14話
王城の鐘が生誕祭の終わりを告げた。
バラバラと会場を後にする貴族達の背中を聖職者のような微笑で見送りながら、第二王子ルカスは硬直しきった頬の筋肉にげんなりした。自分は目の前の絢爛な衣装を身に付けた人間達に興味は無い。その人達もまた自分の人間的な部分に興味は無い。にもかかわらず交わされる優美な言葉や挨拶は、一体どれほど高尚なものだろう。
全ての貴族が会場を後にするより早く踵を返すと、ルカスは真っ直ぐに自室へ戻った。足早に廊下を闊歩するルカスへおもちゃのよう整然と敬礼する近衛兵へ持ち前の愛嬌を振りまきながら、既に彼は頭の中では全く別のことを考えていた。
――俺が生まれてきたことがそんなにめでたいだろうか。こんなにも無為な祝言を連ねられるのは、誰も俺の本当の正体を知らないからだ。
数分もたたぬうちに自室へたどり着くと、ルカスは物音も立てず上品に扉を閉め、そして身にまとっていた王紋入りのマントを地面へ叩き付けた。
「どいつもこいつも金と血筋の話ばっかりだ。王族も平民も、死んだら全員肉塊なのによ。アイツら、王家の人間の腹を裂いたら金色の血が流れると思ってるぜ」
「ルカス様、お言葉使いにはお気をつけくださいませ」
ルカスの背後に控えていた側近のジェフリーが眉を顰め苦言を入れる。ルカスより一回りも年上の彼は、12年前一度凋落しかけた公爵家の養子である。妾の子として迎え入れられた彼は、義母の執拗な嫌がらせに耐えかね、逃げるようにして王城の門を叩いた。
「小言はやめてくれ。これ以上〝貴族語〟を話したら頭がイカれそうだ。実際昼間の俺はどうかしてた」
ジェフリーはため息をついて視線を落とした。貴族達と交流を行ったあと、ルカスは必ず〝無意味な時間だった〟とその日一日へ唾棄をする。しかし、今のルカスが得ている時期国王候補としての圧倒的な評価は、ルカスが軽蔑するこれらの時間の賜物だった。
「兄上は来ていたのか?」
ジェフリーは無言で首を振り、床に投げられたマントを慣れた動作で拾い上げた。
「お顔は出されておられたようですが、公服を身にまとっていらっしゃいませんでしたので誰も気が付かなかったようです」
ジェフリーの言葉を受けたルカスは舌打ちとともに吐き捨てた。
「俺がこの世で一番嫌いな人間だ」
「ルカス様!!」
「生まれに恵まれた人間が、その生まれ故に最高権力を受け継ごうとしてるい。ただの血液のために、生まれ落ちた瞬間が他よりほんの少し早かったためだけに。こんな簡単で馬鹿げた話があるか?もしかしたら政治の才はあるかもしれないが、野心のない人間の天井なんてたかがしれている。無欲な人間が率いる国は簡単に衰退していくだろう」
ジェフリーから見て、ルカスは兄エリックのことを心の底から毛嫌いしていた。ジェフリーはエリックのことを嫌っていなかったが、ルカスの尋常でない苦労と努力を知っているからこそ、血統のために王位を都合としているエリックへ複雑な感情は抱いていた。
「まだ王位継承者は確定されておりません。それに、エリック様はこの国を統べることを拒んでいると噂も流れております」
「……」
「ルカス様」
「兄上の意思なんて関係ないんだ。結局、王族にだって自由はない。あの人の人生はその典型だ」
ジェフリーはかける言葉もなく俯いた。ルカスの野望は分かりすぎるほど理解しているのに対し、エリックの考えていることは何一つ分からない。拗れた兄弟の関係性を前に、ジェフリーは口を閉ざした。
――ルカス様は王位継承を望まれている。エリック様は王位継承を激しく拒まれている。お互いの望みは噛み合っているはずなのに、ルカス様の苦しみはそれ故に膨れ上がる一方だ。
「今日は寝る。出て行ってくれ」
「扉の外に待機しております。何かご必要が生じましたらお申し付けくださいませ」
「必要ない」
ルカスは目も合わせず背中を向け、窓際の椅子へ腰掛けた。ジェフリーは恭しく頭を下げ、解消しきれない感情と共に部屋を出た。
この世で最も尊い血を受け継いだ兄弟の等身大の苦しみを実感するほど、彼は現実の理不尽に唇を噛んだ。
第二王子ルカスは数年前まで王城内でもきっての読書家だった。目に入った本は全て読んでやるのだと意気込み、自由時間は王城の図書館にこもり切ることが習慣だった。そんなルカスの楽しみをしょっちゅう邪魔しては王城の外に連れ出していたのが兄のエリックであった。
エリックは国王陛下も手を焼くほどの変わり者で、机に座って勉強することよりも王城の外に出て庶民の遊びに興じることを好んだ。また同時にかなりのいたずら好きで、学習の時間には家庭教師をからかうため当日履修予定のページを二万文字以上も諳んじ周囲を唖然とさせたり、国王陛下へのプレゼントと称しカエルの玩具が入ったからくり箱を自作し陛下の腰を抜かさせるなどしていた。エリックの遊びに周囲の者は何度も振り回されたが、底抜けに前向きで温厚な彼は王城の太陽とまで言われ愛されていた。国王陛下はそんなエリックを心から寵愛し、そして異常なまでの教育を彼に課した。純粋に、第一王子であるエリックを王の器に育て上げたかったのだろう。王からエリックに望まれた試練は通常の人間であればすぐに音を上げてしまうほど壮烈な内容であったが、エリックはまるで幼児向けの計算ドリルを解くよう淡々とこなしていった。
エリックは王位継承に興味はなかったが、次から次へと投げかけられる無理難題は嫌いではなく、むしろ遊戯として楽しんでいった。そんなエリックの存在はルカスにとって不気味で、そして羨ましかった。その能力の高さと言うよりは、エリックの生き方が羨ましかった。
こんなに閉塞的な、他人の介入に満ちた生活をしておきながら、エリックは王族の規律と反発することなく、かといって自身の思想と美学を蔑ろにすることなく過ごすのだ。凄まじい適応能力だった。しかし。
――全ての課題において国王の期待を満たしておきながら、唯一王位継承だけは泰然と拒否するなんて皮肉だ。一番の肝を裏切るなら、俺であれば最初から課題なんて受けない。教科書なんて破り捨てれば良いだろう。期待させるだけさせて王位を継がないなど、陛下と国民に対する侮辱以外の何ものでもない。
「兄上のような人間が王になるなど許せない。この国の王になるのは俺だ」
ルカスが低い声でそう呟いた瞬間、部屋のバルコニーに人影が落ちた。ルカスはコンコンと軽快に叩かれた窓を二度無視したあと、三度目でため息を吐きながらようやく施錠を開いた。この城の警備は一体ふざけているのだろうか。
「兄上には盗賊の才能がおありのようですね」
「廊下が長すぎるんだよ。文句を言うならこの城を馬鹿みたいに広く設計した建築士達に言って欲しいな」
「……」
「誕生日おめでとう。ルカス」
なんの詫びれもなく微笑しながら、この国の第一王子エリックは自身の懐から一冊の小説を取り出した。
「これは?」
「お前が好きそうな小説。今日は古本市があってね、折角だから新品では手に入らなくなった廃盤の本を買ってみた。店主が古本に詳しい人じゃなくて良かったよ。運が良かった」
エリックが差し出したのは原作者が亡くなったために未完結のまま誰の目にも止まらなくなったとある冒険小説だった。原作者の名も元々売れていなかったが故に出版も少部数に留められ、今では中々手に入らない貴重な代物となっている。好事家であれば分からないが、通常の人間ならこれを欲しいとは思わないだろう。
「私はもう本など読みません。趣味が変わりましたので」
ルカスは跳ね除けるように手の甲で本を拒絶した。
「そうか。今は何が好きなんだい?」
「特にありません」
「反抗期?」
「……」
ルカスの気持ちなど何一つ知らないエリックが困り果てたように眉を下げる。いつもこうだ。ルカスのために何かをしようとして、そして全く見当の外れたものを持ってきてしまうのがエリックだった。彼はルカスのことをよく理解しているように振舞っておきながら、弟のことなど何一つ分かっていなかった。そしてルカスもまた、エリックの考えていることが分からなかった。これだけあからさに毛嫌いして接しているというのに、エリックはルカスから離れるどころか、「兄弟の中で一番性格が似ている」とのたまう。迷惑でしかなかった。
「ルカスは欲しいものは大体全部自分で手に入れてしまうし……う〜ん」
「私から兄様への願いは沢山ありますよ」
「なに?」
ルカスは一つ大きく息を吸い、今度叩き付けるようにして言い吐いた。
「まず……公の場で姿を見せる回数を増やしてください。時期国王陛下になられるのであれば、貴族らの支持を集めておかなければ国の政治を進めて行く上で支障です。また、今日のようなわけの分からない行動で王城の者を振り回すのはやめてください。庶民服を纏っての外出はお控えください。王都外の孤児院への無為な出入りも、貧困層への無計画な寄付も……自己満足の慈善活動をする前にするべきことがあるでしょう。国民からの評判もご存知ならば」
「孤児院の子供達も立派な国民だ」
エリックは聞き捨てならないといった風に唇を尖らせた。
「下流階級の者に恩を売ったところで見返りはありません」
「そう言ったって、この国の9割以上が平民だろう。国力の象徴は平民の豊かさにある。お前の指す国民は貴族だけか?」
「国力が上がれば金が循環します。そうすれば平民の暮らしも自ずと改善されるでしょう。そのためには貴族の商業力が必要なんです。数十億の寄付で一部の人間の生活をまともにした所で何になるんですか。兄上のやり方で国民全員を楽にできるならまだしも」
「貴族が金稼ぎの力を強めたところで貴族が豊かになるだけだ。むしろ王族と貴族の癒着が進めば進むほど庶民との経済的格差は広がっていく。ルカスもそのくらい分かっているだろ。家庭教師の先生は良い人達だが、全て正しいことを教えてくれているわけじゃない。都合の良いことも混ざってる」
「……」
ルカスは歯を食いしばってエリックを睨みつけた。
「お前の思っているとおり僕は王の器じゃない。でもルカスには人望と頭脳と野心がある。新しい時代を築き上げるのはルカスのような王だと僕は思ってる」
「私を煽っているのでしょうか。兄上」
エリックの言っていることがルカスには理解出来た。だからこそ、その上で自らの王の器を否定する兄の言い草は、ルカスの目にはただ怠慢としか映らなかった。
「兄上が国王の座を拒否するのは、謙虚でも無欲でも何でもない。ただ責任から逃れているだけだ。自由を手放したくないだけだ」
「……」
「私はあなたを心から軽蔑する」
ルカスはエリックの反論を聞くより早く兄に背を向けると、「警備を呼びます」といって廊下側の扉の方へ足を向けた。
エリックはぎょっとして飛び上がると、すぐに窓枠に手をかけバルコニーへ逃げた。そして帰り際、彼はもう一度弟の背中を振り返り、名残り惜しそうに声をかけた。
「誕生日おめでとう、ルカス」
ルカスはそれを無視した。
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