嵐の前の静けさに(後編)
ニールを捜し求めてやって来た教会は人でごった返していた。
(何だ〜?この人だかりは)
「いつも廃れてるのに…有名人の葬式?」
「不謹慎だぞ…ニールが今日は炊き出しやってるって」
「炊き出しかぁ」
よくよく見れば並ぶ人は貧民街でよく見る痩せ細った人ばかりで、教会横の広場に人の列が続き、奥から何だか香ばしい匂いが漂ってくる。
カミルについて行って簡素な屋台を横から覗けば手際よく料理を提供する教会の子ども達と手早く料理をよそるニールが忙しそうにしてる。
「お二人共こんにちは。よく来てくれましたね」
「こんにちは、ヨルン神父」
「神父さまこんにちはー。忙しそうですね」
看板を持って列を整備していたヨルン神父が私達を優しい笑顔で迎えてくれる。
「懇意にしてくださるヤスさんから沢山の食材を譲っていただきましたので、今日はこうして皆さんに振舞っているんです」
「へぇ〜ヤス先輩来てるの?」
「ええ。今は厨房で料理を作ってくれているのですよ」
「ヤス先輩…いいヤンキーですよね」
「ヤンキーって何?」
ヤス先輩は時々街へ買い物に来たり、ワルツさんやノワール君がハンティングした魔物の素材を売りに来たりするのだけど、今日は大物が取れたかなんかで食材のお裾分けに来ているそうだ。ちなみに以前釣った謎の巨大魚を釣った際もお裾分けしていてその時も炊き出しを行ったらしい。
ヤス先輩が結構慈善活動していることにヤンキーなのにと驚きつつも、人柄的には納得できる。むしろ何でヤンキーなのか。
「私にも何か手伝わせてください!」
子ども達までもが忙しなく働いている様子を見ていると、自分にも出来ないことがないかと本来の目的も忘れてヨルン神父に申し出てみる。
「私としては大変嬉しいですが、用があって来たのではないのですか?」
「構わない。俺も手伝う」
「えっいいの?色んな意味で」
私はともかくカミルはこの国の王子様であるのだから知名度的にバレたら問題では…単純に王子様に下っ端の雑用させるのもあり得ないと訝しむ私にカミルは何の躊躇いもなく頷いた。
「元から炊き出しするのは知ってたし、ニールにも手伝えって言われてたんだ」
「アイツっ!!王子相手にとんでもない男だな」
「?そうか?炊き出しなら何度か手伝ったことあるし別に今更だぞ」
「マジすか神父さま」
「…はい。私も最初はマズイかと思ったのですがカミル様、売り子として評判良くてつい…あっ大丈夫です!王子であることはまだバレていません!」
「いや人気出たらその内バレちゃうよ…ダメじゃん…」
(庶民派馬鹿王子かよ。こりゃ簡単に誘拐されるわけだぜ)
呆れたようなアリスの呟き通りで王子として麗しい見た目の割にカミルは王子様らしくない。庶民的で好感は持てるが、また変な輩に拐われたり騙されそうでより一層彼のことが心配になる。
そんなこんなで炊き出しのお手伝いをすることになった私は多少の料理の腕を買われてヤス先輩の補助に、カミルはニールと一緒に配布の方へと配置された。
カミルこそ人目のつかない方に回すべきではとヨルン神父に訊ねた所、以前厨房に回した時散々だったらしい。まぁ王子様は普通料理しないから仕方ないね。
ー巻きぞえアリスの異世界冒険記35ー
「と言うわけでヤス先輩!手伝いに来ました!」
「おー!助かるっすよ!ノドカちゃんあの後音沙汰なかったから心配してたけど元気そうすっね!」
厨房ではヤス先輩1人で慌ただしくも驚くほど素早い手際で調理している。
声をかけるとスカジャンにエプロン姿の金髪ヤンキーがニッコリと輝かしい笑顔で振り返るので違和感がすごい。
「おかげ様で、まぁ色々ありましたけど私は元気です!」
「とりあえずそこの野菜を全部一口大にカットよろしくっ!色々の内容、良かったら話してみない?むしろ愚痴でも何でも聞くっすよ〜!」
「まぁ〜ヤス先輩ならいいか。話せばちょっと長くなるんですけどね。あのですねー…」
ヤス先輩からエプロンと三角巾、そして彼の魔法によって創造された良く見慣れた万能包丁と木のまな板を受け取り、積み上がる色とりどりの野菜を刻んでいく。
ひたすらに野菜を切る作業を続けながら私はワルツさん宅から離れて今日までの出来事をヤス先輩に伝える。
馴染みのある謎に縦に長い玉ねぎもどきを切っているとめちゃくちゃ目に沁みて、密かにアリスが喚いていたがそのまま刻み続けた。
「へぇ〜狙われたり、呪われたり、憑かれたり災難っすね!」
「私も何度も死ぬかと思いましたよー未だにこのネックレス…アリスという爆弾を抱えてますけどね!」
「そんな状況でも元気なノドカちゃんさすがっす!」
(またオメーに似て能天気な奴が現れたもんだぜ)
ヤス先輩に辛辣な評価を下すアリスに苦笑しながらもちょっとだけ同意してしまう。
「まぁ、ヤス先輩は同郷だしね…そう言えばここ最近不可抗力的にワルツ師匠の修行をサボってるんですが…どんなご様子で?」
「あぁ、何かノドカちゃんが全然来ないから破門だー!とか騒いでたような」
「うそ…1週間もしない内に破門にされるって私見込みなさすぎ…!?」
「嘘嘘冗談っすよ!ただ、今ワルツさんも取り込み中でしばらくは来なくていいって」
「?何でですか?」
「『俺様には大賢者の弟子として神樹を守らないといけないのだ!』って、ノワールさん連れてジルさんの手伝いに行ったんじゃねーっすかね?それで俺もしばらく街にいろって言われて、教会でお世話になってんすよ」
「へぇ〜…ヤス先輩まで街へ寄越すって何か神樹大変なことになってるんですか?」
そう言えばアリスが今の神樹はまともに機能していないとも言っていたし、ソーマの世界を滅ぼす発言からも神樹って結構重要そうだし、狙われる可能性は大いにあるよね。
「詳しい事情は俺もわかんないんすけど、まぁあの人達のことっすからサクッと済ませて来るっすよ」
確かに大魔法使いを自称するだけの実力を兼ね備えている2人とその使い魔のフォルカさんとノワール君がいれば大抵のことはどうにかなりそうだ。
完全に蚊帳の外であるのがちょっと寂しいが、一緒にいても迷惑をかけるビジョンしか浮かばないからジルベルトさん達の選択は正解だろう。
ヤス先輩がかき混ぜる大きな寸胴鍋にはすいとん入りの大量の豚汁、テーブルにズラッと並ぶのは両面にハケで醤油を塗って軽く焼いた香ばしい香りを漂わせる焼きおにぎり。
今更ながらこの世界にも米とか醤油とか普通にあるんだと驚いていると、その辺りに詳しいヤス先輩がさらに驚きの情報を提供してくれる。
前に私が襲われたスライム群だが、あれが調味料になるらしい。
調味料スライム(ヤス先輩命名)は基本無害な上に勝手に増殖するし、絞れば塩味の液体、砂糖や醤油、蜂蜜などなどスライムの色によって色々な味があるそうだ。
米や小麦粉は以前から振舞われることがあったがどうやらこの世界にポツポツ自生していたそれっぽい植物を採取してヤス先輩が増やしたらしい。ノワール君の魔法補助があったとは言え、ヤンキーとは思えない多才っぷりだ。
「出来たの運ぶけど、ノドカちゃんはとりあえず持てる分だけで無理しなくていいっすよ」
ヤス先輩の隣で料理のお勉強と世界の不思議を味わった所で出来上がった豚汁入りの鍋をヤス先輩が、私はおにぎりが並んだ長方形のトレーを8つある内の2つ重ねてから両手で持ち上げて配布班の元へと向かった。
広場は相変わらず大盛況で並ぶ人が後を絶たない。
広場で座って食べる人もいれば、テイクアウトして持って帰る者、宗教的に神聖な教会内でいいのかと疑問にも思うが、ヨルン神父が快く解放した教会内のベンチを使う人と随分と賑やかな様子である。
「姉ちゃん、こっちこっち!」
ブンブンと大きく手を振って呼び寄せるニールの元へ行くと、空のトレーが4つも重なってる。とっくに配り終えていたようだ。
早々におにぎりのトレーを受け渡し、空のトレーを下げつつ残りのおにぎりを全て補充してようやく一息ついた。この食品の品出しをしている感じは飲食店でのアルバイトを思い出して何だかちょっと懐かしくなる。
広場の塀に座ってそんな風に懐かしんでいるとニールが冷たい飲み物の入ったマグカップを2つ手に持って隣に座った。
「ほい、お疲れ〜。カミルが姉ちゃんのことしきりに心配してたけど…全然元気そうじゃん」
「ありがとー。私はまぁ元気ではあるけどちょっと呪いが悪化したって言うか、色々あってさぁ」
「大体カミルから聞いてるぜ〜。取り憑かれてるんだってなー、ヨルンが解呪出来なかった呪いだろ?本当にそいつの言うこと聞いたりして大丈夫なの?姉ちゃんすぐ騙されるからな〜」
「腹たつけど騙す側のニールに言われるとなぁ…でもほら、幽霊なら未練とか晴らしてあげたら成仏するものじゃん?ホラー映画とかゲームにもよくあるでしょ!」
「あははっ相変わらず何言ってるかわかんねーや」
現代のホラー幽霊モノの知識は全く共感を得られなかったが、ニールは私の方針を真っ向から否定するつもりはないようだ。それ所か明日の遠出を楽しみにしているほどである。私はてっきりカミルみたいに否定してくると思っていたからちょっと拍子抜けだ。
「ニールっていい性格してるね。そんだけ大雑把なら生きやすそう」
「姉ちゃん、褒めてんだよな?まぁ、未来のこと何てどう転ぶかわかりゃしないんだし、ヤバくなったらその時考えりゃいいじゃん」
「意外と考えてる…だとっ」
(逆に何も考えてねーだろ)
「失礼だな〜。俺からすれば姉ちゃんもカミルも皆考えすぎなんだよ」
「カミルほど私考えまくってないと思うけど…」
「…確かに」
「肯定されるのもムカつく」
(面倒くせぇ女だな)
「とにかく先のことよりも今だよ今!今自分が一番やりたいことをやりゃいいんだよ!」
「う〜ん大雑把!でもわかるぅ!!」
ニールの考えだと後々やらかした時は大変そうだけど、結局未来がどうなるか何てわからないのだから悩むだけ無駄なのには同意だ。
仮に残念な結果となっても後悔しないように今を生きたい。
そんな人間になりたいものだ。
(…ウゼェ)
口には出さずとも恥ずかしいポエミィな思考をこうして読み取られてしまうのだから辛い呪いだ。
「姉ちゃんならそう言うと思ってたぜ。それに比べてカミルと来たらよ〜」
ニールがはぁーーーと露骨に長いため息を吐きながらちらりとエプロン姿で黙々とおたまで豚汁をよそうカミルを見る。豚汁よそう王子様とかもう意味わかんないな。
「カミルは心配性だよねぇ」
「事あるごとに和が和がーってうるせぇんだよ〜」
「あはは、気にかけてくれるのは嬉しいんだけど、何であそこまで過剰に心配してくれるのかね」
数少ない友達とは言え、ぶっちゃけついこの間出会ったばかりの他人だし、同じ友達のニールには割とサラッとした対応だし、一緒に誘拐されたりと濃ゆい時間を共に過ごしたりもしたけどそれにしても過保護が過ぎるような…アイラ様にも色々言われたし……まさかカミルが私に抱いてる気持ちって恋とか愛的な!?
「のどか姉ちゃん直ぐ襲われたり、呪われたりするから死にそうで心配なんだとよ。まぁ俺もそう思うよ姉ちゃん」
「……保護欲だったか」
まぁ婚約者いるしそんな気配はなかったので当然だが、ペット扱いされてるようでちょっと複雑。
「…アイツは困ってる人を見ると直ぐ構いたがるような奴だからな〜。だからこういうのも積極的に手伝いに来るし、俺が困ってるって言えば何だかんだ助けてくれるしな」
「優しいよねぇ…私はカミルのそういうとこ好きだよ」
王子としての立場からしたらとんでもない行動なのだろうけど、そう言った優しさを持っていても実行するのは難しいと思う身としては人としてとても立派に思える。
「俺は大したこと知らねーけどさ。カミルに最初会った時はコンプレックス持ちの超根暗野郎だったぜ。兄ちゃんがアレだし、色々あったんだろーぜ」
「確かに…最初に会った時はもっと卑屈だったような気がする」
「そうだろ〜ま、今も知らねー奴相手だとよくきょどってるぜ」
ほらほらとニールが指差す先のカミルは豚汁を受け取った人にお礼を言われる度にビクッとしながら照れているのかちょっと顔を赤らめながら小さい声で何か言ってる。
一々そんな反応をするので面白くてニールと共に吹き出していると、小さい女の子に2人の豚汁を渡したカミルがジロリとジト目で睨みつけてくる。覗き見ていたのがバレていたみたいだ。
教会の子供の1人に耳打ちするとおたまを渡してエプロン姿のままやって来たカミルが私とニールの前にズンズンとやって来た。
「人のこと指差しながら笑うとか失礼だぞ!……何の話してたんだよ」
怒りながらも少し不安そうに上目で私達を伺うカミルの反応がちょっと可愛くて私は少し萌えた。
「ごめんごめん!カミルの話してたんだ」
「俺の?……悪口?」
「言ってねーよ!むしろ褒めてた」
「えっ…マジ?」
ニールの発言で少し嬉しそうな照れ臭そうに笑うカミルを一先ず隣をポンポンと叩き、座るように促した。
「カミルが超優しいって話してたんだよ」
「ふ、ふ〜〜ん…」
「最初は根暗だったねって話もな」
「………」
ニールが意地の悪いことを言うから上機嫌だったカミルの表情が一瞬で曇った。
余計なことをと私がニール睨み付けると悪びれる様子もなくペロッと舌を出して、『俺おにぎり配らなきゃー』と言ってそそくさと作業に戻ってしまった。
「いや〜まぁ最初は暗かったねって話だからね!昔色々あったんでしょ〜わかるよ〜わかるよ〜私も仄暗い過去あるしぃ?」
(慰めるの下手くそかよ)
どうにかして場の空気を和ませようと頑張ってるのに横からアリスが水を差して来てムカつく。
ガッと呪いのネックレスを掴んで威嚇する私を横目に見ていたカミルが無言で数度瞬きすると視線を逸らして夕焼け空を見上げた。
「ま、実際根暗だし…お前の言う通り過去を引きずってんだろうな」
「……マジ?あ、聞いちゃいけない系だったら変なこと言ってごめん」
「別に構わない。もう過去のことなのに忘れられず、納得行く結果も出せない不甲斐なさは自分でも嫌になるから」
夕空を見上げているのにどこか遠くを見ているようなカミルに私は彼の過去に踏み込んでいいものかと目を泳がせながら惑う。
私に彼の悩みを解消できるような力はないけど、気持ちを吐き出すことで楽になることもあるかもしれない。
何よりもカミルのことをもっとちゃんと理解してあげたいと思い、意を決して彼に声を掛けた。
「カミ「神父様ーーーっ!!」」
ところがどっこい…私の真面目な声は突然血まみれのお爺さんを背負ったまま教会に駆け込んだおじさんの叫びに掻き消された。
しかし炊き出しのちょっとしたお祭りめいた明るい雰囲気を容易にぶち壊す普通じゃない状況に直ぐにカミルはおじさんの元に飛び出していった。
カミルの後を追って駆けつけた頃にはヨルン神父もニールも直ぐに駆けつけて崩れ落ちるおじさんを支える。
「神父様!ナタリアの爺さんが…ナタリアが…」
「話は後です。直ぐに中へ運びます!」
血まみれの怪我人を見る経験などまるでない私には体温がなくなるような冷たい嫌な寒気を感じるばかりで、テキパキと動くヨルン神父達を見送ることしか出来なかった。
(……駆け込んできた男も相当焦燥してたみたいだぜ。水でも出してやればいいんじゃねーの)
どうしていいかわからずにぼんやり突っ立ているとアリスにそう促され、直ぐに厨房へ急いだ。
厨房にいたヤス先輩に事の経緯を説明してお盆に水の入ったコップを数個と水差しを持って、一緒に教会内の医務室的な利用をされている小部屋に向かった。
開け放たれたままの扉から恐る恐る中を覗くと、血まみれだったお爺さんはベットに寝かされていた。
カミルがお爺さんの手を握って回復魔法をかけている横でニールがせっせとタオルで血を拭っている。
腹部に酷い切り傷を負っているのか、ヨルン神父が手をかざしてカミルとはまた別に魔法を唱えて傷を塞いでいる様子が伺え、緊迫した空気に足踏みしていると肩にポンとヤス先輩が手を置いた。
「大丈夫。ほら行くっすよ」
「は、はい」
先導していくヤス先輩の後に続き、部屋に入るとちょうど施術が終わったようでニールは血で染まったタオルを桶に放り込み、お爺さんに包帯を巻き、額に汗を浮かべたヨルン神父が暖かい笑みを浮かべて振り返る。
すると真っ青な顔には違いないが、死にかけていたお爺さんがゆっくりと目を開けた。
「致命傷となりうる傷は塞げましたが、血を流しすぎましたね。しばらくは安静にしなければ大変危険です」
「神父様!ありがとうございます!ロア爺さん無事で良かった…」
「……ナタリ…ア」
感激して思わず涙ぐむおじさんに対してお爺さんは青い顔のまま震える声でそう呟いた。
ナタリア、教会に駆け込んできた時にも聞いた名だ。
涙ぐんでいたおじさんもその名を聞くとハッとしたように椅子から転げ落ちる勢いでヨルン神父に縋り付いた。
「そうだ神父様!ナタリアが!ナタリアが連れ去られちまったんだ!!」
どうもただ事じゃないアクシデントがあったみたいでパニックになるおじさんをヨルン神父は優しく宥めながら、落ち着かせる。
「まぁまぁひとまず座って、水を飲んで落ち着くっすよ。何があったかは落ち着いてから話しましょ」
異様な雰囲気のままの室内を一転させるようにヤス先輩も明るく声をかけて、ささっとおじさんを椅子に舞い戻らせて、水を渡した。
私もちょっとお疲れのヨルン神父とニールにカミルと順番に水を渡して、極力邪魔にならぬようにしかし話を聞ける位置として、カミルの隣に立った。
水を飲み干して一息着いたおじさんは相変わらず深刻そうではあるが、落ち着いたのか取り乱す事なく静かに話し始めた。
「…教会から帰る時に突然路地裏で争うような声がして、爺さんの悲鳴とナタリアの泣き叫ぶ声が聞こえたんだ。血の匂いがしたんで直ぐに声のした方へ行ったら爺さんが倒れていて、ナタリアが怪しい男共に連れ去られたのを見たんだ!」
「ラムダさん、ナタリアちゃんがどこに連れ去られたかわかりますか?」
ニールがそう訊ねるとおじさんは悔しげに首を振った。
「一瞬でどこに向かったかはわかんねぇ…でも爺さんを背負う際に馬車が走り去るような物音がしたんだ」
「…あの辺りは道も整備されてねーし、普通馬車が入り込むことのねー場所だ。そして拐われのはナタリアが初めてじゃねー」
「え…どゆこと」
一斉に皆が顔を曇らせる中、何が起こっているか今一理解できなくて挙動不審にキョロキョロする私にヨルン神父が2人を元気付けている間にカミルが説明してくれた。
貧民街では度々人がいなくなることはあったが、ここ数ヶ月では特にいなくなる頻度が増したらしい。
それもナタリアちゃんのように幼い女の子を中心にもう10人以上も行方知れずになっている。
国から認知されていないに等しい貧民街の人々がいなくなったても事態が大きく取り上げられることもなく、密かに城を抜け出すカミルと貧民街によく行くニールは以前から知っているようでとても気にしているようだった。
「それってまさか拐われた子達は奴隷として売られたりしてるんじゃ」
「リーゼンフェルトでは奴隷商売は禁止されている。王国内では厳しく取り締まられているが…」
目を伏せるカミルからは王国外ではどうなっているかはわからないと言いたげに感じる。
「クロード兄様が時々視察に行くんだ。問題ない所もあるが、逆もある。だから絶対にないとは言い切れない」
「そうなの…」
リーゼンフェルトでは近頃警備の兵士も増えているし、国内で目立つ事件は今の所起きていない。
だからカミル達は拐われた子達は馬車でリーゼンフェルトの外に連れていかれているんじゃないかと考えているようだった。
「俺、クロード兄様に視察に行った領地のことを聞いたんだ」
カミルがおもむろに懐から折りたたんだ地図を取り出して見せてくれる。
世界地図ではなく、各領地が詳しく描かれた地図には手書きで丸がついてあるが、よく見ると着いていない場所もあり、最近よく耳にする名が載っていた。
「ヘイゲル…って明日の」
「そう、ここはまだクロード兄様が視察に行っていない場所だ。それにヘイゲルは胡散臭い男だ…怪しいと思う」
「そっか、それで明日付いてくるって必死だったんだ」
「杞憂ならそれでも構わない。でもヘイゲルが関わっているとしたらなおの事お前の身も危ないかもしれないだろ」
「それであんなに心配して…」
『兄様とマクシムは大丈夫だと思うけど…』と溢しながら腕を組むカミルに炊き出しや事件捜査など、私の知らない所で色々とイベントが起こっていることに驚いた。
私がアリスとあれこれしてる間にも、カミル達はカミル達でこんな事件に巻き込まれていたなんて露ほども知らなかった。
室内に響くお爺さんの悲痛な泣き声とおじさんの青ざめた顔、ナタリアという女の子は今日炊き出しで足の悪いお爺さんのために2人分の豚汁とおにぎりを持って貧民街に戻ったそうだ。
たった1人の大好きな祖父と共に一緒に食べるためにだ。
しかし共にご飯を食べることはなく、少女は連れ去られてお爺さんも大怪我を負い、ヤス先輩が作った料理は無残に踏み躙られた。
現代ならばテレビ越しで見聞きするような話を聞いているだけで誘拐犯にムカムカと怒りが湧いて来た。
「絶対許せん!それ、私も捜すの手伝うよ!大したこと出来ないと思うけどさ、協力させて!ねっ!?いいでしょ?!いいですよね!?」
気がつけば大きな声で高らかにそう宣言していた。
驚いた表情を浮かべる皆の反応にも構わずに興奮気味に詰め寄る私にヤス先輩の明るい笑い声が響いた。
「あっははっ!ノドカちゃんらしくなって来たっすね!もちろん俺も手伝いますよ!」
「ヤスさん…和さん、ありがとうございます。とても力強いです」
ニッコリと微笑むヨルン神父の笑顔にホッとしながら黙ったままのニールとカミルを見つめる。
「姉ちゃんならどうせそう言うと思ってたぜ!なっカミル!」
「ああ…いいけど、無茶するなよ」
ニールに肩を叩かれてムッとしていた表情を崩してため息をついていたが、割とあっさり了承してくれながら心配してくれるカミルに何度も頷きながら気合いを入れるようにグッと握りこぶしを作った。
大した手がかりもないし、本当にヘイゲル侯爵領に子ども達が拐われたかはわからないが、クロード様に怪しまれている上にカミルにここまで言わせるのだから本当にロクでもない貴族の可能性が高い。その時は何としてもナタリアの子ども達をの居場所を掴まなければ…!
大した関わりもないが、苦しそうにするお爺さんを見ていると自分の祖父を思い出して胸がちょっと苦しくなった。
必ずナタリアをまた他に家族を拐われたお爺さんと同じ被害者の元へ子ども達を帰そうと私はそう一つ決心する。
「アリスも協力してね」
火
(はぁ?何で俺様が………まぁ、いいぜ。手伝ってやるよ)
快く承諾するまでの間が気になるが、とりあえずは協力的なアリスの反応に安堵する。
(随分面白ぇ事態になっているようだし、付き合ってやるよ)
不安要素でしかないアリスだが、何を考えているのか急に協力的だ。それはそれで不信感…。
(ククク…いいよなぁ、平和が壊れる音って)
アリスの隠す気のない悪意たっぷりの笑い声を聞いては、本当に仲良くできる相手なのかと心が揺らぎまくった。