12話
10日後、僕は祭事用の絢爛な青いドレスを身に纏い王城の広間へ足を踏み入れた。第二王子の生誕祭自体は16時からの開催だが、余興を込めた立食会は昼間から行われていて、国中の貴族達が仕事の手を止めパーティーへ参列していた。自分の誕生日も他人の誕生日も正直どうでも良いのだけれど、王宮に飾られている豪奢な装飾品を眺め歩くのはかなり好きだ。
手のひらサイズの小箱や東洋風の陶磁器一つ一つに数億の予算がかかっているというのだから、芸術というのはどこに価値がつくものなのか分からない。分からないなりにそれらを細部まで具に検分し、職人の技巧が注がれた美しい紋様を眺めるのことが好きなのだ。
「フェルドが来るのは16時前でしょうか?」
「はい、そのようにお伺いしております」
会場までの同伴をお願いしていたメイドのアナへ声をかけると、彼女は恭しく頭を下げながら僕の質問へ答えた。
「そうですか。私はここから少し城内を見て回ろうと思っていますので、あなたはもう下がって結構です。パーティーが終わるまで城外で待機していてください。20時には馬車が大通りへ迎えにくるよう手配を」
「かしこまりました」
「よろしくお願いします」
公爵令嬢が世話係もつけず行動することはかなり稀ではあるが、僕にとっては慣れたことなので、いつの間にか言及されることはなくなった。パーティーの会場によっては護衛をつける場合もあるが、今日のような公的な場所の場合だとそもそも警備兵が常に巡回を行っているので不要である。
場内を去っていくアナの背中を見送った僕は、ほっと一息つき王宮の広間を見渡した。
――ここが、莫大な財力を有する王族の暮らす城。
ここで暮らす王家の人達は、きっとこの世で一番幸福なんだろう。お金に恵まれ、人から蔑まれることもなく、圧倒的な権力を持っていて。不幸せとは無縁の生活を送っている。
僕もそんな風になりたい。
お金があれば人は必ず幸せになれる。前世の両親も今世の両親もお金回りが良い時はいつも機嫌良く、幸福そうな笑顔を振り撒いていた。なら、ずっとお金がある状態になればいい。ずっと生活のゆとりを保ち続ければいい。その質が高ければ高いほど、人間の味わい得る最大級の幸福な人生を送ることができるはずなのである。
愛に満ちた人生こそが幸福だという人もいるけれど、愛なんてものはそもそも存在しないわけなので、結局真の幸福は裕福からしか得られない。
まあ、僕とて身の程をわきまえないほど愚かではないので王族入りを目指そうとは思わないが。この城へ自由に出入りできるほどの特権があれば、王族のそれに限りなく近い生活を送ることができるだろう。
ステンドグラスから差し込む淡麗な光が足元に不思議な紋様の影をつくった。それを眺めながら右に左にドレスの裾を揺らしてみると、僕の影に重なるようにして複数の影が床に落ちた。
「ヨミ・サーティウス様」
振り返ると、背後には社交会でよく顔を合わせる貴族令嬢達が3人、人形のように並んでいた。
「広間へは行かれないのですか?素晴らしい演奏を聴くことができますよ」
「ええ、伺おうと思います。調度品があまりにも優れていたので、目を奪われていました。……私がのんびりしている間に随分と賑やかになられましたね」
「ええ、もう15時半になりますので。そういえば、フェルド様はまだお見かけしておりませんね」
「入城は16時直前になるとおっしゃっていましたよ」
令嬢達は「そうでしたか」と頷きながら、くるりとドレスの裾を翻し広間の方を指さした。
「ご一緒に行きましょう。今日は第二王子様のお顔を間近で見ることができるかもしれない貴重な日ですよ」
❋❋❋❋❋❋❋
恐ろしく面積のある広間で、顔見知りの貴族達が和気あいあいとグラスを傾け談笑している。未成年の数は全体の三割ほどで、それぞれ歳の近い者同士で輪を作り最近の流行などについて語っていた。僕も同じよう同年代の令嬢らと会話を交わしていると、何度か社交会で一緒になった伯爵令嬢のセイラが気品のある微笑を湛えながら開口した。
「第二王子様は本当に素晴らしい方だわ。物凄く聡明で凛として、私達と同い年だというのに」
僕は手に持っていたグラスから口を離した。第二王子様の言葉を聞いた別の令嬢が、うっとりと頬に手を当てセイラの話題へ便乗する。
「そうね。それに見目も麗しいわ。あの艶やかな黒髪なんて特に」
二人のやり取りを機に、まるで待ち受けていたかのごとく周囲の令嬢達が口々に第二王子様の賛美の言葉を紡ぎ始める。僕が来る前もずっとこの話題に興じていたのだろうと思うと、一人のんびり装飾品を眺める過ごし方を選んで正解だったなと思う。もう捕まってしまったわけだけれど。
〝王子だから〟ではなく、彼女達は心から彼を慕っている。僕も何度か顔をお見かけしたことはあるが、確かに国民から時期国王を望まれるほど恐ろしく完成された、稀代の傑物のような印象を受けた。美貌と知性に富んだ偉人が、この王国の第二王子様なのだ。
しかし……。
「最終的にこの国を次ぐことになるのは恐らく第一王子様でしょう。歴代を通して、そうならなかった日はございませんから。第一王子様が何かを患われているのであるならまだしも……皇太子様のお身体に不自由はないとお聞きしております」
〝第一王子〟という言葉を僕が口にした途端、先ほどまで和気あいあいと第二王子様を思い浮かべ陶酔していた令嬢達の頬が強ばった。第二王子様の継承を強く望むからこの話題を避けたいのか、第一王子様を快く思っていないからこその強ばりなのか。そのどちらも正解なのだろう。
第一王子様は、正直なことろ国民からあまり良い目で見られていない。そもそも彼は他の王子達と違い国民の前にほとんど姿を現さないので、国民も彼という人物について判然としないのだろう。誰も第一王子様のお顔をほとんど目にしたことがないまま、他人の作った悪い噂話だけが庶民たちの間を闊歩している。差別主義を掲げられているだとか、おかしな宗教に手を出しているだとか、やはり病を患わせているのだとか……上げだしたらキリがない。
ただ一つ言えるのは、噂話を鵜呑みにする者もそうでないものも、彼を王位の継承にふさわしくない人物であると予想していることだ。彼が少しでも貴族へ愛嬌を振りまいていればこうはならなかっただろうに、惜しい方であると思う。実際、第一王子様にまつわる〝良い噂〟は、彼を支持していない上流貴族からせき止められている。
他の貴族から風の噂レベルで〝政治の才がある〟という話を聞いたことはあるが、第一王子の振る舞いを快く思っていない貴族の一部が、彼への印象を意図的に操作しているらしかった。そして都合の良いことに、第一王子様はそのような貴族たちの無礼を放置している。
「ヨミ様は、第一王子様のお顔を見られたことがございますの?」
セイラが大きな瞳を瞬かせながらこちらを見た。好奇心旺盛な彼女のことを、僕は少しだけ苦手でいる。好奇心旺盛という性分は、他人のことをあれこれ嗅ぎ回って良い資格にはならない。
「私ですか?」
「もちろん。国民の中で最も王族に近い氏族の一つがサーティウス様の血筋ですもの。一度でも第一王子様のお顔を見たことがある方がこの中にいるとしたら、それはヨミ様だと思っておりますわ」
「……同じ場に居合わせたことはあります。ただ、遠目だったのでお顔は分かりませんでした」
僕は二年前一度だけ第一王子様の出席したパーティーへ招待されたことがある。屋外の社交会であったこともあり距離が遠く、間近での挨拶が叶わなかったので細かな外貌は確認出来ていないが、どこかの貴族が「絵画から出てきたよう」と表現していたので、やはり第二王子と同じよう美男なのだろう。僕と二つしか年齢が変わらないのに御髪は真っ白で、第二王子様の黒髪と並んだ時には不思議な異彩を放っていた。遠目にはお見かけしたが、なんせ世間から「幽霊」と表現されるほど得体の知れない人物だ。パーティーへの参列時間も段違いに短く、気がついたときには退場されていた。
「私は、国民を愛している王子様にお国を継いで欲しいわ」
とある令嬢の言った言葉に、周囲の者達が静かに唇を引き結んだ。これほどまでに貴族から嫌煙される王族が歴史上あっただろうか。貴族から好まれる皇太子は結局、貴族の発展へより貢献してくれる王、貴族を蔑ろにしない王である。
「お決めになられるのは国王陛下です」
王位継承に国民の意思が反映されることはない。なので僕達は国の運命を前に、自らの生活の基盤を実直に築いていく他ないのだ。
――そして一つ、貴族達が理解している暗黙の事実として忘れてはならないものがある。
今現在、国王陛下が莫大な愛情を注がれているのは第二王子様ではなく、国民からの不満を一身に浴びている第一王子様に他ならないのだった。
令嬢達との無為な会話に疲れた僕はのろのろと重たい足を引きずりながら王城の庭へ歩き出た。曇りかかった午後16時の冬空の陽光が庭を照らす。
王族の話が始まると漂うあの特有の空気が嫌いである。第一王子様のことなど皆放っておけば良いのにと思う一方で、第一王子様がせめて今よりも幾分か国民を気にかけている演技をみせてくれていたら、このような気疲れを貴族が感じることもないだろうと思う。
僕は自分の権力とお金にしか興味が無いので分からないが、貴族達は間違いなく、あの人物が率いる時代を生きることへ不満を抱いている。
「こんなに広いお庭、手入れしても手入れしても足りないでしょうに」
綺麗すぎる花壇の花々を近くに寄って観察してみると、グラデーションの花弁の上に水滴がかかっていて、水やりを行って一時間も経過していないことが予測できた。
花は好きだ。前の人生では、養護施設の庭に咲いていた野花を無心に眺めることが僕の楽しみだった。義理の両親に引き取られて以降は花を見る機会もなくなってしまったので、小説に出てくる花々の豪奢な描写と記憶の中の野花が上手く結び付かず、理解に苦戦したのを覚えている。今目の前にある薔薇のような花を一度でも目にしたことがあったなら、僕はきっともっと、本の中に出てくる花々を美しく思い浮かべることが出来たはずなのに。
庭内の花壇を行ったり来たりしながら観察していると、赤薔薇の棘がドレスの布を音もなく割いた。花へ近づきすぎていた自分を悔やみながら、棘に絡んだ裾をゆっくりと外す。確認すると、物の見事に傷んだサテンの布が虚しげに項垂れていた。
「脆い布」
僕は布と同じく項垂れてしまった。
破れたドレスで王子様にご挨拶をするなんて無礼にもほどがある。パーティー開始の五分前に広間へ戻ろうと思っていたけれど、こんな姿ではサーティウス家の顔に泥を塗るだけだろう。大人しく令嬢達の会話に付き合っておけばと心の中で盛大な後悔を打ち立てながら、僕はげんなりとして近くのパーゴラへ腰掛けた。
このままパーティーへ参加しても恥。参加しなくても恥。どちらの恥を取るかといわれれば、この場合後者である。余興には顔を出していたのだし、後日「体調を崩してしまい、早めに退席させていただきました」とお詫びの手紙を送れば面目は保たれる。
長いため息を吐き再び破れ避けたドレスの裾を撫でると、背後でガサゴソと人の気配が揺れるのを感じた。
「誰?」
僕と同じよう庭に避難した貴族がいるのかと思い音の方を振り返ると、そこにはベレー帽を被った一人の青年が立っていた。黒縁の眼鏡の奥で切れ長の瞳が2、3瞬く。
貴族が姿を現すだろうと予測していた僕は、庶民向けのスラックスとよれた土だらけのワイシャツを身に付けている彼の姿に小さく悲鳴を上げた。純粋に、王宮の美しい庭と正反対の背格好をした人物が現れたので不審者を疑ったのだ。
慌ててベンチから立ち上がり距離を取ろうとしたが、青年の胸元に王城で勤務している者にしか支給されない王紋入りのバッチが見えたため、出かかった悲鳴は寸前で飲み込まれた。王宮で勤める人間には役職の階級ごとに色分けされたバッチが支給される。この青年の胸元にあるのは白薔薇の印なので、恐らく庭師か厩務員か清掃員か……。土まみれのところを確認すると庭師だろう。第二王子様の生誕祭の日にまで土作業を行うなんて熱心な作業員だ。
「この庭の……庭師のお方でしょうか?ごめんなさい。少しの間ここのパーゴラをお借りしてもよろしくて?作業のお邪魔になるのであれば、場所を移動させていただきます」
「いいえ、問題ございませんよお嬢様。どうぞお休みになっててください。僕もちょうど作業を終えたところですから」
土で変色した軍手を外すと、青年はキザな抑揚とともに恭しく頭を下げた。
「このお庭、あなたが手入れされているの?」
僕が薔薇を指さしながら話しかけると、青年は意外そうに目を瞬かせ答えた。
「……ええ、まあ。ここらの区画はね。メインで整えている者は別でいますよ。如何せん広いから、人目に付きにくい場所はどうしても手入れの後回しにされる。僕はそういう花壇を触ってるだけ」
「そう。じゃあこの花達はきっとあなたに恩を感じていますね」
「はははっ、童話のよう花に感情があるならね。まあ、綺麗に咲いてくれたらそれで結構だ。……ところでお嬢様、もう時計の針は16時を指しているようだけど、パーティーへは参加しなくて良いのかい?」
「……」
不思議そうに首を傾ける青年に居心地を悪くした僕は、目を逸らしながら破れ裂けたドレスの裾を翻した。
「あー、これは中々派手にやったな。薔薇かい?この城の取り扱ってる品種は棘が硬いんだよ」
彼の言葉からいつの間にかなくなっていた敬語を気にする余裕もなく、僕は綺麗に破れたドレスを見て項垂れた。切れ目が入ったのは一箇所だけだけれど、棘の触れた周辺の布も酷く傷んでしまったので、付け焼刃の裁縫でどうにか誤魔化せるものでもないだろう。僕一人が不参加になったところで誰も何も困らないが、後日フェルドから何か言われるかもしれない。青年がおもむろに口を開いた。
「……迎えはいつ?」
「20時です」
「4時間か」
僕はこくりと1回頷くと、再びパーゴラを指さし青年に声をかけた。
「あなたはもうお帰りになるのでしょう?邪魔はしませんから、迎えが来るまでここをお借りしたいの」
「構わないが、4時間座り続けるのも退屈だろう。それに、日が沈んだらここは暗い。城門へ辿り着く前にまたドレスが裂けるよ」
「平気です」
青年は少し困ったように唸り声を上げると、数秒経ったところで静かに顔を上げ口を開いた。
「ちょうど買い物に行く予定だったんだ。暇つぶしに付き合ってくれ」