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15話



第二王子ルカスの生誕祭から一週間が経過した頃、クレリア王国の王城に一通の手紙が届けられた。送り主はこの国きっての高名な貴族であるサーティウス家の令嬢、ヨミ・サーティウス・ベルリナである。

手紙を受け取った執事長のハロルドは、〝エリック〟という実在しない使用人宛てのその手紙をみて苦笑いを零した。

エリックという使用人は存在しないが、エリックという王子は王城にいる。ヨミ・サーティウス嬢といえど、この国の時期国王候補が庶民服で王城内をうろついているとは思わなかったのだろう。

それも弟ルカス王子の誕生日の日にである。

ハロルドは困り顔のまま手紙をエリックの部屋まで届けた。

ヨミからの手紙を受け取ったエリックは意外そうに眉を上げ、そして笑った。

「はははっ、律儀だな」

「ヨミ・サーティウス様へ正体を明かさなかったのですか?伯爵階級ならまだしも、上流貴族のご令嬢であれば今後も顔を合わせなければならない機会は出てくるでしょう。エリック様の容貌は目立たれますから……。ヨミ様の心の傷にならないことを祈るばかりです」

「心の傷?」

「非常に礼儀を重んじる品行方正な方だと伺っております。知らない間に王子様に本をプレゼントされていたと知ると、大いに慌てられるでしょう。ルカス様宛にも、パーティーの本番へ参加出来なかったことへ謝罪のお手紙を送られていたそうですよ」

「ルカスにも、ねぇ」

「エリック様はこの国の貴族からの王族に対する扱いを甘く見ておられます」

「確かに、彼女はそんな貴族の典型だな」

エリックはヨミから送られてきた手紙を嬉しそうに眺めながら、ハロルドの言葉へ生返事をした。

「聞いておられますか?」

「……サーティウス家の令嬢、か」

手紙とともに送られてきた一冊の本を手に取り、エリックはまた微笑する。

「彼女の感謝の伝え方って特殊だ」

「……?」

「手紙に本の感想がびっしりと書かれてる」

「ほぅ、随分可愛らしい」

「そうだな」

エリックは再び黙り込んだ。

手紙の要件は簡潔だった。本を購入してくれたことへのお礼と、本の感想と、そしてお返しとして代金分の紙幣が同封されていた。

『あなたは本を好きではないと言っていたので喜ばれないかもしれませんが、折角なので私が面白いと思った本もお送りします。行き過ぎたお礼にならなければ幸いです。よければ、あなたの本好きの弟様にでも』

最後添えられた一文は、ヨミの性格を良く表しているとエリックは思った。

「手紙の一式を用意してくれ」

「私は返事をお返しすることに反対です」

ハロルドは言下に言った。

「やり取りを続ければ続けるほど、嘘が重なるだけかと」

「バレなければいい」

「エリック様」

「僕はただ、目の前の手紙に対して返事を書きたいだけだ」

エリックは手紙の文字列を丁寧に撫でながら言った。

自分を第一王子と知らない人物から送られてきた懇切丁寧な文章が、これほどまでに嬉しいものだとは思わなかった。

ヨミの文字は非常に丁寧で、文章の構成を確認するに、時間をかけて練られた言葉であることが伝わった。

「……国王陛下に見つかればお叱りを受けますよ」

「どうだろうか」

「エリック様」

「王城には届かないよう別の住所を指定するさ。そうすれば父上にはバレない」

ただ嬉しかった。

その身の上ゆえ、エリックに友人といえる友人が出来た経験はまだ一度もない。もしかしたらヨミがその一人目になってくれるのではないかと、第一王子の彼は淡い期待を抱いたのだ。

そして二人の友情を成立させるには、ヨミに自身の正体を絶対に悟らせないことが必須条件だった。

「本名、教えるんじゃなかったな」

エリックの小さなぼやきは、誰の耳に届くこともなく宙へ消えていった。



❋❋❋❋❋❋



「第二王子様の生誕祭、体調不良で途中退席したと聞きましたが……その後の具合はいかがですか」

「すこぶる調子が良いですよ。ご心配をおかけしました」

「ならば良いですが。無理はしないように」

感情の起伏の分かりづらい声色でフェルドは言った。しかしその心配は本心のようで、今日のフェルドはいつも以上に僕の体調を気遣う台詞を吐いた。僕はそんなフェルドに対して罪悪感を抱き、観念して事実を伝えることに決めた。

「実は、第二王子様の生誕祭へ最後まで出席出来なかったのは体調不良が原因ではないのです」

僕が正直に告げると、フェルドは意外そうに目を瞬いた。

「王城のお庭を散策していたらドレスが破けてしまって、人前に出られなくなってしまったというのが本当の理由です」

「ドレスが……なるほどそれで」

「なので、私の体調は実際なんの問題もないのです。もっと早くお伝えしていれば良かった」

「いえ……なら良いのです。僕はてっきり君が本当に無理をしているのかと」

表情は変わらないなりに安堵の声色で話すフェルドに僕は笑ってしまった。婚約を結んだ当初は得体の知れなかった彼の感情が、ここ数年で少しづつ理解出来るようになった。

――ただ、小説の中で描写されていたフェルドの感情は、もっとずっと豊かで情熱的であったように感じる。

フェルドは確かに以前より親しみを抱いてくれているようだが、将来ヒロインへ向けられるものと同等レベルには至っていない。

その実感はここ最近の僕にとって一番のストレスだった。

フェルドは今でこそこのようにして僕へ時間を割いているが、真実の愛を見つけてしまえば迷わずシノアへ情を移すだろう。なるべくフェルドの好みに合わせようと意識してきたが、根本的な魅力のなさは覆しようもない。

僕には、シノアのようなヒロインらしい振る舞いは真似出来なかった。

「フェルド」

「なんでしょう」

「フェルドは、お金と愛どちらが重要だと思いますか」

「……は?」

なんの脈絡もなく放たれた僕の質問に、フェルドは分かりやすく驚愕した。ただ、この質問は考えなしに放たれたものでは無かった。この場でフェルドからの言質をとっていれば、将来シノアへ心を移されそうになった際の手綱になるだろうと思ったのだ。

「いきなりどうしたんですか」

「将来フェルドの理想の女性が目の前に現れたとき、フェルドはどうしますか?お金よりも愛を取りますか?」

最初こそ驚いて目を瞬かせていたが、途中から僕の真剣な声色に気づいたらしい。しばらく考え込んだあとフェルドは静かに口を開いた。

「まるで、僕が君を好きでないような言い回しをするんですね」

「……」

不機嫌そうに視線を逸らすフェルドを見て質問を間違えたと察した僕は、もう一度口を開いた。

「質問を変えます」

「どうぞ」

「もしも私が……」

〝もしも私が公爵令嬢でなかったら、同じように時間を割けますか〟

そんなことを聞こうと思ったのだけれど、質問を言い終わる前に慌てて口を噤む。聞くまでもないことだと思ったからだ。

シノアから同様の質問をされたなら、小説の中のフェルドは迷いなく肯定の返事を返すだろう。しかし数年かかっても彼から心を開かれない僕には、そもそもこのような質問を投げる資格すらなかった。フェルドとの心の距離が一定以上縮まらない理由は随分前から分かっている。

――僕が、彼に対して心を開かないからだ。

「ヨミ?」

「いえ、やっぱりなんでもありません」

「……」

フェルドは誤魔化すよう紅茶に手をつける僕を見ながら言った。

「では僕から質問をします」

「この話はもう終わりにしましょう」

「僕以上の家柄の男性が君の前に現れ愛情を示してきたら、君はその人のもとへ行きますか」

「え?」

フェルドは半分吐き捨てるような口調で投げやりにそう聞いた。彼からの質問を受け取った僕はしばらく考え込んだあと、首を傾げながら返答した。

「いかないと思います」

フェルド以上の生まれの人物がこの国に存在するとすれば、それはもう王族しかない。王族から求愛される未来など絶対に起こり得ないので、この質問に対する答えは一択だ。

フェルドは迷いなく言い切った僕の反応を見てほっとしたよう息を吐いた。

「どうしてこんな会話をしているのか……」

紅茶を啜る彼をまじまじと見つめたあと、僕もまた残り少なくなった紅茶に口をつける。

数分の無言の後、フェルドが再び開口した。

「最近、何か変化があったんですか」

「え?」

「君の会話の運び方がいつもより自由になったような気がします。誰かの影響を受けているみたいだ」

「そうでしょうか」

「友達でも出来たのですか?」

フェルドからの質問を意外に思った僕は大きく目を瞬かせた。しかし最近の自分を振り返ってみると、思い当たる節は確かにある。僕はのんびり空を眺めながら口を開いた。

「友達……かもしれない人が一人」

「かもしれない?」

言いながら僕は以前古本市を共に回ったエリックという少年を思い浮かべていた。彼とはあれ以降一度も会っていないけれど、不思議と文通は続いている。僕は手紙を書く時かなりの工数を費やしてしまう性分なので、定期的に文章をやり取りする人はあまり増やしたくないと思っている。しかしエリックとの文通は何故か苦に感じなかった。最初こそ力を入れて書いていた文章も、エリックの自由な文体に引っ張られ今では随分砕けたものになっている。

彼が貴族階級でない事実が僕の無為な緊張を解しているのだろう。エリックが不審人物でないことを確かめる意味合いも兼ね、パーティーから数日後、お礼の手紙を王城宛てに郵送した。きちんと本人に届き返事が返ってきたことを見るに、彼は本当に王城に勤めている使用人なのだろう。

「まあ、友達なんだと思います」

「それは良かった」

フェルドは珍しく嬉しそうに微笑んだ。

「どうしてフェルドが嬉しそうなのですか?」

「正直、君には友達を作るのは難しいと思っていたので」

「そんなことはありません」

「そうでしょうか」

「私に友人がいなかったのは、作ろうとしなかったからです。作れなかったわけではありません」

意地になり言い返すと、フェルドはまた笑った。

フェルドにエリックのことを正直に伝えようか迷ったけれど、僕は結局伏せておくことにした。僕に初めて出来た友達が貴族階級の令嬢でなく市民の青年だと知ると、彼は快く思わないだろうと思ったのだ。男友達ができること自体は悪いことでないが、この国の貴族は身分の差に厳しい。

エリックとは文通のみで繋がっている仲だし、わざわざフェルドの心象を悪くしてまで言う必要もない。

僕は何度かお茶をしたことのある令嬢の名前を適当に挙げ、その会話を終わらせた。



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ヨミ・サーティウス・ベルリナ様


しばらく立て込んでいて返事が遅れてしまった。失礼を働いてしまったことをお詫びしたい。

それと同時に、手紙の返事をありがとう。君との文通がこうして続いていることを嬉しく思ってる。

何か洒落た挨拶をしようと思っていたけれど、もう時候の挨拶は抜きにしたい。むしろ慇懃無礼な感じがするんだ。

ところで、この前送ってくれた本を読み終えた。普段あまり小説は読まないけど、君の紹介してくれる本はいつも本当に面白い。教えてくれてありがとう。

仕事が落ち着き始めたので、君さえよければ一度会って話さないか。王都のおすすめの歩き方を教えるよ。

君も忙しいと思うので、都合がつけば。


エリック

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エリック様


ご丁寧に返事をいただき、感謝します。お仕事も忙しいかと思いますので、無理のない範囲で文通が出来れば幸いです。

時候の挨拶も、言われてみれば確かに不要に感じ始めました。お言葉に甘えさせていただきます。

それと、ご多忙の中おすすめの本を読んでくれてありがとうございます。実はあの本を読んでいる人が周囲にいなかったので、誰かと感想を共有したかったのです。


手紙だと書ききれないこともあるので、ぜひお会いしましょう。候補日をいくつか別紙にあげておきました。都合のつく日を教えてください。

お返事お待ちしています。


ヨミ・サーティウス・ベルリナ

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