第二章 その3 メイドさんと行くネウレイデンめぐり
メリッサにすすめられて街に繰り出した俺は、ボスフェルト家使用人のオリヴィエと並んで雑踏を歩いていた。
彼女は毎日のように買い物に来るのだろう、顔なじみの知り合いや商店主とすれ違うたびに挨拶をしては一言二言交わし、人間魔族関係無くその人形のようなかわいらしさを振りまいていた。
一方の俺は手と足がうまく連動しないほどガッチガチに固まっていた。
女の子とこう出歩くのは妙に恥ずかしい。そういえば生まれて一度も、いや死ぬ前は一度もデートなんてしたこと無かったな。
我が物顔で街を歩くオリヴィエに対して、俺は明らか不審人物だ。
「色んな動物の毛皮が売られてるんだね」
ふと入った商店の中、壁を埋め尽くさんばかりに引っかけられたのはビーバー、アライグマ、そして見たことも無い不思議な動物の毛皮。あまりの品ぞろえに圧倒された俺は不意に漏らした。
「ここネウレイデンは毛皮の集積拠点ですから。ここからエルディヴィス本国だけでなく、周辺各国にも輸出しているのですよ」
オリヴィエは自身に満ちた顔で説明する。騎士の家の使用人として我が町の産業を誇るのは当然だろう。
「シンヤさんはネウレイデンは初めてですか?」
「うん、そうなんだ」
「どちらから来られたのです? あまり見ない服装ですし」
「遠い遠い東の国だよ」
とりあえず適当に誤魔化しておこう。
だがそう聞くなりオリヴィエは「ええ!?」と目を輝かせたのだった。
「うらやましいです、私は物心ついた時からずっとネウレイデンの暮らしなので」
「そうなんだ。じゃあご家族もネウレイデンに?」
何気なく訊き返す。だが瞬間にオリヴィエの笑顔にふっと暗い影が差し、しまったと後悔する。
「いえ、今も父と母はエルディヴィス本国です。生きていればの話ですが」
顔は笑っているが声は重い。俺は返す言葉が浮かばず黙っていた。
「私は貴族の生まれでした。ですが私の幼い頃に破産し、家は没落したのです。その時父と親交のあったボスフェルト卿がちょうど本国に一時帰国していて、せめて子供だけでもと私を新大陸に連れて帰ったのです。両親の消息は分かっていません。ですが私にとってボスフェルト卿は親も同然、不自由ない暮らしを与えられて心の底より感謝しています」
「それは良かった。オリヴィエが幸せならきっとご両親も喜んでいるよ」
そう聞くと「はい」とにこやかに答えるオリヴィエ。良かった、この子は辛い過去もちゃんと乗り越えてきたみたいだ。
そして店を出てしばらく歩く。オリヴィエの過去に多少なりとも触れた俺は、先ほどよりも緊張が緩んでいた。たしかに可愛らしい見た目ではあるが、さっぱりした性格の彼女はあまり女らしい雰囲気を漂わせていないのが俺にとっては女性慣れしていない俺にとって居心地が良いのかもしれない。
その時、前方から何やら賑やかな集団が一塊になってぞろぞろと歩いてくるのが見えた。
「酒だ酒だ、浴びるほど飲むぞ!」
長旅を終えたばかりの船乗りだろうか、屈強な体格の男たちが連れ立って狭い通りの中へと入っていく。あまりの大声に彼らが通り過ぎた後もしばらくは豪快な笑い声が聞こえていた。
「賑やかだね」
「あまりそっちには行かないほうがいいですよ」
裏通りを覗き込んだ俺にオリヴィエが小声で注意する。
「どうして?」
「その通りはまあ、ならず者のたまり場といいますか……あまり関わってはいけない方々がよく集まるのです。特に海賊に因縁つけられたら大変ですから」
「なるほどね」
俺は頷いた。
新大陸開拓と言えば聞こえは良いが、その内情は生活苦や逃亡目的で本国を捨ててくるような人も多い。警察の役割を果たす軍人も圧倒的少数だ、街を出れば監視の行き届いかない無法地帯なのだろう。
しかしまさかこの街にも海賊がいて、しかも町の人に受け入れられているとは。現代日本人の感覚で言えばそんな連中が堂々と歩き回っているのは恐ろしことこの上ないが、この世界での海賊は単に海の略奪集団という意味とはだいぶ違うのかもしれない。
そこでふと思う。海賊がいるのなら、もしかしたら。
「ねえ、ドラゴンの牙ってどこかで売っていないかな?」
俺はすかさずオリヴィエに尋ねた。後ろ暗い人がいるのならば、不正に得た品を売買する闇取引もきっとどこかで行われているはずだ。
ネウレイデン近郊で殺されたドラゴンは牙や鱗を剥がれていたとアナは話していた。それらが貴重な素材として扱われるなら、もしかしたら実行犯はどこかで売り払っているかもしれない。そこを突き止めて犯人にたどり着けないだろうか?
「ドラゴンの牙は禁制品です、ネウレイデンでの売買は禁じられています。ですが貴重な素材なので、国によっては密かに本国に運んでいることも多いみたいですよ」
オリヴィエも俺が何を考えているのか察したようだ。周囲の目をはばかって小声で答える。
「そういう時に海賊が暗躍するんだね」
「仰る通りです」
「じゃあ禁制品を取引する場所ってないかな?」
相手に合わせ、俺も小声で訊き返す。
「きっとあるでしょう。が、残念ながら存じ上げておりません。お役に立てず申し訳ありません」
「いや、気にしないでよ」
俺はしゅんと項垂れるオリヴィエを宥める。
ドラゴン殺しに使われた凶器はエルディヴィス王国の弓矢。通常なら王国正規軍だけが使用を許されるもので、そこらの民が手に入れられる代物ではない。
だがもし裏でエルディヴィス王国の鏃が売買されていたら?
ネウレイデンの転覆を図る連中が偽装のために使った可能性も無きにしも非ずと言えないだろうか。
おそらくこんなことボスフェルト卿やメリッサももうとっくに気が付いているだろう。だが禁制品がいつどこでやり取りされているか、そこまで把握しているかはわからない。だからこその禁制品なんだろうが。
あれこれと考えている時だった。
「え、あれは!?」
突如オリヴィエが声を上げ、俺はつられて目を移す。
彼女が見ていた先、隙間なく建ちこめる裏通りの建物のひとつから、純白のドレスをなびかせながら出てくる女性がいた。
「メリッサ……さん?」
俺もいっしょになって硬直する。美しい金髪碧眼に凛とした顔立ち、まさしくボスフェルト家の女騎士メリッサだった。
なぜ彼女がこんな所に? さっき貴族の屋敷を訪ねて回ると話していたはずでは?
突然のことに俺たちは言葉を失い立ち尽くす。そんな俺たちが見ていることなど気付いている様子も無く、メリッサは別の建物にすたすたと入っていったのだった。
酒の入ったコップの描かれた看板。間違いなく酒場だった。
「あの店に入っちゃった……」
「そんな、女性ひとりでは危険ですよ!」
四の五の言っている場合では無かった。俺たちは彼女の後を追い酒場の中に飛び込む。
昼間だというのに店の中は酒を飲む船乗りたちで賑わっていた。人間に魔族に分け隔てなく杯を交わす店内は活気にあふれているものの、今はこの盛り上がった雰囲気が恐ろしいものにしか思えなかった。
「どこですか、メリッサ様ー」
「いた!」
ごった返す店の中、酒場のカウンターに座っているメリッサの後ろ姿を見て俺は指差す。
だが俺もオリヴィエも声をかけるのを躊躇した。彼女はちょうど、隣に座る大柄な若い男と話し込んでいたのだ。
周囲の喧騒など聞こえていないようにじっくりと何かを聞き出しているその様子、何かとても大切な話を交わしているようだった。
俺たちは近くのテーブルに座り、その様子をじっと見守る。背後かた監視されていることなど知ってか知らずか、メリッサと男はひそひそと小さくなって話し込む。
そしてしばしの時が流れ、ようやくメリッサが席を立つ。だが直後、にやついた男は手を伸ばし、彼女の白い腕をがっしとつかまえたのだった。
「メリッサ様!」
ずっとうずうずと身を震わせていたオリヴィエが声を上げて立ち上がる。お嬢様になんて狼藉を、きっとそう思ったのだろう。
だがそんな心配はなかった。メリッサはつかんだ男の腕をそのまま引っ張ると椅子に座っていた男の身を浮かす。そしてその腕をつかんだまま逆関節方向にひねるとレスリング選手よろしく、一瞬で腕を固めて背後に回り込んでいたのだった。
「いでででで、悪かった、悪かったよ!」
男の悲痛な叫び声に酒場の皆が静まり返る。そういえばあんな戦場に出るほどの人だった、そこらの男くらいひとひねりだろう。
「メリッサ様、何しているのですか!?」
そこに飛び込んだのはオリヴィエだった。使用人の姿を見るなり男に組み勝って少し満足げな顔を浮かべていたメリッサは一気に青ざめる。
「オリヴィエにシンヤ、どうしてここに!?」
あたふたと慌てふためくメリッサ。あまりの慌てっぷりに男が「痛い、痛い!」と声を上げても手を離さないので、なんだか男の方に同情してしまった。
「お客さん、そういうの店の中じゃよしてくれないかな?」
この店のスタッフだろう、両手いっぱいにビールのコップを持ったお姉さんに声をかけられたメリッサはようやく我に返り、男の手を離す。
「いててて……何だ、男がいたのかよ」
ようやく解放された若い男はぼうっと立つ俺をちらりと見ると、吐き捨ててその場から去る。
「お、男……」
途端、メリッサは顔をかっと赤くした。
「ほらほら、用が済んだらお姉さんもさっさと帰った帰った。あとあんたら、ここは見せ物屋じゃないよ」
ビールを運んでいたお姉さんがまくしたてる。その剣幕に俺たちはメリッサを連れ、急いで店を飛び出したのだった。