第四章 死都東京
熱が夏い……ので遅れました。ごめんなさい。
次は来週中に投稿できるといいなぁ。
*
「し、死ぬ死ぬ死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬぅ!」
智貴は絶叫のような泣き言を零しながら、廃墟の中を駆け抜ける。
「待ちなさい、この、待て! 待たないと全身に風穴開けるわよ!」
「もうすでに開けようとしてるじゃねえか! てか、そんな台詞で誰が止まるか! ボキャ貧か手前!」
「誰が貧乳ですって! 撤回しないとぶち殺すわよ!」
「言ってねえし! 貧しかあってねえよ!」
「また言いやがったわね。殺す、確実に殺す!」
「だから言ってねえってのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
コントか痴話喧嘩。そうとしか聞こえないやり取りを交わしながら、二人は廃墟になった街の中で命がけの追いかけっこを繰り広げていた。
何故こんなことになっているのか。
無事待ち伏せから逃げ出した智貴だったが、しかし槍の少女は智貴を諦めなかったからである。
彼女はすぐに追いかけてきて、そして今に至る。
跳んで、跳ねて、屈んで、回って。見方によっては踊っているような動きで、智貴は背後から迫る槍を回避していく。
正直、今生きているのが不思議なぐらい、それはぎりぎりの攻防だった。
ラグネの糸玉のおかげで槍の数は少しは減らせたようだが、それでもその数は多く、更に言えばその威力も高い。
どのくらいの威力があるかと言えば、流れ弾を喰らったそこらにいる化物の頭が一発で消し飛ぶレベルだ。
智貴も喰らえば、当たった部分が消し飛ぶだろう。
そもそもどうして追いかけてくるのか。自分を追いかけてきてなにがあるというのか。
しかしそれを問いただしている余裕はない。それに問いただしたところで、完全にヒートアップしている彼女がちゃんと答えてくれるとは思えない。と言うか、完全に意地になっているだけだろう。
よほど貧乳呼ばわりされたことが気にくわないらしい。
つまり、向こうが諦めるか体力が尽きるまで、智貴を追いかけることは止めないと言うことだ。
そう考えると、このまま振り切るのは難しい。なにせ少女は直線的な動きで追いかけてきているのに対して、智貴はもはや言葉では形容しがたい謎の動きを駆使して逃げているのだ。単純な話、智貴は少女の三倍体力の消費が激しい。このまま鬼ごっこが続けば、先に体力が尽きるのは十中八九智貴の方だろう。
槍の少女から逃げるには、なんらかの策を練らなければならない。
しかしそんな策、すぐに思いつくわけがなかった。
使えそうな物がないか考えてみる。少し前まで背負っていたナップサックは、槍の少女の攻撃によって、当の昔に消し飛んでいる。ラグネの糸玉もなく、あとはせいぜい腰に巻いているベルトぐらい。つまり結論、使える道具は手元にはない。
ならば周囲になにかないか。智貴は首を巡らせて、地下への出入り口を発見した。
ひょっとすれば、あれが使えるのではないか。
智貴は降って沸いた閃きのまま、直ぐ近くの路地裏に飛び込んだ。
「――やっと追いつめたわよ」
そして直後、追いかけてきた槍の少女が、そう言って足を止めた。
何故少女が足を止めたのか。そこが袋小路で智貴の逃げ場がなかったからである。
袋の鼠。そんな言葉が智貴の脳裏をよぎった。
「フフフ。さあ、私を貧乳呼ばわりしたことを土下座で謝罪してもらいましょうか」
「なあ、それ追いかける理由変わってないか?」
少なくとも貧乳がどうのと言った話は、逃走劇の最中の出来事だったはずだが。
だが、考えようによってはちょうどいいのかもしれない。
「まあいいや。あんたを貧乳呼ばわりしたことを謝って欲しいって話だが……断る。貧乳を貧乳と言ってなにが悪い。悔しかったら豊胸手術を施して出直して来い。もっともそれで得られるのはあくまで偽乳で、お前は結局貧乳であることに変わりはないがな」
ハッハッハッハ、と精々馬鹿にするように指を指して笑ってみせる。
そして次の瞬間、智貴はなにか線が切れるような音を聞いた気がした。
「――他に言いたいことはあるかしら?」
「なんだ? 今度は励ましの言葉でも求めるのか? だったらこの言葉を送ってやろう。貧乳にかける情けはない」
「オーケー。ならそれを遺言として地獄に落ちろ、巨乳主義者の非人間が……!」
カッと目を見開き、少女の周囲に彼女の持つ槍が全て展開される。
そして確実に智貴を殺すためだろう。今までにはなかった回転が空中を漂う槍に施されていた。
あ、これ。マジでやばい奴だ。
思った以上にヤバそうな音に、智貴は反射的に制止の声を上げようとするが、しかし時すでに遅し。
「ちょ、ま―――――」
「死んで侘び続けろ、このクソ男!」
智貴の声を遮って、少女が掲げていた腕を振り下ろす。そして大量の回転する槍が智貴めがけて降り注いだ。
智貴は全力で――今までも全力だったが、それ以上に全力で――その攻撃を回避する。
そして、大砲のような威力の槍が地面を穿ち――地面が崩落した。
「は?」
驚いたような少女の声。対する智貴は冷や汗を浮かべながらもしたり顔である。
もちろん地面が崩落したのは偶然ではない。
この辺りは地下モールが存在しており、他より地面が崩落しやすくなっているのだ。
先日、現に智貴は化物から逃げていた際、崩落に巻き込まれて難を逃れている。それを思い出した智貴は人為的にそれを引き起こしたのである。
さっきの挑発も、槍の少女に全力を出させるためだ。
そしてその甲斐あって作戦は成功し、無事地面は崩落した。しかし槍の着弾点と少女がいた場所には僅かながら距離があったためだろう、少女がいた場所はすぐに崩落することなく、驚きながらも少女はその場を脱そうと足に力を溜めるのが見えた。
「死なばもろともだ、こん畜生!」
そんな少女を逃がさないとばかりに、智貴は崩れ行く地面に巻き込まれながら神速の勢いで少女の服を掴む。
「キャッ! ど、どこ掴んでるのよ!」
非難の声が聞こえてくるが、智貴は決して手を離さない。
そして二人は崩れ行く地面に飲み込まれ、少女は悲鳴を、智貴は高笑いを上げながら暗い地下に飲み込まれるのだった。
*
「イテテテテ……」
意識を取り戻した智貴は、痛む頭を擦りながら上体を起こした。
気絶していたせいだろう、一瞬なにがあったのかわからなかったが、すぐに自分で引き起こした崩落に巻き込まれたのだと思い出す。
「半ば賭けみたいなもんだったけど、うまくいったみたいだな」
よかったよかった、と頷きながら上を見上げると、地面に開いた穴から空が見えた。高さ的には十メートルかそこらと言ったところらしい。空いた穴から陽光が降り注ぎ、明るさには困らなさそうだった。
「って、そうだ。アイツは?」
一緒に落ちてきたはずの少女を探して首を巡らし、すぐ傍にうつぶせに倒れる探し人を発見する。
背中が上下している所から、どうやら息はあるらしい。そのことに安堵して、そこで少女の姿に違和感を覚えた。
「ヘッドホンが……」
落下した際に外れたのだろう、少女が身に着けていたヘッドホンがどこかにいき、その下に隠されていた耳が露わになっている。
それだけであれば大して気にするようなものではない。だが問題は、その耳が地球人類のそれに比べてはるかに長いことだった。
「エルフ……?」
意識せず、そんな単語が口からこぼれ出る。すると、それに反応したように槍の少女が薄目を開けた。
しばしぼんやりとした表情で体を起こし、当たりを見渡してから智貴に気付いた。そして瓦礫を拾って智貴を睨みつけてくる。
「待て待て待て! 俺に敵対する意思はない。上で言った発言は全面的に撤回するし、降伏するからその瓦礫は下ろしてくれ!」
左手で制するようにしてそう言うと、胡乱げな瞳を向けながらも、少女は投げようとしていた瓦礫を下ろして見せた。しかしまだ警戒は完全に解いていないのか、少女の手は下ろした瓦礫にかかったままである。
「ケホッ」
少女が埃を吸引して咳をする。そこで彼女の顔が砂ぼこりで汚れていることに思考が至った。
「と、とりあえずこれで顔でも拭けよ」
どうにかして警戒を解こうと、智貴はとっさに右手に握っていた布を差し出し――――そして場が凍り付く。
何故なら智貴が差し出したそれは、崩落する寸前に掴んだ少女のスカートだったからだ。
今更ながら少女は、自身の下半身を覆う純白の布が丸出しである事に気付き、
「なに持ってるのよ、この巨乳主義のセクハラ変態野郎!」
もっともな抗議と共に少女は瓦礫を投げつけた。
謝罪に三十分。更に誤解を解くのに三十分、計一時間の時間が経過した。
「――つまり、私を話し合いのテーブルに着けるため、あんな無茶を働いたって言うことなの?」
「はい、その通りでございますお嬢様」
槍の少女の機嫌を取るため、やたらかしこまった口調で、智貴は肯定の言葉を返した。
智貴が槍の少女を崩落に巻き込んだ理由。それはもちろん槍の少女のスカートを脱がすためではない。
彼女を崩落に巻き込み、戦闘を中断することでなんとか話をできないかと考えたためだ。
結果は上々。様々なサプライズや問題こそあったが、なんとか当初の小目標である人間とのコンタクトに漕ぎつけることができたらしい。
「そう言うわけで、色々と不手際はありましたがそれらはすべて意図的ではなく、偶発的な事故であったのだと理解していただきたく存じます」
「事故、ね……」
槍の少女はそう言って腰に手を当てる。そこには彼女の着ていた上着が巻かれていた。
スカートは智貴のせいでファスナーが壊れて使い物にならなくなっており、着ていた上着をスカート代わりにしているのである。ちなみにヘッドホンは瓦礫に挟まれて完全におしゃかになっており、地球人類にあるまじき長い耳は外気に晒されたままだ。
「まあいいわ。状況が状況だったわけだし、他にやりようがなかったのもわからないじゃないもの……あとその似合わない喋り方は止めてくれない? ものすごく気持ち悪い」
「気持ち悪いとはひどいな。これでもうちの妹には大好評なんだぞ」
「アナタの妹さん、趣味が悪いんじゃないの?」
真顔で言われて少しへこむ。
だが妹と目の前の少女、どちらの言い分が一般的かと言えばおそらくは目の前の少女の方だろう。
ああいうのはイケメンのみ許される言動なのだ。そして智貴はどちらかと言うと、イケメンと言うよりはコワメンだ。強面なメンズ、略してコワメンだ。
なにせ、初見の幼稚園児が高確率で泣くレベルである。そんな顔でどこぞの執事のような口調をすれば気持ち悪い――違和感が生じるのは当然のことである。
「まあ、いいや。そんなわけで色々聞きたいことがあるんだけど、どうよ。話し合いに付き合ってくれないか?」
「……いいわ、こっちとしてもアナタには聞きたいことがあるし。情報交換と言うことなら、アナタの提案に付き合ってあげる」
「情報交換か、いいね。なら最初はお互いの名前の交換といこうじゃないか。俺の名前は穂群智貴。アンタの名前はなんて言うんだ?」
「神宮喜咲よ」
「へー。なんつーか、外人みたいな見た目の割に和名なのな」
「なによ、悪い?」
「いや、それはそれで趣のあるいい名前だと思うぞ」
智貴が褒めると少なからず嬉しかったのか、少女――喜咲はかすかに頬を紅くしてそっぽを向いた。
智貴はそんな喜咲に苦笑しながら右手を差し出す。
「じゃあそんなわけでよろしくな、神宮」
「……ふん」
喜咲はそっぽを向いたまま、その手を取ってみせた。
「さっきはアナタから質問したのだから今度は私から質問させなさい」
しかし恥ずかしかったのかすぐに手を離して、喜咲がそう言ってくる。特に断る理由もないので、智貴は頷いてみせた。
「アナタはこんなところでなにをしているの? 少なくとも間宮学園の生徒じゃないわよね?」
「初っ端から答えに困る質問だな。とりあえず間宮学園ってのは知らねー。俺が通ってたのは志崎高校って都立高校だ。で、なにをしてるかって言われたら生命活動してるとしか。少なくともこんな廃墟の中にはいたくないとは思ってるな」
だがラグネと別れるのは少々寂しい。仮にこの廃墟を出ることになった時、ラグネも一緒に来てくれれば嬉しいのだが。
そんなことを考える智貴に向けられる視線は厳しい。どこかふわふわした智貴の物言いに信用が置けないのだろう。
智貴としても喜咲が納得できるような答えを返してやりたいところだが、しかしあれ以上答えようがないのだから仕方がない。
「ならなんでアナタはここにいるのよ?」
「順番的に俺のターンだと思うんだけどな……まあ、いいや。今回はサービスってことで」
正直、中身があるようでないような回答だったのだから、これぐらいはサービスしてもいいだろう。
智貴は自分がどうしてこの場にいるのかを説明した。
すなわち、妹と新宿で落ち合う約束をして、電車で寝落ちしたら東京が廃墟になっていた、と言う内容を。
「にわかには信じがたい内容ね」
予想通りの答えに、智貴は再度苦笑する。
立場が逆なら、智貴も似たようなことを返すだろう。それほどに、智貴の言葉には真実味がないものだ。だから更に続いた言葉に、智貴は思わず目を見張った。
「……でもありえなくは、ないのかもしれないわね」
信じてくれた、のだろうか?
今の突拍子もない話を?
思わず聞き返しそうになって、智貴はしかし自制する。
聞きたい気持ちは山々だが、しかしその前にどうしても聞いておきたいことがあるのだ。
「じゃあ今度こそ俺のターンだ。東京はどうして廃墟になったんだ? あの化物たちがやったのか?」
まずはなによりこれを聞いておかなければならない。
自分の置かれている状況を正しく理解できなければ、まともな判断を下せないのだから。
「そうか、さっきの話が本当なら、ここでなにが起きたのか知らないのも当然ね」
納得したように頷いて、喜咲は東京になにが起きたのかを教えてくれた。
地獄変。
東京に起きたその災厄はそう呼ばれているらしい。
十年前、唐突に黒い柱門が現れ、それが次元に穴を開けたらしい。そしてそこから大量の化物――悪魔が現れたのだ。
悪魔は街を破壊し、人類の支配領域を侵した。
癌のように広がる悪魔の浸食を防ぐため、人類は東京に三重の壁を設置。そして東京に悪魔を封じ込めたのである。
「えーと、なんだ。そう言う漫画の設定か?」
「現実よ。漫画じゃないわ」
どうやら漫画じゃないらしい。いや、知ってはいたけれど。
実際問題として東京には化物が溢れ、廃墟と化している。
空は虹色に染まり、謎の黒い柱が新宿辺りから伸びている。確かに漫画のような話だが、現実問題として目の前に広がっているのだ。
ならばこれは漫画ではなく、やはり現実なのだろう。
どれだけ現実離れしている光景でも、これはやはり現実なのだ。
「これが夢だったらよかったのにな……」
なんとなく呟いて、しかし直ぐに思い直す。
そうなるとラグネにも会えたことも夢扱いになるのだ。それは嫌である。
「……次は私の番ね。アナタの目的はなに?」
「妹の……家族の安否を確認すること、かな。ついでに困ってるようなら助けたい」
「帰りたいわけじゃないの?」
「それは家族次第かな。迷惑じゃなきゃ帰ってもいいかな、とは思うけど。それ以上は実際会ってみないとわからねえな。なんせ……」
「なんせ?」
「あ、これ俺の質問な。地獄変が起きたのが十年前って本当か?」
「ええ、本当よ」
「なら昔とはずいぶん変わってるだろうし……俺が帰ってもひょっとしたら迷惑かもしれないからな」
十年。自分で言って、その時間の長さに驚く。
妹はそれだけの時間があれば小学校に入って中学を卒業できる。ならば父や妹もすでに新しい生活基盤を築いていてもおかしくない。
そしてそこに智貴の入る隙間がないのだとしたら――無理をしてまで智貴はそこに割り込みたいと思わない。
「……さっきもそうだったけど、十年も経っているって聞いて、あんまり驚かないのね」
「そりゃあ、こんなもん見ちまったらな」
そう言って、智貴は上を仰ぎ見る。
そこには天井を突き破って生える全長二十五メートルほどの巨大な木だ。
智貴たちは安全のため、崩落した現場から移動していた。そして安全な場所としてこの木の下を見つけたのである。
明らかに長い年月をかけて木が生えたと思しき、その場所を。
最初は空腹の具合などからそこまで時間が経っていないかと思っていた。だが東京の荒廃具合や、明らかに地獄変以後に生えたと思しき木がここまで育っているのを見れば、嫌でも長い時間が経過していると思わされる。
「ここには時間経過を感じさせるものしかないからな、嫌でも信じざるを得ないだろ」
「そう」
「納得してくれたなら、ほれ。今度はアンタのターンだぞ」
「なら、アナタはその気付いたら十年経った件。どう思っているの? どうしてそんなことが起きたか、アナタの考察が聞きたいわ」
「いや、知らんよ」
喜咲の問いを切って捨てると、非常に冷たい視線が智貴に突き刺さった。
そんな顔をされても困る。実際、なんで自分の身にそんなことが起こったのか智貴にはわからないのだ。
「あー、あれじゃねえの? ほれ、アンタらが言う俺の魔力? みたいのが地獄変に反応したんじゃねーの」
「まるで今考えたみたいな答えね」
「そりゃ、その通りだからな。実際、なんでそんなことが起きたのか皆目見当がつかないって言うのが本音だし」
そう言えば目を覚ます直前、なにか夢を見た気もしたが、関係あるのだろうか?
もっとも内容を覚えてないし、今ではただの思い違いのような気がするので言わないが。
「逆に、アンタはどう思ってるんだ?」
「……アナタの魔力が地獄変に干渉した結果」
「同じじゃねーか!」
喜咲も今考えたのではないだろうか。
智貴が半眼を向けると、喜咲はそっと目を逸らした。
「ま、いいや。今度は俺の番だよな。地獄変が起きて人類は無事なのか?」
さっき聞いた感じでは地獄変が起きた際、少なからず被害は出たようだ。その規模はどの程度だったのだろうか?
何度か人間と遭遇した感じだと文明が滅ぶレベルの打撃は受けていないようだが、一応確認しておきたい。
「そうね。地獄変は世界七か所で同時発生したけれど……」
あれ? 予想以上に大変なことになってないだろうか?
「軽傷を含めた死傷者数はおよそ二十万人。規模の割には少な目ね。地獄変の起きた都市が全部死都になっているのを除けば、悪魔の生息域が広がる気配はないし……起きた災害の規模を考えれば被害は軽微とのことよ」
「二十万……それで軽微なのか」
正直、数が大きすぎて全く想像がつかない。
だが確か東京の人口は百万人を超えるとのことだ。その五分の一。そう考えれば全世界で二十万は、確かに少ないのかもしれない。
「東京の地獄変は新宿が中心地なんだったか? 被害はどれくらいだったんだ?」
「そこまで細かいところはわからないわ。でも日本は数少ない首都で地獄変が起きた場所だから他より少し多いかも。七万……ひょっとしたら八万に届くかもしれないわね」
新宿を中心に八万。そうやって聞くと、妹が無事なのか心配になってくる。
なにせ妹は地獄変に中心地たる新宿にいたはずなのだ。
無事だとは思う。思いたい。だけどそうでなかったら?
その時自分はどうするべきなのか、智貴にはわからなかった。
なんにせよ、ことが起きたのは十年も前の話だ。ならば今更ジタバタしても仕方がない。智貴は自分にそう言い聞かせて気を落ち着かせる。
「なんだか顔色が悪いみたいだけど」
「いや、大丈夫だ。それより今度はアンタのターンだぞ」
「それだけど、私が聞きたいことは残り一つだけだから、あとは全部アナタが質問していいわよ。私はそれらが終わってから尋ねさせてもらえれば構わないわ」
それは助かる。正直智貴は知りたいことが多いが、智貴から提供できる情報は少ないのだ。
喜咲は割とツンケンしているが、存外いい奴なのかもしれない。
「じゃあ、あと聞きたいことは……俺がなんで襲われたのかと、俺を襲ってきたアイツらはなんなのか。それとアンタのその耳はなんなのか、かな」
何故智貴の十年時を超えたと言う話を信じてくれたのかも気にはなるが、智貴を襲った理由を聞けばわかるかもされない。
「まだ色々あるのね……とりあえず最初の質問は後に回すとして、それ以外を答えるわ」
「おう」
「アナタたちを襲ったのは間宮学園の生徒よ」
「間宮学園?」
「ええ、この死都の管理と魔術師の育成を行っている学園。そこに通う生徒たちは訓練と間引きを兼ねて、死都に悪魔を狩りに来るのよ。そしてアナタを悪魔と勘違いして襲った」
随分と物騒な勘違いである。
そういうのは実に勘弁願いたい。
「そして次は私ね。耳が長いのは私が悪魔の一種であるエルフだからよ」
「は? 悪魔? 悪魔って外を跋扈してるような化物どもじゃないのか?」
「悪魔って言うのは、簡単に言えばこの世界には本来いない存在の総称なのよ。アナタの知る十年前の世界にエルフなんて種族は存在しなかったでしょう? だから見た目が人間に似ていて、言葉が通じてもそれは悪魔。アナタの知る人類とは別種の存在なのよ」
「つまり動物と人間、みたいな区分の仕方なのか?」
人間も大雑把に言えば動物の一種だ。エルフも同じように悪魔の一種と言うことか。
その考え方であっていたようで、喜咲は肯定するように頷いた。
だがなにかおかしい気がする。なにがおかしいのだろうか。智貴は考えて、そして気付く。
喜咲が着ている服は彼女の言う間宮学園の生徒たちのそれと同じものだ。
つまり間宮学園には悪魔も入ることができる?
微妙に日本の学校にあるまじき懐の深さに思えるのは、智貴の性根がひん曲がっているからだろうか。
「さて、それじゃあ最後の質問ね」
そんな智貴の内心をよそに喜咲は話を進める。
気にはなる話だが、しかしそこまで重要な話とも思えない。智貴は質問を重ねることなく先を促す。
「ああ、俺がなんで襲われたのか教えてくれ」
なんでも智貴を襲った連中は、智貴の持つ魔力が特殊とか言っていた気がする。
それがどういう意味を持つのか、しかし智貴にはよくわからないのだ。
――本当に?
不意に、そんな声がどこからともなく聞こえてきた気がした。
だが智貴は動揺を表に出さない。それが誰の声なのか、わかっているから。
だからいつも通り、わからない振りをして喜咲の言葉に耳を傾ける。
「アナタの持つ魔力は、本来通常生物が持つことができない魔力なのよ。そして更に言えば存在するだけで危険な魔力」
「具体的にはどう危険なんだ?」
「アナタを放置しておけば、もう一度地獄変が起きかねないわね」
「それは……随分と危険だな」
「なんだか他人ごとみたいな言い方ね」
「そりゃあ地獄変が起きた時、俺は意識がなかったわけだからな。地獄変が起きるって言われても、なんつーか、実感がわかないんだよ」
「……………………」
何故か半眼を向けられた。なにかを疑われているようである。
なにを疑っているのか知らないが、清廉潔白なこの身を疑うとは、なかなかひどい奴だ。
そうやって見つめ合うこと約一分。諦めたように喜咲はため息をついて、視線を切る。
「まあいいわ。誰にだって秘密の一つや二つはあるだろうし」
「そうそう、あんま深く考えなさんな。考えすぎは毛髪によくないぜ」
「……アナタに言われるのはなんか癪だけど、とにかく、アナタは存在するだけで危険な存在だって言うのはわかってもらえたかしら?」
「まあ、なんとなく」
「これでアナタの質問は終わりでいいのよね?」
「ああ、いいぜ」
智貴が答えると、喜咲はわずかに身を乗り出して、言った。
「なら私からの質問……いえ、提案と言うべきね。アナタ、間宮学園に来るつもりはない?」
「学園に? なんで?」
まさか魔術を教えたいから、と言うわけではあるまい。
「学園に行けばアナタのその魔力を封印することができるかもしれないからよ。さっきも言ったけど、このまま放置しておけば、また地獄変が起きるかもしれない。そしてそれが起きた際、アナタの体が無事で済む保証はない」
「でもそれは、学園に行っても無事解決するって言う保証もないんじゃないのか?」
「でもこの死都にいては絶対に解決しないわ。それともアナタは他にどうにかする当てがあるのかしら?」
そんな物はもちろんない。
そしてそれは言うまでもなく、喜咲もわかっていることなのだろう。しかしだからと言ってここで即座に頷くことは、智貴にはできなかった。
「仮に学園に行って、俺の魔力とやらを封印できなかったらどうなるんだ? 俺は殺されるのか? 生憎と家族の安否がわかるまで、俺に死ぬつもりはないんだが」
「殺すことはしないと思うわ。ただ最悪、アナタごと魔力を封印するって言う可能性はあるけれど」
「どっちにせよ、それだと俺の目的が果たせないと思うんだが」
「そうでもないわ。アナタの家族の安否を確認するだけなら、学園側で調べることもできるもの。封印する交換条件として提案すれば、学園も快く快諾してくれると思うわよ。なんならその後のサポートを頼んでも問題ないぐらいでしょうね」
「それで地獄変を防げるなら安いもん、ってことか」
「ええ。それにアナタが望むなら、可能な限りアナタを封印しないよう、私が口添えすることもできるわ」
「口添え? アンタが?」
その行為のどこに喜咲のメリットがあるというのか。今度は智貴が喜咲にいぶかし気な視線を向ける。
「もちろん、ただの善意じゃないわ。私はある物を探しているの。アナタの封印を回避できたら、私の探し物を手伝って欲しいのよ」
ふむ、と智貴は取引の内容を検証してみる。
自身の魔力の封印に対し、対価として家族の安否確認。危惧すべき点は智貴ごと封印される可能性があると言うこと。ただし喜咲に協力すれば、智貴が封印される可能性が下がるかもしれない。
リスクはある。だがそのリスクは彼女の提案を受けなかった場合、さらに悪化する危険性がある物だ。
そう考えるなら、喜咲の話は悪いものではないように思える。
唯一警戒しなければいけないことがあるとすれば、彼女の話が嘘で、智貴が実は危険でもなんでもない場合だが……状況を鑑みるにその可能性は低い。
少なくとも智貴が危険でないなら、件の間宮学園の生徒に襲われるはずがないからだ。
「わかったよ。アンタのその提案を飲もう。間宮学園に行ってやるよ」
しばしの思考の末、智貴はそう結論を出した。
どのみち、他の人間とコンタクトを取っても、これ以上の結果を得ることはできないだろう。
ならばこれはいい機会と言える。むしろここを逃せば、次はいつこのような機会に巡り合うことができるかわからない。
これがベストな回答かはわからないが、少なくともベターな回答ではあるだろう。
「そう。ならせいぜい、アナタが封印されないよう努力させてもらうことにするわ」
「ああ、頼むわ」
そうして、二人の間で約束が成立されたのだった。
*
そして智貴たちはさっそく学園に――向かわなかった。
理由は単純。
智貴がラグネに挨拶をしたいと思ったからだ。
喜咲の話によれば、事が上手く運べば、智貴は間宮学園の生徒になるらしい。
ラグネも一緒に間宮学園に連れていければよかったが、学園には完全な人型の悪魔以外は連れていけないらしい。
ましてやラグネは知能こそ高いが、人語は拙く、人間の常識にも疎い。学園に連れていってもトラブルの種となり得る。
モルモットとしてなら連れていけないこともないらしいが、そうするには様々な手順を踏む必要があるらしい。
だが智貴はまだ学園にもいってなければ、そもそも封印されずに済むかもわからない状態だ。
そんな状態でラグネを学園に連れてはいけない。
それこそ最悪、モルモットとして切り刻まれ、貴重な悪魔のサンプルとしてホルマリン漬けにでもされかねない。そうなったら後悔で死ぬに死にきれないだろう。
故に、智貴は一度ラグネと別れて、準備を整えてから彼女を迎えに来ようと考えていた。
もちろんラグネが嫌がるなら、学園には連れていかないつもりである。できれば来て欲しいとは思うが、しかし無理強いもしたくない。
どちらにせよ、一度は別れる必要があり、そしてラグネの意思確認を行う必要がある。
だから智貴はそれらの事情を話すため、一度拠点に戻ってきたのだ。
ちなみに長くなることが予想されたので、喜咲には外で待ってもらっている。どうやらスカートのない状態で、智貴の傍にはあまりいたくないらしい。
一体彼女は智貴をどんな変態だと思っているのか問いただしたいところだが、今回は置いておこう。それよりも今はラグネだ。
ちゃんと話せるだろうか。話したところで、理解してくれるだろうか。理解してくれても、智貴に学園に行ってほしくないと言われたらどう対処すべきか。
今更ながら不安になってきて智貴は、眉を顰める。
話す前にご機嫌取りで食事を作ってやった方がいいだろうか。
そんなことを考えながら智貴は廃ビルの中を歩き、しかし不意に違和感を感じて足を止める。
いつもの廃ビルとはどこか臭いが違う気がした。この臭いは――――
「血の、臭い……?」
違和感の正体に気付いた瞬間、弾けるように駆けだした。
階段を駆け上がり、崩れかけた廊下を駆ける。その途中、人の声が聞こえてきて、智貴は息を顰める。
「クソ、コイツ! コイツ!」
「それぐらいにしたらどうですの? 死体蹴りはあまり趣味がいいとは言えませんわ」
「いいんだよ、コイツには散々苦労させられたんだ。これぐらいしても罰は当たらねえよ!」
「ですが……」
「うるせえって言ってんだよ!」
誰かと誰かが言い争う声。その声はどこか聞き覚えがある気がしたが、正直、そんなことはどうでもいい。
何故こんなところに人がいるのだろうか。
そして人がいるというのなら、ラグネはどうしているのか。
狩りに行っているのか、それとも別の部屋に行っているのだろうか。
「どうしたの、桃李? なんだか顔色があんまりよくないけど」
「いえ、その少し嫌な想像をしてしまいまして……」
「嫌な想像?」
「ええ、あのアラクネ、妙に身ぎれいですし私を見つけても攻撃しようとしなかったので」
「言われてみれば確かに。でもそれってそんなに気にするようなこと? ちょっと珍しいアラクネだったってだけじゃない」
「そう、ですわね。ええ、そう考えるべきかもしれませんわ」
身ぎれいなアラクネが、なんだって?
攻撃? アイツがそんなことをするわけがない。
アイツは人間が好きなのだ。手を出されない限り、アイツが手を出したりはしない。
だったらこの臭いは、この血の香りは、一体誰の物なのか。
「ひょっとしてあれかな? 例の賞金首。アイツと一緒に暮らしてて、アイツがアラクネの身だしなみを整えてたとか」
「マジかよ!? だったらここで待ってたらアイツ帰って来るんじゃねーか? ラッキー。だったら、今日はダブルで賞金ゲットできるじゃねーか!」
「あー、じゃあトラップでも作っておく? 適当に糸でも張って、あとはこの死体を目立つ床に置いておけば、簡単に誘導できるでしょ」
死体?
死体とは、一体なんの死体だ?
考えたくない。確かめたくもない。
しかし考えないわけにはいかない。確かめないわけにもいかない。
いつの間にか止まっていた足を、震える足を、智貴は一歩前に踏み出す。そして更にもう一歩、更に一歩前に出す。
そうしてゆっくりと床を踏みしめ、いつも寝床に使っている部屋の前に辿り着いた。
部屋の中を見ると、複数の少年少女たちの姿が見えた。
ああ、彼らは知っている。この死都で最初に出会った人間だ。その内の一人、長い黒髪の少女が智貴に気付いて瞳を震わせる。
それはどのような感情故だったのか、しかし智貴に考えている余裕はなかった。何故なら智貴の視線は少年たちのさらに奥に向けられていたからだ。
そこに、それはあった。
八本あった足の三本を失い、二本を無残にひしゃげさせ、蜘蛛の頭を半分ほど失ったよく知る異形。
それはつい先日まで一緒に食事を取っていた異形で、この一週間ずっと智貴を支えてくれていた異形。そして智貴が唯一無条件で信用できる異形。
アラクネのラグネ。その死体が転がっていた。
それを理解した瞬間、獣の匂いにのする濃厚すぎる黒が、智貴の思考を支配した。