19話
僕は初めてフェルドのいない収穫祭へ参加することとなった。収穫祭では、国中の農家が良質な農作物を国王陛下へ献上する。捧げされた収穫物は王城前の広場で行われる特別な儀式へ利用され、豊かな国の土壌を示す象徴として扱われた。
午前中の儀式が完了すると、あとは歌って踊ってのお祭り騒ぎが始まる。市民達は王都の主要通りに出店される屋台へ興じ、王族と貴族はそれぞれの専用の区画から活気ある国の様子を眺めた。
収穫祭がある度、僕はいつもクレリア王国の国力におどろかされる。広場の中央で奏でられるチェロとピアノの二重奏を聴きながら、僕は先ほど出された新鮮な梨に目を移した。大きな果実の一欠片が、みずみずしく硝子皿の上に並べられている。この果実がここに運ばれてくるまでに、一体どれほどの人の手が加わったのだろう。
――賑やかだな。
市民は主要通りで、貴族達は専用区画で収穫祭を楽しんでいる。子爵階級以下の貴族の中には、市民に混じって屋台を巡っている人もいた。
僕はそんな彼らを見ながら無意識にエリックを探した。
明るく外向的なエリックは、こういった屋台の並ぶお祭りが好きそうだ。実際、古本市を歩く時も彼は非常に慣れた様子だった。収穫祭にも参加している可能性は高いだろう。もしも見かけたら、今度は僕の方から一声かけあの時のお詫びをしたいと思った。
「ヨミ様、広場の様子が気になられるのですか?」
同じテーブルで広場を観覧していた貴族令嬢の一人が声をかけてきた。
「え?」
「先ほどから随分そわそわされているようです」
「そ、そうでしょうか?」
僕がおろおろしながら言うと、令嬢はくすりと笑った。
「後で降りてみましょうか」
「良いのですか?」
「もちろん」
「感謝いたします……」
降りたいとは思っていたけれど一人で通りを歩くことには抵抗があったので、僕は付き添ってくれると言った令嬢へ感謝した。大きなお祭りがある度、僕は連鎖的に前世の自分を思い出す。
――あの時の僕がごみ捨て場より先に出ることが出来なかったのはきっと、外の世界が怖かったからだ。
随分と環境は変わったが、何かを通して現実を観察しようと試みる癖はどうしても拭えなかった。
令嬢は、物珍しい目で広場を眺め続ける僕を見てもう一度笑った。
「本当に、愛らしいお方ですね。ヨミ様とご一緒させていただく度に、不思議な魅力に吸い寄せられていきます」
彼女の言葉に頷くよう、周囲の何人かの令嬢が微笑した。
比較的社交へ積極的でない僕の立ち振る舞いは、他の令嬢から見ると快く思われないのではないかと思っていたが……。こうした催し物で会話を重ねる内、いつの間にか僕の印象は〝無害で控えめな公爵令嬢〟として彼女達に知られていった。
僕が彼女達に対して全く害意を持っていない事実は、他の令嬢にとって都合の良いことでしかない。受け身の姿勢でいると、僕を何とか仲間内に入れようと必死になってくる気の強い令嬢もいるけれど、立ち振る舞いだけは美しく徹底しているうち、無害なりに丁重に扱われるようになっていた。
僕が令嬢達と会話をしていると、しばらくして両親がやってきた。
「ヨミ、国王陛下と正妃様がお呼びです。ご挨拶に参りますよ」
「……え?」
〝正妃様〟という言葉を母親が上擦った声で放った瞬間、周囲の令嬢達の目付きがぶわりと欲に染まった。両手を合わせながら「流石ヨミ様」「直々にお呼ばれするだなんて」と言い笑う。正妃様が名指しで呼んだ令嬢は過去に一度もなかった。一般氏族と自らの身分を完全に区分している王族は、貴族達との交流に個人的な内容を挟むことがないのだ。
興奮の入り交じった顔で僕を見つめる両親とは裏腹に、僕は何故だか身の凍るような思いをした。
全く根拠はないが、〝行きたくない〟と感じたのだ。
けれどだからといって拒否する権利はない。
「参りますよ」
僕は母親に手を引かれ、そのまま王族達のいる区画へ向かった。
王族が特定の貴族へ興味を示すことはない。
これはこの国の王族の意図的な振る舞いで、貴族同士の諍いを防ぐための手段でもあった。
そんな王家様が僕を現在名指しで呼んでいるというのだから、良い予感のする方が愚かだ。気丈でありたいと思いながらも足の震えを抑えられなかった。
王国陛下の御前までたどり着くと、僕は恭しく頭を下げた。王族用の区画には、陛下と正妃様の他に第一王女のカンナ姫、第二王子のルカス様がいた。御前に到着するなり一斉に向けられた視線に怯む。
数秒経って恐る恐る顔を上げると、至極無関心の表情を浮かべた国王陛下と目が合った。僕の内心など知りもしない父親が、滔々と自己紹介を始める。
「初めてご挨拶させていただきます。私はサーティウス家の君主であるダリウス・サーティウス・ベルリナと申します。こちらは妻のイザベラ、そして長女のヨミでございます。もう一人長男がおりますが……本日は季節風邪により屋敷に」
陛下が口を開いた。
「わざわざ足をお運びいただき感謝いたします。何か特別な用事があるというわけではないのです。妃のユリアが、貴家のご令嬢と会話がしてみたいと」
「ええ、伺っております」
「ヨミ、前へ」と言い、父親が僕の背中へ手を当てた。わざとらしい慇懃な笑顔に得体の知れないものを感じる。随分涼しくなった秋空の下、僕は正妃様の御前で再び頭を下げた。
「……ヨミ・サーティウス・ベルリナと申します」
「存じております。そうかしこまらないで、お顔を上げてください」
頬が強ばる。僕は二度目の人生を生きておきながら、未だに大勢の大人に囲まれることに慣れないでいた。打算的な目、品定めをする目、無関心の目。
どれも前世の両親の姿を彷彿させられ内蔵が冷える。
「ご両親は、下がって結構です」
「しかし……」
「結構ですよ」
「ッ、承知いたしました」
正妃様が笑いかけもう一度言うと、両親は電池を入れられたおもちゃのようきびきびと一礼し場を外した。僕はもはやわけも分からず立ち尽くした。
王族を目の前に一人取り残された14歳の少女を、傍に控える王室直属の配下達が心配げな眼差しで見つめる。
何も言葉を発せず竦み上がる僕を見て、正妃様は開口した。
「噂通り、大変麗しいご令嬢ですこと。努力だけでは得られない美貌だわ」
「……っ」
僕は声も出さぬまま頭を下げた。背中を冷や汗が伝う。「こちらへ」という正妃様からの手招きへ応じ数歩近づくと、彼女はモルモットを観察する実験者のような目でじっと僕を見た。
「今日、婚約者様はいらっしゃらないのかしら。どこで過ごされているの?」
フェルドの話題が持ち上がった瞬間、僕は驚いて顔をあげた。そしてただちに王族の目的を察する。
――スレイマン家とサーティウス家の子息令嬢の婚約は、王家の意識を引くほど強力なのか。
将来〝大公〟の身分を授けることになるかもしれない貴族の令嬢が、どのようなものか見定めようとしているのだろう。
それと同時に僕は血の気を引かせた。
フェルドのことを尋ねられようにも、積極的に動向を確認してこなかった僕は、彼の行先すら把握していなかった。
「商談のため外国へ行くと、伺っております」
「外国の、どこへ?」
「……存じ上げません」
氷を張られたような冷たい声が頭上から降りた。わざとらしく、右端にいたカンナ姫がため息を吐く。絵に描いたような冷笑を目の前に僕は絶望した。
明らかに、王族は〝ヨミ・サーティウス・ベルリナ〟という人物を否定的に見ていた。
「最後に婚約者へ会ったのはいつですか?」
カンナ姫が口を挟んだ。
「……3日前でございます」
「では次に会うのは10日後?」
含み笑いとともに投げられた言葉に、金槌で打たれたような心地になる。
――王族がそんなに偉いのか。
婚約者を愛し愛されることがそんなに素晴らしいのか。巨大な財を持つ人間には、他人の心を蹂躙する権利がある?
……公爵令嬢の身分に生まれ変わっても、僕は。
バタバタと激しい足音が聞こえた。「エリック様」と配下の一人が言う。どうやら第一王子様が場へ戻ってきたらしい。しかし、立つのも精一杯な状態の僕にはもやは気にかける余裕がなかった。
「――フェルド様に次回お会いするのは、1ヶ月後です」
「……」
カンナ姫は正妃様へ目配せをし口を閉ざした。僕は震える唇を強く引き結び、食い下がるように言った。
「私達の関係は良好です」
「そうでございますか」
「フェルド様は多忙なのです。むしろ、月に一度でも私に時間を費やしてくれていることに、か、感謝しております」
正妃様は僕の情けない震えに気づいているようだった。この震えをどのように捉えられたかは分からない。怯えからの震えか、悔しさか、怒りか……。他者から見た自分の姿など知りようもない。
「結構です」
何とか言葉を連ねる僕をもう一度一瞥したあと、正妃様はぴしりと言った。僕は最後深く一礼したあと、そのまま誰と目を合わせることもなく、逃げるようにその場を出た。
――握りしめていた拳を開くと、手のひらに血が滲んでいた。