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2話





「突然の来訪失礼いたします」

「とんでもございません。どうぞこちらへお掛け下さい」

僕は学習机から立ち上がり客用ソファの方へ向かうと、フェルドを向かい側の席へと促した。

「どうも」

フェルドは相変わらず何を考えているか分からない表情でソファに腰掛けると、もう一度真っ直ぐにヨミ・・・僕の方を見た。

束の間の沈黙が訪れる。

――さて、どうしたのもか。

「お怪我の方はいかがでしょうか」

ほとんど心配していない恬淡な口調でフェルドは言った。

「怪我の方は心配要りません。もう痛みも消えましたし、あと数日もすれば完治するでしょう」

恐らく予想打にしていなかった返答だったのだろう。フェルドは僕の言葉を聞くと信じられないものを見るように目を見開いた。初めて彼の感情が表層に出てきた瞬間である。

まあ、無理もないか。確かに昨日あれだけ大袈裟に痛がり婚約を迫ってきた人間の言動ではない。

「・・・それは良かったです。とはいえこちらの不注意で負わせてしまった怪我だ。改めて謝罪をしたい」

形式的な会話文を追ったものだということは考えるより先に明白だった。昨日ヨミはフェルドの屋敷に訪れ、勝手に降りた階段で勝手に足を滑らせ勝手に頬を擦ったのだ。誰がどう見てもフェルドに非はない。にもかかわらずヨミは謝罪を要求した上責任を取らせると婚約にまで漕ぎ着けたのだから、意地汚いを通り越してクズである。

昨日までの自分にはとことん呆れるが、ここまでの流れに関してはまあファインプレーだし許容範囲だ。

サーティウス家とスレイマン家の発展に良くぞ貢献してくれた。

――というか。

「お待ちください」

思っている間にも僕の目の前で頭を下げようとしているフェルドを慌てて止めた。

「頭をお下げにならないでください。本来謝らなければいけないのはこちらの方なのですから。そもそも全ては私の自業自得。フェルド様が謝る必要はございません」

「いやしかし、そういうわけにもまいりません。我々の不行き届きは確実でしたし、過程はどうあれ貴方に怪我をさせてしまった事実に変わりはない」

フェルドの驚愕は空気越しに伝わってきた。

昨日までこの人間には感情が無いものだと思っていたため、別の人物と応対しているような錯覚を覚えさせられる。僕は内心笑いながら言葉を続けた。

「ともかく、貴方様からの謝罪はもう昨日既に受けましたし、改めてする必要はありません。婚約の件も・・・私の身勝手で申し立てた何の脈絡のないものです。フェルド様に不快な思いをさせてしいました。もしも縁談がスレイマン家の意に背く内容であったなら、断って頂いて構わないと考えています」

謝罪の意味を込めて頭を深く下げると、今度はフェルドだけでなく周囲にいた僕等二人のお付きの者達までもがざわついた。ここまでどよめかれると一周回って面白い。演出として気まずそうに視線を逸らし肩を狭めると、頭上ではフェルドの息を飲む音が聞こえた。

――まあ断れないだろう。

断れない言い方をした。

お前とヨミの婚約関係は絶対だフェルド。

「い、意に背くなどとんでもない」

「無理をなさらないで下さい。簡単な内容ではないので、気を使わず思いのままに返事をしていただきたいのです」

サーティウス家とスレイマン家は合同で貿易商を行っている。もちろん両家ともに数ある事業の一つに過ぎないためこの問題にそれが大きく影響する訳では無いのだが、もしここでフェルドが縁談を安易に断れば小さいものとはいえ亀裂は入る。

断る。そう、今僕はフェルドに断る選択肢を与えた。物語に記されていた強制的な婚姻関係とは異なる内容だ。フェルドは断れない。しかし、今日のやりとりは間違いなく彼の中では断らなかった事実として残るのだ。結ばれたのでなく結んだ婚姻関係として彼の中に刻まれる。

「サーティウス家の方には一族代々お世話になっています。我々の代でもその関係性は是非繋げていきたい。断る理由はありません」

「・・・それは家同士の問題でしょう。私は、スレイマン家長男としての貴方様でなく、一人の人間としてのフェルド・スレイマン・ディークの本音を聞きたいのです」

「私の、ですか」

「他に誰がいるのでしょうか?」

周囲からもそう見えているのかどうかは分からないが、もうほとんど恐喝である。

婚約をスレイマン家の意思により解消すれば少なからずサーティウス家との交流に亀裂が入る。それは彼らにとって、未来確実に保証されていた巨額の財産を自ら切り捨てる行為に等しかった。〝無怪我だったのですね、じゃあ婚約の話は取り消しましょう〟と軽率に頷くことはできないのだ。実際、僕は断ってもいいとは言ったが、断っても今までのような深い交流を続けるとは言っていない。


――狂った状況だ。何もかも馬鹿げている。僕自身さえ。


僕とて好きでこんなことをしているわけでは無い。

何が悲しくて男に必死で婚約を迫らなければならないのか。結婚しなくても絶大な富を得られるならとっくにそうしている。けれどこの世界の構図的にそれは無理だ。男の役割と女の役割がはっきりと別れているこの国では、女が公に出て何かを進めるなんて認められない。

ある程度発言権を得るには地位のある家系に嫁いで奥方として場に出るしか手がないのだ。

チラリとフェルドの方へ目を向けると、珍しく困った顔をした彼と目が合った。

どうでも良いのだろう。ヨミのことなど。

どうでも良いから言葉が見つからない。

視線で早くと訴えるも、フェルドの口は一向に開かれない。

その場にいた誰もが固唾を飲んで彼の言葉を待った。十歳の少年には重すぎる圧力ではあるが、フェルドならその中でも最も適切な返答を導き出せるだろう。

物語でもそういう男だった。

「・・・まだ」

「まだ?」

「その質問に自信を持って頷けるほど私は貴方のことを知らない。今後知っていければ良いと考えています」

「つまり?」

「・・・婚約を取り消す必要はありません」

フェルドは煮え切らない表情でヨミの方を見ると、相変わらずの冷たい瞳でこれ以上の言葉は無いと伝えてきた。

――まあいいか。

「分かりました。・・・今後は婚約者として、お互い良い関係を築いていきましょう。不束者ですが、宜しくお願い致します」

ヨミが仰々しく頭を下げると、フェルドもすんなりとお辞儀を返して来た。

この婚約は必然だ。物語の中でも、僕のシナリオの中でも無くてはならない分岐点。

――あれ、そういえば。


あの本の題名、何だったかな。




こうして、フェルド・スレイマン・ディークとヨミ・サーティウス・ベルリナの婚約はあっさりと結ばれてしまった。それは両家ともに喜ばしい縁談であり、貴族階級の者達はしばらくその二家の話題で持ち切りになるほどだった。

後日改めて両家の親を伴い正式な婚約関係を結ぶと、まだ結婚したわけでもないのに両家にはあちらこちらから景気の良い商業話が持ち掛けられた。他の貴族たちも将来の発展が約束された二家に今のうちに取り入っておきたいのだろう。


その晩ヨミは、生まれて初めて両親から褒められた。



❋❋❋❋❋❋❋❋



愛とは幻想であると、心から思う。

今日僕は生まれて初めて両親から褒められた。僕の目から見ても彼らは心の底からスレイマン家との縁談を喜んでいたし、そこに偽りの感情は見られなかった。

愛なんてものは存在しない。

存在するのは自己愛だけだ。

その自己愛すら生まれながらにして誰もが持っている生存本能の一側面の一つに過ぎず、理性的なものとして扱おうとするのは単なる傲慢に過ぎない。

ヨミがどんなに時間をかけて両親の為に絵を描いても、数々の学問を必要以上にこなしても、大好きな読書の時間を潰してまで練習したピアノのお披露目会で大絶賛を受けた時でさえ、彼らは彼女に一言も声を掛けなかったというのに、その日はヨミを溢れんばかりの笑みで抱き締めた。

懸命に両親の顔色を伺いながら過ごしてきたヨミの人生大半の努力より、ほんの数分間で完結したあの会話の方が大人達にとっては価値があった。彼等にとって本当に大切なのは、ヨミの幸せより自分達の名声なのだ。

それが悪いことであるとは微塵も思わないし、これからもどうと思うことはないだろう。

だって、そういうものなのだから。


ヨミは不器用だったから、ただがむしゃらに時間を犠牲にして頑張ることしか出来なかった。

僕はヨミでもあったから、彼女が両親に振り向いてもらおうと一生懸命だったことも、抱えきれない程の寂しさを押さえ込んでいたこも知っている。

その時の形容し難い感情もはっきりと覚えている。


フェルドのことに関してもそう。

愛は存在しないのだ。

ヨミはフェルドのことが好きだったし、流石の僕も否定できないほどその感情は熱烈なものだった。世間一般でいう愛というものが存在するとしたならば、それは間違いなく愛と呼べる類の代物だった。

けれど蓋をひっくり返してみればどうだ。

記憶を思い出した瞬間に彼に対して抱いていた感情は跡形もなく消えてしまった。

最初も言ったように僕は僕だがヨミでもあるため、フェルドへの恋心やどうしようもなく焦がれるあの不明瞭な感覚もヨミとして体験している。


人格が変わった訳では無い。思い出しただけなのだ。

思い出しただけなのに、フェルドへの愛は冷めた。

つまりはそういうことである。

本能を打ち消すことが出来るのは理性だけ。

例えば食欲を性欲、睡眠欲を食欲によってでは完全に抑制することが出来なくとも、理性であれば管理可能なように、本能の産物である愛欲は人間の理性的な心理に基づけばいとも簡単に操作出来る。

フェルドへの感情が理性によって完全に相殺されたということは、彼に対して抱いていたヨミの愛もまた生理的欲求の一環に過ぎなかったという証明に他ならない。

僕はヨミのようにはならない。

人間の本能も、僕の完成された幸福の妨げになるのであれば全て理性によって抑え込む。

僕の人生は誰にも、自分自身にすら汚されてなるものか。



ヨミは自室のベッドに潜り込むと、明日以降の外での立ち回りについて頭を巡らせた。








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