我が家の頼れる悪魔様
ー巻きぞえアリスの異世界冒険記6ー
「ようやく森を抜けたか」
幸いにも誘拐犯の一味には出会わず、一回凶暴なモンスターに出会うも優秀な盗賊と王子様のお陰で無事に森を抜けることができた。
見晴らしのいい広野に出れば、知らない土地でも見慣れた空を貫く大樹がそびえ立つ姿がはっきりと見える。
距離的にはワルツさんに連れ去られた時よりは近いように思う。
リーゼンフェルトがどこにあるかはわからないが、とにかく大樹まで行けば後は保護者のジルベルトさんがどうにかしてくれるだろう。
「あれ!あの大樹を目指すの!わかりやすいでしょ」
「あの大樹て…ギルダの森の神樹のことか?」
「神樹?あれそんな大層なものだったんだ…」
神樹などと大層な扱いを受ける木だとは初耳。
確かにすごく大きくて立派な木だとは思っていたが、御神木みたいなものだろうか。
深く考えずにスタスタと歩く私の服の袖をちょいちょいと控えめに引っ張ったのは神妙な顔をしたカミルだった。
「どうしたの?」
「…ギルダの森は危険だ。行かないほうがいい」
「???何故に?」
「姉ちゃん本当何も知らないのな。リーゼンフェルトじゃ子供でも知ってるぜ、ギルダの森には極悪非道な不老不死の魔女が住んでるって話」
「魔女…?」
1週間くらい滞在してるけど、そんな人には会ったことない。
小首を傾げる私にこれまた初めて真顔を見せたニールの反応で誰もが知る常識を私が理解してないのだと悟る。
「フォルテシアにはかつてラビニアという大国があったんだよ。今のリーゼンフェルトよりも大分大きな国だったらしいけど、そんな大国を1人の魔女が一夜にして全てを奈落に落としたって話だよ」
初めて聞く異世界の事情に『それはヤバイね』とありふれた感想しかでなかった。
ぶっちゃけファンタジーすぎてピンとこない…今でさえ全てが夢なんじゃないかと思うこともあるくらいだ。
そんな私にカミルが事細かにちゃんと理解できるまでその魔女の話をわかりやすく教えてくれた。
まずフォルテシアと言うのは私が落ちてきたこの大きな大陸のことだ。
そして以前に大樹の上から見たリーゼンフェルトの反対に位置する謎の暗黒大陸がニールの言っていたラビニアという大国の成れの果てらしい。
およそ2000年前、フォルテシアには4つの大国が存在していて、リーゼンフェルトとラビニアを除く2国は今では白い霧に覆われた失われた大地にあったとされるが、詳細は2人もよく知らないのだと言う。
しかしラビニアに関してはニールの言ったように昔たった1人の魔女により国はおろか周りの大地まで奈落の底に落とされ、ラビニアの後には暗黒の大穴とあらゆる生物を汚染する瘴気が何百年と経った今でも残っている。
そしてその魔女はゲルダの大森林に存在する神が創造した生命の源である神樹の力を得た上に、自身は不老不死で現在もゲルダの大森林で美しく冷酷な悪魔と醜く凶悪な魔獣を従えてるのだとか。
「事実かどうかは謎だけど、あの森に入って神樹に辿り着けた奴は1人もいないって話だし、いわく付きではあるだろうぜ」
「ほぉ……」
情報が多くて整理するのが大変なのだが、非常に引っかかる点が多い。
まずそんな隣人がいたら気づくだろうし、ジルベルトさん達以外には私はモンスター1匹目にしたこともない穏やかな場所だった。
唯一心当たりがある不老不死に当てはまるのはジルベルトさんだし……もしかしなくても美しく冷酷な悪魔ってフォルカさんのことか…?そうしたら魔獣の方はイリアン?
「あのー…そこには大魔法使いとか住んでないの?」
「大魔法使い?そんな話は聞いたことないし、大魔法使いってほどの魔法の使い手は今のリーゼンフェルトにもいないぞ」
「ほぉ…」
ジルベルトさんもワルツさんも自分のこと大魔法使いとかぬかしておきながら、知名度が低くすぎる。
だが、今のであの人達の存在は多分この2人を含めたリーゼンフェルトの人達には認知されてないのだろう。
確証はないが、魔女の話はジルベルトさんのことじゃないかと思う。帰ったら聞いてみるか。
しかし困ったことにカミルとニールはギルダの森にはついて来てくれない感じだ。
2人からすれば立ち入り禁止のあからさまな危険地帯に乗り込もうと言っているようなものだからな…どうするべきか。
私が考え込もうと腕を組んだ瞬間、鋭い何かが左腕を掠めて地面にとすっと刺さった。
「えっ何これ…矢?…痛っ…」
ズキッと痛み出す左腕を見れば袖の一部が裂け、血が滲んでる。
そして矢が放たれた方角からけたたましい馬車の走る音がする。
方向的に森を抜けた方で、夜に溶け込む黒い馬車から身を乗り出して弓を構えている輩が確認できてとても穏やかじゃない。
来るとは思っていたが、ついに追っ手が来てしまったようだ。
「おい!ボサッとしてないで早く逃げるぞ!」
呆然としていた私の右手をがっちり掴んだカミルがすごい速度で広野を駆けて行く。
「こいつをくらえっ!」
すぐ隣を走るニールがポケットから取り出した白い小瓶を背後の馬車めがけて投げつけると暗い闇を裂くような眩い閃光がカッと瞬いた。
「何今の!?」
「カミルお手製の閃光弾!」
「アイテムも作れんの!?すごいね!?」
「言ってる場合か!大体こんな見晴らしのいい場所じゃ意味がない!」
カミルの言う通り広野は非常に見晴らしが良く芝生ぐらいの草しか生えてないくらいスッキリしていて身を隠す場所もない。
案の定馬車の音はどんどん大きくなって迫ってきてるのがよくわかる。
しかも時たま放たれる矢がことごとく私を狙っているのか、衣服や服を掠めるような際どいところを抜けて行ってスリルがありすぎる。
安定しない馬車の上からの攻撃なのに随分命中率高いなと思ったそばから、矢が思いっきり右膝にぐっさりと深く刺さり、激痛で足をもつれさせて派手に転んだ。
「和っ!!」
「いっ〜〜っ大丈夫!!私大丈夫だからカミルは早く逃げて!」
今にでも泣き叫んでしまいそうな痛みを堪えながら心配そうに立ち止まるカミルの手を払った。
明らかに私やニールを狙う割にカミルが全く的にされなかったのは彼だけは傷つけずに捕らえるためだろう。
私は一応不死効果で何とかなるはずだから、一国の王子であるカミルには構わず逃げてもらった方がいい。
というか、私がここでのたうち回って相手の気を引けるのではと、ない頭で必死に考えていると、ふわり身体が浮く。
「!?!??ちょっとカミル様何してんの!?」
この王子、私の意向など完全無視で立ち止まるどころか、一度もされたことのないお姫様抱っこで私を抱え上げた。
「うるさい!置き去りになんかできるか馬鹿!!」
「やだやだ本気でやだ!絶対重いから今すぐ下ろして!」
「姉ちゃん、気にするところそっちかよ…」
お姫様抱っこは確かに乙女心をくすぐられるけれど、自分は平均体重くらいだと信じているけれど!何れにしてもまず体重を知られるのが嫌だし、走ったり転んだりしたおかげで汚れと汗が気になるから今すぐに離れたい。あと足がむっちゃ痛い!
「暴れるな!いいから大人しくうおっ!!?」
「ああ゛っ!!いだぁあ゛っ!!」
モタモタしてる暇はない緊迫した状況なのに、重さと体臭を気にした私が本気で暴れたために、またもやカミルを巻き添えにその場に崩れ落ちる。
落ちた衝撃で足めっちゃ痛いし、また下敷きになったカミルに思いっきりプレスかけて本当に申し訳ない。
こんなに足手まといになる予定じゃなかったのに…!
主に私のせいでモタモタした結果、馬車にはとっくに追いつかれるどころか回り込まれてしまった。
黒く巨大なたくましい馬がうなりあげながら馬車が止まると手綱を引いていた下っ端のチンピラ2人が得物を手に立ちふさがるように馬車から降りてくる。
「たく…クソガキどもが!面倒かけやがって」
「危うく姐さんに殺されるとこだったぜ…勘弁してくれ」
「まぁ…こうなるよなぁ〜」
「ごめんね…」
懐からナイフを2本取り出して両手に構えるニールと、周囲の光の蝶を右手に集めて青白い光の剣をぐっと握りしめたカミルは私とチンピラ達の前に立ちはだかる。
痛い痛いと悶えながら足の矢を引き抜くことしかできなくて、その上完全に気を使わせてしまい本当に申し訳ない。
「まったく…アンタ達のポンコツっぷりにはヒヤヒヤさせられるわ」
突然パァンと馬車のドアが乱暴に開け放たれ、中から何者かが飛び出したと思えば美しい弧を描いて、私の背後まで軽々と地に降り立った。
長いピンク色の髪に眼帯、その上たくましいながらも出るとこは出ているナイスバディの女性がゆっくりした動作で弓を構えた。
馬車の上から弓を射ってたこの人がボスなんだろう、チンピラ達とは比べものにならないくらい強そうだ。
「ネズミが2匹も紛れ込んでんじゃないの…アタシはカミル王子だけでいいって言ったのを聞いてなかったかしら?」
「ヒィ!す、すいません姐御ォ!」
「仕方ない…王子以外は殺しても構わないわ。ホラ、とっと片付けるわよ!」
背後を取られた上に私とニールに殺意高い会話が嫌でも耳に入って辛い。
腕の傷は早くも塞がったようだが、足は流石に治りきらないか…血もドバドバ出て泣きっぱなしの私は何か出来ないかと考えを巡らせるが、不死を活かして特攻するくらいしか思い浮かばない。
本当に役に立たないな私!
うんうん唸っているとカミルがさり気なく私を庇うように誘拐犯のボスとの間に立つ。
「…大丈夫だ。お前はそこで大人しくしてろ」
うずくまる私を落ち着かせるようにポンポンと頭を軽く叩き、右手で剣を構えて左手で素早く魔法陣を描く。
「ほ、本当に大丈夫…?」
「まぁ、のどか姉ちゃんを差し引けば充分やり合えるくらいには強いぜ。俺達」
「本当にごめんて…私は死なないから気にしないで闘ってください…」
痛みはしっかり感じるから嫌なんだけど、私にできることと言ったら不死効果を活かした肉壁になるくらいだが、2人は私が一応不老不死であるとは知らないし、そして言っても信じてもらえない。
その証拠に身軽なニール君が軽く避けられそうなチンピラの攻撃を一つ一つナイフで器用に受けて止めている。
明らかに私が後ろにいるために軽くいなせる攻撃も避けずにわざわざ受け止めてははじき返し、チンピラを蹴飛ばしては一定の距離を保っている。
最早全部受け止めてしまうのもすごいのだが、私がお荷物な限り苦しい状況が続きそうだ。
一方のカミルは連射される矢を巧みに剣で叩き落とし、左手で描いた魔法陣から出てきた鋭い氷柱が誘拐犯のボス目掛けて放たれる。
しかし彼女は1.2発目を軽く避けてから3発目は素早い弓さばきで危なげなく相殺する。
2人の渡り合えている様子から私がいなければ結構圧倒していたのではと自分の存在を今日ほど恨めしく思ったことはない。
だが現状でも互角ということは私が動けるようになり、2人がもう少し自由に戦えるようにすれば勝てる可能性もあるかもしれない。
「温室育ちのやわい坊やだと思っていたけど意外とやるじゃないか。まぁ、大人しくしてくれた方が傷つけないで済むんだけどねぇ?」
「さらわれた時は不覚をとったが、これでも王子だからな。お前らのような輩に負けるつもりもないし、また捕まるつもりもない」
「ふーん…言ってくれるじゃないか。このアタシの弓を受けて生きていられたなら褒めてやるよ!」
今までとは違って恐ろしいほどの殺気を放つ彼女は矢を1本取り出すと、力を込めるように握りしめて何かを小さく呟く。
「やべ!姐御ヤル気だぞ!」
「俺達まで巻き添え食っちまう!」
「…?ちょっと待てよ!」
急に慌てふためきながら明らかに背中を見せて馬車まで退がるチンピラとそれを追うニール。
そして彼女が青く光る弓をこれでもかと大きく弦を弾いたと思えば、照準を空に向けて勢いよく矢を放った。
「?誤射か…?」
「目にもの見せてあげる!くらいな!流星弓っ!!」
まるで必殺技を決めるように彼女が高らかに叫ぶと同時に天高く上がった矢が青い光となって無数に散らばり、その全てが私とカミル目掛けて流星のように降り注いだ。
これは受けたらやばい。
絶対身体に風穴空いちゃうやつだ。
危険だとはわかっているのに未だ治らない足のせいでうずくまったまま動けない私は『穴空いても不死で何とかなるよね』と完全に避けるのを諦めた。
「くそッ!伏せろっ!」
そんな私に駆け寄ったカミルが私を庇うように覆い被さり、剣を天へと突き出し、その形態を傘のように変化させた。
矢の雨が降り注ぐ轟音に思わず目を閉じて頭を抱える。
すぐに音は止んで目を開ければ周囲は異常なほど無数の穴が空いて煙を上げているが、私は新たに痛む箇所もなくホッとする。
「大丈夫か…?」
「あ、ありがと…超助かった…」
「そうか…」
カミルは沢山の矢を受け止めた光の傘をまた剣へと戻して、私の様子を確認すると少しだけ笑った。
しかし汗を滲ませたその顔は少し苦しげに見えた。
「カミルは大丈夫…?」
「……」
「カミル…?」
グラリと揺らいだカミルの身体を慌てて支えて彼の異変に気付く。
彼は両足を射抜かれていたようでズボンの裾どころか、地面までも赤く染まっている。
明らかに私より重症だし、とても立てる傷とは思えない。
「カミルーっ!くそ!」
遠くでニールが焦ったように叫ぶ声がする。
しかしチンピラ2人相手に戻ってこれないようで、刃が打ち付けられる金属音だけが耳に届く。
「ふふふっ…庇わなければどうにでもなったのに、優しくて愚かな愚かな王子様ね。まぁ、いいわ」
ツカツカとピンク色の髪を揺らして歩み寄る不気味な笑みを浮かべた彼女から少しでも遠ざかろうと私はカミルを抱えて後ろに退こうとするも足痛いし、カミルを抱えて退がれほどの力もない。
結局のところ、彼を渡すまいとぎゅうと抱きしめて近づく誘拐犯のボスを睨みつけることしかできなかった。
「あらあら…必死ねぇ、怖いくせに強がっちゃって…可愛いじゃない。でも依頼なんでね、坊やは貰って行くわ」
「無理!絶対渡さない!」
「そう…それならお嬢ちゃんを殺してからにするわ」
すっと間近で弓を構えて矢が眼前にあてがわれる。
キリキリと音を立てる弦と私を見下ろす冷たい瞳に私は目を閉じて歯を食いしばった。
弓で頭貫かれるのってどれだけ痛いの?
本当そんなことされても私生きてられるの?
そもそもそんなえぐい目に会いたくない!!
つーかジルベルトさん達、私に気づくの遅くない!?本契約よ!?
「もうこの際どんなにいじめられてもいいから助けてぇ!フォルカさぁああん!!」
そう切に願いながら私は思いっきり叫び上げた。
矢が放たれたような気配を感じてギュッと目を瞑り続けていたが、頭が貫かれることはなく、ドシャっと何かが地面に崩れ落ちた音がした。
恐る恐る薄めを開くとすぐ近くに見知った青く美しい瞳と目が合った。
何とタイミングのいいことか、私の願いが届いたと言えば聞こえはいいが、未だかつてないほどに上機嫌でやる気のあるフォルカさんは初めてで、ちょっと後悔する。
「いい心がけじゃん。今の言葉絶ッッ対忘れないから」
さも楽しそうに邪悪な笑みを浮かべるフォルカさんはいま一度下敷きとなっている誘拐犯のボスを踏み付け、夜空に飛び上がる。
「ニール!こっち来て!」
「お、おう!」
腕を組んだままのフォルカさんが黒い翼を広げてパチンと指を鳴らすと大きな魔法陣が一瞬で描かれ、その瞬間大地が大きく揺れ始めた。
危機を察知してニールを呼び寄せておいてよかった。
彼がさっきまで立っていた場所は大きくひび割れ、チンピラ2人と誘拐犯のボスが立っている地面が綺麗にえぐられて浮き上がっていく。
そしてフォルカさんの冷たい瞳が彼らを捉えると唐突に吹き荒ぶ風に思わず目も開けてられなくなる。
次に目に入った光景は誘拐犯を含めて木やら地面やらを巻き込んだ巨大な竜巻が出現していた。
多分これフォルカさんの情けがなければ私達も完全に巻き込まれてたんじゃとぞっとする。
ニールとカミルもさっきまでの緊迫した雰囲気はなくなり、ただただ呆然としている。
誘拐犯達の悲痛な悲鳴に少し同情しながらも、フォルカさんの強さは本当に規格外なんだなと知った今日この頃だった。
「ま、僕にかかればざっとこんなものだよね」
ふわりと優雅に翼を広げて降りてきたフォルカさんの背後は先ほどまでの、のどかな広野とは思えないくらい荒れ果て、誘拐犯達もボロボロになって転がっている。
「ちょっとやりすぎなんじゃないすかね…震災後みたいで笑えないっすよ…」
「…何?文句あるわけぇ?」
「いえ!助けていただき本当にありがとうございます!!」
ジロリと冷たい視線で睨みつけられ、即座に態度を改める。
今はフォルカさんのご機嫌を損ねている場合じゃない。
「フォルカさんて回復魔法も使えます?」
「あー?アンタはもう大丈夫でしょ?」
「いや、私じゃなくて…」
チラッと背後で未だに呆然としている2人に目を向けると、フォルカさんは私の言いたい事を理解したように頷いた。
「できないこともないけど、そーゆーのはリシェットが得意だからそっちに頼んだら?」
クイッと神樹の方を見やる彼の視線を追うと、キラキラと星を飛ばしながら空を駆けてこちらに向かってくるメルヘンな馬車。
あの馬車空も飛べたんだ…!
驚いている間にゆっくりと私達の前に止まった馬車の上から心配そうにリシェットさんが降りてくる。
「和様!良かった!心配しましたよ!」
「リシェットさん…本当にごめんなさい。ちょっと色々あって…とりあえず今は彼らの傷を治してほしいです!」
思えばリシェットさんと別れてから結構な時間が経っているから、本当に彼女には心配をかけた。
あとでちゃんと説明しようと心に刻みながら、座った状態で動けないカミルの元へリシェットさんを連れて行く。
「まぁ、ひどい傷…痛かったでしょう?今癒して差し上げますね」
優しいリシェットさんの言葉でようやく緊張の糸が切れたらしい2人は疲れたようにその場に崩れ落ちる。
リシェットさんの治療の様子を見ていようと思っていた私だが、フォルカさんに声をかけられて急いで彼の元へ向かう。
「はい!何でしょう!?」
「僕はお前の事情なんて知らないし興味もないけど、あれほっといていいわけ?」
とフォルカさんの指差す方には誘拐犯のボスを担いで、チンピラ達がボロボロになりながらも逃げ出そうとしている。
あれだけの目に会いながらも動けるとは相当タフな連中だとちょっと感心してしまう。
「…殺っとく?」
フォルカさんの物騒な発言はチンピラ達の耳にも届いた様子でガクブルしてる。
「いやいやいやいや」
流石に殺しは後味悪いし、あれだけの仕打ちを受けたのだからいいんじゃないかなと思う反面、また王子であるカミルが狙われたらマズイのではとも思って判断に困る。
しかし私がうんうん唸っている間にチンピラ達はすごい速さで無事だった自前の馬車に乗り込み
「お、覚えてろよーっ!!!」
と威勢良く吠えながら慌てて逃げ去っていった。
あの定番の台詞、またいつか会いそうだなぁ…捕まえておくべきだったか。
ともあれ、大暴れしたフォルカさんのおかげ今回の一件は何とかなったようだ。
「…のどか姉ちゃん、この人達誰なの?」
まぁ、ニール達からすれば当然浮かび上がる疑問に私はどう応えたものかと少し考える。
「えっと…居候先のすごく強い悪魔様のフォルカさんと、すごく優しいリシェットさんです」
「あ、悪魔…」
「姉ちゃんの居候先って?」
「…神樹に居を構える大魔法使いさん家で…多分言い伝えの魔女に当たる人かなーって」
魔獣もいるよと付け加えて少しでも軽い感じで笑ってみせたが、2人は和むどころか驚愕した表情で固まった。
どうにも私1人じゃ場の収集がつかず、もう面倒くさいからジルベルトさんにどうにかしてもらおうと一旦家に帰ることにした。
「お前をパシるのは明日からにしといてあげる」
とフォルカさんに軽く死刑宣告されつつ、自前の翼で先に帰宅する彼に助けてもらった事を感謝しながら見送った。
明日からの日々はもうどうなるのか想像もつかないが、今は考えないようにしよう。
「和様、私達も参りましょうか」
「うん!お願いします!」
ニールとカミルを馬車に押し込んだ後に私は手綱を握るリシェットさんの隣に座った。
ぬいぐるみの馬が走り出すと馬車はフワリと浮き上がり、フォルカさんが散々荒らした広野から遠のいていった。
丸い月と小さく光を放つ星の運河を間近に感じて、思わず見惚れてしまう。
「ぉおお…綺麗だ…」
色々あって大分疲れているはずなのに、目に入る全てがいつも新鮮で驚かされるばかりだ。
もう自分が何を目にしても感動できてしまうただ単純な人間なような気がしてきた。
「…大変な目にあってきたご様子ですが、和様はいつでも楽しそうですね」
隣にいるリシェットさんにも優しく微笑まれてしまうほどだ。
沢山迷惑をかけたというのに、怒るどころか彼女はただ穏やかに笑みを携えながら一度だけ優しく頭を撫でてくれた。
「和様がどんな冒険をされたのか、聞かせてくださいますか?」
まるで母親が子供の話を聞くように、私は疲れも忘れて街でのスリ事件からカミルやニールとの短い旅の話を語った。
リシェットさんは時折、驚いたり笑いながら家に着くまでずっと私の話に付き合ってくれた。
雲一つない丸い月と星々の輝く夜に空を飛ぶ馬車に揺られながら、おとぎ話のような体験をした夜だった。