第十章 救いは叶わず
*
「仲間だぁ?」
意識せず、不信に満ちた声が智貴の口から漏れて出た。
理由は言わずもがな、目の前の少年の発言である。
彼の言葉を信じるなら、つまり彼は自分の仲間に同じ仲間を襲わせて気絶させた、と言うことになるのだ。
普通に考えて、あり得ない。ましてやそれで、どうして智貴まで襲われることになるのか。
嘘だと考えた方がまだ理解できる。
そんな智貴の考えが透けて見えていたのだろう。少年はいかにも困ったような表情で肩をすくめて見せた。
「どうにも信じてくれていないみたいだね」
「当たり前だ。どこの世界に自分の仲間を襲って、ヘラヘラ笑ってられる奴がいるって言うんだよ」
「それを言われると耳が痛いな」
眉根を寄せて、少年が首を傾げた。一見すると罪悪感を覚えているように見える。だが本当にそう言った感情があるなら、もっと動揺を露わにするはずだ。少なくとも廃墟に入ってきた際、気絶する小向の様子を見て、眉一つ動かさなかった男の言葉ではない。
つまり、少年の言葉は上辺だけなのだ。
やはり、目の前の少年は信用ならない。
小向のことも、智貴を騙して連れて行こうとしているだけではないのだろうか。
「一応、僕がどうしてこんなことをしたのか、言い訳をさせてもらえないかな」
「……聞くだけ聞いてやる」
「ありがとう。助かるよ」
智貴の返答に少年は人好きのする笑顔を浮かべてみせた。
「簡単に言えば、僕らは彼女の救難信号を受け取ってここに来たんだ」
「救難信号だって? 俺らはそんなの知らないぞ」
「僕らが受け取ったのも一瞬だけだったからね。今思うと、コネクタの誤作動だったのかな」
「そんな適当な……」
作り話にしても雑過ぎる。
そんな話、一体誰が信じると言うのか。
「詳しい原因はよくわからないけど、彼女と別れた際、崩落に巻き込まれたからね。その後に魔力嵐もあったから、それでコネクタがおかしくなったのかもしれない。元々、彼女はコネクタの手入れをあまりしない性質だったし、コネクタの耐久性もなんだかんだで課題が残っているって話だしね」
そう言われると、その可能性がないとは否定しづらい。
聞いた話によればコネクタが開発されて、まだ五年も経っていないらしい。
スマホやパソコンも登場した当初は色々な問題があったものだ。コネクタにも同じことが言えるだろう。
ましてやコネクタはスマホやパソコンに比べると、オーパーツじみた性能を秘めている。明らかに技術水準がぶっ飛んでいるものがいきなり出て来れば、その程度の不具合、むしろ出るのが当然だ。
少年の言葉を肯定する証拠はない。
だが同時に少年の言葉を否定する理由も、また、ないのだ。
毒のように、あるいはコンピュータウィルスのように、少年の言葉は智貴の脳髄を侵す。
正常なものが正常でなくなるような、そんな感覚。今更ながらに、彼の言葉には耳を貸してはいけない、と智貴は直感した。
「そう言うわけで、彼女が窮地に陥ってると思って仲間を突入させたんだよ。気絶させたのは、彼女が悪魔からなにか悪影響を受けているかもしれないと思ったからさ。実際、たまにそう言うケースがあるからね。そこで大事を取って気絶させたというわけなんだよ」
「無茶苦茶だな」
「そうかな? これでも一個のチームを預かる立場だからね。多少の安全策は取るべきだろう」
それでとった安全策が小向への暴行なのか。ならば、智貴が思うことは一つだけだ。
「どうかな? 一応は矛盾はなかったと思うけど、彼女を返してくれる気にはなったかな?」
笑顔でもって少年がそう尋ねる。
やはりその顔に浮かぶのは笑顔。その口から吐き出された言葉が愛を囁くもので、智貴が女であれば頷いていたかもしれない。
「テメエの話は理解した。その上で俺の結論を教えてやるよ」
智貴は鼻を鳴らすと、少年に向かって右腕を突き付けた。そしておもむろに中指を天に向ける。
「獅童を置いて失せろ、糞野郎。テメエの話は信用できねえ」
交渉は決裂だ。
目の前の少年に小向は任せられない。任せたくない。
智貴が拒絶の意思をはっきり示すと、少年はかすかに眉を動かした。
「そうか。それは残念だ……でも悪いね、こちらとしても彼女を諦めることはできないんだ。だから君の方が引いてくれると助かるんだけど、どうかな?」
「ふざけんな! 誰がテメエの言うことなんざ聞くか!」
「おやおや、そんなことを言っていいのかな? 今戦いになったら困るのは君の方だと思うんだけど、違うかな?」
「なにを訳のわからねー事を言ってやがる。なんで追いつめてる側の俺が困るって――――」
「あれだけ暴れたのなら、塞がっていた傷口が開きかけてるんじゃないかな?」
少年の言葉に、智貴は反射的に動揺する。
そしてそんな智貴の反応に、少年は口角を上げた。どうやらカマをかけられたらしい。
「やっぱりそうか。彼女に傷を手当てしてもらったから、そんなに必死になって守ろうとしているんだろう。健気だね、君」
少年を睨みつける。しかし向こうはどこ吹く風だ。
「だったらどうするって言うんだ? 言っとくが、テメエ等全員ぶちのめすことができなくても、数人病院送りにしてやることぐらいはできるんだぞ。なんならテメエからその二枚目を歪ませてやろうか?」
「それは怖いな。できれば痛いのも怖いのも勘弁して欲しいね」
「だったら素直に引きやがれ。そうすれば俺も無駄に追い打ちかけたりしねえよ」
「成程、それは名案だね。だけどもっといい案もある。それを教えてあげよう」
少年はそう言って右手を上げる。そして指を鳴らした。
直後、左右の壁をぶち破って、それらは姿を現す。
「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァ !」
「グルァァァァァァァァァァァァァァァァ!」
右から目元を完全に覆い隠すような金属製のゴーグルをつけた、両腕が機械のケンタウロス。左から同じく同じゴーグルをつけた、機械の翼を持つグリフォン。
突如現れた悪魔たちに、智貴の周りにいた少年少女は慌てて建物の外へと退避する。
そして当の悪魔たちはと言えば、壁に開けた穴から廃虚に入り、智貴にその顔を向けている。
智貴は動けない。
目の前を格好の少年少女がうろちょろしているにもかかわらず、悪魔たちの視線――顔は見えないが――は智貴に完全に固定されていた。まるで智貴の隙を伺っているようなじっとりした視線だ。
動けばやられる。直感的に、智貴はそう感じた。
「紹介しよう、グリフとタウロス。僕の忠実な僕だ。命令一つで君をミンチに変えてくれるだろう」
安直な名前、と笑っている余裕はない。目の前の脅威はそれほどの物だ。
そんな脅威を手元に置いて、少年は請う。
「彼女を、返してくれないかな? さもなければ――――わかるだろう?」
否、それは命令。拒否を許さない強制力を持つ命令だ。
拒否すればどうなるのか、想像に難くない。そしてそれを回避するにはどうすればいいのかもわかる。
それらを考慮して、智貴はどうするべきか考える。どう動くのが最善か。いや、自分は今一番どうしたいのか。
体はボロボロ。目の前の敵として、いかにも強力な悪魔。そしてその奥に性悪の親玉。
小向は意識こそなく、それを成したのは目の前の少年。だが彼は小向を必要としており、仮に引き渡しても命を奪うことまではしないだろう。ならば、
「それとも、こんなところで無為に命を散らすのが君の望みなのかな」
瞬間、脳裏に小向とは異なる別の少女の姿がよぎった。
ここで死ぬ――事はないのかもしれないが、しかし致命傷を負うのはマズい。
智貴は致命傷を負えば、最悪黒い獣の大樹を発動させる危険性がある。
そうなれば封印されて、彼女の、喜咲の力になることはできなくなる。それは智貴も避けたい。
智貴の目的は喜咲の力になること。
無鉄砲に飛び出して封印されるわけにはいかないのだ。
「……わかった」
智貴は呟いて剣を下ろす。
「よかった、わかってくれたんだね」
「ああ。テメエは、今この場で、ぶっ殺す」
足元に転がっていた少年を蹴っ飛ばし、自分も歩いて距離を取る。そして少年に向かって改めて剣を構えた。
勝ち目は薄い。そして負ければ智貴は殺されてしまう可能性が高い。それは智貴の望むところではない。
普通に考えるなら、戦いを避けるのが定石だろう。
だけどそれはできない。
喜咲がいれば、きっと戦ったはずだから。
例え勝ち目が無くとも、どれだけ無謀だろうと。彼女はきっと、迷うことなく挑むだろう。
小向はきっと殺されない。
だがそれは殺されないだけだ。こんな無茶苦茶な真似をする奴が、彼女を紳士的に扱うわけがない。
そして喜咲がそんな行為を許すわけがないのだ。
だから彼女をリーダーと仰ぐなら、彼女の側にいようとするのなら、ここで引くことはできない。
きっと喜咲はそれを快く思わないから。
「そう、なら仕方ないね……君は悪魔に殺された、と学園には報告しておくことにするよ」
「ハッ、無理だね。俺が死のうが生きようが、どっちにせよテメエの喉笛だけは噛みちぎってやるつもりだからなあ……!」
「面白いことを言うね。だったら本当にそんなことができるのかどうか、見せてもらおうか!」
少年が叫んで手を突き出す。それを合図にケンタウロスが智貴に向かって飛び出した。
グリフォンの方は、少年の傍についたままである。おそらくは一体が護衛に着き、もう一体が智貴と戦う手はずなのだろう。
賢い選択だ。ここで二匹とも攻撃に駆り出していてくれれば、可能性こそ低いものの逆転の目があったのである。それを潰されて、智貴は内心で舌打ちした。しかしすぐに思考を切り替える。
考えるのは目の前のケンタウロスをどうやって倒すかと言うことだ。
だが悠長に考えている暇はない。
ケンタウロスが突っ込んでくる。智貴は試しにすれ違いざまに剣でケンタウロスの前足を切りつけてみるが、手応えは岩でも切ったかのように固く、ケンタウロスの足にはかすり傷程度しかついていなかった。
やはり純粋な能力では向こうに軍配が上がるらしい。魔術機を使えない智貴では文字通り刃が立たない。予想通りの結果に、智貴は忌々しく思いながらも思考を白熱させる。
脳みそをぶん回しながら、次撃に備えて振り返り、直後に見えた光景に、考えるよりも早くその身を横へと飛ばした。
轟音、衝撃。
一秒前まで智貴がいた床に、直径一メートルほどのクレーターが形成されていた。その中心には鉄の塊があり、その端から伸びたワイヤーがケンタウロスの右肘に繋がっている。
どうやら右腕の肘から先を飛ばして攻撃してきたらしい。
ロケットパンチ。
ロボット物のアニメやマンガではお約束のような攻撃方法。それを現実で目の当たりにして、智貴は頬をひきつらせる。
「どうだい? 電磁力を用いて時速三百キロにまで加速する、必殺のパニッシュメントフィストは」
「ガキの妄想を現実化したみたいで、頭が痛くなってくるな」
「お気に召さなかったようで残念だ」
直後に今度は逆の腕が飛ばされる。
会話で気を引いておいての不意打ち。そんな当然の手など読めているので、智貴は再び横へ跳んでそれを避ける。
危なげなく、と言いたいところだが、少年が自慢するだけあってその速度は恐ろしく速い。実際、避けるのが後コンマ一秒でも遅かったら、直撃こそせずとも掠りぐらいしていたかもしれない。そして掠れば、それだけで腕の一本ぐらいは持っていかれていただろう。
つまりギリギリだ。
しかし少年の目にはそうは映らなかったようだった。
「へえ? 今のも避けるか。なかなかやるね……ふむ。どうだろう、君がもし僕の配下になるなら助けてやっても構わないけど?」
「クタバレ、糞野郎」
「なにが君をそうさせるのか、僕にはわからないね」
智貴の返答に、少年は肩を竦める。
背後から硬質な衝撃音。見てみれば、ケンタウロスがワイヤーで飛ばした腕を巻き取り、元の形に戻していた。
そして今度は両の拳を智貴に向ける。
再び開かれた戦端は、しかしあまりにも一方的なものだった。
ケンタウロスが放つロケットパンチ――パニッシュメントフィストを放ち、智貴がそれを避ける。
ひたすらにその繰り返しだ。
「だぁ! のぉ! ぬがっ! こなくそ!」
一体どれだけの間その行為を繰り返しただろうか。
気付けば床は穴だらけで、智貴も息が上がっていた。
「さてそろそろフィナーレかな?」
「………………」
冗談めいた少年の言葉に、なにか返す余裕はない。しかしそんなになっても、智貴はまだあきらめていなかった。
智貴の趣味はゲームだ。
それも得意なのは死んで覚えるような、シビアなタイプのアクションRPGだ。
そう言ったゲームの攻略法はいつも同じである。何度も闘って相手のパターンを覚え、隙を突いて攻撃する。
今までのケンタウロスとの攻防。智貴はなにも無為に回避を続けていたわけではない。
避けながら、相手の行動を観察していたのである。
そしてやっと隙を見つけた。
ケンタウロスは交互にロケットパンチを撃ちだしている。一見すると、左右のそれに差異はないように見える。
だが左のそれを撃ちだし巻き取る際、かすかに硬直するのだ。
体力はもうほとんどない。決めるなら次に左腕を巻き取った後の隙を狙うしかない。
狙いは頭。仮に殺せなくても、脳震盪も狙える。
そう思い、智貴は剣を構えようとして、そこで急に視界が霞んだ。
「あ…………?」
足から力が抜けて、智貴は思わず膝まづく。
なにが起きたのかわからない。戸惑う智貴は、足元になにかが広がっていることに気が付いて、視線を落とす。
赤い、赤い、水溜まり。不快な色と臭いの水溜まり。
一体どうして、それが自分の足元に広がっているのか。
その赤い水は一体どこからきたものなのか。智貴はその出所を探って、そして気付く。自分の制服が朱に染まっているのを。
床に広がる赤い水溜まりは、智貴の血だった。
「く、そ…………」
小向に塞いでもらった傷が、激しく動いたことで開いたらしい。
智貴は自分で作った血だまりの中に倒れる。そして薄れ行く意識の中で自分を見下ろす少年を見た。
「よく頑張った、と褒めておくよ。実際タウロス相手にここまで持ったのは、悪魔を除けば君が初めてだからね……やっぱり君を殺すのは少々惜しいな。もう一度聞くが、僕の配下になるつもりはないかな?」
「死んでも、お断り、だ」
「そうかい。ならしかたないな。残念だがここで死んでくれ」
ケンタウロスが智貴に拳を向ける。
殺される。
いや、死ぬことはないかもしれないが、来る衝撃を考えれば気分が重くなる。なにより小向を助けられなかったことがなにより心残りだ。
智貴は覚悟を決めて目を瞑り、そして、
「悪いけど、そこまでにしてもらえないかしら」
ふと、そんな声が廃墟に響いた。
悪魔の動きが止まり、智貴と少年の視線が声の方へ向く。
そこにいたのは喜咲だった。その手には『無尽の弾丸』と『突き刺す守り』が握られている。そして『無尽の弾丸』の銃口は少年に向けられていた。
「――やあ、喜咲君。久しぶりだね。会いたかったよ」
「私はできれば会いたくなかったわね。それよりこれはどういうことかしら? 状況の説明を求めたいのだけど」
静かながら、しかし拒絶を許さない喜咲の声。平静に見えるが、どうやら怒っているようだった。
「そこの彼が僕の仲間を引き渡したくないというからね。仕方なく実力行使に出てたのさ」
悪びれもせず、少年はそう告げる。
智貴は反論しようとするが、血が喉に詰まっているのか上手く声を上げられない。
そんな智貴を一瞥してから、喜咲は小向を見る。
「仲間って言うのは彼女のこと?」
「ああ。信じられないって言うなら学園に戻ってから調べてくれてもいい」
「必要ないわ。アナタがそこまで言うってことは嘘じゃないんでしょう。それより、彼女は連れて行っていいから、アイツは開放してくれないかしら?」
「……彼は君の知り合いかい?」
「私のチームメンバー……その候補よ。もっと言うなら下僕ね。私の決定なら、アイツも従うわ」
「そうかい」
答えて、少年はやや温度の下がった瞳で智貴を見る。
薄気味悪い、不愉快な瞳だ。
「ええ。それともこのまま戦争をご所望なのかしら? それならそれで、私は構わないわよ」
「……なら、僕は彼女を回収して帰るとしよう。君とやりあうのは僕としても本意じゃないからね」
「ならすぐに帰りなさい。外でお仲間も待ってるわよ」
喜咲の言葉に少年は肩を竦めると、ケンタウロスに小向と、智貴が意識を奪った少年を担がせて廃虚を出ていく。
少年の姿が廃墟からいなくなるのを確認してから、喜咲は智貴に駆け寄ってきた。
「ちょっと大丈夫?」
「……あんま、大丈夫、じゃねえな」
智貴の状態を抱き起して、喜咲は顔をしかめる。制服が真っ赤に染まっていたからだろう。
「一応、アイツからもらった怪我は、ねえよ」
「……でしょうね。周りの惨状を見ればわかるわ」
軽い口調で言いながら、喜咲はかすかに安堵したように吐息をつく。
「とりあえず、アナタは私が学園に運ぶわ。と言うか、今すぐ学園に戻りましょう。その怪我は放っておいて大丈夫なものじゃないわ」
そう言って喜咲は止血してから智貴を担ぐ。
重いのか多少ふらついているが、大丈夫なのだろうか。
「大丈夫よ、『突き刺す守り』のバリア―を使うから。アナタを置いていったりしないわ」
そう言った心配はしていない。どちらかと言えば、自分が足手まといになることの方を心配しているのだが……ひょっとしたら遠回しにくぎを刺しているのかもしれない。
自分を置いて行け、などと馬鹿げたことを言うな、と。
お人好しの彼女らしい言葉だ。しかし、
「なぁ、獅童は……」
「彼女は……大丈夫よ。彼女が役に立つ間は彼なりに、丁重に扱うはずよ」
どこか吐き捨てるような口調で喜咲が告げる。
その様子から、彼女も少年がゲス野郎だとわかっているのだと察する。それでも彼女を引き渡したのは、智貴を助けるにはそうするしかなかったから……いや、単純に黒い獣の大樹を発動させないためかもしれない。
「……悪い。俺のせいで獅童を助けられなかった」
「気にしなくていいわ。あれは相手が悪すぎたもの」
「だけど、俺のせいで、助けるのを諦めたろ」
「…………アナタのことがなくても諦めざるを得なかったと思うわ。多分、この場で助け出すことができてもその場しのぎにしかなりえない。あの男はそう言う手合いよ」
どうやらあの少年は、喜咲をもってしても匙を投げさせるほどの厄介者らしい。
少年のにやけ面を思い出して、智貴はギリ、と奥歯を噛みしめる。
「なあ、さっきの、獅童を連れて行った男……アイツは、誰だ?」
その問いかけに、喜咲はかすかに逡巡してから口を開く。
「……彼は草薙悠馬。チームアスガルドのリーダーを務める男よ」
「草薙、悠馬……」
智貴はその名前を何度も口の中で呟いた。
憎々しい敵として、決して忘れないように――――――
*
にやけ面の少年が、ゴミの様になにかを投げ捨てる。
それは少女だ。
黒い髪の小柄な少女。捨てられた彼女は暗闇の地面に落ちて動かなくなる。
まるで死んだように動かない彼女を慌てて抱き起せば、そこには空洞になった眼窩から血の涙を流す少女の顔があった。
「――――――ッ!」
跳ね起きて、思わず腕の中を見る。
そこには誰もおらず、自分の体にかかった掛け布団だけが見えた。
どうやらさっきのは夢だったらしい。智貴はそのことに安堵して、額に書いた冷や汗を拭う。
「……ったく、なんて夢だ」
よほど自分はあの少女のことを気にかけているらしい。
もっとも小向は智貴の命の恩人だ。助けられなくて気に病むのも当然だ。
そんなことを考えながら智貴はベッドを出ようとして、体が痛む。
そういえば怪我を負って自室で療養中だったのだと思い出す。
死都から戻ってきた智貴は、重症の旨を伝えると何故か学園にある大学病院ではなく、理事長のプライベートルームに連れていかれて治療を受けた。
「君の体を知らない人間に診せるのはリスクが大きいからな。可能な限り私か、私の側近が治療をしよう」
とのことだった。
そんなわけで智貴が今いるのは、智貴が最初に監禁されていた白い部屋だ。
何故理事長のプライベートスペースに監禁部屋があるのか非常に謎だが、とにかく今、智貴はそこにいた。
窓がないため外は見えない。今が朝なのか夜なのかもわからなかった。
周りに時間がわかりそうなものはない。
部屋の中にあるのは、ベッドと智貴に輸血をするための輸血パックとスタンドだけだ。
ナースコールのようなものもないのだが、なにかあった場合、これはどうすればいいのだろう。扉に近づけばちゃんと開くのだろうか?
そこまで考えて、智貴は首に着けたコネクタの存在を思い出す。
それに触れてメインメニューの仮想ウィンドウを出してみれば、時刻は十七時頃になっていた。
智貴が学園に帰って来たのは昼頃。思ったほど時間はたっていないらしい。それにしては大分体の調子がいい気がするが。
「…………ん?」
智貴は時刻を眺めて、そのまま視線をスライドさせて日付を見る。するとそこには智貴が知る日付より二日ほど進んでいた。
どうやら智貴は丸々二日寝ていたらしい。
それでも普通に考えれば脅威の回復力と言えたが、そこは智貴の体質による物だろう。
どうやら黒い獣の大樹は完全に発動させていなくても、多少ながら智貴の体を癒してくれているらしい。
便利だが、しかしどちらかと言えばやはり忌まわしい力だ。
結局、多少傷の治りが早くなったところで、小向を助けることはできなかったのだから。
溜息をついてから、智貴はコネクタのメニューを操ってメッセージが一件届いていることに気付く。
送り主はここの理事長である間宮初。内容は『起きたら私にメッセージを送れ』との事だった。
一瞬、スルーしたらどうなるのだろう、と好奇心に駆られる。だがそれをしてもデメリットしかないと思い直し、智貴は指示通り初にメッセージを送る。
返事がくるまでなにをして時間を潰そうか。腕を組んで悩んでいると、一分もしない内に初から返事が返ってきた。
『直ぐに使いの者を向かわせる。そのまま待つように』
「……理事長が来るわけじゃないんだな」
普通に考えればやはり忙しいのだろう。
色々彼女に聞きたいことがあったのだが仕方がない。と言うか誰が来るのだろうか。喜咲だろうか。
そんなことを考えながらベッドの上で待つこと約五分。ノックの音が響き、そして扉が開いた。
扉の向こうから姿を現したのは、長い銀髪を後ろでまとめたメイド服の女性だ。
身長は喜咲と同じぐらいで、女性としては高い。しかし体つきはスレンダーな喜咲とは対照的に、服の上からでもわかるようにグラマラスだ。
顔つきは整っているが、喜咲のそれよりさらに無機質めいていて、着ているエプロンドレスと相まって人形のような印象を見る者に与える。それも大理石などで作られた芸術品としての人形。人の体温を持たない、冷たい人形だ。
「失礼します」
「……アンタが、いや、アナタが理事長の言ってた使い、なん、ですか?」
メイド、なんて学園に似つかわしくない存在が急に現れたせいで、思わず言葉遣いが妙になる。そんな智貴に、女性はかすかに口の端を吊り上げた。
「気を使って無理な口調で話していただかなくても結構です。理事長と話すときと同じように話していただいて構いませんわ」
「あー、じゃあありがたく。普通に喋らせてもらいますわ」
智貴が答えると、女性が笑みを深くする。
そしておもむろにスカートの裾を掴むと、優雅にそれを持ち上げて、智貴に向かって一礼した。
「それではまずは自己紹介を。私の名前はエルミールと申します。ここの理事長である間宮初の秘書兼メイドを務めさせていただいているものですわ」