二人の永遠の牢獄暮らし
「俺をこの塔から出した男…ハイレインと言ってたな…そいつが言ってたんだよ『我らレブルの民は破壊神サナトス様の僕、何処にいようとも必ず迎えに参ります』…ってな」
愉快そうにケタケタ笑うイドラ君とは打って変わって私は唐突な破壊神とのエンカウントで青ざめるばかりでいつまで経っても感情も思考も追いつかない。
まるで百獣の王であるライオンのたてがみのように淡い黄金色に輝く髪の毛が重力関係なく縦横無尽に広がっているインパクトも、彼が破壊神の生まれ変わりであると聞いた今では切る暇がないとかすごい寝癖とかではなく、またやたら主張の激しい金色の逆さ十字架のピアスの派手なファッションセンスもラスボス的な意味があったんだなと思えば謎に納得できてしまう。
レムレスさんを魔女や大賢者と言ったり、閉じ込められていると言った謎発言も最初から最後まで正直に事実を述べていたことがわかると、レムレスさんがやたら私を警戒していたのは破壊神を封印してる空間に空気の読めない客人が落ちてきたからなのだろう。
別に冒険者でも勇者でもないけど、最序盤の町のクエストさえ解決してない私が来るダンジョンじゃないし、RPG的にも来る時期も早すぎると言うもの。
「それで城の宝具であるこのラプラスの杖を強奪して…えーっと…何やかんやあって王座の前で封印された…?」
「えぇ…何で疑問形なの?めんどくさくなりすぎでしょ…」
「……とにかくよく覚えてないが…そんな感じ」
「えぇ…」
ベッドの上で膝を抱え、虚ろな瞳でまたぼんやりと宙を見るイドラ君に消化不良な想いをさせられながらも、彼が持っている杖が宝具だったことに驚きつつもこれで4つの宝具の存在を確認出来たのは唯一の収穫だ。
いくら封印中とはいえ、アリスも機能しない今破壊神の生まれ変わりの彼から杖を奪うだなんて危険な行為に走る勇気はない。
というか、看守のレムレスさんが宝具をわざわざ持たせたままにしてるんだから部外者の私が下手に手は出すまい。
宝具を集めても本当に願いが叶う保証もないしね…むしろアリスという呪いのせいで信憑性が薄れてきてるんだよなぁ。
「……」
それにしても急に邪悪な雰囲気を醸し出して饒舌になったと思えば、魂が抜けたように静かに感情が死んだような顔をするイドラ君の独特なテンションにはどう対応していいかわからなくて戸惑う。
ふと膝を抱える彼の足から赤い雫が滲み、滴り落ちていることに気がついた。
「…ちょっと君ィ怪我してるよ!?痛くないの??!」
「…怪我?」
よく見れば足は傷だらけで汚れも酷いし痛々しい…裸足であちこち移動していたのだからこうなっても不思議じゃないけど、破壊神ならば再生能力持ちだとか色々特殊能力を持ってるかと思ってた。
でもよく思い返せばたまに小石につまずいたり、長い階段を上って呼吸を乱したりと私よりも貧弱な様子を見せていたこともあったし、身体は生身の人間なのかも知れない。
「裸足で歩くから…痛くないの?」
「…痛い?」
「えーっとこうズキズキするとか、チクチクするとか、ジンジン痺れちゃうとか!」
「……痛い」
私の必死のジェスチャーで何となく通じたみたいで心なしかシュンとしたように見える。
そんな姿に先ほどまでの緊張は何処へやら、不思議と強張っていた頬が緩んで私はおもむろに背負っていた鞄を下ろした。
「ちょっとじっとしててね。手当てしてあげるからさ」
「……」
恐らく私の言葉の意味を理解してはいないんだろうけど、小首を傾げながらも大人しいイドラ君の足をベッドから投げ出させた状態で待ってもらう。
鞄は口が開きっぱなしの状態で落ちてきたせいもあって中身がいくつかなくなっているけど、とりあえず目的の物は無事なようで安心した。
「じゃ〜〜ん!!救急箱!」
「…キューキューバコ?」
「とにかく怪我してもこれがあれば治せるのだよ!大抵はね!」
ぶっちゃけジルベルトさんと契約した私がこれを使う機会なんて早々ないのでお荷物とばかり思っていたけど、今は持たせてくれた心配性のリシェットさんには感謝しかない。
以前お金はどこから賄っているのか気になって興味本位でジルベルトさんに聞いてみた所、ジルベルトさんの魔法薬製作の余り物の素材を使ってリシェットさんが傷薬や回復薬などなどを作り、定期的に馬車でリーゼンフェルトの薬屋さんに売り込みに行っているようだ。
またリシェットさんが作った薬は出来もいいので高く売れるし、評判も良くご贔屓にしていただいてる薬屋さんもあるんだとか。
そんなわけでジルベルト家の家計を支えているのはリシェットさんであることが判明したし、彼女からもらったこの救急箱は市販で買う薬より良いものが入っていると言うわけである。
化粧箱みたいな可愛らしい箱をパカっと開けば見慣れない綺麗な形をした小さな小瓶に入った透明な緑や青、赤などの薬液や塗り薬、飴玉のような錠剤の他にもよく見慣れた白いガーゼや包帯なども綺麗に箱に並んでいる。
さらにリシェットさんがわざわざ作ってくれた説明書が入ってて薬液の使用方法もわかってホッとした。
ある程度の傷や状態異常を治すような万能薬もあるけど、勿体無いから普通に処置をしよう。
「とりあえず足を洗おう!」
救急箱から水の入った瓶の蓋を開けて傷口を中心に足先を洗う。
「…冷たい」
この魔法瓶はジルベルトさんが作っただけあり、とても便利なことに見た目よりも多くの水を取り込むことができるのである。
ワルツさんの収納術と同じ仕組みだが、保存できる水の量はリシェットさんいわくとにかくいっぱいらしい。アバウトだ。
しっかり汚れも落としきることができるくらいには丁寧に洗い流し、清潔なタオルで拭う。
その後に小瓶の霧吹きに入った消毒液を吹きかけると無表情だったイドラ君の表情が苦々しく歪んだ。
「…痛い」
「男の子なんだからこれくらいは我慢我慢!」
「……」
不貞腐れたような目で私を睨みつけるイドラ君を見ているといつかの弟を見ているようでフフッと笑みが零れてしまった。
さっきまで傷だらけの足をほっぽったままでも痛がりもしなかったくせに、理解した瞬間覚えたての言葉を使いたがる子どもみたいな反応が何だかおかしくて堪らない。
そんな私の反応にイドラ君はますます眉根を寄せるので、彼が本格的に怒り出す前に処置を終えるために救急箱から塗り薬を手に取った。
「これを塗って終了っと…おおっすごい!治ってるよ!」
さっすが異世界の傷薬!さらにリシェットさんの作った特製薬だけあって、あっという間の内に切り傷や古傷まで癒え、見違えるくらい綺麗な足に早変わりだ。
そんな自分の足を見て少し驚いたようにイドラ君が目を丸くして足の指を広げたり、手で触ったりしている。
「……痛くない」
「即効性があって良かったね。それから…」
ベットの上を歩き回ったりジャンプしたりするイドラ君を横目に鞄を漁り、靴下と今履いているスニーカーとは別に常備しているブーツを取り出して床に並べる。
「ちょっともっかい足見せて」
「…?何だ?」
「…さんきゅ」
私の足のサイズに合わせてある靴下とブーツをイドラ君の足のサイズに合わせるようなイメージを思い浮かべて手をかざす。
色や質感ではなく、形を変化させるのは初めてだから慎重にと薄目で変化を確かめつつ魔法をかけた。
「あ、あれ…?ちょっとやりすぎたかな…」
靴下はともかく、ブーツは履き口を広げすぎつま先をちょっと伸ばしすぎたようなダボダボ感が出でしまった上に元の生地を薄く伸ばしたような安物な作りになってしまった…。
とりあえず興味津々にそれを見ていたイドラ君に靴下を履くように促し、ブーツを履かせてみた。
「ん〜〜…大きくしすぎちゃった」
キツいよりはと思ったけどダボダボしてちょっと脱げそうなブーツを見てもっと沢山試して精進しようと密かに誓った。
「…」
「歩き辛いかもだけど、裸足で歩くよりは絶対いいからさ。履いてよね」
「……」
相変わらず無言+無表情ではあったものの、立ち上がりふらふらと歩きながら部屋を出て行くイドラ君の様子を見て、唐突に歩き出したくなるくらいには興味を持ってくれて良かったと安心した。
「破壊神の生まれ変わりかぁ…」
出会ったばかりでイドラ君のことなんかよく知りもしないが、時たまとんでもない破壊活動や発言が目立ちながらも、突然何も知らない子どもみたいな無邪気さの中に真っ白な純粋さが垣間見た気がする。
まだ世界を知らないただの幼子に見えて世界を崩壊へと導くような悪しき存在とは私には思えない。
少し時を共に過ごしただけの私の感想など大した当てにもなりはしないだろうけど、塔の外へ出てブーツで地面を踏みしめながら走るイドラ君を見ているとどうしてもそう思えてしまう。
だからこそ孤塔に閉じ込められて育ち、世界を本の中でしか知らないイドラ君が何だか不憫で何とかしてあげたくなるのだ。
「フォルカさんが言うように、やっぱ私って馬鹿なのかなぁ…」
いっそアリスみたいに欲望に素直でいてくれたならこんな風に思わずに済んだのかなと、静かすぎる胸元のネックレスをそっと握った。
ー巻きぞえアリスの異世界冒険記40ー
「やぁ、イドラと沢山遊んでくれたみたいだね。助かるよ」
「レムレスさん!どうもです!」
「ふむ…それでこれはどう言う状況何だい?」
あのまま靴を履いて歩くのに夢中になったイドラ君は時折転びながら、お気に入りらしい図書館へと再び戻り過ごしていた私達の前に現れたレムレスさんがにこやかな笑みを浮かべながら不思議そうに小首を傾げた。
「いや〜ここって真っ暗で湿っぽいじゃないですか。だからこう魔法で綺麗な景色をイドラ君に見せてあげようと思ったんですけど…」
何だかより素直になったイドラ君が沢山の挿絵が載っている絵本を開いては説明を求めてくるのをなけなしの知識と語彙で頑張って答えていたのだが、形にした方が早いだろ!とホログラム的な感じで綺麗な青空や色とりどりの花畑を思い浮かべながら魔法を唱えたはずだった。
「ふふっ…その結果がこの惨状と言うわけだね」
「へっへへっ…すいません」
レムレスさんは笑いこらえながら落書きのように壁や書架に並ぶ本の背表紙にペンキをぶちまけたようなヘッタクソな青空の落書きや、瓦礫の山である床一面におどろおどろしい目に痛い色合いの小学生レベルの絵心で描かれた花の集合体を見ては顔を背けて笑っていた。
想像力が乏しすぎて絵の完成度でさえ低すぎる私にとってはとても恥ずかしい結果となってしまったのだが、イドラ君にはちょっと珍しいものだったんだろう、はしゃいでいるっぽいからよしとしておこう。
そんなことよりもレムレスさんが現れたと言うことは帰り道が確保されたのかとソワソワする私に一度咳払いをした彼女はグッと親指を立ててウィンクをした。
「待たせたね。準備が出来たから呼びにきたんだよ」
「やったー!ありがとうございます!」
「礼には及ばないさ。さぁ付いておいで」
「はい!」
「……」
レムレスさんの後を私が追うと下手な空と花畑に夢中だったイドラ君もスタスタと後についてくる。
俺も外に出せだとか癇癪を起こすこともせずに大人しく後をついてくるイドラ君を振り返り、先頭を歩くレムレスさんの長い三つ編みが揺らぐ背中に視線を移す。
レムレスさんは自分のことを魔女だと言っていたけど、イドラ君の話からすれば魔女と言うよりも魔王に対する勇者や悪に対する正義のように。破壊神とは対照的な位置にいるだろう大賢者という方がやっぱり正しいんじゃないかと思う。
破壊神の生まれ変わりの力を封じて、周りに被害が出ないように人目のつかない場所に封印する。
そんな経緯があったんじゃないかと推察したけどやっぱりレムレスさんの口からちゃんと話を聞かないことには私の妄想でしかない。
背後を歩くこの腑抜けたイドラ君が本当に破壊神なんて言うほど危険な存在なのかも確かめたくて仕方ない。
意を決して私はレムレスさんに声をかけてた。
「あ「しまったね…忘れ物をしたよ。イドラ、すまないけどちょっとアタシの部屋の机の上にある小箱を取ってきてくれないかい?」…」
あげた声が唐突に振り返って喋り出したレムレスさんの発言に塗り潰され、驚く私には目もくれずにレムレスさんはずんずんと嫌そうな顔をしたイドラ君に詰め寄って行く。
「…何で俺がババァの言うことを聞かなきゃならねーんだ」
「まぁ、そう言うんじゃないよ。このお嬢ちゃんのためだと思って行ってきてくれないかい?」
「……」
「…行ってきてくれたら特別なご褒美も用意しようかねぇ」
石の如く変わらないしかめっ面でレムレスさんを睨みつけていたイドラ君がピクリと肩を震わせた。
「…ゴホービ…何を?」
「良いものさ」
「…わかった」
少し悩んだ後アッサリと頷いたイドラ君は颯爽と背を向けて街の暗闇へと姿を消した。
「よろしく頼むよー…さて」
ひらひらと手を振って彼の背中を見送ったレムレスさんが突然の事態に呆気に取られる私を静かに振り返った。
「ひとつ、昔話をしてあげようか…聞いてくれるかい?」
さっきと打って変わって真面目な声音と笑みが消え去った真剣な顔つきに怯んで後退りそうになった。
しかし茶化すこともはぐらかすこともないだろうと感じさせる真剣な眼差しを受けて私は口を固く噤んだまま大きく頷いた。
「ここが国として機能していた時の話だ。イドラは王子として破壊神の呪いを抱えて生まれ落ちた。それ故に幼い頃に発現した破壊神の力によって起こった惨劇で城の兵士やあの子の母親が死んだ。そして父である王はあの子を酷く恐れてね…辺境で暮らしていた魔女のアタシにあの子の力が及ばない特殊な孤塔を建てさせ、あの子を閉じ込めた」
イドラが4歳の時の話さ、と教会への道中でレムレスさんの静かな声と寂しい2つの足音だけがよく耳に届いた。
「あの子があの孤塔に閉じ込められて10年もの歳月が経ったとある日、ある男がこの国へやって来た。男の名はハイレイン…女神シュトラールの信仰国であるこの国へやって来た女神の神官だと名乗っていたけど、とんだ大嘘つきさ」
「……」
「ハイレインは女神ではなく破壊神であるサナトスの邪神官だった。あの子への恐怖心に支配されていた王を謀り、国の宝具を盗み出して連れ出したイドラを唆し、この国の民も城も街も全て破壊させたのさ」
「そんな…イドラ君が…」
「ハイレインはその場であの子を破壊神として復活させる気だったんだろうさ…アタシが駆けつけた時にはすでにこの惨状。アタシは2人の弟子にハイレインを任せて暴れ狂うイドラを止めに行った。破壊神として力を行使しようとするあの子を殺すつもりでね」
「……」
「だけれどね…あの子の姉さんに、王女様に止められたのさ。私の弟をどうか殺さないでほしいと強く強く懇願されてね」
「イドラ君のお姉さん…」
イドラ君の話にも少し登場したお姉さん、詳しくはわからないけどレムレスさんの反応を見ても本当に弟想いだったんだと感じる。
「唯一イドラを気にかけていた子だった…王女様の命をかけた奇跡の魔法でイドラは破壊神として覚醒することはなくなったよ。おかげで記憶が曖昧なあんなぽやぽやした子になったけどね…そしてアタシは消えた王女様の願いをどうしても裏切ることが出来ず、破壊神の力を5つの枷で封じ込めて、誰もあの子に近づけないようにこの国を大陸ごと深い深い奈落の底に落としたのさ…フォルテシアの破滅を逃れて、あの子の願いを聞き届けてあげる方法がアタシにはこれしか思い浮かばなかったのさ」
闇に包まれたこの空間の真実に触れた私はとても重い事実に言葉が出ずに、自然と下を向いてしまう。
レムレスさんの足元を写す視界でふと彼女が足を止めてこちらに向き直る。
ゆっくりと上げた視線の先で教会の扉を前にして悲しそうに微笑むレムレスさんの悲痛な表情に心臓を握り潰されるように胸が苦しくなった。
「だから光も射さず時間が経つこともない永遠の地獄であるこの場所はあの子とアタシにとっての牢獄なのさ…多くの民を殺めたあの子と、あの子を生かして永遠に世界を危機に晒すアタシのね」
「………」
思ったよりもずっとずっと悲しくて辛い私には到底現実感のない本に綴られた物語のような遠い話だった。
どう答えればいいかも、私がレムレスさん達に出来ることも何もないし、口を挟むほどの関係性もない。
そもそもこの異世界で過ごす日々だって夢物語のように感じているのに、元の世界に帰りたいだけの部外者の私に出来ることなんてあるはずがなかった。
それでも馬鹿みたいに胸は締め付けられるし、自分のことでもないのに無性に悲しい気持ちになってしまう。
同情した所で何も生まれないのに感情が揺さぶられて仕方がない。
「悪かったね…つまらない昔話さ。忘れておくれ」
レムレスさんは笑ってそう言って頭を撫でて慰めてくれたけど、髪を撫でる彼女の手はわずかに震えていた。
教会の扉を開き、潜る彼女の寂しげな背中に私はもっと聞きたいことが沢山あったはずなのに、何も言うことが出来なかった。
『イドラ君を外に出してあげることはできないか』
『白黒の本でしか世界を知らないイドラ君に自分の目で世界を確かめさせてあげられないか』
『こんな暗闇の世界じゃなくて、色とりどりの綺麗な世界を見せてあげたい』
そうしたらきっと彼は世界の美しさや優しさに触れて変わることが出来るんじゃないかって、子どもみたいに純粋な心を白く染め上げられたなら何か変わるんじゃないかと心に募った思いは声にはならず、胸の奥に埋もれて行った。