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剣と魔女と魔王の乱舞(ディソナンスワイルドダンス)  作者: 知翠浪漫
第一部 魔王降臨
9/41

第八章 葬式

 




 *




 外を歩く頭の長い化物が、虹色の風に当てられて道に倒れる。

 口から管のように長い器官を無様に伸ばし、そしてそこから黄色い液体を吐き出す。その傍には同じように、翼を持つ首の長い狼が倒れて痙攣している。

 それをガラスのはまっていない窓から覗いている智貴も、眩暈にも似た感覚を覚えて窓から離れた。

 原因は道でバタバタと倒れていく悪魔を見たせい、ではない。理由はもっと単純で、空から降り注ぐ虹色の風が原因だ。


 魔力嵐イリデンセント

 死都直上に存在する虹色の空から、大雨のように有害な魔力が降り注ぐ、死都特有の異常気象らしい。

 直に降り注ぐ魔力を浴びると、めまいや吐き気に見舞われ、更には精神錯乱を引き起こし、最悪の場合は死に至る。


「雨みたいに降り注ぐなら魔力嵐じゃなくて魔力雨なんじゃねーの?」

「雨って名前だと侮る人間がいるから、あえて嵐って名前にしているらしいわ」


 ということらしい。

 確かに雨と嵐では嵐の方が聞いただけで危険とわかるだろう。

 そして魔力嵐は短くとも半日、長ければ数日間続くのだ。


「えっと、今回は大きな予兆もなかったですし、多分半日もすれば嵐は止むと思います」


 魔力嵐が起きたのはだいたい昼の二時過ぎ頃。つまり魔力嵐が止むのは早く見積もって夜中ということだ。

 夜になれば視界は悪くなり、移動するのは危険である。

 だから今晩は、死都で過ごすことになったのだった。




 ――誰かに似ている。

 獅童小向と廃墟内で一緒に過ごし、智貴は不意にそう思った。

 今は智貴が目覚めてからすでに三時間ほどが経過している。その間小向と一緒にいて、その動向が智貴の記憶に潜む誰かを彷彿とさせたのである。


 それが誰なのか、智貴にはわからない。

 智貴は黒い獣の大樹のせいで友達がいない。人付き合いなど家族と、あとはゲームのオンライン上で対戦した相手ぐらいしかしたことがなかった。だから、リアルの知り合いに似ている、と言うわけではないだろう。


 ならば誰に似ているのだろう。

 はじめ、智貴はテレビやニュースで見たことのある有名人にでも似ているのかと考えたが、


「なあ、アンタ。誰か、有名人に似てるとかって言われたりしないか?」

「えっと、特に言われたことはないですけど……」


 どうやら勘違いであるらしかった。

 いや、智貴の主観では時間が十年ほど跳んでいる。その頃の有名人に似ているのかもしれない。だとすればそれを小向が知っているわけがないのも頷ける。


「くっ……! これがジェネレーションギャップって奴か……!」

「あの、穂群君。私と同じ年齢ですよね……?」

「フッ、男には他人に言えない秘密がある物さ。それが俺みたいにいい男なら、特にな」

「はぁ……」

「やべえ、そのそっけない反応が心に痛い!」

「え、えっと。ごめんなさい?」


 智貴がそんな馬鹿なやり取りをしていると、頭を槍の柄で叩かれる。

 叩いた相手は少し遠くに座る喜咲。その目は咎めるような色を孕んで智貴に向けられている。


「イテッ」

「手が止まってるわよ」


 指摘されて、智貴は自分の手元に視線を下ろす。

 そこにあるのは調理途中の生肉。一晩だけとはいえ、廃墟の中で過ごすことになった為、回復のためにも食事の準備をしているのだ。


 智貴はいまだ重傷の身。早い回復のためにも食事は必須なのである。

 ちなみに肉は、喜咲が魔術機を使って捕ってきた猪もどき。地下にある倉庫に大穴が開いており、その穴が猪もどきの住まう地下モールに繋がっていたのだ。

 そして小向が廃ビルの中を走り回って見つけた調理器具を使って、智貴が肉を調理しているのである。


「料理はアナタがやるって言い出したんだから、責任を持ってアナタがやりなさいよね」

「……わざわざ怪我人の俺が料理するって言い出した原因、お前わかってんのか?」


 始め、怪我人である智貴は料理をするつもりはなかった。一応傷こそ塞がっているが、動けば痛みはあるし、なにより怪我が治ったわけではない。小向からも安静を言い渡されていたのでそうするつもりだったのだ。

 それでも智貴が料理をすることになったのは、ひとえに小向と喜咲が料理ができなかったからだ。

 小向は味音痴であるらしく、喜咲はその調理方法があまりにワイルドすぎたため、智貴が待ったをかけたのである。


 さすがに内蔵も取らず、血抜きすらせず、猪をまるまる一匹串刺しにしてそのまま丸焼きにしようとすれば、誰だって止めるだろう。原始人だって喜咲よりもっとマシな調理方法ができるはずだ。


「わかってるわよ。だから?」


 しかし喜咲はその事をまるで気にしていない。

 そんな喜咲の様子を見て、智貴は呆れを通り越して疑問に思う。


 果たして、彼女の評価の下限はどこにあるのだろうか?


 既にどん底まで喜咲の評価は落ちていたと思っていたが、智貴の中の喜咲の評価がさらに下がる感覚を得る。まだ下があったとは驚きだ。その内バグってゲージの限界を越え、逆になにかのゲージの上限に達しそうである。


「えっと、ごめんなさい。私が料理できないせいで……」

「アンタは謝らなくていいよ。悪いのはほとんどそこのダメルフのせいだからな」


 小向に手を振って苦笑してから、智貴は調理に戻る。

 喜咲は論外だが、小向は仕方がないだろう。


 味がわからないという身体的特徴を非難するつもりはない。それに小向はなにか手伝えることがあるのではないか、もしくはなにか学べるものがあるのではないか、と智貴の側に控えて、調理する行程を眺めていた。

 完全に開き直っている喜咲と違って、小向のその姿勢はむしろ誉められるべきである。


「その肉に薄く切れ目を入れるのはなんの意味があるんですか?」

「こうやって筋を切ることで肉が柔らかくなって、ついでに味も染みやすくなる……と、そろそろ火の準備してもらっていいか?」

「あ、はい」


 智貴の指示を受けて、小向が用意していた小枝にファイヤスターターで着火を試みる。


 マグネシウムの棒をナイフで削って粉末にし、そこに火打ち石で火花を散らす。すると粉上になったマグネシウムが燃焼して、燃えやすいよう細くした枝に炎が点った。

 小向はすかさず側に置いておいた細かい枝を炎に重ねるように置いていき、炎が育ったのを見計らって、本命の薪をそこにくべていく。


「やっぱファイヤスターターは便利だな」


 あっさり火をつけてみせた小向に、智貴は感心の声を上げる。

 ラグネと一緒に住んでいた時にアレがあれば、もっと料理も簡単だったろう。

 そう考えた瞬間、ズキリ、と胸に走った痛みに、智貴は一瞬手が止まった。


「火の準備できました……穂群君?」

「――ああ、サンキュー」


 怪訝そうにする小向に、智貴はなんでもない風を装って、準備のできた肉を持っていく。

 小向も気のせいだと思ってくれたのか、特に言及してくることはない。


 智貴は気を取り直して、準備していた肉を差した串を火にくべていく。

 死都に来て、初めて用意したのと同じ肉串だ。あの時ほど調味料は潤沢でなかったため、塩と胡椒のみのシンプルな味付けだが、今回は別途でレーションもある。味に飽きることはないだろう。


「神宮。そっちは進捗どうだ?」

「カートリッジの五本が三割ってところね。残り五本は二割にも達してないわ。専用の設備がないからやっぱり時間がかかりそうね」

「死都だからな、それは仕方ないだろ。それでも一個の方はどうだ?」

「そっちはそろそろ三人分溜まりそうってところかしらね」

「じゃあ、それが溜まったら飯にしよう。その頃には肉も焼けてるだろ」


 喜咲は頷いて作業に戻る。

 彼女は開き直って料理を手伝おうとしないが、喜咲は喜咲で仕事をしていた。それも二つ。

 一つは魔術機を使って水の精製。もう一つは魔晶カートリッジ十本への魔力充填である。


 水を生成する魔術機と言うのは、学園がサバイバル用に開発したモノらしい。

 魔晶カートリッジより一回り大きい手のひらサイズの機械で、魔晶カートリッジの魔力を消費して大気中の水分をかき集めるのだ。言わば魔力を使った超除湿器である。


 ただし、コップ一杯の水を生成するのに三十分以上必要。しかも魔晶カートリッジを丸々一本消費してもコップ三杯分しか水を出せない。間宮学園に通う生徒たちの中でも、一二を争う微妙な性能を持つと言われる魔術機だ。

 死都に来る者たちの中でも、コレを持ってこない者は多い――しかし今回はその微妙な魔術機が役に立っていた。


 一応は智貴と喜咲も飲料水を持ち込んではいたのだが、崩落に巻き込まれた際に失っていた。

 そんな状況で魔力嵐に見舞われたため、致命的な水不足に陥っていたのだ。だから水を作り出す魔術機の存在は、まさに天の助けとも言える物だった。

 しかし水を作るための魔晶カートリッジはミノタウロスとの戦闘で全て空になっていた。魔晶カートリッジが空では、当然魔術機は稼働しない。

 本来であれば水を作れる環境にない。だがそれを解決したのが、喜咲が持つ魔術器官だ。


『見えざる魂のインビジブルコーデ』。見えない触手(物質的なものではなく魂的なものらしい)で魔術機と喜咲を接続し、複数の魔術機を遠隔操作できるというエルフ特有の魔術器官だ。

 本来は魔術機を複数、あるいは遠隔操作するための能力だが、その応用で接続した魔術機に魔力を送ることができるらしい。


 もっとも学園の魔術機は繊細であり、規格の異なる魔力を流すと過負荷で壊れたりするため、魔晶カートリッジを介して魔力を流し、魔力を規格にあったものに強制的に変換している。

 更に別の見えざる魂の腕を使って、十本の魔晶カートリッジにも並行して魔力を充填しているのだ。


「なんつーか、大雑把な性格の割に小器用な能力だよな……」

「なにか言った?」

「エルフ様の魔術器官万歳って言ったんだよ」


 智貴の言葉に喜咲が胡乱げな瞳を向けてくる。

 人の言葉を疑うとはひどい奴だ。智貴はこれ見よがしに肩を竦めてみせた。


「って言うか、俺たちはたまたま『浄化の泉ウルザブルン』を持ってたから水とかなんとかなったけど、他のチームはどうしてるんだ? 結構サバイバルするのも大変だろ?」


 話を変えるため、智貴は調理を続けながら疑問に思っていたことを尋ねる。

 水を生成する魔術機『浄化の泉』も微妙と言われているが、智貴から見ればとても有用な代物に思える。


 色々と不便な面もあるが、それでも飲料水を作り出せるというのは非常に強力なものではないだろうか。逆にこれがないケースが、智貴には想像できない。


「二人や三人で、こんな死地みたいな場所でサバイバルってのは割と難しいと思うんだが」


 ましてや智貴のように怪我を負うケースだって考えられる。そうなれば人数はさらに減るのだ。

 智貴たちがサバイバルをできているのは喜咲と小向のチートな魔術器官と、智貴の――自分で言うのもなんだが――無駄に高いサバイバル知識によるものである。


 割と余裕があるように見えるが、しかし実情は割とかつかつだ。何故なら誰か一人がかけていても今の状況は成り立たない。

 他のチームも高いサバイバル知識を持っているのかと思いきや、小向によればそんなことはないらしい。いや、最低限はあるが、やはり智貴の持つ血抜きや解体技術には敵わないと言った方が正しい。


 ならばチートも知識もない中、他のチームは一体どうやってこの状況を乗り切っているのだろうか?

 しかしその疑問に対する小向の答えは実に単純なものだった。


「他のチームは基本的に六人以上いますから、物資とかも持ち込んでてもうちょっと余裕があるんですよ」

「そうなのか?」

「はい。レーションと水なんかも、後衛のメンバーが少し多めに持っていたりしてます。『浄化の泉』なんかは普通は手に持っていないと使えませんし、その割に水の精製には時間がかかりますから」

「――ああ、そうか。ああいう使い方は神宮だからできるのか」


 片手間――と言っていいのかはよくわからないが、喜咲は魔術器官があるからほぼついでのような形で水を生成できている。

 しかし他の者はそうはいかない。何故なら魔術機と言うものは使用者が直接触れていなければいけないからだ。


 水を作るためだけに人員を割かれるのは、そして水を作っている間、ほとんど他のことができないというのは確かに不便だろう。

 ならば最初から水を持ち込めるなら、それに越したことはない。そして他のチームは物量を持ち込むことで水や、その他物資が尽きるのを防いでいるとのことだった。

 そこまで考えて、智貴はふと思う。


「ひょっとして、俺のチーム、メンバー少なすぎ?」

「アナタのチームじゃなくて私のチームよ」

「予想通りのツッコミをありがとよ。でも今はそんなことはどうでもいい、重要なことじゃない」


 むしろ黙れという気持ちを込めた笑顔を喜咲に送ってから、答えを求めて小向を見る。


「えっと、その……」

「気にせず、ズバーっと言ってくれていいぞ」

「じゃあ、その。二人はすこし少ないと思います……」


 説明を求めるように喜咲を見ると、フイ、と視線を逸らされた。どうやら確信犯らしい。


「私は普段なら戦闘能力は二十人前あるから、他のメンバーなんか必要ないのよ」

「そうやってメンバーを集めなかった結果、今日一日で何度も死線を潜ることになったんだけどな」


 少なくとも他のチームのように六人にメンバーの数が届いていれば、こんな大変な目にあうこともなかったろう。

 一方的に智貴が喜咲を睨んでいると、間を取りなすように小向が割って入ってくる。その両手には焼きあがった肉の串が握られていた。


「あ、あの、お肉、焼きあがりましたから、えっと、その……」

「……そうだな。夕飯にするか。おい、神宮。飯にするぞ、水持ってこい、水」


 小向を不安にさせるのは心が痛む。

 智貴は肩を竦めるとそう言って、待ちかねた食事を始めるのだった。






 *





 夕飯は実に満足のいくものだった。

 どのくらいよかったかと言うと、味音痴の小向が食べ過ぎて苦しそうにするぐらいである。

 そうして食事を終えた後、智貴たちはしばらく歓談にいそしんでいた。


 内容は様々。

 学園の話、死都の話。昔はやったゲームの話……は全く通じなかったが、料理についての話はかなり盛り上がった。

 そうして二時間ほど話していると、いつの間にか小向からの返事が返ってこなくなっていた。


「――獅童?」


 違和感を覚えて横を向く。するとそこには三角座りの姿勢のまま、智貴の肩を枕にして撃沈する小向の姿があった。

 満腹になって眠気に誘われたのだろう。


「……昼間も大変だったみたいだしな」


 なにせ崩落のせいで仲間と分断され、挙句にミノタウロスに殺されかけたのだ。そんな目に合っていれば疲れもするだろう。

 起こさないよう静かに小向を横たえて、智貴はそこから離れようとする。しかし小向の元から離れようとした直前、寝ぼけた小向の腕が伸びてきて、智貴の服の裾を掴んだ。


「お、おお?」

「随分と懐かれたみたいね」


 智貴が困った声を上げると、珍しくからかうような口調で喜咲がそう告げた。

 あまり自分から喋ることはなかったが、実は彼女もさっきのおしゃべりが楽しかったのかもしれない。


 ギロリ、と智貴が睨みつけると、喜咲はかすかに口角を上げて、水の精製と魔晶カートリッジの充填に戻る。


「……どうしたもんかね」


 小向を起こさないよう、智貴は小声で呟く。その顔は困惑に彩られていた。

 正確なところは好かれているわけでも、懐かれているわけでもないだろう。


 なにせ小向とはまだあって半日ほどしか経っていない。最後はそれなりに楽しく会話できていたが、初対面では怖がられていたし、なにか特別なことをしたわけではない。


 だからこれは懐かれたわけではない。

 だから――――


「……ヒメ、ちゃん」


 小向が寝ぼけて誰かの名前を呼ぶ。それが誰かはわからない。だが穏やかなその寝顔から、その相手が非常に親しい相手だと推察できる。

 そんな小向の様子に智貴は相好を崩し、


 ――トモキ――――


 記憶の中のアラクネの姿が不意にダブって見えた。

 不意に、彼女が誰に似ていると思ったのか理解する。


 ラグネだ。

 姿も性格も似てはいない。正確には彼女はラグネには似ていない。

 しかし智貴の傍にいようとする態度や、こうして智貴に懐いているような仕草が、どこかラグネを思い出せるのだ。


 自覚して、ズキリ、と再び胸が痛む。

 心がざわめくが、黒い獣の大樹が暴走することはない。そんなことが起きないよう、体に封印の文様を刻み、更に特殊なコネクタを用いることで二重の封印が施されている。

 だから多少心が揺れても、智貴の意識に反して黒い獣の大樹が発動することはない。


 それはいい。

 特別誰かを傷つけたいわけではないから、それは構わない。

 ただ発散されることのない、怒りとも戸惑いともつかない感情が、智貴の胸の内で渦巻いていた。


「……………………」


 無言で小向の指を剥がすと、智貴は喜咲の元へ向かう。

 そして智貴の尋常でない表情に気付いて、喜咲がかすかに眉を顰めた。


「また随分と怖い顔をしているわね。人殺しでも企んでるの?」

「その場合は殺されるのは多分お前だぞ」


 適当に冗談を返して、喜咲の傍に腰を下ろす。そして一際真剣な表情を喜咲に向けた。


「なぁ、悪魔ってなんなんだ?」

「……随分と唐突ね」

「まあな。でも急に気になったんだ」


 今更と言えば今更。しかし改めて考えれば、その存在は非常に疑念が尽きないモノなのだ。


「悪魔はどこから来た? なんでお前みたいに話の通じるやつと話の通じない奴がいる? それと――死都にいる悪魔とわかりあうことはできないのか?」


 疑念は尽きない。その中でも彼らとともにあれないのかという疑念が一際強い。

 死都にいる悪魔の中にもラグネのような悪魔はいる。彼女のような存在と相対した時、できればそれを殺したくない。


 だからこそ、そう言う悪魔たちとわかりあい、ラグネが望んでいたように共生することはできないのだろうか。いや、したいのだ。


「なあ、どうなんだ?」

「……アナタ、そんなことを考えてたのね」

「悪いかよ」

「悪くはないと思うわ。ただ、珍しいとは思うけど」

「珍しい?」

「ええ。人型でない悪魔に対して好意的な感情を向ける人間は、妖混じりを含めてほとんどいない。少なくとも私は会ったことがないわ」

「……そうなのか」


 もっとも、考えてみれば当然だろう。

 悪魔は人類に災厄をもたらした存在。ならばそれに対して好意的な目を向けるのは、不可能なのも頷ける。


「それと死都の悪魔と分かり合えるかって話だけど。それについては私から言うまでもないんじゃないかしら。今日まで死都で過ごしたアナタにはわかるでしょう」


 喜咲の言葉に、智貴は自分の顔がしかめられるのを感じた。

 死都で見た悪魔はラグネを除いて、すべて知能指数が低くなおかつ好戦的だった。あれらと共生と言うのはライオンやヒョウのような肉食動物が、シマウマやガゼルと言った草食動物を襲わずに暮らすようなものだろう。

 わかっていたことだが、改めて聞かされた難易度の高さに、智貴は落胆を露わにする。


「……なあ、本当に無理なのか?」


 だが、それでもやはり諦めきれず、智貴が食い下がる。

「だからそう言ってるでしょう」

「本当の本当にか?」

「しつこいわね」

 鬱陶しそうに言われて、智貴はカチンとくる。

「しつこいってなんだよ。俺はただ、本当に死都の悪魔たちと分かり合うことができないか聞いてるだけだろ?」

「だからそれがしつこいのよ。何度聞かれたところで答えは変わらないってわかるでしょう」


 わかれと言われて、しかし簡単に頷けるようなものではない。

 智貴にとって、その願いは簡単に投げ捨てられるほど安いものではないのだ。


「わからねーよ! お前こそ本当に考えたのか? ただ単に面倒だから思考停止してるだけじゃないのかよ」


 喜咲は智貴の言葉を容易に切って捨てた。その容易さは、なにも考えていないから、最初から諦めているからではないのだろうか?

 本当に考えていたらあんな簡単に切り捨てることなどできないはずだ。

 そうだ。だからまだ答えは出ていない。


「しっかり考えれば、なにか妙案が――――」

「アナタ、いい加減にしなさいよ」


 かすかに声のトーンを低くして喜咲がそう告げた。その瞳はまるで刃のような鋭さで智貴を射抜いている。

 その静かな迫力に、智貴はわずかに上体を逸らしてしまう。


「アナタがなにを思おうと、それはアナタの勝手だわ。そこまでは私もアナタに強いるつもりはない。でも勘違いしないで、私たちの行動の指針は私が決める。アナタにはその決定権はない」

「でも」

「でももクソもないわ。アナタはそう言う契約で、凍結を封印を免れているんだってことをちゃんと理解しにゃさい」


 ……コイツ、シリアスな場面で噛みやがった。

 喜咲はなんでもない振りをしているが、その頬はかすかに赤い。やはり聞き間違いではないらしい。

 さっきまで感じていた迫力は霧散して、そして同時に智貴の頭も冷えてくる。


「……悪かったよ」


 そして自分のさっきまでの行いを振り返って、そう謝る。

 少々熱くなりすぎて、悪い事をしてしまった。


 喜咲も別に悪気があってあんなことを言ったわけではないのだ。ただ彼女は当たり前の事実を智貴に示して見せただけ。

 無理を言っているのは智貴の方なのだ。

 軽く自省する智貴に、しかし喜咲は向ける視線の鋭さを緩めはしない。


「まだ怒ってるのか? さっき謝っただろ」

「そうじゃないわ。そうじゃなくて、アナタ」


 そこで喜咲は言葉を一旦切ると、言葉を選ぶように黙り込む。そしてしばし逡巡した後、その言葉を口にした。


「アナタ、ちゃんと泣いたの?」

「……はあ?」


 彼女は一体なにを言っているのだろうか?

 意味がわからず、智貴は首を傾げる。


「泣くってなんだ? なんで俺が泣かなきゃいけないんだよ」


 それともあれだろうか、遠回しに泣くような目に合わせた事を謝っているのだろうか。しかしそれにしてはその表情に罪悪感のような感情は見られない。

 どちらかと言うと、純粋に智貴を心配しているような顔だ。

 しかし一体なにを心配されているのか。智貴はしばし考えて、一つの結論を出す。


「頭が筋肉に侵されて、ついにぶっ壊れたか……?」

「なにか酷く失礼なことを言われてる気がするけど、そうじゃないわ」

「じゃあなんなんだよ?」

「逆に聞くけど、アナタ、ひょっとしてわかってないの?」

「だからなにをだよ?」


 智貴が尋ねると、喜咲は呆れたようにため息をついてみせた。

 なにを呆れられているのかわからないが、喜咲にそう言った態度をされるのはなんだか癪だ。


 そんな風に唇を尖らせる智貴に、喜咲は立ち上がって近づいてくる。

 なんだろうか。喜咲の気分を害したから、と殴られるのだろうか?


「そんなに警戒しなくてもいいわ。別にアナタを害するつもりなんかないんだから」

「……お前にその気がなくても、俺から見ると害されてるってケースがちょこちょこある気がするんだが」


 具体的に、今日はそのせいで二度ほど死にかけたのだが。


「ああ、もう! いいからされるがままにしてなさい! 壁の染みでも数えてれば終わるわよ!」

「それ、滅茶苦茶不穏当な発言に聞こえるんだけど!?」


 一体なにをされるのだろうか。智貴が慄いていると、不意に柔らかい感触が智貴を包んだ。正面の感触がやや薄いせいか、心音が割とダイレクトに聞こえてくる。

 どうやら喜咲に頭を抱きしめられているらしい、と智貴は遅れて理解した。


「お、あ、え?」

「ちょっと暴れないで。髪の毛が首に刺さって痛いわ」

 今、自分の身になにが起きているかがわからない。

 とりあえず喜咲を痛めつけたいわけではないので、言われた通り身じろぎするのを止める。


「あ、あの神宮さん? 一体なにをしてらっしゃるので?」


 あまりに意味不明な事態に、不自然な敬語が智貴の口を衝いて出た。


「見てわからないの? 抱きしめてるのよ」

「それはわかるけど、何故に抱きしめられてるのかがわからねーです」


 何故喜咲は自分を抱きしめているのだろうか。少なくとも智貴は喜咲を攻略した覚えはない。フラグ建てもしていないのに、どうして今抱きしめられているのかがわからない。

 そんな智貴の問いをスルーして、喜咲は告げる。


「アナタはまず、自覚すべきよ」

「だからなにをだよ?」

「アナタが、アラクネの死を悼んでいることをよ」


 その言葉で、智貴の全ての時間が停止した。


「――――――――――――」


 呼吸が止まり、思考が止まり、意識が全て喜咲の言うアラクネ――ラグネのそれに染まる。

 自分がラグネの死を悼んでいる。


 当たり前だ。

 彼女とは一緒にいた時間は一週間ほどだが、それでも智貴にとって彼女は家族と同じぐらいに大切な存在――いや、彼女は智貴にとって新しい家族だった。

 誰だって家族を失えば、それを悲しむものである。だから智貴がラグネの死を悼むのは当然のこと。


「もう一度聞くわ。アナタ、ちゃんと泣いたの?」


 再びその言葉を言われて、智貴はようやく理解した。

 さっきまで胸にあったモヤモヤとした気持ち。それが悲しみであると。


「ああ、そうか。俺は悲しいのが嫌だったのか」


 自分が抱えるものがわからないから、その解消の仕方がわからない。

 ラグネが以前抱いていた願いを叶えようとしたのも、それが智貴にとってラグネのためにできそうな唯一の事だったからだ。


 それがいくら突飛なことに思えても、しかし元々の始まりの感情がわかっていないから、それが突飛であることに気付けなかったのである。

 でも仮に、その願いを果たせても智貴の気持ちが晴れることはないのだろう。


 何故なら、ラグネの願いを叶えることは現実的に不可能で、そもそも彼女は、既に智貴と言う人間と親しくしていた。


 彼女の願いは既に叶っていたから。


 智貴が行おうとしていたそれはただのエゴ――いや、ただのへたくそな思い込みだ。

 そんな思い込みでは。智貴の心は癒せない。

 悼む心を癒すモノは、いつだって別のもの。もっと単純なものだから。


「アナタは今、泣いていい」


 葬式と言うモノが死人ではなく、生きた人間のために行われるものであるなら、ラグネの葬式はきっとこの時行われたのだろう。


 智貴の瞳から一粒の雫が頬を流れる。

 それは智貴が初めて死者を思って流した涙。

 亡き家族を思って流して涙。

 ラグネが大切なものだった、証の涙。


 智貴は喜咲の腕の中で涙を流し続ける。

 ラグネを失ってできた、心の穴を埋めるように、涙は幾らでも溢れ出てくる。

 涙の量が、ラグネの存在の大きさを表す。


 その日の夜、結局智貴の涙が尽きることはなく、気付けば母に抱かれる赤子のように、泣き疲れて眠りに落ちるのだった――――


































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