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21話





僕と王妃様の会話にすぐ側で聞き耳を立てていた両親は、戻ってきた僕の顔を見るなり青ざめた表情で「なんてことを」と言った。僕は自身の立ち振る舞いの失敗を悟るとともに、宿命を恨んだ。公爵令嬢として生まれてきて自由と富を得たつもりでいたのに、結局はこの人生でも同じよう他人の都合と評価により人生を左右されている。

こんな感情を味わわないために、僕は前世圧倒的な強者になることを望んだのではなかっただろうか。こうして、自分とは無関係の自分の評価で、理不尽に悲しまないために……僕は、権力とお金を求めたんだ。

結局のところ、悪役令嬢であるヨミは嫌われる運命にあるし、権力を高めようにも常に上には上がいて、理想から外れた立ち振る舞いをすれば真っ先に淘汰される。

そして僕は、自分自身の希望とは裏腹にただ弱かった。

「今日はもう帰りなさい」

プライドの高い両親は収穫祭に残るらしく、僕だけ先に馬車に乗り屋敷へ戻ることになった。

お先真っ暗である。

まだ噂としては広まっていなかいが、それもきっと秒読みだろう。あの場所の近くにいた貴族にはもしかしたら全て聞こえていたかもしれない。サーティウス家とスレイマン家の婚約に肯定的な貴族であればまだ良いが、実際のところ、上位貴族であればあるほど腹の内は歪だ。

僕達のことを快く思っていない貴族達の耳に入れば、さぞかし痛快なゴシップとして扱われるだろう。

「悪役令嬢、か」

物語の中でもヨミは常に周囲から嫌われていた。物語のその裏で、王族からも毛嫌いされていたなどと誰が思う。

主要通りから外れた場所に停められていた馬車へ近づくと、待機していたアナが慌てて駆け寄ってきた。

「ヨミ様!」

「アナ、馬車を呼んでくださりありがとうございます」

「……酷い顔色です。戻ったら足湯を致しましょう」

「ありがとう」

心配そうにこちらを見つめてくれるアナの姿だけが、僕がこの世界に転生したことで起すことが出来た唯一の変化のように思う。壮大な物語からみれば小さな変化かもしれないけれど。

お忍び用のマントを羽織り馬車に乗り込もうとしたところで、背後から声をかけられた。

「ヨミ」

「……エリック?」

声の主は、先日僕が酷い言葉で突き放してしまった友人のエリックだった。走ってここまできたのか、いつになく着崩れした風貌が彼らしくない。それに、顔にも大きな痣を浮かべている。僕が言えた口ではないが、エリックもまた何かに疲弊している様子だった。

「……」

エリックは沈黙したあと、アナの方へ目を向け言った。

「少し二人にしていただけますか」



╴ ╴ ╴ ╴ ╴ ╴ ╴



しばらくの間、2人とも何も言わず人気のない道を歩いた。10月半ばといえど昼の陽光は眩しい。主要通りから外れた小さな公園のベンチに腰をかけてようやく、僕達はゆるやかな会話を始めた。エリックの顔の痣のことが気になったけれど、彼の事情に無責任に踏み込むような真似はしたくなかったので、僕は敢えて話題から避け無難な言葉を選んだ。

「収穫祭、やはりいらしていたんですね。何となく、エリックは来ているだろうと思っていたんです」

「ああ、朝から参加していたよ」

「お祭り好きなんですね」

「祭りは好きだけど、収穫祭はあまり好きじゃないかな」

僕は顔を上げた。

「どうして?王都全体にぎわっています」

僕がそう言うと、エリックは微笑とも悲しみとも取れるような抽象的な表情をした。

「でも、僕の大切な友人は暗い顔をしてる」

エリックの台詞を聞いた僕は、白々しく自身の頬に手を当て「私の顔、そんなに酷いでしょうか」と言った。

実際、この時ばかりはどれだけ誤魔化そうにも表情がこわばり上手く話せなかった。

エリックは静かに頷いた。

「そうですか」

「ごめん」

「どうして、エリックが謝るの?」

謝罪の意味が分からず尋ねると、エリックはしばらく沈吟したあとぼそりと呟いた。

「君が一番辛い時、なんの躊躇いもなく、なんのしがらみもなく救い出せるような友人でありたかった」

「……?」

昼の陽光が彼の顔を照らした。頬の痣の痛ましい。しかしそんな風貌と裏腹に彼の表情は決然としていた。

「でも、次は必ず守るよ」

「え?」

エリックの発言を、今までの僕なら気軽な社交辞令として受け入れていたと思う。友人など一人たりとも出来たことのない僕は、自分以外の他人のそのような言葉を信じることが出来なかった。前世も今世も、何かを犠牲にしてまで僕を守ってくれた人など一人もいない。

悲観的な意味ではなく、人間とはそういうものなのだと思うようになっていた。

小説の中の友情は小説の中だからこそ美しく存在しうるのだ。何もかも空想の産物にすぎない。

だからエリックの言葉も軽薄なものにしか思われなかった。

僕の身に何が起こったのか知らないから、軽々しくそんなことが言えるのである。

「僕が君を守る。何に変えても」

エリックはまるで自身に言い聞かせるかのようもう一度言った。僕はその発言をありがたく思うどころか、理不尽にも腹を立ててしまった。

エリックのことは友人として嫌いでないのに、自分の意思とは真逆に腹の底は黒く淀む。

「――国を敵に回しても?」

くだらない。

自己愛に勝る友愛などこの世に存在しない。

家族も、婚約者も、誰も彼も。

僕でさえ、他人を救うために自分の何かを犠牲をすることなど出来ない。エリックは確かに優しいが、きっと本質は他の人と変わらないだろう。

僕が吐き捨てるような口調で言うと、エリックは驚きの素振りもなく返答した。

「そうだよ」

「は?」

「この世界を敵に回したとしても。君を理不尽に傷付ける世界なら、僕は喜んで敵に回す」

「……」

「ヨミ?」

言葉が出なくなった。

エリックの真剣すぎる声色と眼差しがただ恐ろしく計り知れなく、眩しかった。

喉が痛いくらいに締まり、唇が腫れぼったい熱を持ち始める。なれない身体反応に戸惑いながら、僕はたどたどしく続きの台詞を紡いだ。

「あなたは、何も知らない市民だから、この国の王族がどんなものか分からないのです」

「……」

「王族を敵に回してしまえば、この国どころかこの世界でさえ生きていけなくなるんです。それほど、巨大な権力を前にしてしまえば誰も抗えない」

「よく分かってる」

頬に一筋、温度のない涙が流れた。

それは音もなくお忍び用のマントを濡らし、一滴目が垂れたが最後、何かが決壊したようぼろぼろと瞳から溢れ出た。

「何が分かるんですか。無責任に、守るだなんて言わないで。私を幸せにできるのは私だけ。私を救えるのは……」

そこまで言いかけて僕は言葉を止めた。自分の台詞の中に矛盾を見つけてしまったのだ。

僕が僕を幸せにしたことがあるだろうか。

僕が僕を救ったことがあるだろうか。

誰も信じないと言いながら、自分だけを信じるといいながら、結局肝心な自分自身でさえ、僕の拠り所となったことなど一度もなかった。

「ヨミ」

エリックが言った。僕は返事をしなかった。明日以降の自分を思い浮かべ絶望の心地になったのだ。また、死んだ方がマシな毎日が始まってしまうように感じられた。

エリックは黙って僕の肩を抱き寄せ、静かに頭を撫でた。

「もう、大丈夫だ」

「――っ、ぅ」

涙が止まらなかった。

ハリボテの言葉と分かっておきながら、無条件で僕を友人と言ってくれたエリックの存在がありがたく、彼の体温を感じるほど喉が震えた。

「幸せに、なりたい」

「うん」

「……ぅ、ッ。もう、こんな気持ちになるのは嫌だ」

「ああ」

国王陛下の御前で正妃様から拒絶を受けてしまった。

第一王子様にも第二王子様にも目撃されて、もはやこの国に僕の居場所などないだろう。明日には貴族中に噂が広まって、もしかするとフェルドから婚約解消を申し出されてしまうかもしれない。

ここまでの数年間で僕が積み上げてきたものは一体何だったのだろう。

フェルドとの距離の取り方が分からない。

どうやったら人に好きになって貰えるのか、自然な会話ができるのか、どうやったら。

どうやったら僕はまともな人間として誰かに愛されることができるのだろう。

「エリック」

「……?」

僕はエリックの背中の布を強く握り締め、涙に濡れた顔を彼の胸に押し付けた。

「私を、助けてくれますか」

「――ッ、」

彼の胸から顔を離し、溢れた涙を拭うこともせずにエリックを見つめる。エリックは短い沈黙のあと再び唇を開いた。

「ああ、助けるよ」

彼は言った。

「二度と君に、同じ涙は流させない」



╴ ╴ ╴ ╴ ╴ ╴



「すみません……」

数分後、ようやく正気に戻った僕は赤面しながら俯いた。感情が昂りらしくもない台詞を吐いた先ほどの自分を殴りたい。何が助けてくれますかだ、自力で回復しろ。鼻を啜りながらエリックの方を見ると、若干赤く染った頬でこちらを見る彼と目が合った。

「……みっともないところをお見せしました」

「そんなことはない」

エリックは大きくかぶりを振った。

彼は彼で左頬の痣の濃さが増し、赤から青色に変色し始めている。流石に触れずにいられなくなった僕は、エリックの頬の痣を見ながら眉を寄せた。

「痛そう。どうしたんですか?」

「親と喧嘩」

エリックは苦笑いしながら答えた。

彼のような穏やかな性格の持ち主でも親と喧嘩することがあるとは意外である。僕は素直に心配した。

「……仲直りしましたか?」

「しばらくは厳しいかな」

「仲直りしないと」

目を細め言うと、エリックは少しいたずらっぽく笑い「君が立ち直ってくれたら仲直りするよ」と言った。

「時間がかかりそうです」

正直に自分の精神状態を白状し、ぼんやり秋の太陽へ目を向ける。夏に比べると幾分か柔らかくなった陽光が冷たい顔を温めた。

エリックはしばらく黙っていたが、数分経った頃なんの前触れもなく「ヨミの婚約者が僕だったら、今のような涙は流させなかった」と言った。

「口説いているのですか?」

「半分」

「そうですね……」

僕は目を瞑った。瞼の裏に、太陽の幻影が緑色の光として淡く投影される。

「そうしたら確かに、こんな涙は流さなかったかもしれませんね」

エリックがいきを飲む気配がする。

「でも私には既に婚約者がいますから」

「うん、分かってる」

自分が市民だったら、と僕は考えた。

少なくとも正妃様から嫌われる絶望感は味わわずに済んだのだろうか。その代わり、別の悩みに日々を追われる?

「……泣いたら少し冷静になりました」

「良かった」

エリックは微笑した。一通り泣き終え正気になった僕はよるべのない思考を静かに回し始めた。

「世界の上には大きな〝悩み〟の塊があって、神様が全員に均等になるよう振り分けているのですが、私の番になったタイミングで誤って7人分くらいかけられてしまったのではないかと思う瞬間があります」

エリックは驚いた様子で目を瞬かせた。

「いきなり、君の発想って独特だ」

「物凄く辛いことがあれば誰だってこうなります」

「それって誰かに分配できたりしないのか?」

「出来ません。宿命なのです」

僕は前世の自分の死に際を思い浮かべながら言った。

「そうか」

エリックは少し寂しそうな目で空を見た。飾りのように浮かんだ雲が太陽に近づいている。

「君が、僕にその悩みを分けてもいいと思ってくれる日が来たらいいな」

「……分けることができるとするなら、今日は少し分けたと思います」

「そうか」

エリックはぼんやりと言った。

「なら、君に会いに来た甲斐があったな」

その台詞を聞いて、僕は今日初めて自然に笑った。

彼の真っ直ぐな言葉が、不思議と僕の緊張を解してくれるようだった。





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