10.アイゼルの過去
ジオ村から、出ていかなくてはいけない。
その事実に打ちのめされるようにレイナは押し黙り、小屋に沈黙が訪れる。不意にロイが呟いた。
「“ソデフリアウモタショウノエン”、か」
はっとして顔を上げると、ロイが弱々しく笑った。
「チキュウには、そんな言葉があるそうだね」
「…ここは、地球ではなかったのですね」
消え入りそうな声で呟くレイナに、ロイが続けた。
「そうだね、ここはチキュウではない。とてもよく似た世界だと思うけどね。レイナ、これから話すことを信じてくれるかい? そして、だれにも話さないと約束できるかい?」
静かな口調でロイが語りかける。
やっと、知りたかったこの世界のことが明かされる、という予感を感じてレイナは背筋を伸ばし、頷いた。
「僕とアイゼルは、小さな子どもの頃からとても仲がよかった。アイゼルは、この国の皇子だったんだよ」
衝撃にレイナは目を見開いた。
確かに恐ろしく美しい顔立ちで、優雅に動き、話し方も高貴だ。よい家の出身なのだろうとは思っていたが、まさか皇子だったとは。
レイナがちらりとアイゼルを探り見たが、アイゼルは目を合わせないままだ。
「まずはこの国のことを話さなくてはいけないね。この国に13の州があることは話したと思う。アイゼルの母君や僕の両親は、南に位置するヨウロウ州の出身なんだ」
淡々と、ロイが話し始めた。
「今から19年前、ヨウロウ州の姫が王に輿入れした。ヨウロウ州は海に面した州で、他国との交易が盛んな裕福な土地だ。温暖な気候だから農作物の収穫量も多いし、海産物もあって、国の食糧庫として古くから栄えている。そんなヨウロウ州に、とても強い念力をもった姫が生まれた。それがアイゼルの母君のメディナ様だ」
「念力、というのは、先生がロウダを倒すときに見せたものでしょうか?」
「そう。世界広しといえど、念力を操れるのはシン王国の王族と、それに連なる首長一族のみだ。だから、アイゼルが念力使いだと村のみんなに知られてはならなかった」
ただの流れ者が念力使いだなどと知られたら、いつ王都にアイゼルの存在がバレてしまうかわからないからね、とロイは続けた。
「メディナ様は、首長一族のなかでは格別の念力使いだった。王への輿入れは当然だったし、男児を産めば国母になるのも間違いなかった。けれど、ちょうどメディナ様がお輿入れをされたとき、急速に成長し始める州が現れた。それが北のハンレイ州だ。
ハンレイ州はもともと山がちで、土地の大半が雪に覆われた貧しい州だった。だが、あるとき大きな鉱山脈が見つかった。鉱山のおかげで急速に力を伸ばしたハンレイ州からも、姫が輿入れされることになった。それが今の第1夫人のリーリン様だ。
メディナ様とリーリン様はほぼ同時に輿入れされたが、子を産むのはリーリン様の方が早かった。リーリン様が第1皇子を産んだふた月後に、メディナ様が第2皇子を産んだ。それが、アイゼル…アジール皇子だ。」
レイナはアイゼルを見やる。この国の皇子だった人。今はなぜか、東端の貧しい田舎村で平民に交じって生きている人。この人になにが起きたのだろう、と好奇心が湧いてしまうのを感じて後ろめたくなる。
「とはいえ、ハンレイ州とヨウロウ州、どちらの州が有力かは火を見るより明らかだった。2か月先に産んだくらいでは覆らない実力差だったんだよ。メディナ様は第1夫人として輿入れされたし、メディナ様の力を受け継いだアジール皇子も強い念力をもっていたから、アジール皇子は当然のごとく皇太子として育てられていた。けれどリーリン様は納得していなかった。自分が産んだガイゼ皇子を王位につけようと画策し始めたんだ」
ロイの顔色が暗くなってぐっと影を纏い、小屋の中の空気は重苦しさを増していった。
「リーリン様はやがて、メディナ様とアジール皇子を廃そうと計画されるようになった。様々な罠がしかけられたよ。毒入りの食事とかね。いよいよ危ない、という段になって、メディナ様はアジール皇子が事故で死んだと見せかけて、王宮から逃がすことに決めたんだ。主治医のガウス…僕の父さんにアジール皇子を託してね」
2人の関係性がやっと明かされた。あまりに凄惨で暗い過去に、レイナは胸が苦しくなりながら質問した。
「ガウスさんは…どうなったのでしょう? それに、メディナ様や、ロイさんのお母様は…」
「父さんは2年前に病で亡くなった。母さんは…メディナ様づき筆頭女官だったから、メディナ様と運命を共にしたよ。僕らが王宮から逃れてすぐ、リーリン様によって2人とも殺された。事故に見せかけて」
レイナは思わず口元を押さえた。頼るべき両親を亡くし、2人だけで王族から逃れて生きているロイとアイゼル。そんな秘密があったなんて、思いもよらなかった。
ロイはふぅ、と息を吐いた。
「…まぁ、そういう生い立ちさ。幸い、ヨウロウ州の味方の州は多い。このミセン州もそうだ。僕らは信頼できるいくつかの州の首長にかくまわれ、助けられて今日まで生きてきた。ミセン州の首長にこの村へ派遣されたのもそのためさ。表向きは、以前ミセン州の姫の病を治して信頼を得たから、ということになっているけどね」
「それも間違ってはいない。実際に姫が病で臥せっていたとき、治療したのがガウスだ」
アイゼルが口をはさむ。やっと口を開いたアイゼルは、冷たい視線をレイナに向けた。
「そなたは今の話を聞いてさぞ心を痛めているようだが、リーリン妃の行ったこれら一連の出来事を影で操っているものがいる。そなたのようなマレビトだ」
「マレビト、とは…」
「チキュウからやってきた者たちだ」
レイナは今度こそ衝撃で固まった。自分以外にも、地球からやってきたものがいるということにも驚いたが、それがこの国の中枢に関わっているとは思いもよらなかった。
今やアイゼルの瞳にははっきりとした憎悪の色が浮かんでいる。
「マレビトは、数年に一度やってくるとされる。そなたのように突然現れ、高度な知識を披露して発覚するのだ。マレビトの存在は王族や首長一族、ごく近しい側近しか知らぬ。発見されれば秘密裡に王宮へ連れていかれ、権力を得る。もっている知識にもよるがな」
「もちろん、国のために高度な知識をもって技術や文化の発展に貢献するマレビトもいるよ。ただ、リーリン妃が側近にしているマレビトはひどく野心が強い。まぁ、だいたいのマレビトは野心家だけど、彼女は格別だ。リーリン妃の苦しみにつけ込んだとも言える」
「ゆえに、私はマレビトを憎む。そなたに罪はないが、そなたのような者がいるからこの国は揺らぐのだ。本来、いるはずのない者たちなのだから」
小屋にふたたび沈黙が訪れた。
レイナにとって、マレビトの存在は悲しみである一方、喜びでもあった。この世界にやってきてしまったのは自分だけではない、どこかに元の世界を知っている仲間がいる。その事実は、レイナを勇気づけるには十分だった。
けれど、目の前にいるアイゼルとロイ、そしてその家族を深く傷つけたのもマレビトだ。おそらくマレビトは、レイナのように死んでこの世界にやってくるのだろう。みな、元の世界で得られなかった権力を得て、野心を募らせてしまうのだろう。その現実が重苦しく、心にのしかかっていた。




