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18話




朝市でエリックから声を掛けられた時どうしてあんなに素っ気ない態度を取ってしまったのか、自分でも分からない。手紙に返事を返さなかったのはわざとでないことは察せられたし、僕に何か大きな被害が生じたわけでもない。ただ、元々なかった約束が本当になくなっただけにすぎないのに。

それこそ手紙で謝ろうかと悩んだが、また届かなかったらどうしようという不安で結局送れず終いだ。僕は、自分の咄嗟の意地の悪さのせいで失った友達のことを思い気分を落とした。

もし次エリックに会える機会があったなら、先日の朝市での台詞を謝りたい。謝って、また友人として話してみたいと思った。


╴ ╴ ╴ ╴ ╴ ╴ ╴


「今度の収穫祭、ヨミは参加されますか?」

「ええ。重要な国家行事の一つですから。フェルドは?」

「用事が立て込んでいるので欠席しようかと思います」

「そうですか、随分ご多忙なんですね」

収穫祭が3日後に控えた今日、僕とフェルドは10月のやや冷えた空の下のんびりと珈琲を飲んでいた。フェルドはしばらく静かに庭園を眺めていたが、ふと僕の手元に目を移しじっと見つめてきた。

「……」

「何か?」

「今日も、焼き菓子には手をつけないんですね。二週間前もそうでした」

「偶然食欲が湧いていないだけです」

全てを察した表情でフェルドはヨミを見た。

「それ以上痩せてどうしようというんですか」

「放っておいてください」

「僕は、よく食べるヨミも良いと思います」

フェルドは、数少ない逢瀬のたびに僕へお菓子の詰め合わせを持ってくる。やれ外国のケーキだとか有名店のチョコレートだとか……僕はいつもそれを楽しみに飲み物を用意していたのだけれど、そんなことを定期的に続けているうち、遂に先日外出用のドレスのファスナーが上がらなくなってしまったのだ。

フェルドには悪いが、僕は自分の顔が丸くなっていく様に耐えられない。

「私がよく着ていた青いドレスがあったでしょう?胸元に宝石のついた」

「青いドレス……えぇ、はい」

「覚えていませんね」

「……」

ドレスなど基本的にどうでも良いと思っているフェルドが僕の服装を覚えている可能性は期待していなかったので、気にとめずそのまま言葉を続けた。

「着れなくなってしまったのです」

「え?」

「太ったのです」

フェルドは意外そうに目を瞬かせたあと、珍しく爽快に声を上げて笑った。

「あははっ」

僕は、普段は全く笑わないくせにこんな時だけ腹から笑うフェルドを少し睨んだ。

「笑い事ではありませんよ。今度の収穫祭だって、それが原因で着ていくドレスが限定されてしまったのですから」

「そんなこと、ふふっ、裁縫師に頼んで繕い直せばよいだけでしょう。僕は今の方が健康的だと思いますが。同世代の令嬢と比べたらそれでも随分痩せています」

「私には私の美的基準があるのです。成長期のフェルドは洋服を繕い直すことに抵抗ないのでしょうが……丈を調整するだけならまだしも、お腹周りの布を増やすのは流石に恥ずかしいです」

「恥ずかしい……はははっ」

「笑いすぎですよ」

フェルドは一通り笑い終えたあと首を傾け言った。

「分かりました。ヨミが甘い物を好きだろうと思い土産の品を選んでいたのですが、今後はもう少し内容を考えます」

「ええ、ありがとうございます」

フェルドは楽しそうに珈琲カップを持ち上げ一口飲んだ。

「……ただ、また逢瀬の頻度が減りそうです」

「お仕事ですか?」

フェルドは静かに頷いた。

「同席予定の商談が多すぎまして。同席だけならまだしも、その後の対応も一任されるようになったので」

「半年後にはロズウェル学園へ入学するフェルドに、そんなにも過重な責務を負わせるものなのですか?」

「……そうですね」

フェルドは静かに視線を落とし、黒く揺らぐ珈琲の表面を眺めた。フェルドがいわゆる天才であることは、最早生まれる前から知っていた。件の小説では、大人達から利用され疲弊した天才フェルドの疲れを慈愛深い少女シノアが癒していたが――。

僕にはこんな時フェルドにかける適切な言葉が思い浮かばなかった。シノアはどんな言葉をかけていただろうか。物語の結末だけははっきり覚えているくせに、僕は肝心なシノアの言動に対してあまりにも無感心だった。

「えっと、……その」

フェルドは言い淀む僕を見て微笑した。

「これを苦とは思っていません。苦と思わない人間が終わらせて済むことなら、辛いと感じる人がやるよりも良いと思ってます。時間効率も圧倒的ですから」

「……そう、ですか」

こんな時、ロマンス小説の中のヒロイン達はどんな言葉をかけるだろうか。大量の書物を読むくせに全く気の利かない僕は、一体いつフェルドの心を支えられただろう。このままでは、ロズウェル学園に入学して3ヶ月でフェルドをシノアに奪われる。ほぼ秒殺である。

「どのくらい期間が空くのですか?」

「もしかしたら、月に一度程度になるかもしれません。この国にいない時間の方が多くて」

「月に一度……」

半年後にロズウェル学園へ入るとして、それまでに会える回数は単純計算であと6回だ。今日を除けばあと5回。僕は全くロマンチックではない理由で顔を青ざめさせた。

ああ、物語の中のヨミもこうしてフェルドとの逢瀬の回数を限定され、関心を失われていったのだろう。

「分かりました」

混乱に混乱を重ねた僕は、結局物分りのよい許嫁を演じた。フェルドだって、好きでもない人間から〝嫌です〟などと我儘を吐かれるのは不快だろう。男性は仕事を優先的に考える節があると聞くし、ここで変に好感度を落とすより1回1回の逢瀬の質を上げていることが重要だと判断した。

フェルドは、大人しく頷いた僕を黙然と見つめた。あまりにも長い沈黙だったので、僕は居心地悪く居住まいを正した。珈琲がやけに苦く感じる。

「ヨミは僕に、興味がありますか」

「え?」

「世間一般の婚約者同士の会話というのがどんなものか、僕にはよく分かりません。ヨミと接すれば接するほど分からなくなる」

やや強ばった表情で言い吐くフェルドを見て、僕は自分の発言の失敗を察した。

フェルドは基本的にヨミに興味が無い。

物語の中のフェルドは、自分が一切興味を持っていない相手から興味を持たれることに激しい嫌悪を抱いていた。だから彼に執着をし続けるヨミのことが不快で、必要以上にフェルドの内面に立ち入らないシノアへ好感を抱いたのだ。

「……興味、は、婚約者なのですからそれなりには。全く興味がないといえば嘘ですが、かといって必要以上の詮索はしないように努めては、います」

「そうですか」

フェルドは無感情の声で言った。そして僕の方をしばらく静かに見つめたあと、唇を引き結んだ。

「君は本当に、模範的な令嬢なんですね」

そこから先、フェルドは物思いに耽ったよう言葉少なになった。


――翌日には彼は隣国へ立ち、その更に2日後、僕は婚約者不在のまま秋の収穫祭へ出席した。


╴ ╴ ╴ ╴ ╴ ╴ ╴ ╴


〝模範的な令嬢なんですね〟

この言葉を、自分が肯定的なものとして発したのか、もしくは皮肉を込めて発したのかフェルドには判別しかねた。ただ、婚約者になり数年も経つというのに一向にフェルドに対する執着を見せないヨミに対して最近はただ憤りのようなものを感じていた。

二週間に一度の逢瀬ですら本来は足りないはずなのに、月に一度の頻度に切り替えることにヨミは抵抗ないらしい。ならば拒否して欲しかったのかというと、そういったわけでもない。何故なら、拒否されたところでヨミのために調整できる内容ではないからだ。

ヨミの発言は、以前のフェルドにとっては理想そのものだった。他人から向けられる感情の全てが面倒だったあの時は、ヨミの微細な心の動きなど気にとめることもなかったのに。ここ最近は彼女の一挙手一投足に意識を向け、自分が彼女に対して及ぼす影響の大きさを図るようになっていた。

ではフェルドがヨミのことを恋愛的に好いているのかというと、それは分からなかった。

ヨミは平凡な女性だ。

貴族令嬢として完璧な振る舞いを見せる彼女は、傍から見れば特別で選ばれた人間のように見えるが、蓋を開ければ普通の女性と変わらない。むしろ人間関係の構築については不器用すぎるほどだった。

そんな彼女が今に至るまでに費やした努力を、フェルドは不思議に温かい気持ちで見ていた。

これが恋愛感情であるかどうかは分からない。

世間一般の恋愛をする人達の様子は、フェルドよりももっとずっと情熱的なものに見えるからだ。

ただ、明確な変化はあった。

ヨミと過ごす間はヨミのことを考えるのはもちろんとして、ヨミと会っていない時間も、ふとした瞬間彼女の存在が頭に思い浮かぶ回数が増えていった。

そしてその度にため息が漏れるのだ。

ヨミはフェルドのことを恋愛的に好きではない。

にもかかわらず、フェルドから嫌われることを極端に恐れている素振りを時折見せた。長い時間過ごしているうちにその肩の力も抜けるだろうと思っていたが、婚約して数年経った今も、ヨミはフェルドの発言の一つ一つへ熟練の記者のように集中をする。

ヨミと対峙しているとやけに疲れるのは相変わらずだ。

だからこそ、ヨミが気を抜き素の状態で話してくれた瞬間は、感慨深く嬉しかった。

「月に一度、か」

フェルドは呟いた。

この期間は本当は、フェルドにとってはうんざりするほど長いものだった。





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