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剣と魔女と魔王の乱舞(ディソナンスワイルドダンス)  作者: 知翠浪漫
第一部 魔王降臨
22/41

第二十一章 死を求める愚者

 





 *




「神宮!?」


 突如現れた喜咲の姿に、智貴は思わず驚きの声を上げた。

 喜咲が来ること自体はいい、しかし今の彼女の言い方は、まるで智貴たちがラグネと戦っていることを知っているかのようだ。一体どういうことなのか。


「話は後よ。今は彼女の相手が先決でしょう」


 喜咲がそう告げる。

 確かにその通りだ。今はラグネをどうにかする方が先だろう。


 そう思った矢先にラグネが智貴に突っ込んできた。

 どうやら新しい敵が増えても優先対象は変わらないらしい。いや、草薙悠馬が絡んでいるなら、そもそも喜咲は攻撃対象外、あるいは優先順位が低く設定されているのかもしれない。


 そんなことを考えながら、智貴は横へ大きく飛んで回避する。ラグネは智貴を追いかけるべく、片側の足を地面に突きさしてクイックターン。体の向きが智貴に向いたところで、その身を複数の槍が襲った。

 喜咲の魔術機『八脚の神馬槍』である。


 十本に及ぶ槍はラグネに突き刺さりはしなかったが、しかし幾らかの衝撃と傷を与えることはできたようだ。

 初めて後ろへとたたら踏むラグネの姿に、智貴は目を丸くする。しかし直ぐに智貴は喜咲へ声を飛ばす。


「神宮、気を付けろ! ラグネの糸は魔力でなんにでも引っ付くぞ!」


 そんな智貴の言葉を実証するように、ラグネが指先から複数の糸を放つ。それらは空中を飛び回る槍襲い掛かり、グルグルと巻きついた。そしてラグネは糸を操り、槍を一つの塊へと変えてしまう。

 声をかけるのが遅かったか。智貴は後悔の念に駆られるが、


「無駄よ」


 なんの気負いもない喜咲の一言。同時に糸に捕らわれていた槍が動き出した。

 塊となっていた槍はそれぞれが外側へ飛び出そうとすることで、白いウニのような姿となり、やがて糸を引きちぎって槍が外へと飛び出す。


「やっぱり前に比べると糸の強度が落ちてるわね」


 いや、そう言う問題か。智貴は内心で突っ込んだ。

 サイボーグ化すると魔術器官の出力が落ちるというのは聞いていたが、しかし粘着力の強い物が刃物に付けば、それだけで切れ味が落ちるはずだ。


 それを喜咲は、よりもよって魔術機の出力だけで無理やり斬り裂いてみせたのである。

 まさに脳筋ここに極まれり、と言った感じだった。


 喜咲の攻撃は止めることができない。ならば狙うべきは本体だと思ったのだろう。ラグネは喜咲に向かって糸を放つ。

 しかし喜咲はいち早くそれを察すると、腰の背後につけていた『突き刺す守り』を抜いて障壁を展開。ラグネの糸を防いで見せた。


 そして腰にぶら下げていた『無尽の弾丸』で発砲。しかし誠二が攻撃した時と違って蜘蛛の口は閉じられており、弾丸は全て固い皮膚によって防がれてしまう。だが牽制としての効果はあったらしい。ラグネの糸による攻撃の手が緩み、そこに喜咲は『八脚の神馬槍』を叩き込んでいく。


 一撃必殺とはいかずとも、このままいけば削りきれそうな勢いである。

 だがラグネの方も負けてはいない。


 智貴にしたように大きく跳躍して喜咲に上空からの体当たりを敢行する。見え見えの攻撃を喜咲は難なく回避するが、ラグネの狙いはそこではない。

 着地の瞬間、周囲のコートが破壊されて、大きな塊となって隆起する。ラグネはそれを糸でからめとると、それを強引に振り回し出す。


 突如吹き荒れた巨石の嵐に、ラグネに向かっていた『八脚の神馬槍』の一部が飲み込まれた。

 強力な武器とは言え、『八脚の神馬槍』の重さは一本につき十キログラムもない。対してラグネが振り回す巨石は、軽く見積もってもその百倍はありそうだ。


 その結果、なにが起きたかと言えば、『八脚の神馬槍』が粉砕された。

 破壊された二本の『八脚の神馬槍』に、残る八本が躊躇するように特攻を止める。


 そしてその隙に、ラグネは振り回していた巨石を、喜咲めがけて投擲した。

 喜咲はそれを横に跳んで回避するが、ラグネがすかさず自分の体を飛ばす。喜咲は再び横に跳んでそれを避けた。前回の焼き直しのような後継に智貴は一瞬眉を顰めるが、直ぐにそれが勘違いだと理解させられる。


 ラグネが着地する直前に、巨石を投擲したのだ。

 予想外の一撃。しかし喜咲にぶつかると思われたそれは『突き刺す守り』から生じた障壁によって防がれる。


 ラグネが投げた石は推定一トン以上。流石にその質量の破壊力は『突き刺す守り』でも受けきれるギリギリだったようで、魔力で編まれた障壁が不安定に明滅した。


 ラグネはぶつけた石を手元に引き戻そうとするが、そこは元々急造の武器。衝突した際にひびが入っていたようで、ラグネの手元に戻る前に砕けてしまう。

 強力な武器が失われたことに、智貴が安堵したのも一瞬のことだった。即座に次の石が喜咲の下へと飛んでいった。


 ラグネが糸を使い、新たな巨石を飛ばしたのである。

 先の攻撃で姿勢を崩していたのか、喜咲は再び『突き刺す守り』で巨石を受けた。


 二度もの巨石の攻撃を受けて、『突き刺す守り』が限界を迎える。

 白煙が上がるのと同時に障壁が消失した。今度の巨石はさっきの石よりも脆かったようで、衝突と同時に砕け散ったが、しかし喜咲の方も『突き刺す守り』を失っている。ダメージとしてはやはり喜咲の方が大きいかもしれない。


 やはりこの場は自分も手を出すべきだろうか。

 喜咲は善戦しているが、しかしラグネの方が先ほどからわずかに有利に見える。このまま続けば負けてしまうのではないか。

 そう思って智貴は一歩踏み出そうとするが、


「トモ君、今の内にここから逃げよう」


 戦闘風景を眺める智貴に、横からそんな声がかけられた。

 姫乃である。


「お前、いつの間に?」

「トモ君がボーっと喜咲ちゃんに見とれてる内にだよ。遠くから声をかけても反応しないんだもん」


 それで直に声をかけにやってきたらしい。

 ならばコネクタを使えばよかったのではないか、と思ったが口にはしない。

 それよりも今の姫乃の発言だ。


「逃げるって、神宮を置いてか?」

「ここにいても邪魔になるだけだよ。トモ君がここにいるせいで、喜咲ちゃんが思うように動けてないの、わからないの?」


 真顔で言い返されて、智貴は言い返すことができなかった。

 ラグネの狙いは智貴だ。それがさっきから智貴を攻撃してこないのは、喜咲がそれを阻んでいるからに他ならない。


 ひょっとしたら、さっき回避せず『突き刺す守り』で巨石を受けたのも、下手に動けば智貴に余波が及ぶと考えたのかもしれない。

 つまり智貴が手を出すのは悪手。この場は素直に尻尾を撒いて逃げるのが、喜咲の生存率を上げる一番の方法と言うことだ。


「……わかった」


 智貴は歯噛みしてその現実を受け入れると、姫乃の先導の下、通路へと戻るのだった。




「……神宮は本当に大丈夫なんだよな?」


 そして二人で比較的安全な屋内に逃げ込んだところで、智貴は小さくそうこぼした。


 彼女の実力を信用していないわけではない。

 それに勝機もないのに勝負を挑んだりはしない――――


「こともねえな、アイツは」


 死都での出来事を思い出す。喜咲は無謀な戦いにも迷わず身を投じる脳筋だった。

 どうしよう。ここまで来ておいてなんだが、非常に心配になってきた。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。見た感じ、ラグネちゃんの脅威は皮膚の防御力と怪力、それと糸の粘着性だけみたいだからね」


 そんな智貴を安心させるように姫乃が言う。

 とりあえず安全圏までやって来たことで少し余裕が出てきたようだ。さっきまであった緊迫感が緩んでいた。


「皮膚は『八脚の神馬槍』なら一応削れる程度みたいだし、怪力もトモ君がいなければフィールドを広く使えるから避けやすい。それにあの粘着力も魔力由来なら、喜咲ちゃんには効かないよ」

「あん? 最後のどういうことだ?」

「ラグネちゃんのアレはいわば、魔力を接着剤に変えているようなものだから。魔力で物体を覆っちゃえば、それが邪魔になってくっつくことができなくなるんだよ。だから『八脚の神馬槍』も糸を切り裂いてたでしょ?」


 成程、どうやら喜咲がラグネの糸を破れたのは、脳筋思考の為ではなく、ちゃんとした理由があったらしい。

 だからと言ってそれでラグネを倒せると決まったわけではないが、あの場を彼女に任せても大丈夫だろう、と思える程度には安心できた。


 そして安心すると、一つ足りないものがある事に智貴は気付く。


「そう言えば遠藤は?」


 確か彼は、ラグネの糸にやられて行動不能になっていたはずだ。そんな遠藤を戦場に残していては喜咲の邪魔になるのではないか。

 智貴は心配からそう姫乃に尋ねるが、しかし対する姫乃はどや顔を浮かべてみせた。


「ご安心ください。そう言うだろうと思い、既に救出したものがこちらになります」


 そう言って姫乃が指を鳴らすと、前方の曲がり角から大量のネズミ型ドローンが姿を現す。そしてその上には白い糸でグルグル巻きにされた誠二の姿があった。


「あ、ちなみに触らない方がいいよ。何体かドローンが糸の魔力にくっついちゃって取れなくなってるから」

「……遠藤、哀れな」


 縛られたまま、なにかムームー唸っているのが、なんとも憐みを誘う。

 智貴はなんとなく合掌してから、再び姫乃に向き直った。


「それでこれからどうするんだ? ここの地下シェルターに逃げ込むのか?」

「そうするのが一番簡単だけど、ちょっとラグネちゃんから近すぎるのが気になるかな。もし見つかったら最悪一緒にいる人たちを巻き込んじゃうことになるし」


 確かにその通りだ。

 喜咲が簡単に負けるとは思わないが、そもそもラグネの目的は喜咲ではなく智貴だ。ならば戦闘を適当に切り上げて、智貴の追跡を行ってもおかしくない。そうなれば最悪、智貴が逃げ込んだシェルターが襲撃される可能性もある。


 そうなれば一緒にいる生徒達にも被害が及ぶことだろう。


「だからとりあえず、遠藤君だけそのシェルターにぶち込んで、私たちは他の施設に逃げようと思うんだけど、どうかな?」

「ラグネから離れて、なおかつ人がいないシェルターに逃げ込もうって訳か……まぁ、無難なんじゃないか?」


 智貴は一瞬、思考し、姫乃の案に頷いた。そしてとりあえずドーム内のシェルターを目指して走り出す。

 しかし五十メートルもいかない内に、姫乃が足を止めてしまう。


「どうした、姫乃?」

「……えっと、正面のシャッターが開いたみたい」

「あん? お前が開けたんじゃないのか?」


 智貴の問いかけに、しかし姫乃は言葉を横に振ってみせた。


「私は今開けようとしたんだよ。でもその前に誰かが・・・開けたの」

「なんだって?」


 一体誰がやってきたのか。

 嫌な予感を覚えて、智貴は姫乃たちと一緒に横道に隠れる。


「姫乃。誰が入ってきたのか、わかるか?」

「監視カメラをハッキングすればわかるかな」

「じゃあ頼む」


 頷いて、姫乃が空中に指を滑らせ出す。

 端から見ると遊んでいるようだが、仮想キーボードが見えないからそう見えるだけだ。


 しばらくして、姫乃は侵入者の正体を突き止める。


「侵入してきたのは自衛隊の部隊みたい……でもちょっと変かも?」

「変って、なにがだよ」

「人数が少ないの。一、二、三、四……全部で十二人しかいないみたい?」

「ラグネと戦った生き残りが、中に来たってことか?」

「どうだろ。それにしては装備がきれいすぎる気が……。それにラグネちゃんに負けたなら、増援を待つなり逃げるなりするんじゃない? たった十二人じゃ自殺行為だよ」

「すぐに増援が来るんじゃないのか?」

「増援は呼んだみたいだけど、まだ学園にも着いてない感じかな。っていうか、やっぱり変だよ。この人たち、自衛隊が使ってるのとは別の周波数帯を使って通信してるし」


 確かに妙だ。一つ一つを見ればさほど変ではないのかもしれないが、全て合わさるとあからさまにおかしい。


「そいつらを回避して、地下シェルターに行くことはできるか?」

「シェルターには行けるけど、自衛隊もどきの動きが読めないから、ここから出るのは難しくなるかも」

「……じゃあ、仕方ないな」

 智貴は床の誠二を一瞥してから決断を下す。

「遠藤は簀巻きのままここから連れ出そう」

「安全を考えるとそれが一番だね」


 横では相変わらず誠二がムームーと声を上げている。

 ひょっとしたら抗議の声を上げているのかもしれない。だが生憎と、智貴にそんな彼を慮る殊勝な心はなかった。


 三人は周囲を警戒しながら、自衛隊もどきを避けるようにして、彼らが入ってきたのとは別の出口へと向かう。

 しかし姫乃と智貴こそ走っているが、誠二は簀巻きにされてネズミ型ドローンによって運ばれている状態だ。そんな状態ではなかなか速度が出ない。


 そうしてまごついていると、背後から足音が近づいてきた。

 音は小さいが数は複数。おそらくは自衛隊もどきの連中である。


 どうやら彼らの目的はラグネではないらしい。今の自分たちはラグネからも、自衛隊もどきが入ってきた出入り口からも遠ざかっている。それをわざわざ追いかけてくると言うのはどういうことか。


「うわ、面倒くさそうな臭いしかしねえ……!」

「とりあえず遠藤君は近場の部屋の中に隠しておくよ! 遠藤君、声上げちゃだめだからね!」


 姫乃が指示を飛ばして、ネズミ型のドローンが近くの部屋へと誠二を運んでいく。

 それを確認したところで、後ろから自衛隊もどきが追いついてきた。


「止まれ!」


 銃を構えてそう叫ばれる。智貴はとっさに『修羅閃刃』を使うと、姫乃を脇に抱えて横道へと身を飛ばした。


「と、トモ君!?」

「静かにしてろ」


 姫乃を守る様に抱えながら、智貴は壁から顔だけを覗かせる。すると、通路の奥にヘルメットとプロテクターで身を包み、銃で武装した人間が見えた。人数は八人である。


 一番正面に立っていた人間が構えていた銃を下ろして、フルフェイスヘルメットのフェイスガードを上げる。

 フルフェイスヘルメットの中にあったのは三十代半ばほどの男の顔だった。右眉から頬にかけて大きな傷跡があり、顎には無精髭が生えていた。


「自分は日本自衛隊第三学園守備部隊長、御代金剛みしろこんごう大尉だ。驚かせて済まなかった。敵意はないから出てきてくれないか」


 そう言って男、御代金剛は構えていた銃を上に向ける。後ろに控えている仲間にも、ハンドサインで銃を下げさせる。

 確かに笑みを浮かべて、一見すると敵意はなさそうだ。しかし、と智貴は目を細くする。


 状況的に本当に敵意がないかは怪しい、故に、智貴は鎌をかけてみることにした。


「ハッ。そんなに殺気をプンプンさせてなにを言ってやがる。騙し討ちをしたいんだったら、もっと芝居の勉強をしてから出直して来い」

「――なるほど。確かに報告にあった通り、一筋縄ではいかないみたいだな」


 智貴に指摘されて、金剛は相好を崩す。しかしその笑みは先ほどまでの人好きするそれと異なり、凶悪な、見るからに凶暴そうな笑みだった。


 そして案の定、こちらに向かって発砲してきた。智貴は慌てて顔を引っ込める。


「二人とも確実に殺せ! 特に男の方は念入りにだ!」

「チィッ。やっぱ狙いは俺か……!」


 ならば彼らも草薙悠馬が雇った刺客なのだろう。

 ラグネに智貴を襲わせて、自衛隊がラグネを止める。もしもラグネが失敗しても、自衛隊に扮した草薙悠馬の手先が、智貴を殺すつもりだったのだろう。


 なかなかに手の込んだ真似である。

 実際、姫乃が早めに気付いてくれていなければ、智貴も気付けたかは怪しい。


 草薙悠馬は相変わらず嫌がらせが上手い奴である。


「とりあえず逃げるぞ」

「う、うん」


 どこかぎこちなく頷く姫乃を開放して、智貴は一緒に走り出した。

 しかしそんな彼らの目の前に、不意に缶が投げ込まれる。


 この状況で投げ込まれる物――そんな物、グレネードの類しかないだろう。

 そう思考が至った瞬間、智貴は『修羅閃刃』を使おうとして、失敗する。どうやら誠二とラグネの連戦のせいで疲労がたまっていたらしい。


 このままでは二人ともグレネードの餌食になる。どうする――――?

 悩んでいたのは本当に一瞬のこと。智貴は即座に姫乃を庇って後ろを向く。


 直後に爆音と激しい衝撃。気付けば、智貴は床に伏していた。

 いや、全身の感覚が鈍いので正確にはわからない。だが全身に力が入らず立っていられないのである。


「トモ君!?」


 不意に、姫乃の声が聞こえてくる。


「しっかりして、トモ君!」


 心配するようなその声はどこか遠い。位置もよくわからない。


 智貴はなんとか答えようとするが、口がうまく動かない。それどころか、すぐ傍にいるはずの姫乃の姿がぼやけて見える。

 倒れた時に頭でも打ったのかもしれない。


 姫乃は無事なのだろうか。智貴のように怪我をしていないだろうか。

 全身が痛い、気がする。よくわからない。


 感覚が希薄で、気を抜けば砂で作られた城のように、あっさり崩れてしまいそうだ。

 それでも動かなければならない。このままここに留まるのは危険である。


 動け、動け、動け。

 念じながら体に力を入れるが、やはりうまく動かない。


 マズい、苦しい、ヤバイ。

 足音が大量に迫ってくる感覚。聴覚はまだ回復していないが、それでも床の振動から何者かが――間違いなくさっきの金剛たちだろう――近づいてくるのはわかった。


 早く逃げなければならない。しかし智貴の体はそんな意識に応えてくれそうにない。

 だから智貴は最後の力を振り絞って、姫乃に顔を向けた。


 口が上手く回らないことに苛立ちを覚えながら、智貴はかろうじて一言だけ絞り出す。


「に、げろ……!」


 姫乃が今どういう状態にあるのか、智貴にはわからない。

 だがもしも無事なら、くたばりぞこないの智貴など置いて逃げるべきだ。


 智貴は死なないが、姫乃はそう言うわけではない。

 金剛たちの目的は姫乃もろとも智貴を殺すことだ。だから彼女はこの場に留まるべきではないのである。


 だから逃げて欲しい。

 しかしそんな智貴の願いも虚しく、金剛たちのものと思しき気配が智貴たちの傍で止まる。


「もっと手間取るかと思ったが、思ったよりも簡単だったな」


 馬鹿にしたような声。相手からすればやはり拍子抜けだったようだ。

 きっと彼の手には銃が握られていることだろう。


「……逃げろ、姫乃」


 もう一度、言葉を捻り出すと、頭部を柔らかい感触が包んだ。姫乃が抱きしめているらしい。

 さっき智貴が彼女を庇ったように、今度は姫乃が自分を庇ってくれているらしい。


 その優しさに心が震える。


 ――ああ、クソ。最悪だ。


 自分のことなんか放っておいてとっとと逃げてくれればよかったものを。なんで逃げてくれないのか。


 いつもこうだ。やることなすこと上手くいかない。

 肝心なところで失敗して、大切なものが失われる。

 人は失敗を繰り返しながら大人になると言うが、ならば自分は大人になるまで一体どれだけのものを失えばいいのだろうか。


 失いたくない。

 もうなにも失いたくないのに。

 どうにかしたいと、どうにかして欲しいと心から願う。


 ――誰か、助けてくれ――――――


 心の奥底でそう叫ぶ。直後、激震が彼らを襲った。


 壁と天井を突き破って巨大な石が智貴たちの傍に突き刺さる。

 そしてその石の上に降り立つ、蜘蛛のシルエットに似たなにか。

 状況から考えて、十中八九ラグネだろう。


 何故ラグネがこの場にやってきたのか。まさか智貴を追いかけてきたのか。そう思って戦々恐々とするが、しかしなにか様子がおかしい。


 ぼんやりとしてよく見えないが、どうにもラグネの視線を感じる。そしてその視線は動揺しているようだった。


 動揺している? 意識がないはずなのに?

 どういうことかはわからない。

 だが今なら智貴の言葉が届くのではないか。


 そうなれば状況をひっくり返すことができるかもしれない。そう思って智貴は口を開こうとして、


「ゴボッ」


 言葉の代わりに血が出た。

 そして急速に意識が遠のく。どうやら限界がきたらしい。


 智貴はなんとか意識を保とうと足搔くが、その奮闘も虚しく意識は闇に沈んでいく。

 そして意識が完全に闇に呑まれる直前、獣の咆哮のような、あるいは慟哭のような声を確かに聞いたのだった。






 *




 気がつくと、智貴は瓦礫の山に埋もれていた。


「あ?」


 意味がわからなさすぎて、思わず変な声が出る。

 正確には、智貴を囲むようにして、大量の瓦礫が周囲に散乱している。智貴の周りは空き地が出来ている形だ。


 なんというか智貴を中心に大爆発でも起きたようだ。


 一瞬、『黒い獣の大樹』が発動したのかと身構えるが、それにしては瓦礫が多すぎる。『黒い獣の大樹』が発動すれば、もっと周囲からは物が消えているはずだ。

 加えてよく見れば、空き地の中心部は智貴のいる場所からは微妙にずれている。


 ならば智貴のすぐ横で爆弾でも爆発したのだろうか。

 だとすると智貴がこうして無事な理由がわからない。


 体は死後復活したとしても、服まで無事ではいられないだろう。

 疑問に思いつつとりあえず体を起こそうとして、全身、特に背面に激痛が走った。


 まるで大量のガラス片が刺さったような痛みに、智貴は呻く。

 何故そんな痛みがあるのかとっさに思い出せない。原因を思い出そうと智貴は記憶を探り、そしてはたと思い出す。


 自衛隊に扮した草薙優馬の刺客に追い詰められ、そして意識を失う寸前、ラグネまで現れたことを。


「姫乃……!」


 意識を失う直前、彼女が庇うように智貴の頭を抱いていたことを思い出し、智貴は反射的に名前を呼んだ。

 しかし期待していたどこか軽薄な返事は返ってこない。


 智貴は痛む体を押して立ち上がると、周囲を見渡す。

 嫌な予感に囚われながら、しかしそれを否定するように姫乃の姿を求めて瓦礫の中を彷徨う。


 そして数分ほど歩いたところで、それを発見してしまう。

 それは一際高い瓦礫の山、その頂上付近にった。

 蜘蛛の糸ではりつけにされた、首が百八十度回ってこちらを向いている・・・・・・・・・、小さな少女――だったモノ。


 それは、鹿倉姫乃の死体だった。


 体や服はあちこちが火であぶったように煤けており、右腕も奇妙な形にねじれている。

 殺されたのは一瞬のことだったのか、その表情は驚愕に染まった状態で硬直していた。


 足が震えて力が抜ける。気付けば智貴は膝を折ってその場に崩れ落ちていた。


「……俺の、せいだ」


 智貴が投げ込まれた手投げ弾を適切に対応できていれば、彼女に今日の試合の審判を頼んでいなければ、ラグネのもとに行こうとしていなければ、いや、いっそのこと姫乃に出会っていなければ。


 姫乃が死ぬことなどなかったのだ。


 何故、彼女が死ななければいけなかったのか。

 彼女はただその場に居合わせただけでしかない。そして智貴を庇おうとしただけだ。


 それははたして、死ななければならないほど罪深い行為だったのだろうか。

 よく見てみれば、姫乃がはりつけにされている瓦礫の山からは数本の手足が覗いている。どうやら姫乃の他にも数人の死体が挟まっているようだった。


 誰のものかはわからないが、しかし想像はつく。

 智貴たちを襲った金剛たちのものだろう。


 瓦礫の山から覗く手足には白い糸が付いており、どうやらそれらを成したのもラグネらしかった。


 ラグネが殺した。姫乃を。


 何故? どうして?


 いや、理由はわかる。

 ラグネは智貴を殺すよう命令を受けていた。そしておそらくは、その障害となる者も殺すよう命令されていたのだろう。


 だから智貴の傍にいた姫乃は殺された。

 智貴が死んでいないのは、死んでから生き返ったのだろうか。そこはわからないが、そもそもどうでもいい。


 姫乃はすでに死んでいるのだ。智貴が生きていようが死んでいようが、そこは変わらない。だからどうでもいい。


 死んだ、否、殺された。

 その事実を理解して、智貴の内に怒りが沸くが、しかしそれはすぐに霧散してしまう。


 なにを恨めばいいのかわからないのだ。

 姫乃を殺したのはラグネだが、彼女は絶対に悪くない。


 そもそも今の彼女には意思がないのだ。

 ならば誰も悪くなかったのか。

 否、確実に悪い奴が一人だけいる。


 穂群智貴――すなわち自分だ。


 この状況を回避できるタイミングは何度でもあった。そしてそのほとんどは、そんなに難しい事じゃなかった。

 ただ、それをしなかった。できなかった。


「……俺のせいだ」


 呟いて、智貴は右手で自分の左腕をかいた。


「俺のせいだ」


 ガリ、とまたかく。


「俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ、俺のせいだ」


 ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ、ガリ――――


 気付けば腕からは血が出て爪が肉にまで至っていた。

 しかし止めようとは思わない。


 それがなんの意味がないとわかっていながらも止められない。


「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 気付けば智貴はうずくまり、その喉から絶叫が上がっていた。

 そしてそんな彼の体に影が差す。


 顔を起こしてみれば、そこにはボロボロになったラグネの姿があった。

 人型の体の左腕を無くし、蜘蛛の頭部の目も三つほど潰れている。蜘蛛の腹にも穴が開いていて、機械の足が二本ほど歪んでいる。


 傷ついているのは、周りが瓦礫の山となっていることと関係があるのだろうか。

 彼女がここに現れたのは、智貴の声に呼び寄せられたのだろうか。


 相変わらずその表情は機械的な無表情で、なにを考えているのかわからない。

 しかし無事な方の人型の手に握られている手には見覚えのある槍が握られている。


 歪んだ『突き刺す守り』だ。ならばおそらく、あれで智貴を殺すつもりなのだろう。

 槍一本で死ねるのかどうかはわからない。


 だがいくらなんでも無限に生き返れるわけではないはずだ。なら死ぬまで殺され続ければ、死ねるのではないだろうか。

 そうすれば、姫乃への贖罪になるのでは――――――


 智貴はそんなことを考えながら、ぼんやりとラグネが槍を振り上げる様を眺めていた。

 そしていざ、ラグネは槍を振り下ろし、


「なにをしてるのよ、この馬鹿!」


 太陽のような長い金髪に黒のヘッドホン。

 手には廃材と思しき鉄パイプを握った少女が、それを阻んだ。









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