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22.御者のいない馬車

獣の気配もしない夜半、ロイは父の腕をつかみながら歩いていた。背中に背負った荷物は案外軽い。離宮への支度は、いつもどおり行った。離宮に着けば専属の料理人もいるし、着替えもいくらかは置いてある。気に入りの服や肌着、常備薬、数冊の本と持っていくものは少なかった。

それでも背中は闇を背負ってずしりと重い。


――アジールは今、どうしているだろう。


夜が明けたらアジールも一緒に離宮に向かう予定だった。眠たい眼をこすりながら父の後をついていくが、人の気配はない。ずんずんと歩く父に着いていくうち、ロイは王宮の城壁にたどり着いた。


シン王国の王宮は、周囲をぐるりと城壁で囲まれている。出入口は4か所あって、そのどれもが衛兵に見張られているので、勝手に外に出ることはかなわない。

けれど、ただ一つ抜け穴がある。森へ向かう北門から少し離れたところに、城壁をつくる石が崩れてできた穴があるのだ。この穴は、アジールとロイが教師の目を盗んで遊びに出かけたときに見つけたもので、メディナはそれを知りながら放置していた。茂みに隠れているから人には見つかりにくいものの、早く塞がなくてよいのかと子どもながらにロイは思っていたが、メディナにとっても頼みの綱の穴となったようだ。


「抜けるぞ」


ガウスが低い声で呟き、大人1人がやっと通れる小さな穴を潜った。ロイもそれに続く。

抜け穴を通るとそこは森だ。北の森は自然のままの姿で、ガウスとロイはよく薬草の採取に来ていたが、夜に来たのは初めてだった。森には複数の馬車道があり、いちばん険しい道をぐんぐん進むと離宮へたどり着く。城から離宮への道はまっすぐで、馬車で半日ほど行ったところにあった。

ガウスについて森を進むと、馬車道が交差する開けた場所へ出た。そこに一台の馬車が止まっている。

この馬車に乗って離宮へ行くのか、とロイが考えていると、馬車からユンが顔を出した。


「早く乗って」


いつになく険しい母の顔に、ロイはごくりと喉を鳴らした。


――この馬車はどこへ行くのだろう。本当に離宮へ向かうのか。


静かに考えながらガウスについて馬車に乗り込むと、そこにはユンと同じくらい険しい顔をしたメディナと、メディナの膝で眠りこけるアジールがいた。


「行きますよ」


メディナが言うと、馬車が走り出した。御者はいない。馬車を引く2頭の馬は、メディナの念力が土からつくり出したものだろう。ロイはしばしば、メディナが土から動物をつくって動かすのを見たことがあったが、馬車を引けるほどの大きな馬までつくり出すなど、メディナのほかにはだれもできない芸当だろう。

馬車はゆっくりと動きだし、方向を変えた。離宮へ進む道を横切り、ある馬車道を滑るように走っていく。ロイはハッとしてガウスの顔を見た。

ガウスはロイの視線に気づき、「本当にわが息子ながら上出来だ」とつぶやいた。


「ロイ、あなたには大方のことがわかっているのでしょう」


メディナがロイに話しかけ、馬車の中に緊張が走る。

この場にいるのは、メディナ、ユン、ガウス、ロイ、そして眠っているアジールだけだった。


「私とアジールの念力をもってすれば、恐れることはないと…そのような楽観的なことは言えない状況になりました。このままではヨウロウ州もろとも危ないのです。離宮へ逃げても、今やどうにもなりませぬ。この馬車はこのままヨウロウ州へ向かいます」


メディナはロイの目を見据えながらほほ笑んだ。


「ただし、私がついていけるのは王都を抜けるまで」

「メディナ様」


納得できない、というようにユンがさえぎった。

メディナはふるふると首を横に振る。


「この話は何度もいたしました。明日の朝、私が宮にいなければすぐに追っ手がヨウロウ州まで来るでしょう。どんな詭弁を弄してでも、ハンレイ州は攻め込んできます。私は宮に残らなければなりません」

「土からメディナ様をつくることはできませんか?」


思わずロイは口をはさんだ。

ロイはほとんどすべての状況を理解していた。このまま宮にいれば、メディナもアジールも暗殺をまぬかれないこと。離宮へ逃げても追っ手がやって来て、ヨウロウ州へ逃げればハンレイ州との戦争になること。メディナがアジールをガウスとユンに託し、自分だけ宮に残ろうとしていること。守る者もおらず、だれが味方かわからない宮にメディナ1人では、メディナの命は絶望的ということ。

メディナは驚いて目を見開いたが、すぐに首を横に振った。


「私の力では、形をつくることはできても話すことはできないのです。アジールの力ならあるいは…けれどこの子はまだ、そこまでの力を使いこなせません」


メディナはすうすう眠るアジールの髪をいとおしそうに手で梳きながらほほ笑んだ。


「ですから、最後の力をこの馬車に託します。馬はヨウロウ州までの長い道のりがもつように力を込めました。私が宮に残れば、かなりの時間を稼げます。ロイ、あなたはアジールを守りなさい」


柔らかい口調だが、確実な命令だった。メディナはおっとりしているが、言ったらきかないのである。


「…承知いたしました」


ロイはそう答えるほかなかった。

馬車は森のなかを走る。ヨウロウ州に向かうということは、この馬車道は王都の南へと向かう道に繋がっているはずだ。森を出て、夜が明ける前に王都の南門を抜けきってしまうということだろう。

馬車のなかには沈黙が続いた。ガタガタと揺れる音が大きくなり、馬車が森を抜けて王都の道へ出たことがわかる。石畳の上を走るので、森にいたときよりも馬車は随分揺れた。


「んぅ…母上?」


振動で目が覚めたのか、アジールがあくびをする。メディナはアジールの額をなでて「おはよう」と言った。


「なぜこんなに揺れているのです? 離宮へ向かうのでは…?」


アジールは状況をよく理解していないようだった。

おそらく、眠りについたアジールを起こさぬまま、メディナとユンで馬車まで運んだのだろう。離宮へ行くと信じているアジールに、メディナは言った。


「アジール、あなたとはどうやらお別れのようです」


メディナの言葉に、アジールがはじかれたように起き上がった。


「どういうことですか? 母上、なにを言っているのですか!?」

「静かに。街の者が目を覚まします」


メディナはつとめておだやかにアジールに語りかける。アジールの顔には焦燥が浮かんでいた。


「母上、なにかの冗談ですよね? なにがあったというのです?」


アジールは周囲をぐるりと見まわし、ぴたりとロイに視線を向ける。


「ロイ、これはどういうことなのだ? そなたはなにか知っているのか?」

「…メディナ様とアジール様は、命を狙われておいでです。これからアジール様は、私たちとともにヨウロウ州へ向かうのです」


ロイの代わりにガウスが答えると、アジールは嫌だ嫌だとかぶりを振った。


「母上、なぜそのような危険な状況であると、教えてくれなかったのですか? ハンレイ州のリーリン様が私をよく思っていないのは存じています。けれど、私たちの方が念力が強いではありませんか。私では頼りなかったですか?それに…父上へ助力を乞えばよかったのでは!?」

「王は私たちになにもしてくれません」


メディナは底冷えするような冷たい声で言った。ひくっ、とアジールが身を小さくする。

メディナの夫であり、アジールの父である王がこの状況をまったく知らないわけではない。メディナは閨のなかで何度も状況を訴えたのだ。けれど王は静観を続けた。急速に力をつけるハンレイ州を諫める術をもたないほど王族は弱体化していたし、ヨウロウ州とハンレイ州のどちらが勝とうとも王族にはあまり関係のないことだった。


「アジール、必ず生き延びるのですよ。母もできる限りのことをいたします」


今生の別れに差し掛かろうとするメディナに、アジールは精一杯あらがっていた。


「そんなことはできません! 母上、ヨウロウ州へ急いで参りましょう。ヨウロウ州は強いではないですか、海を介して交友のある諸外国と手を結べば、ハンレイ州と争いが起きても勝てます! 母上がいなくなってしまったら私の生きていく意味がありません!」

「ヨウロウ州が外国と手を組めば、外観誘致の罪を問われるでしょう。ハンレイ州は王族を味方につけることができ、ヨウロウ州はハンレイ州以外の州も敵に回すことになります。今ハンレイ州と戦になっても、ヨウロウ州が勝てる見込みはありません。それに」


一度そこで言葉を区切ると、メディナはアジールを見つめていった。


「新たな『日昇の証』はハンレイ州に現れたそうです」


必死で抵抗していたアジールの肩がぴたりと止まった。「日昇の証」という聞きなれない言葉に、ロイは戸惑って両親を見たが、ガウスもユンも困惑したように首を振るだけだった。どうやらその言葉は、王族にしかわからないものらしい。


「そんな…だってあれは、ここ30年出ていないと…」

「そうです。けれど、現れてしまったのです」


メディナが言うと、アジールはなにかをかみしめるようにうつむき、「…わかりました」と呟いた。ロイが驚いてアジールを見ると、アジールは茫然とした表情で、己の負けを悟ったかのような表情でうつむいていた。


まもなく王都を抜ける南門へと着く。

南門を抜ける検問をどうするのだろう、と思っていると、馬車が止まり、ユンが降りた。ロイが窓から外を覗くと、門の前にミンヒが1人立っていた。

ミンヒはヨウロウ州時代からメディナについてきた女官で、ユンの腹心の部下でもある。検問はミンヒがうまく切り抜けられるように手配されていたようだ。ロイがほっと胸をなでおろすと、ミンヒが袖に手を入れ、しゅるりと長物を引いた。長刀だった。


「ここまでです、メディナ様」


ミンヒの顔に汗が浮かんでいる。ふと、血の匂いが鼻につくことに気が付いた。よく見るとミンヒのもつ長刀には血がべったりとついている。門番の衛兵の姿が1人も見えない。ロイは嫌な予感がして、汗が背中を伝うのがわかった。

メディナ妃の宮の裏切り者は、ミンヒだったのだ。


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