5話
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「ヨミ、具合が悪くなったらすぐに言ってください。無理は禁物ですから」
「無理はしていません。大丈夫と言ったら大丈夫です。私のことは気にせず馬車を走らせていただいて構いません」
「その顔色で言われても説得力がありませんよ。どうしてそう固意地を張るのです。早く馬車から降りて」
「意地なんて張っていません。平気です。しつこいですよフェルド」
旅行初日の行きの道。
先ほどから馬車の中ではずっと僕とフェルドの中身の無い押し問答が繰り広げられている。
周囲から見れば茶番なのであろうがこちらとしては本気で、車酔いを認めたくない僕はさっきから何かと心配してこようとするフェルドが本気で鬱陶しかった。
――確かに車酔いをしてはいるが、別に馬車を止めてまでどうにかする程じゃない。
公爵家同士、それもスレイマン家とサーティウス家の子息令嬢が遠出の慰安旅行をするとなれば、やはりというか相当な大所帯が出来上がる。
僕として最初こんなつもりではなかったのだが、ただでさえ僕らのような上流階級の貴族は盗賊だの強盗だの金目当ての野蛮な奴らに狙われやすい。
身の回りの世話係に加え護衛兵を複数人つければいつの間にか立派な大行列が完成していたのだ。
――逆に、どうしてこの人たちは全員平気そうなんだ。三半規管どうなてるんだ?
「それではもう降りなくても良いのでともかく水を飲んでください」
「……」
「……」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
さっきからフェルドの言葉にはかなり棘が入っている。そんなに苛立つなら僕のことなんて放っておけば良いんだ。こっちだって下手に話しかけられたら酔いが回るしそっとしておいて欲しいのに。
僕はフェルドから渡された水筒を受け取ると、ヤケになって一気に飲み干した。
「ゆっくり飲んでください。むせますよ」
「むせなかったでしょう?ほら、もう平気ですから。別に元から酔ってなんていませんでしたけど。車夫さん、もう馬車を出していただいて結構です」
僕一人のせいでこの大所帯を止めてしまうのがどうしても嫌だった。僕が体調を崩している間にフェルド達を待たせることで、なんだか彼らの時間を奪っているようで居心地が悪いのだ。それなら多少気分が悪くなったとしても馬車を進めて貰った方が気持ち的には楽だった。
「……まさか君がこんなに」
「何か?思うことがあるならその場で言ってください」
「……いいえ。何も」
フェルドは小さく溜息をつくと、気を取り直すように座席に座り直した。少しして馬車はまた走りを進め、僕達は再び小さな揺れに揺られていく。
――朝ご飯少しにしといて良かった。
いつも通りパンケーキやフレンチトーストなんかを食べていたら随分前に自然に返していただろう。乗り物に乗りなれてない僕はこうなる可能性をある程度予測していたので、昨日から乗り物酔い対策の為の食事に切り替えていた。
ツボ押しも完璧だし、おかけで今日の被害は必要最低限に抑えることが出来そうだ。
――帰りはどうしよう。同じ道だよな。どんな状況であろうと醜態は絶対に晒したくない。
「ヨミ」
沈黙が続く中ぐるぐるとそんな思考を回していると、静けさを破るようにしてフェルドが口を開いた。
「何でしょう」
正直今も揺れのせいで酔いは加速している。出来れば話しかけないほしいのだがそんなことをすればさっきの“平気”の嘘がバレてしまうので、なるべく平静を装って彼の言葉に返事をした。
「君が馬車に乗り慣れていないことは僕も元から把握してしましたし、だからこそ今日は君の体調に合わせてゆっくりとクルアニアに向かう予定でした」
「そうですか。杞憂でしたね」
視線をこちらに合わせることもせず、フェルドは言葉を紡ぐ。そんな様子が珍しくて、この状況でそうさせてしまったのが居心地悪くて、何となく彼から顔を背けた。
「君が慣れない遠出で具合を崩すのも全て予定の範疇。僕達に気を使わず苦しい時は苦しいと言ってください。今回の旅行は君の誕生日祝いなんですから」
「……」
――誕生日、か。
「誕生日だから何だって言うのです」
「……?」
「そんなのただの都合の良い口実ではないですか。そもそも具合だって悪くありません。放っておいて」
僕の言葉を聞くなり、フェルドは呆れたように溜息をついて見せた。
「誕生日祝いに都合が良いも悪いもないでしょう。どうして君がそんなに意地を張るのか僕には理解しかねます」
「だって、めでたくないもの」
「……どういうことです?」
フェルドは怪訝な様子で眉を潜めると、ゆっくりと僕の方へ向き直った。そんな彼に目を合わせることもせず、僕は勢いのままに言葉を連ねた。
「私が生まれてきたことは、大してめでたいことではない。喜ばしくないことを無理に祝って、挙句の果てそれを理由に我儘を吐くなんて、そんな図々しいことがこの世にあって良いわけがない」
「……」
「……」
咎められると思った。
どうせ説教臭いことを言われるのだろうと。だからこそ言葉を発してすぐに自分の失言を叱咤した。
産んでくれた親に失礼だとか、祝ってくれている者達の気持ちを蔑ろにしているとか、今の僕の言葉はともかく独りよがりで周囲を無視していて、数え切れないほどの矛盾点があった。
タレド温泉に行きたいと言っておいて、こんなに仰々しい列を連ねておいて何を言っているのだと。僕だってそう思う。だから言いたくなかったのに、フェルドがあまりにもしつこいものだから言ってしまった。
フェルドはしばらくの間黙り込み考える素振りを見せると、少し経ってふと顔を上げた。
「そうですか。君がそう思うなら言葉を変えます」
「……」
「誕生日であるかどうかに関わらず、僕は君が心配です。休んでくださいヨミ」
「……」
”心配“
聞くと同時に、ズキリと胸が痛んだ気がした。
フェルドはヨミに興味が無い。
だからこの言葉も建前で、本音ではない筈で。そんな彼に便宜上とはいえ思ってもない台詞を吐かせたことが柄にもなく悔しかった。
「……そうですね。言われてみれば、慣れない乗り物で少し疲れているかも知れません。休憩を挟みましょう」
折れないわけがなかった。
フェルドは僕の言葉を聞くなり安心したよう息をつくと、すぐに車夫へ馬車を止めるよう指示をした。
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もう、完全なる二度手間である。自分でも何をやっているのだと思う。
馬車が完全に止まったのを確認して二人で降りると、肺に入ってきた空気の美味しさに驚嘆した。
馬車の中にいた時も常に換気されてはいたが、開けた場所に来るとこうも違うのか。さざめく木々と揺れていない地面の安心感はとんでもないもので、まだ降りて数秒しか立っていないというのに馬車酔いもかなり楽になった。
「ヨミ、あまり遠くには行かないようにお願いします。護衛がいるとはいえ森では何が起こるか分かりませんから」
「分かっています」
僕が感動してあちこち彷徨いていると、見兼ねたフェルドが声を掛けてきた。
彼は意外と細かい所があるのかもしれない。
適当に返事はしたが折角降りたからには自由に散策したい。馬車が見える範囲ならフェルドも文句は言わないだろう。
「少しだけ散歩をしてきます。視界の届く範囲なら問題ないでしょう?」
「……まあ、そうですが」
腑に落ちない様子で曖昧に頷くフェルドを横目にスタスタと森の方へ足を進める。
護衛兵が何人か慌てた様子で付いてきたのを確認して、これなら文句ないだろうと彼に再び視線を送った。目が合うと僕の考えが伝わったのか、フェルドは呆れたように肩を落とし、他所へと顔を背ける。
――幼いことをしているのは自分でも分かっている。
これは完全に朝から小言が止まらないフェルドに対する反抗で、当てつけで。恐らく彼もそれに気づいている。 だから何も言ってこなかったのだろう。
――心の狭いやつだと思われるだろうか。
でも実際に狭いやつだし。
悪いことをしているわけでもないのだから大丈夫なはずだ。変に考え過ぎるのはやめて楽しく森林散策しよう。
僕はめいいっぱい肺に空気を取り込むと、水の音のする方へ足を向けた。
『頑固過ぎる……』
フェルドが小さく呟いた言葉は、もちろんヨミには届かなかった。