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2.森での助け

気がつくと、自分がどこか野外の草の上に横たわっているのが感触でわかった。


…もしかして、失敗したのだろうか。


けれど体じゅうのどこも痛くない。あの高さから飛び降りたのなら、頭は割れて、全身バラバラになっているはずだった。

ぴくり、と指先を動かしてみる。動く。そっと目を開けると、ささくれのようにチクチクした短い草がたくさん生えた地面が見えた。力を入れて起き上がり、自分の体を見下ろす。


「っきゃあ!?」


玲奈は裸だった。


――どういうこと!? ビルから飛び降りて、なんで今裸でここにいるの!?


周囲には人気がないが、体をかくすように丸めて自分を抱きしめる。心臓がばくばくしているのがわかった。

風が吹いて体をなでる。土の匂いがする。一体ここはどこなのか…考えを巡らせているうちに、少しずつ違和感に気づいてきた。

先ほど見た自分の裸をもう一度見下ろす。まな板のようにうすい胸に、細長い手足。風が吹いて髪の毛が目の前で揺れる。漆黒の髪の毛だった。


「だれ…?」


やせ型だったとはいえ、25歳だった玲奈は、それなりに女性的な体つきだった。ここまでぺたんこの胸に細い手足…どう考えても、小学生とか、中学生くらいの体つきだろう。それに、玲奈は髪を染めたことがないとはいえ、もともと色素が薄く茶色っぽくて、猫っ毛だった。まっすぐな黒髪だったことはない。

違和感はもうひとつあった。


「声が違う…」


自分の声よりも、もう少し幼く、高い声に聞こえる。

まじまじと小さな手のひらを見つめながら、玲奈は考えた。


――確かにあのとき、飛び降りたはず。ということは、死にきれず病院に搬送されて、これは夢の世界か、もしくは…あの世、なのかしら。


いずれにせよ、こんなに意識がはっきりしていては困るのだ。

嫌な思い出から逃げ出したくて、生きているのが辛くて自死を選んだのに、すべての記憶があるまましっかりとした意識で存在している。ここが夢の世界だとしてもあの世だとしても、玲奈としての意識が残ったまま存在し続けなければいけないなら、地獄のようなものだった。


「本当に地獄、なのかもしれない」


ぽつりと呟く。罪を犯したまま、自ら死に逃げたのだ。地獄に落ちても仕方ない。地獄とは、もう少し業火のなかだったり閻魔さまのような人がいたりするところだと思っていたが、着るものもなく意識だけをもって人気のない森に放り出されたのだから、案外ここが地獄なのかもしれない。

これから悠久のときをここで1人過ごすのかもしれない、という恐ろしい可能性に気づいて泣きそうになる。けれど、これは罰なのだ。受け入れるしかないのだ…と震えながら改めて周囲を見渡した。


四方を木立に囲まれている。森のなかの開けた場所のようだった。後ろを振り返ると、小さな池がある。

水があることにほっとして、ふらふらと近づく。池のふちにぺたんと腰を下ろして水面を覗き込むと、見たことのない顔の少女がいた。


――12、3歳ってところかしら。


まっすぐな黒髪が胸の下まで流れる。瞳は揺らいでよくわからないけれど、青っぽいような気がする。形のいい眉毛に鼻筋がとおり、薄い唇があって、涼し気だが整った顔立ちだ。玲奈は純和風の顔立ちだったが、頬骨の高さから中国人とか、日本よりも少し西側のアジア風に見える。

なにも死んでからきれいな顔にならなくてもいいのに、と思いながら池の水に触れる。水面ごと顔が揺れた。


ひとしきりパニックは収まったものの、ここでこれからどうすればいいかわからない。ふと空腹を感じて怖くなった。空腹を感じるということは、ものを食べなければ餓死する可能性があるということだ。死んでもなお、辛い死に方をする可能性がある。転生の途中で餓鬼道にでも落ちてしまった? など意味のないことを考えながら自嘲気味に笑う。


風がざぁっと吹いた。

不意に、なにものかに見つめられているような気がして、おそるおそる振り返り、玲奈は固まった。

見たことのないほど大きい、獣がいた。昔図鑑で見た、狼のような獣だ。


――日本では狼は絶滅したはず…!


とっさにそう思ったが、ここが日本なのかどうかはわからない。あの世かもしれないのだ。なにもわからない世界なのだから、知らない獣がいてもおかしくない。でも、死んだあとで獣に食われて死ぬなんて思っていなかった。それほど自死とは強い罰を受けなくてはならないことなのだろうか。

ぐるぐる考えているうちに、のし、のしと獣は近づいてくる。

ハッハッとよだれをたらしながら、牙をむく。黒い毛が逆立っている。優に3mはあるだろうか。玲奈は昔本で読んだ人食い熊の事件を思い出し、むしゃむしゃと食べられる自分を想像して泣きそうになった。

せめて、ひと思いに殺してほしいとぎゅっと目をつぶったとき、頭のなかに若い男性の優しい声が響いた。


『動かないで。いい子だから』


はっとして目を開く。周囲にはだれもいない。けれど、「動かないで」と言われたとおり、動かずに獣を見つめる。


『そう。じっとしていて。すぐに終わる』


この獣に食われるということだろうか…すぐ終わるならよかった、と思って見つめた次の瞬間、ゴオオオオッと轟音が響き、獣に炎が降り注いだ。

ギャオオオゥッと悲鳴を上げた獣がのたうちまわり、しっぽが玲奈に襲い掛かる。思わずヒッと目をつぶって体をぎゅっと丸めると、シュンッという音が響いて獣の声が止んだ。

おそるおそる目を開くと、銀色の輝く大きな矢に獣が射られていた。絶命した獣からは炎が消え、みるみるうちに獣の体が消えてゆく。獣が消えると矢も消え、その場には焦げた草だけが残っていた。


なにが起こったのかわからないでいると、木立の奥から、美しく顔の整った青年が歩いてきた。長い銀髪を後ろで三つ編みにし、肩から垂らしている。丸い水色の瞳で、背は高く、どこか優雅な足取りだ。きれいな顔で仏頂面だが、肌が若く、20歳くらいに見える。紫色の前合わせの長衣を着て、黒い布でできた長靴を履いている。

この世界に自分以外にも人がいたこと、そしてなにかしらの非現実的な、ファンタジーのような出来事が起こったことに呆気にとられた玲奈は、裸を隠すことも忘れ、憮然とした表情でその男性を見上げた。


「そなた、よく耐えた。怖かったであろう」


男性は玲奈の元まできてひざまずき、持っていた籐の手提げから茶色い麻の布らしきものを取り出し、玲奈の体にかけた。

玲奈は自分が裸だったことを思い出して思わず布をぎゅっと体に巻きつけるように引き寄せる。顔がほてるのがわかった。

どうやら玲奈を助けてくれたらしい男性を見て、おずおずと口を開く。


「あの、助けていただいて…ありがとうございました」


男性はきれいな瞳を見開いて、少し黙ってから玲奈に声をかけた。


「…そなた、このあたりで見ない顔だ。なにをしていた?」


なにをしていたと聞かれても、玲奈にもわからない。死んだと思ったらここにいたのだけれど、ここは地獄ではないのですか? とも聞けない。

困りはてて黙っていると、男性はため息をついた。


「まぁよい。このような山奥で、身ひとつということは訳ありだろう。そなた、言葉もきれいだ。おおかた妓楼(ぎろう)か、金持ちの下働きから逃げたか…。よくここまで来れたものだ。来なさい。ここにいてはまた獣に襲われるぞ」


男性は玲奈の腕をひっぱりあげた。思ったより体が軽いのか、ひょい、と玲奈の体が持ち上がる。布がはだけないように前で押さえながら、玲奈はコクリとうなずき、男性のあとをついていった。不思議と、恐怖感はなかった。

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