さよならマイホーム
「よーし着いたぞ!」
大樹の山から東の方角だろうか、真っ白い霧に包まれていてよく見えなかった場所の上空を通り抜けた先の雪山を指差して、尊大な魔法使いは言った。
短いような長いような初めての空の旅は初めこそ新鮮だったが、最終的に風圧がすごくてさらに雪山の相乗効果でとにかく寒い。
「ここが俺様の自慢の城だ!よーく目に焼き付けろよな!」
「…めっちゃ寒い…」
なんかドヤ顔でめちゃくちゃ自慢しているが、上はワイシャツにカーディガン、下はスカートに紺のハイソックスの軽装備の私は鼻水を垂らしながら、ガタガタ震えることしかできない。
彼の言葉通り確かに立派な城に住んでいるようではあったが、何というか…所々汚れやひび割れ、崩れかけていたりでホラーゲームの舞台になりそうな寂れたお城だ。陽が沈んだ今では余計に雰囲気出ていて怖い。
「何だ反応の薄いやつだな…面白くないぞ!」
「い、いいからあったかい所に連れてって…早く」
「………」
私のリアクションが気に入らないらしい尊大な態度の男は勝手にむくれているが、構ってる余裕もないほどにガタガタ震えていると、ノワール君が私の腕を掴んで城の中へと招いてくれた。
「おい待て!ご主人様を置いていくな!ノワール!!」
「………」
ー巻きぞえアリスの異世界冒険記3ー
主人だという男を放ったらかしたノワール君は暖炉のある広間に私を通すと、暖炉前のソファーに私を座らせてから奥の部屋に消えて行った。
しかし彼のおかげでようやく震えが治まり、一息つくことができた。
「はぁ〜…死ぬかと思った…」
「ここめちゃくちゃ寒いっすからね。ホットミルクどうぞ」
「あっどうも、いただきます……………て、うわぁああっ!!誰っ!?」
ニュッと横から差し出されたホットミルク入りのマグカップを反射的に受け取ってから、ようやく謎の声の存在に気付き振り返る。
一体どんなのがいるかと思えば、派手なスカジャン姿に生え際のみ地毛であろう黒髪がわずかに覗いた金髪のヤンキーだった。
元の世界だったら何の不思議もない渋谷辺りにいそうなヤンキーだったが、異世界にいる不自然さに開いた口が塞がらない。
「あ、ども。自分、斉藤康弘いいます。ヤスって呼んでいいっすよ!」
さらに同郷であるとわかってめちゃくちゃ驚いている私とは対照的に、ヤンキーは人懐っこい笑みを浮かべて自己紹介し始めた。ついていけない。
そしていつの間にか戻ってきたノワール君が私の右隣に座っており、左隣からヤンキーが詰め寄り、完全に挟まれる形となってしまった。
「いやー、アンタも日本人っすよねー。召喚されちゃった口でしょー?俺も以前ジルベルトさんに召喚されちまったんすよ」
「……えっ!?同じ境遇の人!?」
「………」
確かにこのファンタジーな世界観から大分浮くようなヤンキーっぷりだが、まさかの先輩だった。
しかしこのヤンキーこと、ヤス先輩はホットミルクをくれる他に膝掛けまでかけてくれたり、自分も優雅に紅茶を飲んでいるところを見るに大分ここの環境に馴染んでいるようだ。
「ここらじゃ、別世界から召喚する魔法が使える人は限定されんすよ。そんでワルツさんに無理矢理連れてこられたってことはジルさん関係しかねぇつーこと」
「ワルツって…あのすごい態度のでかい人のことですか?」
「そっす。ジルさんとは旧知の仲らしいんすけど、何かと突っかかりに行く人なんすよ…大方ジルさんと仮契約してるの聞いて、自分の使い魔にするとか言って拉致られたんでしょ?」
「え、すごい、何、エスパーですか」
「いやー、自分も同じような目にあって今に至る感じっすから!」
まさかの体験談だった。
やたら明るく笑っているが、結局帰れない上に契約させられたって事じゃないか。
しかも雰囲気的に割と馴染むくらいにはこの世界で過ごしてるようだ。
「それじゃ、私も契約させられる流れじゃないですか!今日唯一家に帰れる日だから早く戻らないとヤバイのに!」
「マジっすか!そりゃヤバイっすねー。契約満了日過ぎると自動更新されるから、仮契約としても最低10年はかかるっすよ」
「10年更新!?期間長っ!」
「………」
「あ、そうっすね。ノワールさんいわく、本契約になると100年もしくは終身。それか主人の願いが叶うまでっすね」
ヤス先輩がノワール君の通訳を行った結果、衝撃的な情報を耳にして即座に逃げ出さねばと思い立ち、慌てて立ち上がって出口を探す。
今日帰らないと次に帰れる確実な保証はない。ただただヤバい。
「私急いで帰らないとヤバイんです!今日しかないんです!」
「………」
「ん?ハイハイ。そんな慌てなくても、主人が心配して来てくれるって言ってるっす。ノワールさんが」
「本当に!?」
「あ、でもワルツさんは妨害系の姑息な魔法も得意なんすよねー、ジャミングみたいな。だからジルさんなかなか気づかないかも」
「唯一の希望が!!」
「あと、もうワルツさん来たっす」
無情なその知らせとほぼ同時にばぁあんっと大きなドアが勢いよく開いた。
開いた先には自信ありげなドヤ顔で登場したのは誘拐犯でこの城の主、噂のワルツさんだった。
「よぉーし!ノドカ、待たせたな!早速契約だ」
「展開早い!あの!あの…私一般人ですし!秀でた能力も無いですし!」
「心配するな!そこは特に期待はしていない。ジルベルトからこの俺様の使い魔になることが重要なのだ!」
清々しいほどの私情だ。
私がジルベルトさんによって召喚されたことを知られた時点でこのルートからは抜け出せない気がする。
「なぁーに、俺様の使い魔になれば老けないし、あと死なない!そして契約後に何か能力に目覚める…可能性がある!」
「全体的にふんわりしてる〜…ちなみにヤス先輩は目覚めたりしてるんですか?」
非常にざっくりしたプレゼンで大半は不安を煽られたが、わずかな好奇心には勝てずについつい左隣りの先輩に訊ねてしまう。
ヤス先輩はニヤリと笑って見せると懐から何かの種を取り出して植木鉢に埋め、おもむろに目を閉じて植木鉢に手をかざした。
「………フンッ!!」
短い静寂を破り響いた気合いの入った声に応えるように、ポンっと可愛らしい双葉が芽を出した。
「お…おぉ…」
「こんな風にちょっと成長を促すことができるようになったっす!」
むちゃくちゃ疲れたらしいヤス先輩は大量の汗をかきながらグッとやりきったように親指を立てている。
しかし空を飛んだり、フォルカさんの過激な魔法を体験済みだとインパクトが…どうしてもショボく感じてしまう。
「あ、やっぱいいです。お家に帰してください」
「何ぃ!?何だ!何が不満なのだ!?衣食住付きだぞ!」
「いや、家帰りたいし…契約期間長いのはちょっと…」
「まぁ契約期間は時と場合によるからな…しかーしっ!最初から貴様の意見などどうでもいいのだ!さぁ!契約だ!」
もしかしたら融通がきくかもと期待したが、ワルツさんは即座に開き直ると綺麗な羽ペンを取り出しフワリと宙に文字を書き始めた。
キラキラと金色に発光する文字がどんどん綴られていき、次第に私を中心にして回り始めた。このまま大人しくしているのはヤバいと私の第六感が警報を鳴らしている。
「わ、私は!家に帰りたいのでーっ!!サヨナラ!」
「あっ!おい待て!契約の儀は急に終わらせられない!!」
ワルツさんが文字を綴っている最中に私は文字の輪から飛び出し、彼が入ってきたドアから廊下に飛び出した。
「………」
「あ、ハイ。ノドカちゃーん!外に出る際はワンちゃんに注意っすよー!」
「はい!?とりあえずお世話になりましたー!」
背後から投げかけられる忠告に小首を傾げつつ、初めにこの部屋を訪れた記憶を頼りに外へと繋がる扉を探す。
幸いすぐ近くに階段があり、階段を駆け下りて間取りを確認すると、見るからに裏口に繋がっているだろう小さな鉄格子の扉がある。
正面から出たんではあっさり捕まりそうだし、ここは裏口から出てジルベルトさんに見つけてもらいやすい場所まで逃げる!
バァンと派手に扉をあけ放ち、肌を刺す冷たい空気に耐えて雪に足を絡れさせながらも闇雲に走った。
もう真っ暗な空には星も月も見えない。雲に覆われてしまっているのか、かなり暗いために大変視界が悪い。
ちょっと未だに城壁に囲まれているような影が薄っすら確認できることから、まだ敷地内にはいるみたいだ。
「出口出口出口はどこな…ぶっ!!?」
バフっと毛むくじゃらな何かにぶつかった。
「?…フサフサしてる……?」
すごく毛並みの良い巨大な黒い影を不思議に思って無遠慮に触りながら、マジマジと見つめていると、突然大きく見開かれた瞳と目が合った。
「……っっ!!!!?」
それは初めて向日葵怪獣のイリアンと出会った時と同じ衝撃だった。
眠っていたのか、むくりと起き上がった巨大な影は6つの大きな瞳で私を睨みつけて離さない。
生暖かい生物の息遣いと目の前で滴る大量のヨダレ、暗闇に目が慣れた頃にやっと巨大なその影が頭を3つも携えた黒い怪物犬であることがわかった。あれだ…ケルベロスってやつだ。
瞬時に訪れた恐怖に冷や汗が滲んできた。
「わ…ワンちゃんて…そーゆー…」
見るからに凶悪なそのワンちゃんは私を完全に獲物としてみているんだろう…さっきからヨダレがすごいし、剥き出しの牙がヤバい。
鎖に繋がれてるのかワンちゃんが動くと鎖を引きずるような金属音が耳に届くたびに、硬直して動けない私はどうにか逃げ道を探すようにあちこち視線を彷徨わせることしかできない。
ギラリと光る凶悪な牙を覗かせて、目を細めたワンちゃんを目にしてこれは死ぬかもと思った時だった。
「っふうぐっ!!?!?」
脇腹に今まで感じたことのない衝撃が襲った。
私を軽々と吹っ飛ばすほどの威力で、宙に浮いた身体はすごい勢いで壁に叩きつけられて地面に落ちた。
息をするのも困難な状況で、身動きも取れずに何が起こったのかも理解できない。
脇腹が酷く熱くて尋常じゃないほどに痛い。叩きつけられた右側の腕などあらぬ方に向いていて、全身が痛い。もう訳がわからない。
「…はっ…ひゅっ…」
とても息苦しくて視界が歪む。
左手に生暖かいドロリとした何かに濡れて、震えながらも視界に入れる。
あ、これ血だ。
そう理解した時、びっくりするくらい冷静に状況が見えた。
どうやらあのワンちゃんの先制攻撃で私は鋭い爪で脇腹を抉られ、弾き飛ばされた挙句に壁に激突して、今大量出血して死にかけているようだ。
ワンちゃんは私の匂いを嗅いでは、今にでもかぶりついてきそうなほど鼻息を荒くしている。
まさか異世界に飛ばされて大きなワンちゃんに食べられて死ぬとは思わなかった…な。
絶え間なく感じていた痛みが鈍くなると同時に薄れていく意識の中で、大きく口を開いたワンちゃんが迫ってくるのをぼんやり見つめながら静かに目を閉じた。
たった3日間の異世界ライフはのんびりほのぼの生活から一転し、最終日は怒涛の波乱を巻き起こした末に、唐突なエンカウントで遭遇した強そうなボスモンスターに一撃で殺されて終わる結果となった。
まぁ、ゲームの勇者一行だって雑魚モンスターで全滅することもあるし….そんなものよね…チートとか、夢のまた夢、か。
こうして私、有栖 和の異世界ライフは呆気なく幕を閉じるのだった……。
……
………
…………
……………?
「…っと………ぇ………何…お前、まだ目覚まさないの?いい加減にしないと蹴飛ばすよ〜?」
遠くから聞き慣れた罵声が聞こえる。
…しかし真っ暗闇の中にいるような、そんな感覚で何も見えない。
死後の世界ってやつだろうか…先ほどまで感じていた痛みも何も感じな…
ザバァーッ!!
それは突然のことだった。
いつかのように勢いよく大量の冷たい水をぶっかけられた衝撃で、私は思わず飛び起きた。
「あーーーっ!!?寒ーーーーいっ!?!??!」
「おっ、やっと起きた。たく、面倒かけないでよねぇ」
視界には雲ひとつない満月の輝く星空と、闇夜の中でもばさりと存在を主張する漆黒の翼を広げて、私を見下ろす宝石のような青い瞳が見えた。
私の前に降り立ったフォルカさんはまさに天使のような美しい佇まいだったが、見下すような冷たい視線で悪魔だったことを思い出す。
「て、フォルカさん…?あれ…?私死んだんじゃ…」
もしかして全部夢だったのではと思って脇腹をさすってみる。
傷はない。しかし制服は真っ赤に染まり、痛々しい裂け跡が残っていることから夢の線は薄そうだ。
「あー、アンタ死にかけてたな。コイツにやられたの覚えてないわけ?」
フォルカさんの背後にはキューっ…と伸びている巨大なワンちゃん。
どうやらフォルカさんが倒したようだ。
「あれぇ…じゃぁ、何で私生きてるんですか?」
「それはジルから聞いたら?」
私の疑問に答えるのも面倒そうにしながら私の背後を指差すフォルカさん。
すると背後に伸びた私の影から、黒い影が形を成して浮き上がってくる。
やがてそれがフードを深くかぶったジルベルトさんだと気づいた。
「やぁ、和君。一先ず間に合ったみたいでよかったよ」
ツカツカと近づいて来て、優雅な仕草で分厚い魔導書を小脇に挟み、片手を差し出して私を起こすジルベルトさん。先ほど死にかけていた状況が嘘みたいにのどかだ。
「それでねぇ…1つ悪いお知らせがあってねぇ…」
「悪い…お知らせ?」
困ったように頬を掻きながら苦笑するジルベルトさんは落ち着きなく、視線を泳がせながら言った。
「君の命を繋ぎ止めるために、本契約しちゃった」
ごめんね、と申し訳なさそうなジルベルトさんから小さく零れた言葉が、派手に倒れてそのまま意識を失った頃に聞こえた気がした。
こうして私、有栖 和は一命を取り留める代償として、異世界ライフ継続を余儀なくされたのだった。