよいよ、明日にはできようというところまで来ていた。
「村を出たあとは、先生たちは首長様の屋敷に報告に行くんだろう。レイナも首長様に会えるんじゃないか?」
「ええと、首長様のお屋敷には私は行かないの。礼儀作法もわからないし、センリャンの街にある先生たちの馴染みの宿でお留守番する予定よ」
「レイナなら礼儀作法も大丈夫だろうけど、あの二人は心配性なんだねえ」
「まぁ、粗相があっちゃいけねえからな。センリャンは何度か行ったことがあるが、昼間なら女の子一人で歩いてもそう危ない街じゃない。夜はおとなしく宿にいれば大丈夫だろう。珍しいものも売っているから、見物してみるといい」
「ええ、西の方から来た薬草なんかも売っているんですって。ロイさんが懇意にしている薬屋さんに行って、いろいろと教えていただこうと思うの」
「はぁ、すっかり薬師見習いだねぇ。どれくらいの薬草を覚えたんだい?」
「まだまだよ。この村の近くで採れるものを少しずつ…。腹下しに効くビャク草でしょ、それから頭痛に効くカン草、疲れ目に効くゴク、あとはお酒の飲みすぎのときにいいショウエン…」
「そんな薬があるのかよ! いなくなる前にちょっと分けてもらえないか…?」
「飲みすぎなきゃいいだけだろ! まったく、飲み始めると止まらないんだから…」
マオの小言が始まり、ティズがしくじったという顔でため息をついた。
この世界の薬草は、おそらく前世でいうところの漢方だ。ただ、漢方にはあまり詳しくないので、どれがどれと一致しているのかはよくわからない。紹介される薬の中に、たまに嗅いだことのある匂いのものもあるが、前世での名前を思い浮かべると間違う可能性があるので、まるっきり一から覚えるつもりで取り組んでいる。
紙がないからメモが取れない、と思っていたが、高級品ながら紙はあるらしい。レイナはロイの持っている古い薬草図鑑を借りて、それを見ながら覚えている。大事なものなので小屋の中だけで閲覧しているが、情報がまとまっているだけで覚えやすくなってありがたい。
図鑑にはところどころメモ書きがあって、まるっこい文字はロイのもので、流麗な細字はアイゼルのもの、ごつごつとして勢いのいい文字は、きっとロイの父親の字。3人がどのように生きてきたのかが詰まった、大切な一冊だ。もう少し読み書きができるようになったら、たどたどしいレイナの文字も加えてもらえるかもしれない。そう思うとレイナは、この世界での居場所が少しずつ増えるうれしさを感じるのだった。
「明日、水田が完成したら明後日はみんな仕事を休んで一日お祝いだからね。次の日は一日分の仕事を取り戻すんだから、飲みすぎるんじゃないよ」
「悪いがそれは約束できない」
ティズがことり、と椀をテーブルに置く。
「明後日、みんなで宴をしたら、翌日にはレイナを送り出さなきゃならねぇ。1日くらいは、お前もなにもかも忘れて飲んじまえ」
「お父さん…」
「そんで二日酔いになったら、さっそく薬師として最初の薬を煎じてもらおうぜ」
ティズがにやりと笑った。
まったく…と言いながら、マオもいさめなかった。
前世でも親元を離れたことのなかったレイナは、3日後、初めて独り立ちのための旅に出るのだ。
寂しさと、不思議な高揚感。沸き立つような好奇心が胸の中にしっかりある。やっと、生き直しの、自分だけの新しい人生が始まる。
ふわふわした気持ちに包まれたまま、その日レイナは眠った。




