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20話




ヨミが退室したあと、正妃ユリアは静かに紅茶を啜った。外部と隔絶された敷居の中、狭く切り取られた空を眺める。

ようやく群衆のにぎやかな声が耳へ入ってきた。

――正に、欲深い大人から好まれそうな令嬢だったわ。

ヨミに対して抱いた印象は、元々カンナから聞き受けていたものと随分異なるものだった。世間知らずで高飛車で強引な性格の持ち主だというのは、過去の出来事から連想された憶測にすぎない。

実際のヨミ・サーティウス・ベルリナは呆れるほど臆病で警戒心が強く、脆い令嬢だった。公爵令嬢にもかかわらずあそこまで重圧に弱い令嬢をユリアはかつて目にしたことがない。国の最高水準の教育を施されてきた高身分の令嬢は、少なくともユリアの生まれ育った国では一定の誇りと矜恃を持って王族と接していた。

しかしあの令嬢には何も無い。

貴族としての自覚もない。矜恃もない。ただがむしゃらに令嬢としての立ち振る舞いを模倣している人形ような印象を与えられた。

肝心なスレイマン家の子息との逢瀬頻度に至っては噂よりもずっと酷いものだった。月に一度の頻度でしか会わない婚約者の話など、ユリアの国でさえ聞いたことがない。

やはりヨミ・サーティウス・ベルリナが一方的にスレイマン家の子息へ想いを寄せていることは事実なのだろう。

「あの令嬢は、きっと貴族に向いていませんね。重圧に耐えられる精神がない。美しくはありますが」

ユリアが一言そう言うと、王女のカンナはこくこくと頷いた。一方で、ヨミと入れ替わりで戻ってきたエリックが、ユリアに向け厳しい口調で言い放った。

「一体どういうおつもりですか」

「将来大公の身分を与える可能性のある令嬢がどのような方か確認したまでです。大公になれば、王族意外の氏族の中で唯一王城への自由な出入りが許される。我々王族には見定める権利があるでしょう」

「何故令嬢だけを見る必要が?わざわざ両親まで下げさせて……僕には母上が意図的に怯えさせているように見えました」

「あの重圧に耐えうる素養を持っているか否かも含めて確認したかったのです。しかし結果、耐えられなかった。それも予想以上に」

「元々耐えさせる気などなかったのでしょう?ただ一方的に傷付けただけだ」

「……」

エリックがここまで激しい憤りを見せる姿を、ユリアは彼を産んで以降初めて目にした。稀有な平和思考と聡明さを合わせ持つ息子だ。他者へ怒りをぶつけることを嫌うエリックが、自分にそれを見せる日が来るなど思いもしなかった。

「――もううんざりだ」

「エリック?」

「彼女の個性をたった数分で見定めた気になって。王族の審美眼はそれほど優れているのですか?他人の精神を一方的に蹂躙し評価できるほど王家は偉いのか」

「そうだ」

エリックの怒りを込めた質問に今度は国王陛下が答えた。

「それが王家だ」

「馬鹿げている」

「馬鹿げているのはお前だ。母親に対してなんという口を利いている。撤回しなさい」

「断ります。母上が彼女への冒涜を取り下げるまで。王族であれば何をしても許されるのですか。尊重も敬意も心遣いもない。こんな家、僕は継がない。この血が流れてる限り、僕は絶対王にはならな――」

エリックが言い終わるより早く、国王陛下がエリックの頬を殴った。あまりにも強く殴ったため、衝撃に耐えかねたエリックはテーブルに手を突き、その勢いでいくつかのグラスを割った。

ユリアが小さく悲鳴を上げる。エリックは急激に熱を持った頬を抑えながら陛下を睥睨した。

「令嬢へ謝罪を入れるべきだ」

「お前が口出しすることではない」

緊迫した空気が立ち込める。外から聞こえる民衆達の笑い声が空間を歪にした。

エリックはわなわなと唇を震わせながら言い吐いた。

「……王家の、こういう所が嫌いなんだ」

エリックの台詞を聞いた瞬間、陛下は後ろの配下へへ向き直った。

「別室へ連れて行け」


╴ ╴ ╴ ╴ ╴ ╴



皇太子であるエリックだが、国王陛下の意に背く場面は少なくない。ただし、真っ向から激しく反発する姿を見るのは大変珍しかった。ハロルドはエリックの腕を支え、動揺しながら彼を寝室へ連れて行った。

寝室に入る直前で、エリックはハロルド以外の配下を振り返った。

「外してくれるか。一人で頭を冷やしたい」

「し、しかしエリック様」

「別に逃げ出したりはしないさ」

「陛下からのご命令ですので」

断固として引かない様子の配下達を見て、エリックは観念したようなため息を吐いた。

「分かった。なら、せめて付き人はハロルドだけにして欲しい。大勢に監視されるのは気が滅入る」

「……」

「父上は僕を〝別室へ連れていくように〟と指示したんだ。もう既にその命令は果たされている。陛下の指示の上塗りはしていない」

「……かしこまりました。それではハロルド執事長、よろしくお願いいたします」

皇太子のエリックの命令はこの国において国王陛下の次に絶対的な力を持つ。それこそ、正妃ユリアの発言力を凌ぐほどだ。配下達は彼の言葉を受け静かに引き下がり、ハロルドへ一礼した。

寝室へ入ると同時、エリックは身に付けていた王紋入りのマントを脱ぎ捨てた。

「ヨミの所へ行く」

「いけません、エリック様」

「もしかしたらもう屋敷へ戻っているかもしれない」

至極冷静な口調で言い切りながら、エリックは市民用の安価なベストを取り出し着た。愛用のベレー帽を被り、大淵のメガネをかけ、頬にそばかすをいくつか書く。数分も経過しないうち、街の少年エリックがその場に現れた。

「私は、貴方様の行動を閑却出来ません。エリック様、国王陛下からの許可が降りるまでこの寝室でお過ごしくださいませ」

「……なら、命令しよう」

「エリック様!」

「ヨミから貰った手紙、捨てたのは君だろう。僕が気づいていないと思ったか」

「……ッ」

「あの件を不問にする代わり、一時間僕を解放してくれ」

エリックがこれほどまでヨミに執着する理由がハロルドには分からなかった。「友人だ」とエリックは繰り返し言うが、それは彼が自身へ言い聞かせるために用意した言い訳だ。おそらくエリックは、初めてヨミから手紙を受け取ったあの日から既に、あの令嬢に心を奪われていたのだ。

――婚約者を持つ令嬢にである。

皇太子であるエリックが公爵令嬢へ好意を抱く時点で認められないのに、エリックは彼女と出会ってしまった。

「貴方の立場を揺るがしてまで、守るべき女性なのですか」

「そうだよ」

「私にはそう思えません」

「僕だけ分かっていればいい」

「……ッ、」

「他の人には分からなくていい」

ハロルドは項垂れ目を閉じた。

エリックはそんなハロルドを確認したのち、無言でバルコニーへ出た。

――あの場で自分は、立ち去るヨミの腕を掴むべきだったんじゃないだろうか。声を上げ、彼女を守るべきだったのではないか。自らの正体が判明することを恐れるあまり、立ち竦むヨミを支えることが出来なかった。

エリックは柱に括り付けられたロープを握り、数メートル下の芝生へ降りた。その胸の内に宿る感情はただ一つ、身を掻きむしりたくなるほどの悔恨だった。






早く王立学園に入学させたいのですが、思ったより時間がかかっています。あと一万文字くらいでいけると良いな・・・。

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