25.悲願
朝日の光で目が覚めた。
春が過ぎてから、日が昇る時間はだんだん早くなっている。昨夜の雨はいつの間にか上がっていたようで、気持ちのよい早朝だった。
ロイは視界の端でまだアイゼルが眠っているのを確認しながら身を起こした。
「またあの夢か…」
眠りにつく前、雨が降っていたせいだろう。レイナのことを考えていたからかもしれない。何度も見たことのある、10年前の母との別れの夢だった。
あのあと、3人を乗せた馬車は東へ向かう森の途中で止まった。土からできた馬は消え、メディナの力が途切れたことを悟った3人は無言で数日間森の中を歩き続け、ミセン州の首長の屋敷に駆け込んだときには、メディナとユンはすでに亡くなっていた。2人の死をミセン州に知らせる、王宮からの早馬の方が早かったのだ。
それからしばらくミセン州の屋敷にかくまわれたが、状況は思わしくなかった。ハンレイ州は周到に手を回しており、ほどなくしてヨウロウ州の首長であったメディナの父は急病に倒れた。毒を盛られたというのがミセン州首長であるジョンウの見解だった。新たに立ったヨウロウ州の首長は、まだ15歳と成人したばかりのメディナの末の弟で、どこまでハンレイ州が入り込んでいるかわからない以上、ヨウロウ州に助けを求めるのは得策ではなかった。
結局、アジール皇子はアイゼルと名前を変え、ミセン州など信頼のできる州の首長から民間の仕事を受けて今日まで生活している。民間の医者は少ない。ロイとアイゼルはガウスから手ほどきを受けながら医者のまねごとをして暮らし、いつの間にか成人して、ガウスが病で亡くなったあとは2人で生活しながら今日に至る。ロイの胸の奥底には、アイゼルを王族に戻し、王として立てなければならないという焦燥がある。そうでなければ、メディナとユンはなんのために死んだのか。しかしガウス亡き今、アイゼルを守って王位に導けるのは自分しかいないとわかりながら、ロイはここ数年の牧歌的な暮らしから抜け出せないでいた。本来、争いごとは苦手なのだ。
寝台の上でぼんやりと考えていると、アイゼルが起きる気配がした。
「…今日は晴れたか」
寝ぼけまなこをこすりながらアイゼルがあくびをする。その顔を見ていたら、ロイは唐突に質問したくなった。
「10日後に死ぬとしたら、アイゼルはなにしたい?」
起き抜けの質問に、アイゼルは「はぁ?」と言いながらうんざりした表情を浮かべた。ロイが突拍子もないことを言うのは昔からだ。アイゼルはしかめ面で腕を組み、眠たそうな顔のまま答えた。
「…母上の墓参り」
しかめ面で目を逸らすアイゼルの返事に、ロイは胸がきゅうと苦しくなった。あれから10年。正直ロイは、もうアイゼルを皇子に戻すことを諦めかかっている。このまま平穏に、2人で暮らしていければ――そう頭をかすめる日が増えた。けれどアイゼルは、まだあの日にいるのだ。
急に心臓の鼓動が早くなったロイに向き直ったアイゼルは、ニヤリと笑ってつけ加えた。
「まぁ、女っ気のないそなたがだれかと添うところを見るまでは、死ぬに死ねぬが」
「…ちょっと、どういう意味?」
「そのままだ。皇子くずれの平民に10年費やしたのだ。そなたが幸せにならねば、私はおめおめ死んでいられない」
平民、という言葉に虚を突かれる。アイゼルはニヤニヤしながらも、眼光鋭くロイを見据えた。ロイは、ふっと笑って返した。
「ほほう、皇子殿下はかなり欲深いと見える。私がだれかと添うところを見ないと死ねないと…不老不死でもお望みか?」
わざと慇懃に話すと、アイゼルは一瞬驚いたのち、「そなた一生独り身でいるつもりか!」と言って声を上げて笑った。ロイも真面目な表情を崩して笑う。
2人で声を上げて笑ったのは、レイナが現れて以来初めてのことだった。ロイの胸に熱いものが広がる。アイゼルを王族に戻すまでは、結局自分は死ねないのだ。だれかと添うことも考えられない。そして、アイゼルはアイゼルで、ロイが幸せになるまで死ねないと言う。とっくの昔に2人の運命は決まっていた。アイゼルが王宮に戻り、王として立つ。それなくしては2人の幸せなどあり得なかった。定められた人生から逃れても仕方ない。それにロイは、アイゼルが王として立つ姿を見たいのだ。もうそんなことは不可能かもしれないとくじけそうになっても、美しい銀髪を毎晩梳くことをやめられない。やがてこの国の王となる身を、清めるのは自分の役目だ。
朝食をとり終えると、レイナがやってきた。いつもなら言葉も交わさずに出て行くアイゼルだが、今日は違った。水田づくりは午後からにして、レイナへの授業に加わるという。
突然のことに驚くレイナに、アイゼルは言った。
「我らの悲願のために、そなたの力を借りることもあろう。そなたがどの程度使える者なのか、見定めぬわけにはいかない」
「はぁ、そうですか…。悲願とはなんでしょうか?」
「私が王宮に戻り、地位を奪還してこの国の王となることだ」
「えぇっ!?」
レイナが驚き声をあげるが、アイゼルは涼しい顔をしたままだ。たしかにレイナとて、この2人はこの先どのように生きていくのだろう? と疑問に思っていなかったわけではない。身分を追われ、死んだことにして逃げ隠れするように生きていくにしては、アイゼルの貴族然とした仕草は抜けていないし、ロイが従者のようにふるまうのも不自然だ。いまいち先のことがわからないでいたが、まさか王位奪還をもくろんでいるとまでは思っていなかった。
「そろそろレイナには話さないと、先行き不安かなと思ってね。まぁ、実際には王宮から逃げ出して10年経っていて、依然五里霧中なんだけど」
ロイは苦笑するが、10年間逃げおおせて各地に味方となる首長がいるのだから、チャンスをうかがい続けているということだろう。気の遠くなるような話だ。
「そなたは野心はないそうだが、マレビトに代わりはない。我らの野心に利用させてもらおう」
不遜な態度で話すアイゼルだが、反対にレイナは顔がほころんでいくのを止められなかった。アイゼルが不審な目つきで「なにをニヤニヤしている」と呟く。
「だって、ようやく2人に信頼していただけるようになったのだなと思って。私たちは命運をともにせざるを得ない、とはわかっていましたが、そこまでの大望、おいそれと話せることではないでしょう? ようやく話しても大丈夫だと思っていただいたのがうれしいのです」
にっこり微笑むレイナにアイゼルはイヤそうに顔をしかめた。
「そなた、本当に頭がめでたいな。このようなことを聞いたからには、不審な点があれば即刻殺されるのだぞ。もう少し危機感を持て。本当に元は令嬢なのか?」
「まぁまぁ、レイナの寛容さや器の広さこそ、裕福に育った令嬢の証でしょ。この世界のことを知らないにしても、世間知らずそうな感じは否めないけど」
「えっ…世間知らず、でしょうか…」
「あまりに疑りがなさすぎるな。たとえば、初めにマオから渡されたバオンに毒が入っているとは思わなかったのか?」
「そんなこと思いません! 私の世界では、権力争いなどありましたが、基本的にはそのための殺人なんてホイホイ行われないですよ。毒見という概念もありませんでしたし…」
「聞いていると不安になるような危機管理力だ。いいか? 今後は見知らぬ者から渡されたものを無暗に口にしてはいけない。すぐに人を信用するな。そういえばそなた、この世界に現れたときに服を着ていなかったな。見つけたのが我々だったからよかったものの、賊だったら一体なにをされていたか…」
くどくど説教が始まったアイゼルに、レイナはぽかんとした。こんなによくしゃべるアイゼルを初めて見たのだ。隣ではロイが肩を震わせながら笑いをこらえている。
「…知識の披露ももってのほかだ。だいたいそなた、気に食わんが見目も美しいのだ。奴隷としての価値が高いということも念頭に置いてだな」
「はいはいはい、そこまで! アイゼルって、昔は弟って感じで可愛かったのにさぁ。いつの間にかオカンみたいになっちゃったよね?」
「だれがオカンだ! そしてだれのせいだ! まったく、そなたもガウスもユンがいなくなった途端にだらしなくなって…」
「それについては面目ない。結局皇子様がいちばんしっかり者になっちゃったんだよね…」
とほほと頭をかくロイと、腰に手を当ててガミガミと話すアイゼルを見ているうちに、レイナは自然と笑ってしまった。
「なんだか、お2人とのこれからが、少し楽しみになってきました! ロイさんはお父さんみたいで、アイゼルさんはお母さんみたいですね」
ロイとアイゼルは顔を見合わせて、互いにイヤそうな顔をした。




