悪魔の眠る森
地球で、より進歩していた人種が
より原始的な人々と出会った歴史は非常に不幸だった。
同じ種なのにもかかわらずだ。
スティーブン・ホーキング博士
……ネイキッド・サイエンス――エイリアン・コンタクト(より一部抜粋)
深い深い森の奥。
キツネは今日も大好きな旅商人エルフの話を聞きに、森の近くにあるエルフたちの小さな隠れ里を訪れた。
「やぁ、“逆さ虹”のキツネの坊や。今日も来たんだね。」
「うん!おいら、おじちゃんの話が大好きなんだ!
また聴かせておくれよ!ニンゲンたちの“くに”のお話を!」
先日、人間の国で調達した物資を携えて里に戻った旅商人エルフの男は、もはや顔なじみとなった人懐っこいキツネに笑顔を向けながら森の外にある人間達の国の話を始めた。
周囲を峻厳な山々に囲まれた奥深い森の「外側」の話を、好奇心旺盛なキツネは毎回食い入るように聴き入っていた。
「えーと、この間は人間たちの王国の話をしたから、今日は人間たちの共和国の話をしてあげよう。」
「“きょうわこく”?きょうわこくって、“おうこく”と何が違うんだい?」
キツネは疑問符を頭上に浮かべて尋ねた。
それにエルフの旅商人は丁寧に答える。
「えーっとね……王国っていうのは王様という一番偉い人間が治めてる国で、王国の人間たちは皆、王様の言うことを聞いて暮らしてるんだ。でも、共和国っていうのは王様がいない代わりに、その国にいる人間たち皆で話し合いをしながら国を治めているんだよ。
だから、王国と共和国はとっても仲が悪いんだ。」
「へぇー……おうさまがいるのが“おうこく”で、いないのが“きょうわこく”なんだね。」
キツネは何とか理解できた内容を確認し、エルフの男は頷きを返した。
「あぁ……それで、その共和国は今、とても大きな戦争をしていてね。
敵国を倒す為に、すごい兵器を作ろうとしているんだ。でも、その兵器の元になる材料が中々見つからないらしくて、俺にその材料を見つけるようお願いされたんだよ。」
「戦争って、ニンゲンたち同士がやってるスゴイケンカだろ?
父ちゃんも言ってたよ。ニンゲンは“てっぽう”っていう怖い武器を持ってて、それでケンカするんだって。でも、すごい兵器って何?てっぽうよりも強いの?」
興味津々なキツネが顔を輝かせる。
「うん。鉄砲なんかよりもっとすごい武器らしい。
それで、その兵器を作るには“ウラン”とか言う不思議な石が必要みたいなんだ。
なんでも、その石は毒を放っていて近づきすぎると死んでしまうし、怪しい光を出すらしいんだよ。」
「へぇー……」
聞きながらキツネは、自身の住処である「逆さ虹の森」の奥深くにある「悪魔の洞窟」のことを思い出していた。
入口に近付いただけで死んでしまうと恐れられている不気味な自然の洞窟。
昔々、その洞窟からとても不思議な光が放たれて、空に「逆さの虹」のようなものが出現したことがあった。
それ以来、この山に囲まれた広大な森の一角は「逆さ虹の森」の異名で呼ばれるようになった。
旅商人は話を続けた。
彼によればウランを探している人間たちは、もしその石を見つけた場合、発見した者にかなりの報酬を弾んでくれるという。
これを聞いたキツネはあることを閃いた。
もし、ニンゲンたちに「悪魔の洞窟」のことを教えたら、ご褒美としてニンゲンの国で暮らせるかもしれない……
キツネには人間に化ける能力があった。
木の葉を頭に乗せて「変化!」と叫ぶと、人間の姿になれるのだ。
これは逆さ虹の森の動物たちの中で、一部のタヌキとキツネの一族だけが出来る術だった。
しかし、父キツネは人間に化けることを一族全員に固く禁じていた。
『人間は危険だ!森で静かに暮らしている方が良い!人間に憧れてはダメだ!』
それが森のキツネ一族の長である父の厳格な掟であった。
これに息子である子ギツネは強い反発を抱き、森の外に出ることさえも許さぬ父の目を盗んでは、旅商人エルフや渡り鳥たちから森の外にある人間の国の話を聞いていたのだ。
彼らが話す人間の国は、どれも魅力に溢れたものだ。
山より高い人間たちが作った建物、鳥よりも高い空を飛ぶ乗り物、大地を走る鉄の乗り物、そしておいしい食べ物でいっぱいの人間たちの街……
彼らの話を聞く度に、子ギツネには人間たちの国への強い憧れが沸き起こっていた。
そして今回のエルフの男の話は、そんな彼にある決断をさせるに至ったのである。
森に帰ったキツネは、友達のアライグマ、リス、クマに自身の計画を打ち明けた。
「おいら、ニンゲンの国で暮らす!
あのドングリ池の奥にある悪魔の洞窟に、もしかしたらニンゲンたちが探してるウランとか言う石があるかもしれないんだ!
それをニンゲンに教えたら、きっとニンゲンたちの国で暮らせるようになる!
皆も、こんな森を出ておいしい食べ物でいっぱいのニンゲンの国で暮らそうよ!」
それに暴れん坊のアライグマは強く反発した。
「何言ってやがんだよ!悪魔の洞窟は危ないから近づいちゃダメって、父ちゃんや母ちゃん、それに森の長老たちがいつも言ってるだろう?
それに、こんな深ーい森の奥までわざわざニンゲンが来てくれるってのか?」
臆病者のクマも、恐る恐るアライグマに同調する。
「そ、そうだよ。それに、ニンゲンはとっても怖いって、かあちゃんが言ってたよ……
とうちゃんは“てっぽう”を持ったニンゲンに殺されて食べられちゃったんだって……
そ、そそ、そんな怖いニンゲンを森に呼んじゃダメだよ……」
いたずら好きのリスは、キツネの話にあまり関心がなさそうだった。
「ふぅーん。アタチは悪魔洞窟には行きたくないな。
……でも、そんな話をキツネちゃんのお父ちゃんが聞いたら怒っちゃうんじゃない?」
リスは最後の方でいたずらな笑みを浮かべてキツネを冗談めかして脅迫する。
これにキツネは血相を変えてリスに詰め寄った。
「と、父ちゃんには絶対言わないでよ!?
言ったらもう、おいら森から出られなくなっちゃう……」
「どうしようかな~……キツネちゃんが、これからアタチに毎日食べ物をくれるんなら、黙っててあげるけど?」
リスはさらに邪な笑みを見せてキツネを弄る。
「もういい!お前たちはわからず屋だ!!
おいら一人でこの森を出てってやる!!」
キツネはそんなリスやアライグマ、クマの友達に強い反発を示すと怒ってその場を去った。
森の外れまでやって来たキツネは、木の葉を頭に乗せると一族の禁忌を破った。
「変化!!」
白い煙が一瞬立ち込めると、キツネ目をした人間の青年が出現した。
成功である。
彼は早速他の木の葉を使い、人間に変化したのと同じ要領でエルフたちの服装を参考にして適当に服を仕立てると、生まれて初めて森の外へと出て行った。
……
それから約一週間後。
「逆さ虹の森」に、茶色い軍服や白衣を着た人間の一団が姿を現した。
軍服姿の男たちは強力な自動小銃を持って周囲を警戒し、白い服を着た科学者たちは鉄の棒を構えて辺りの「放射線量」を測定していた。
「同志キツネ。本当にこの辺りなのか?」
ガイガーカウンターで付近の線量を計測していた科学者の男がキツネ目の青年に尋ねる。
青年は今、木の葉で偽造した紙幣で購入した新品の黒スーツに身を包んでいた。
「はい!この先にあるドングリ池の奥に悪魔の洞窟と呼ばれる場所があるんです!
時々不思議な光を放ってて、これまで何匹もの動物が近付いただけで死んでるような場所です!
多分、ウランとか言うのが眠ってるに違いありませんぜ!」
キツネの渾名で呼ばれた青年が、一団を先導する。
しばらく深い森を進むと、小さな池の先に「悪魔の洞窟」と呼ばれる禍々しい天然洞穴が姿を見せた。
すると、科学者の持つガイガーカウンターが「カリッ……カリッ……」と嫌な音を出し始める。
「同志政治将校。線量が急に増大しました。
……明らかに自然界の通常濃度を超す量です。これ以上生身で進むのは危険でしょう。
あの洞窟に、天然ウランが眠っているのは間違いありません。
これは推測ですが、もしかしたら天然原子炉のようなものが存在する可能性もあります。」
科学者の男が警告を発する。
これに一行のリーダー格である政治将校の男が応じる。
「わかった、同志。
それなら内部調査及び採掘は“人民の敵”共にやらせよう。
近くの強制労働キャンプから囚人やゴブリンを連行して、すぐに作業に取り掛からせよう。」
「了解しました。」
彼らは放射線量が危険域にまで濃くなっている「悪魔の洞窟」から離れた。
その際、政治将校がキツネの労をねぎらった。
「同志キツネ、素晴らしい発見だ!
君は労働者の鑑と言えるだろう!!偉大なる書記長閣下もお喜びになる!
ご苦労だった!」
「あ、ありがとうございます!!祖国の為に働けて幸せですぜ!!」
キツネも満面の笑顔でそれに答えた。
……
それから3日後、朝の日差しが降り注ぐ人跡未踏の深い深い「逆さ虹の森」に、無数の大型トラックと装甲車が突っ込んできた。
車両集団の先頭を、高速回転する鋭利な鋸状の刃が付いた極めて凶悪な外見の装甲車が進む。
通称「ジャングルカッター」と呼ばれる森林地帯啓開に用いる工兵用装甲車である。
その鋼鉄の魔物は、巨大なカッターで森の木々を容赦なく切り倒すと、矢印の形をしたブレードで切り株を根こそぎ除去して後続の車両の為に「道」を作り出している。
上空には卵のような丸みを帯びた形状が特徴的な兵員輸送ヘリが10機ほど姿を見せ、地上の森を破壊しながら強引に進撃するトラックや装甲車に歩調を合わせるように飛行する。
切り倒された木々に住んでいた鳥やリスたちは大慌てで逃げ出し、突然の「侵入者」をただ呆然と見つめるほか無かった。
彼ら「侵入者」の目的地は「悪魔の洞窟」だ。
上空を進むヘリのパイロットが、森の奥深くから発せられる不気味な「逆さ虹」を確認した。
「こちら“革命の勝利”、“共和国の栄光”へ告ぐ。
目標上空にて不気味な虹を確認。放射線量の増大に注意せよ。」
『こちら“共和国の栄光”。了解、本隊は目標手前にて待機し、囚人を向かわせる。』
トラックは「悪魔の洞窟」手前で停車すると、中からみすぼらしい格好をした囚人服姿の男女が次々と降りてきた。
装甲車もその近くで停車し、自動小銃を手にした兵士たちが降車する。
兵士たちは周囲に展開すると、囚人たちに銃口を向けた。
その後、ヘリが一台地上に着陸すると、その中から高級政治将校の軍服を着た中年男が現れて囚人たちに訓示する。
「よく聞け!貴様等卑しき革命の敵が今も生き永らえているのは、偏に祖国の大愛によるものである!
その祖国に命をかけて奉仕することで自己批判せよ!!
貴様等はこれより、奥の洞窟に踏み入って中の鉱物資源の確認と採掘を行わなければならない!
偉大なる祖国と書記長閣下の慈愛の心に感動しながらつるはしを振れ!
わかったか!!職務を放棄して逃げ出した者は全て殺す!!その家族も全てだ!!
わかったか!?クズ共!!」
「……」
囚人たちは皆項垂れ、無言だった。
兵士たちからつるはしやシャベルを手渡されると、危険レベルの放射線が渦巻く「悪魔の洞窟」へと踏み込んでいった。
洞窟に入った囚人たちは、黙々と作業を開始した。
つるはしで岩盤を削り、不気味な緑色に輝く鉱石を手押し一輪車に乗せて運びだす。
その様子を、耐放射線防護服に身を包み自動小銃で武装する人民軍兵士たちが監視する。
天然ウランの放つ強烈な放射線は、容赦なく囚人たちの体細胞を破壊する。
素手でウラン鉱石を扱った者は、手が異様に赤く腫れ上がり次第に痛みが襲ってくるようになる。
作業が進むにつれ、囚人たちの中に体調不良を訴えだす者が現れた。
「か、身体が重い……これ以上は動けない……」
「人民の敵」である囚人労働者の中年男が、膝を崩して両手を地面につき倒れる。
高濃度放射線による高線量被曝の初期症状が男の身体を襲っていた。
もう男の命は長くない。
細胞は遺伝子レベルで破壊され、正常な分裂活動が停止し、多臓器不全に陥りつつあった。
しかし直後、人民軍兵士が自動小銃を発砲。
高速で飛来した7.62mm弾は彼の頭部を吹き飛ばし、翌日には訪れるはずだった免れ得ぬ男の死を大幅に早めることとなった。
「手を休めるな!!勝手に作業を中断する者は射殺する!!
さぁ、人民共和国の勝利の為に掘れ!!掘り進めろ!!」
専用の耐放射線防護服で身を固めた政治将校の男が拡声器で吠える。
祖国から敵と見做された人間たちが、身体をふらつかせながらひたすらウランを掘る。
倒れた者には容赦なく銃弾が叩き込まれ、死体は防護服姿の男らによってドングリ池に無造作に放り込まれた。
その異様な光景を、森の動物たちは遠くから恐る恐る見ていた。
「い、いったい、あの人間たちは何をしているんだろう?」
臆病者のクマが大木の陰に身を隠しながら遠巻きに様子を伺う。
「よくわかんねーけど……なんか、ヤバイ感じはするな。
近付かないようにしようぜ……」
クマの傍には暴れん坊のアライグマも居て、銃火器で武装した人間に対する本能的恐怖を覚えていた。
その隣には、めそめそと泣くリスの姿。
「ううぅ~、ううぅ~……アタチのお家が無くなっちゃったよ……
……酷いよ。なんでこんな目に遭うの……うぇ~ん。」
リスの家があった樹木は、人間の軍隊の凶悪な外見をした工兵用装甲車によって切り倒されてしまっていた。
彼らだけでなく、森の動物たちの皆が遠くから不安げな眼差しで人間たちの様子を見ていた。
だが、ここは人里から遠く離れた深い森の中。
人間達は明日にでもいなくなるだろう。
動物たちの誰もがそう考えていた。
しかし、その考えはあまりにも甘かった。
翌日も人間たちはやって来た。
今度は緑色の肌をした小人のような連中を大量に連れてきた。
腰回りに粗末な布があるだけの、あまりにも貧相な服装をしている。
ゴブリンだ。
昨日、「悪魔の洞窟」の中で作業した人間たちと同じようにつるはしやシャベルを手にしている。
ゴブリンたちは完全に怯えていた。
強力な自動小銃で武装した防護服姿の兵士たちに取り囲まれつつ洞窟内での作業に取り掛かった。
放射線を発する天然ウランの危険な採掘作業である。
しかも、この日の人間たちの「暴挙」はこれだけでは無かった。
人間たちは、辺り一帯の森林の大規模伐採を開始したのである。
凶悪な「ジャングルカッター」だけでなく、大型重機も多数乗り込んできて、容赦なく動物たちのねぐらを蹂躙した。
逃げ出そうとしたクマは装甲車の車体上部に装備された14.5mm対空機関砲によって肉片にされ、アライグマは自動小銃で武装した兵士によって射殺された。
小柄なリスは何とか逃げ出し、生き残った他の動物たちと共に「地獄」と化した故郷の森を離れた。
「……何が起こってるの?なんでニンゲンたちはアタチたちの森をメチャクチャにするの?」
ボロボロになったリスは、さめざめと泣きながら誰に言うでもなく問い続けた。
突然襲い掛かった圧倒的なまでの人間の「猛威」を前に、彼ら「逆さ虹の森」の動物たちは為す術なく逃げ出して呆然とするほかなかった。
……
それから約1年後。
「逆さ虹の森」に、人間たちによって新たな「名前」がつけられていた。
人民共和国直轄第10号指定ウラン鉱山地区。
それが森「だった」場所の地名だ。
今、そこに森があった痕跡は残っていない。
木々は一本残らず切り倒され、「悪魔の洞窟」前のドングリ池も埋め立てられている。
洞窟前には粗末な作業員用宿舎や巨大なウラン精製用工業プラントが立ち並び、対空ミサイルや装甲車両をはじめとする強力な軍用兵器も配備されていた。
森の近くにあったエルフの小さな村落も潰されており、住民のエルフたちは残らず強制移住させられていた。
そんな突貫工事で建設されたウラン鉱山プラントに、高級人民スーツに身を包み人民党の党員であることを示すバッジを胸元に輝かせるキツネ目の若い男が赴任してきた。
プラント内に設けられたヘリポートに着陸した軍用ヘリから降り立った男を、プラント職員である白衣の男たちや自動小銃で武装した兵士らが出迎える。
「ようこそ、同志キツネ。あなたを所長としてお迎えできることを光栄に思います。」
営業スマイルで白衣の男がキツネ目男を歓迎する。
「ありがとう、同志。私はこの近くの小さな村落の生まれでしてね。
故郷に錦を飾れた気分ですよ。」
キツネ目男もまた笑顔で応じた。
「しかし、同時に所長としての重責も感じてます。
同志内務人民委員長は、ここのウラン採掘量を先月の倍に増やすよう要望されております。
今の採掘状況はどうなっていますか?」
若くしてこの10号鉱山の所長となった男は、ヘリポートからプラント管理施設の建物へと向かう軍用自動車に乗り込むと、手にしたビジネス鞄からこのプラントに関する資料を取り出して内容を確認しつつ同乗した白衣の男に現状を確認した。
すると彼は顔を曇らせた。
「……芳しくありません。この鉱山には天然原子炉が存在し、奥に行けば行くほど放射線量が増大して作業員が倒れてしまい、安定・継続した採掘が出来ない状況です。」
「それは良くありませんね。では、国家保安人民局に追加でゴブリンの作業人夫を要請してください。」
これに白衣の男は驚きの表情を見せる。
「えっ?もう既に5000を超えるゴブリンを作業に従事させていますが、さらに追加させるんですか?」
一方のキツネ目男はさも当然のことのように言った。
「そうです。この際、作業員は使い捨ての道具として考えてください。
事前にいただいた資料によれば、今までは作業員の被曝量を測定し、線量が規定値以上になると交代させているようですが、これを無しにしましょう。
文字通り死ぬまで採掘させるのです。死ぬ度に追加のゴブリンを投入します。
これを24時間、絶え間なく行わせてください。それで、採掘量は理論上今までの倍になる筈です。」
白衣の男に、冷たい汗が流れる。
隣に座った男は冗談など言っていない。
本気で実行させる気だ。
そして、同志キツネの方針は実行に移された。
国中のゴブリンが強制動員され、死の洞窟へと送り込まれた。
第10号ウラン鉱山はそれまでとは比べ物にならないほどの採掘量を記録し、人民共和国の権力者たちを大いに喜ばせた。
洞窟の中は放射能によって無残に死亡したゴブリンの亡骸が散乱し、激しい腐敗臭を放つ地獄と化していたが、それに憐憫の念を覚えた人間は皆無だった。
キツネは順調に出世街道を邁進し、気付けばこの第10号鉱山の他、周囲3箇所のウラン鉱山を管理する地区統括所長にまで登り詰めていた。
いずれは首都でエネルギー省の高級幹部になるのも夢じゃない。
そう思っていたある日。
一人でウラン精製プラントの現場確認を行っていた彼の前に、一匹のリスが現れた。
小汚い痩せ細ったリスだった。
施設内通路を歩いていたキツネの足元には、採掘された天然ウランを精錬する溶融炉が黒い口を広げていた。
リスはキツネ男に何かを訴えるような目を向けている。
一方のキツネは、路傍に捨てられたゴミを見るかのような目でリスを見た。
「……なんだお前は?薄汚い野リスめ。」
キツネはリスに向かって吐き捨てるように問う。
するとリスは口を開いた。
「……アンタ、キツネちゃんだろ?」
これにキツネは驚きを隠せなかった。
「……逆さ虹の森のリスか。何の用だ?俺は忙しいんだ。」
リスは次第に睨み付けるような目でキツネを見つめ出し、彼に問いただした。
「アンタが、アタチたちの森をメチャクチャにしたんだろ?
人間たちに媚び売って、人間たちを呼び寄せた。
……自分だけ人間になるために!」
「だったらどうだって言うんだ?
あの洞窟の中身のおかげで、今や俺はゴブリンや一部の人間さえもこき使う存在になれたんだ。
このまま行けば、いずれは人間たちの大都市で優雅な生活が送れるってもんさ。」
このキツネの発言に、リスは激昂する。
「なんてヤツだ!!アンタなんて最低だよ!!」
「うるさい!!黙れ、畜生風情が!!人間様に楯突こうなんて、1万年早いんだよ!!」
言うなりキツネはリスに掴みかかろうとする。
だがリスはこれを寸でのところで回避。
バランスを崩したキツネが通路の欄干に身を乗り出す格好となった。
そこに、リスが捨て身の突進を仕掛ける。
キツネの顔面に体当たりしたリスは、そのまま顔面に張り付いて離れようとしない。
「クソッ!!離れろよ!!クソリスがっ!!」
顔面のリスを引き剥がそうとバランスを崩したまま踠くキツネ。
これが致命的ミスとなった。
「う、うわああぁぁーーっ!!」
キツネは欄干を乗り越え、通路から真下の精錬溶融炉の中へと落下した。
放射線遮断フィルターを突き破り、精錬されたウランが沈殿する高温の汚水で満たされた約10メートル下の炉の内部へ没した。
「ぎゃああぁぁーーっ!!熱い!!苦しい!!誰か、助け……て…………」
そこでキツネは熱湯状態の汚水で重度の火傷を負った上に、数分で死に至る強烈な放射線が渦巻く「地獄」の中で徹底的に遺伝子を破壊されて壮絶に死んだ。
その無残な死に様を、落下の直前にキツネから飛び退いたリスが見届けた。
「……クマちゃん……アライグマちゃん……父ちゃんと母ちゃん……
それに森の皆……アタチ、復讐を果たしたよ…………」
リスはそう言うと、その場で事切れた。
最後の力を全て出し切り、復讐を遂げたリスの死に顔はとても安らかだった。
……
「そうか、あの所長が死んだのか。まぁよい、代わりはいくらでもいる。
明日にも新しい所長を送る。採掘作業を滞りなく継続させろ。」
人民共和国の首都。
第10号ウラン鉱山で発生した地区統括責任者の「事故死」に関する電話連絡を受けた女は、電話の相手先である鉱山職員にそう告げて受話器を置いた。
酷薄な印象を受ける細い瞳をした美女。
この国で内務人民委員長を務める実質的最高権力者の女である。
女は、キツネが編み出した「ゴブリンを用いた無休息天然ウラン採掘プラン」に関する報告書を読んでいた。
「ふむ……対象をゴブリンに限定する必要は無いな。」
広い執務室で一人呟くと、女は再度受話器を取って何処かと連絡を試みる。
「私だ。国家保安人民局ゴブリン徴発戦隊に命令。
徴発対象をドワーフ及びエルフにまで拡大。近隣衛星国からも搔き集めさせろ。
ウラン採掘量を今月の倍に増やせ。以上だ。」
女の命令は直ちに実行された。
……ここは、人間たちが現実世界とほぼ同レベルの科学技術を持つようになったファンタジー世界。
……そこで繰り広げられる「惨劇」に終わりは無い……