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20.メディナとユン

レイナにメディナの話をした日、ロイはどこかうつろなままだった。

水田から帰ってきたアイゼルが、そんなロイの様子に眉をひそめる。


「あのマレビトになにかされたか」

「そんなことはないよ。レイナはとても飲み込みが早いし、それにマレビトの話って楽しいしね」


取り繕うようにロイが笑う。アイゼルはますます顔をしかめた。

王宮から、ガウスとロイと逃げ出して10年が経つ。ロイもアイゼルもいつのまにか青年になっていた。いい加減嫁をとってもいい年だ。アイゼルの血筋は争いを産むが、ロイはそうではない。いつかロイによい相手ができたら、アイゼルと別れて暮らすことをここ数年はずっと考えていた。


――ミセン州の仕事が終わるのが、よい機会だと思っていた。


アイゼルの眉間に深いしわが刻まれる。10歳から20歳までの貴重な10年を、ロイから奪ってしまった罪悪感はいつまでも消えることはない。この10年で、王宮ではアジール皇子の存在などすっかり忘れ去られたはずだ。もうこれ以上、ロイと逃亡生活を続ける理由はなかった。


――それなのに、あのマレビトのせいで…。


アイゼルはレイナを思い浮かべて憎らしげに臍を噛んだ。

突然現れた美しい少女。ロウダに襲われそうになっているところを、とっさに助けてしまったのが運のつきだ。まさかこんなところにマレビトが現れるとは思わなかった。この村に放置していきたいところだが、レイナの知識や行いはやはり田舎村では奇異に映りすぎる。首長の耳に届くのも時間の問題だった。アイゼルが念力を使えることを知っているマレビトなど、野放しにするわけにはいかない


アイゼルは美しい銀髪を無意識にかきむしる。


「アイゼル、そんなことしたらきれいな髪の毛が痛んじゃうよ」


ロイが呆れたように言って、「ほら、こっちへ来て」と手招きする。アイゼルが椅子に腰かけると、ロイはアイゼルの三つ編みをほどいて、古びた櫛で銀髪を丁寧に梳いた。王宮を出たときから、これはロイの役目だった。アイゼルは必要ないと突っぱねたが、ロイはそのたびに「やらないと母さんに叱られちゃうから」と返してアイゼルを黙らせた。王宮でアイゼルの髪を毎晩梳くのは、ロイの母、ユンの役目だったのだ。

すっかり定着してしまった習慣も、今日はアイゼルをいっそう腹立たしくさせる。もう自分は皇子でもなんでもない。一介の平民なのだ。ロイに身を整えられるいわれはない。

そう思いながらロイの手元を見ると古びた櫛が目に入り、アイゼルは静かに目を伏せた。櫛は、ユンがロイに最後に託したものだ。ユンとメディナと別れた日のことを思い出し、胸の奥が熱くなる。最後に見た母の姿とレイナが頭のなかで重なり、アイゼルは大きくかぶりを振った。


「もうよい。疲れたので休む」


アイゼルは立ち上がって振り返らずに寝台に横たわった。

ロイは「そう」とひと言答えて、手の中に残った櫛を見つめた。小屋の外では先ほどから雨が降っている。


――あぁ、あのときも雨が降っていた。


アイゼルとロイの胸に、同じ感情が去来していた。口にしなくてもそれはわかっていた。

2人がそれぞれの母と別れを告げた10年前のことを、思い出しているに違いなかった。


――――――――――――――――


「メディナ様、無茶なことをおっしゃいますな…! ユンは承知できません」


母の尖った声が耳に響く。いつの間にか眠っていたようで、目を覚ますと寝台の上にいた。

今日はアジールと勉強部屋を抜け出して蹴鞠をし、2人とも泥だらけになってユンにたいそう叱られた。湯あみをさせられ、体が温まったところでアジール皇子の部屋で眠ってしまったようだ。隣ではアジールが寝息を立てていた。

先ほどの母の声は、アジールの部屋と続きの間になっているメディナの部屋から聞こえた。

ロイはそろそろと体を起こし、続きの間の扉の前に体をひそめた。ユンがメディナにここまで声を上げるのは珍しい。なにか大変なことをメディナが言い出したのかと、好奇心がうずいたのだ。


「いいえ、私も譲れません。これしかアジールを守る手立てがないのです」


キリッとしたメディナの声が聞こえる。メディナは普段は温厚だが、言い出したら聞かないところがある。


「ですが、私やガウス、ロイまで行けというのはあんまりです。それではだれがメディナ様をお守りするというのですか!」


急に出てきた自分の名前に、ロイは飛び上がりそうになった。どうやら2人が話していることは、自分にも関係があるらしい。ロイは本能的に聞いてはまずいことを聞いてしまっているのを理解し、扉から離れるべきか迷った。しかし、物音ひとつでも立てたら盗み聞きしていたのがバレてしまう。心臓の音が自分の耳に届くくらいバクバクしているのを感じながら、ロイはアジールが寝息を立てているのを確認し、しっかり自分の口を手でふさいだ。


「あなたやガウスには、たくさん迷惑をかけました。ロイもこの先、危険な目に会うでしょう。これ以上、あなたたち家族を危険にさらすわけにはいきません。それに、アジールを守る人員は、1人でも多い方がいいわ。お願い、聞き入れてちょうだい。あなたたちでアジールをヨウロウ州へ連れて行って!」


メディナの声に懇願の色が混ざる。

アジールをヨウロウ州へ? 自分にも危険が及ぶ? と、ロイの頭の中はすぐに疑問でいっぱいになった。


「メディナ様、今ならまだ大丈夫ですわ。メディナ様も一緒にヨウロウ州へ行くのです。メディナ様だけを置いていくなど、ユンにはとてもできません!」


母の声にハッとして再び耳をすます。どうやら、メディナは1人で王宮に残ろうとしているらしい。どういう状況なのか、ロイにはまったくわからなかった。メディナの出身であるヨウロウ州は、ロイの両親の故郷でもある。これまでも何度かメディナの里帰りに一家で着いていったものだったが、最後に帰ったのはもう3年も前のことだった。

メディナ様も一緒にくればいいのに、どうして残るんだろう、とロイが考えていると、悲しそうなメディナの声が聞こえてきた。


「ダメ、ダメよ…お願い、ユン。私やアジールの料理には、もう毒を盛られていない日はないわ。この前も、毒見のテラが倒れてしまって、まだ目を覚まさない…。私はもうこれ以上、私の周りの人々が傷つけられるのを見たくないのです。私までヨウロウ州へ行ってしまったら、きっとハンレイ州とヨウロウ州の戦争になってしまう。今のハンレイ州なら、やりかねないわ」


すすり泣きながら話すメディナの声に、ロイは「えっ!?」と叫びそうになり、慌てて口をふさいだ。ハンレイ州とヨウロウ州が戦争になるなんて、考えたこともなかった。それに、メディナとアジールの食事に毒が盛られていることも知らなかった。そういえば、先日テラが急に倒れて、父であるガウスがずっと手当をしている。ユンは「ちょっとした食あたりよ」と言っていたが、もう5日ほど経っているはずだ。


「メディナ様、気を確かに…私、メディナ様と離れるなんて絶対にイヤですからね。リーリン様が毒を盛ったって、こっちにはガウスがいるのよ。簡単に死んだりしないわ。だから1人ですべて背負おうとしないでくださいませ」


すすり泣くメディナに、ユンが語りかける。ユンの声にも涙が混じっていた。

ロイは、ユンがメディナに友達のように話しかけるのを初めて聞き、衝撃を受けていた。

日頃はロイがアジールに「おい! 蹴鞠しようぜ!」なんて言うと、すぐさま飛んできてげんこつを落とすような母だ。メディナ様が「構いませんよ。ユンはまったく、自分の幼い頃を棚に上げるのですね」とくすくす笑い、ユンが「メディナ様、そのようなこと私はすっかり忘れてしまいましたわ」とバツの悪そうな声を出すところまでがセットだった。


大変なことが起きている、とロイは思った。

混乱しながら、頭の中を整理する。

メディナとアジールの食事に毒が盛られていて、それにはハンレイ州出身のリーリンが関係している。リーリンは第2夫人だが、第1皇子であるガイゼの母でもある。しかし、出身州の力関係や母親の念力の強さから、メディナの息子で第2皇子であるアジールが次期皇太子に決定していた。ハンレイ州やリーリンがそれをよく思っておらず、たびたびこちらに嫌がらせしてきていることは知っていた。


――だが、毒はやりすぎだ。


次期皇太子に毒を盛るなど、もしわかれば第2夫人と言えど追及は避けられない。処刑は免れても生涯幽閉、ガイゼ皇子は王族から追放されるだろう。第一、ヨウロウ州が黙っていない。ハンレイ州に兵を向けることもあり得る。


――となると、リーリン様やハンレイ州は本気なのだ。


子どもでもわかるような末路を、ハンレイ州がわかっていないとは思わない。それだけ本気で、リーリンはアジールを廃してガイゼを王位につけようとしているのだ。

それに、毒を盛れるということは、この宮に刺客が入り込んでいるということでもある。後宮内ではそれぞれの夫人は個別に宮を持ち、食事もその宮の専属料理人がつくっている。食糧庫も宮の中だ。そう簡単に毒など混入できない。もはや、だれも信じられない状況まで追い込まれているのだ。


ロイは、すうすうと寝息を立てているかわいい弟分の顔を見た。

この皇子を、絶対に殺させやしない、と固く胸に誓った。


少々過去回想が続きます

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