学園寮生活の前日譚
学園1日目の午後は早速マリオン先生との魔力操作のレッスンを受けて日が暮れた。
成果的に言えば先生が何を話しているかやっぱりまるで理解できなかったし、いくら試してもよくなる兆しは見えず、無駄な体力を使った私は帰りのHRではヘロヘロになっていた。
「ちょっと見いひん内にやつれたなぁ、何してたん?」
隣に座る糸目のテオも朝とのテンションの変わりようにそんなコメントをするくらいに私は疲れきっていたが、ちっとも魔法を思うように使えないショックで弱々しく笑うことしかできない。
まさか何時間も同じことを教え続けられて1ミリたりとも上達しないとは思わなかった。
何回もやれば少しは良くなると思っていたが、そんな単純なものじゃないみたいだ。
先生も冷たい真顔のまま表情を変えなかったし、これからずっと先生とこんな学園生活を送ると思うと楽しみも希望もなくてゾッとする。
「授業が楽しくないよ…」
「あらぁ…それは深刻そうやなぁ…まぁ俺は頑張ってとしか言えんわ」
「辛い…」
「ん〜いっそ魔法は諦めて騎士目指したらええんやない?魔力使わない方向で行くのもアリやろ?」
「…そっちの才能もなさそうだけど、それも楽しそーね」
「結構前向きなんやねぇ!ええと思うよ。今度学年合同ダンジョン探索イベントもあるし、色々挑戦が大事やで」
にこにこ笑うテオとの会話もそこそこに切り上げて、ダンジョン探索とかちょっと楽しそうだと思いながらフラフラ帰路につこうとするとマリオン先生に呼び止められた。
「メイナードさん、ちょっと待ちなさい」
「えっ?」
「あなた、寮の場所はわかるの?今日から寮に入ると聞いているのだけれど」
「……ふぁっ!?聞いてないですけど!?」
先生に事情を聞くと編入初日の今日から寮にも住むように手続きされてるらしいとのことで、今すぐにでも家に帰りたかった私は動揺が止まらない。
つまりもうジルベルトさんとこには帰れないの?こんなにホームシックなのに?
とうとう震えだす私を見てマリオン先生は少しバツが悪そうにため息をついた。
「その様子だと着替えや荷物の移動も済んでないのね。今日は仕方ないから帰っていいわ。明日から寮生活を送ってもらうことにはなるから、家から必要なものは持ってきなさいね」
とりあえず今日の帰宅を許された私はすぐに大空を舞って家に戻り、ジルベルトさんに泣きついた。
ー巻きぞえアリスの異世界冒険記16ー
「寮生活とか聞いてないんですけどぉ!!!」
「うん?寮生活するの?……あっ、本当だ。書類に書いてあったねぇ」
ジルベルトさんがしっかりサインした書類には寮生活のこともちゃんと記載されていた。今気づいたのかよ!早く言ってよ!
「えーそんな突然やだぁ!寂しい!魔法はうまく使えないし!」
「あっ、今日いっぱい魔法使ったでしょ?変に疲れるタイミングが何度かあったから使ってるなーて思ってたよぉ…家とか壊したりしちゃった?」
「そこまで酷いことにはなってませんけど、結構危うかったです!!」
「はははっ」
「笑い事じゃないんですがぁ!?」
「まぁ、それは何とかしてあげるから大丈夫。それにお休みの日は帰ってうちで過ごせばいいし、一瞬で帰れるんだからいつでも帰っておいでよ」
言われてみれば転移グッズのリュックがあれば一瞬で帰れるし、休日は帰省すればいいのか……よくよく考えればこの世界に来てこの家で過ごした期間もまだ浅いし、ホームシックになる程馴染んでないじゃない。
元の世界に帰りたくなるのはいつものことだけど、環境の変化にはそうすぐに適応できるほど器用じゃないから不安は消えないままだが、ジルベルトさんに頭を撫でられながら決まったものは仕方ないかと妥協する。
能天気なジルベルトさんは私の手の甲にある使い魔の証に手を添えると何か唱えるように呟いた。
すると一瞬眩しい光を放った後にジルベルトさんはヘラっと笑って、魔力の出口を狭めたとかで多少は魔力が抑えられるよと言った。
胡散臭い微笑みに本当に信用できるのか、怪しみながらも話題を引っ越しのことに変えたジルベルトさんから旅行鞄をもらい、まぁいいかと部屋に戻って引っ越しの準備をする。
元々大した荷物もなく、制服ジャージ寝巻きに一応枕とノワール君から貰ったペンダントにワルツさんから貰った分厚い本、フォルカさんの抜け毛…以前教会で拾った羽根だけ詰めて準備は終わった。
「荷物が少なすぎる…」
元々制服とジャージと教科書がいくつか入った学生鞄しか持って落ちてこなかったから当然と言えば当然だが、あまりにもなさすぎる。
やることがなくなり座ったままぼんやりしていると晩御飯が出来たとリシェットさんの呼ぶ声がして、ダイニングへ向かった。
ジルベルトさん、フォルカさんとリシェットさん3人とこうして食卓を囲む機会が減るかと思うとやはり寂しく、その夜はリシェットさんのご飯をいつにも増してよく味わって食べた。
「お前、明日から寮に入るんだってね」
「そうなんですよ…」
フォルカさんにそう声をかけられて私はひょっとしてこの人私がいなくなって少しは寂しがってくれるのかと顔を上げたら、吃驚するくらいゲス笑顔でもう聞かなくても嬉しそうなのがわかって私は傷ついた。
「和様がいなくなってしまうと、また寂しくなってしまいますね…」
フォルカさんとは違って悲しんでくれるリシェットさんには先程いたく傷つけられた心がかなり救われる。
「穀潰しが減ってむしろ助かるでしょ」
「うぐ…それを言われると何も言えない…」
でもでもそもそもこの世界に来ちゃったのはジルベルトさんのせいだし、契約しちゃったのだってワルツさんに拐われる決定打となったのはジルベルトさんのせいだし…私悪くない!!
密かにジルベルトさんに八つ当たりしながら、しばらくお別れだというのに相変わらず辛辣なフォルカさんの態度に心に大ダメージを負った。
前みたいにちょっとくらい心配してくれてもいいのに…。
「和君、ちょっとおいで」
夕食を食べ終えた頃、テーブルに力なく突っ伏していた私にジルベルトさんがそう手招きする。
素直についていくと、ジルベルトさんがいつも使っている執務室でお茶を振舞ってくれた。
私が食後のティータイムを楽しんでいる間にジルベルトさんは本棚を漁ったり、机の引き出しから何かを取り出すと戻ってきてにこやかに微笑んだ。
「学園生活に不安を感じている君に役立ちそうな魔法アイテムを授けてあげます」
「…私でも使える物ですかね?」
「うん。握って願うだけで魔法が発動する杖とか、身につけるだけで透明化するとか、簡単に使えるから君でも使用可能です」
「やったー!ジルベルトさん最高!ありがとう!」
「どういたしまして。でも極力危ない事には巻き込まれないようにしてね」
青い猫型ロボットのように便利アイテムを授けてくれたジルベルトさんから7つの魔法道具を受け取った私は少しは学園生活を頑張って行けそうな希望を見出せたのだった。
「一通り使い方は説明するけど、心配だから説明書も入れておくから読んでね」
ざっと使用方法を教えて貰った後に一応説明書きのメモを添えるジルベルトさんに感謝しながら、その後は彼と他愛もない話をしながらティータイムを楽しんだ。
そしてその日の夜、私は直ぐには寝付けず散歩がてらに神樹の周りを歩いていた。
「神樹の上で昼寝するのも気持ちよかったなぁ…」
そんなしみじみするほどこの場で過ごした訳じゃないのに、いざ離れるとなるとまた寂しく思ってしまう。
神樹と言われているこの木のことはあまりよく知らないし、学園には図書館もあることだからこの機会に調べてくるのもいいかもだ。
魔法を使えるようになりたいのはもちろんだが、この世界についてはわからないことだらけだから歴史を知るのも本来の目的であるジルベルトさんとの契約をどうにかする手がかりを掴むためにも必要だろう。
この世界なら願いが叶う神アイテムだとか、もしくは神様だとかも存在するかもだ。
「よーし!積極的に探すぞ!」
そんな気合いを入れたところでイリアンが咲いている花壇まで戻ってきた。
静かに月を見上げていたイリアンにそっと近づいてその大きな身体を撫でる。
最初はあまりに恐ろしい見た目に恐怖して腰を抜かしたが、この見た目は恐ろしいながらも穏やかで優しいイリアンにはいつも癒されていた。
出掛ければ見送ったり、帰ってきたら出迎えてくれるイリアンが見られなくなるのは寂しい…と思っていると月を見上げていたイリアンがおもむろにグルル…と喉鳴らしながら身体を擦り寄せてきた。
「しばらく会えなくなるね、イリアン」
寂しげにクゥーンと唸ってもたれてくるイリアンに私も思わず抱きつく。
最初は見た目でビビっていたけど、この世界に迷い込んで最初に会ったのがイリアンで本当に良かった。
散々死にそうな目にも会ってきたけど、イリアンと出会えた事については異世界に来て良かったと思える点の一つだった。
そんな癒しのイリアンが私を元気づけるように大きな葉っぱで包み込んでくれた。
しばらくそうして寄り添い合って、大分心が落ち着いて名残惜しくなりながらもそろそろ休もうとイリアンから離れると、シュルシュルと伸びて来た触手が私の手を包み込んだ。
「…?種だ」
触手が離れた後に手の平に残ったクルミサイズの種。
頭をポンポンと撫でるイリアンが何を言いたいのかはいまいちわからないが、私を励ますためにしてくれる行動がただただ嬉しい。
「ありがとう!イリアン!寮で大事に育てるからね!」
また熱い抱擁を交わしてから家に入った私は種を見つめながら植木鉢やジョウロなんかも用意しないとなとリビングへと向かう。
リシェットさんかジルベルトさんにもし使ってない園芸道具があれば貸してもらおうと2人を捜した。
するとリビングでソファーに座って編み物をするリシェットさんを見つけた。
「リシェットさん、ちょっとお願いがあるんですが…」
「はい、何なりとお申し付け下さい」
イリアンから貰った種のことを話すと、彼女は快く園芸道具を用意してくれた。
「どんなお花が育つかわかりませんね…では初めは荷物にならないこの小さい器で育ててみてあげて下さい」
「はーい!大きくなった時は相談に来ますね、ありがとうございます」
小さな植木鉢にスコップとジョウロを突っ込んで、さっさと鞄に詰めてしまおうと部屋に戻ろうとする私をリシェットさんが呼び止めた。
「和様、もうお疲れだとは思いますが差し上げたいものがありますので、後ほどお部屋に伺ってもよろしいでしょうか?」
「それなら私これ置いたら直ぐ戻って来ますから!ちょっと待ってて下さい」
何でもかんでもリシェットさんにしてもらってばかりだから、少しは負担を減らせればと思いそう提案すると彼女は花のように可憐に微笑んだ。
待たせるまいと荷物を部屋に放り込んで直ぐにリビングへ戻ると同じくらいのタイミングでリシェットさんも戻って来たようだった。
「実はいつか和様へ差し上げようといくつかお洋服を作っていたのです。良かったから学園に持って行って下さい」
そう言って抱えていた洋服を広げて見せるリシェットさん。
人形の着るような可愛らしいワンピースやまた動きやすそうな服や魔法使いっぽい黒いフード付きのコートなど、色んな服があった。
それら全てが彼女の手作りで私がここに来た日からコツコツと作ってくれていたと言う。
「和様はあまりご自分のお洋服を持っていらっしゃらないご様子でしたので…余計なお世話とも思いましたが、どうか受け取っていただけませんか?」
「もちろん!超超超嬉しいです!!大事にしますね!」
不安げに眉尻を下げるリシェットさんであったか、私からすればありがたいことこの上ないプレゼントだ。
いつまでも異世界馴染むことのない高校の制服を着ているのもどうかと思っていたから本当に助かる。
嬉しくてついつい手作りとは思えない出来のいい服を眺めては抱きしめてみたり、生地の触り心地にうっとりしているとおもむろにリシェットさんが優しく包むように抱きしめてくれた。
「…リシェットさん?えへへ…なんか照れちゃうな」
こう言ったスキンシップは友達間ではたまにすることもあって、何だか懐かしくて少し気恥ずかしい。
豊満な胸に顔を埋める形になってしまったのでリシェットさんの顔を確認することはできなかったが、髪を撫でる優しい手が心地よくてやめて欲しくない気もしてしまう。
お母さんにこうやって抱きしめてもらってからどれくらい時が経ったんだろうか、ふとそんなことを思い出してしまう。
「まだこちらに来て間もないのに、色々あって大変でしたね…疲れた時はいつでも帰って来て下さいね。温かいお食事を用意してお待ちしてますよ」
「……」
あまりに優しい声音と心地いい体温に包まれて思わず泣きそうになったけども、元の世界に帰れない私が身寄りのない世界でも帰れる場所があることに酷く安堵した。
それに不安のある学園生活を頑張らなきゃと思う気持ちに逃げ道を用意してもらったみたいで、情けなくもそれが嬉しかった。
「ありがとう、リシェットさん」
そうして私はしばらくこの安心感に包まれていたくて、長い間リシェットさんに抱きついていた。
たまに頭を優しく撫でてくれる彼女の母親のような対応についつい甘えてしまった。
リビングにジルベルトさんが入って来たのをきっかけに、高校生にもなって幼児退行しすぎたことが恥ずかしくなって慌てながら2人に挨拶をしてから部屋に戻った。
ベットランプと月明かりに照らされる部屋の中で服をたたんで鞄に詰めながら夜空を見上げる。
この世界の星空は肉眼でも沢山の色とりどりの星が見える。
大河のように広がる星々をぼんやり見ていたら、荷造りの作業が途中で止まってしまう。
「…寮でも同じ星が見えるかな」
「……そんな変わんないでしょ。どんだけ遠くに行くつもりなわけ?」
独り言のつもりで呟いた台詞に返事が返って来て思わずベットから落ちそうになる。
こんな現れ方する人は1人しかいないので、ジロリと勝手に人の部屋の机の上に無遠慮に座る黒い翼の悪魔を見やる。
「…ノックくらいして下さいよ。吃驚しましたよ」
「やだね。そんなの面倒くさいし、お前がそうやって驚くのが面白いのに」
「私は迷惑してるんです!…まぁ、もういいですけど」
驚かされるのは今に始まったことではないし、慣れるほどではないがフォルカさんを止めることは私に出来ないことは最初からわかっているのだ。
「それでどうしたんですか?何か用があるんですよね」
用がなければフォルカさんがわざわざ私の部屋を訪れることはないだろうと彼の様子を伺う。
……もしかしたらフォルカさんも少なからず私と離れることを寂しがって何かをくれる展開かな?
今まで色々貰った流れから何か貰えるかもと期待する私にフォルカさんがニッコリと美しく微笑む。
これは期待できると釣られて私も笑顔ですっと手を差し出すと、ベシッと額に衝撃が走った。デコピンだこれ!
「ばあーーーかっ!!お前にやるもんなんて1つもないね!図々しい!」
吐き捨てるような怒鳴り声とベシッと手もはたき落とされて、ショボンとするがまぁ…夕食時のこともあるし、こんなことだろうとは思っていた。
どうやらフォルカさんはわざわざ私のテンションを下げるためだけに訪れた様子で、のそのそと窓から退場しようとする。
「お…そうだ。お前にやるものは本当に無いけどひとつだけ」
「???あいたっ!!」
突然戻ってきたフォルカさんにまた額を叩かれて痛がってると彼がにんまりと楽しそうに笑った。
「最近は気が抜けてばかりでしょ?だからまた面倒ごとに巻き込まれるようにおまじないをかけてあげたよ」
「ふぁっ!?それ呪いじゃないすか!!」
「そうとも言う。でもぬるい環境に浸かってるよりも、慌てながら逃げ惑っている方がお前にはお似合いさ」
「嬉しくなぁいっ!!」
夜空に漆黒の翼を広げ去ったフォルカさんの楽しそうな笑い声がその日眠りにつくまで耳に残った。
お陰で寝不足になるし、他の皆が安心させてくれたのに対してあの人だけが私を酷く不安にさせたのだった。
もう早速呪いの効果が現れている気がして、その内また生命の危機にさらされる日々が始まりそうな予感がした。