第一章 その5 夢での再会
「ともかく我々はもうしばらく調査を行いたい。せめて3日、あと3日待ってくれ」
ドラゴン族の住む岩山の広場、馬の手綱を引きながら女騎士はずらりと並んだドラゴン族たちを前に懇願する。
「わかった。だがそれでも俺たちの納得いく答えが出なかったら……わかっているだろうな?」
アナの父親は腕を組んで頷くも、その顔は一切笑っていなかった。
「恩に着る」
そう言って女騎士メリッサは騎乗すると引き返し、森へと消えていった。
「何もされてないでしょうね?」
メリッサの姿が見えなくなるや否や、アナがじっと目を細めて睨みつける。
当然「されてないよ!」と強く主張する。途端、アナの顔はでれっと崩れた。
「良かったー、私のフィアンセがここでお手付きにされたら、もうあの女を殺すしかなくなるからね」
そして公衆の面前で強く抱き着くアナ。まだまだ未発達な身体だが、女体耐性ゼロの俺にはいささか刺激が強すぎる。俺は引き剥がさんと必死だった。
非モテの俺に女の子がこんなにべたべた引っ付いてくるなんて、やはりおかしい。例えモテ男であってもいささかこれは不自然すぎる。
「やっぱりこれって……」
「ねえ、夕飯作ったの。食べる?」
俺とアナがもみくちゃになっている目の前に、ずいっと香ばしい匂いを放つ物体が突きつけられる。
漫画に出てくるような、かぶりつきたくなるような骨付き肉だった。つい今の今まで火で炙っていたのか、じゅうじゅうと肉汁の粒を浮かべながらを湯気を立てている。
それを手にしていたのはアナのお母さん。人差し指を唇に当て、妙に色っぽくウインクしている。
「母さん、それって祭り用の一番良いお肉……」
俺にしがみついてたアナの顔もさっと青ざめる。
それだけではない、周りのドラゴン族たちもどよめくほどだ。旦那さんに至っては「ああ、私の唯一の楽しみが!」とさっきの凄みは完全に消え去っていた。
「いいのいいの。お客様は歓迎しなくっちゃ」
そう言えば今日一日何も食べていなかった。表面から肉汁が滴り落ちた途端、俺の腹の虫がぐうっと鳴った。
「もう食えん」
結論から言うと、あの肉は最高だった。お母さんに何の肉かと尋ねたら「秘密だけど最高のお肉よ」とだけ返されたのは気になるが、ともかく味も歯ごたえも、何もかもが最高のお肉だった。一人暮らしではあんな美味いステーキ食べる機会まず無いからな。
夜、俺は寝床として洞穴のひとつをあてがわれていた。客人用だと言うが洞穴の前には火が焚かれて人影が揺らめいている。見張りでも置かれているのだろう。
1日だけでいろんなことがあった。毛皮の敷物に伏した途端、どっと疲れが押し寄せていとも簡単に眠りに落ちる。
そして気が付けば俺は蓮の花咲き誇る池に立っていた。
「どうです、凄い効き目でしょう?」
案の定、目の前にはあの愛染明王が佇んでいた。自信満々で胸を張るその姿、いいことしたでしょとでも言いたげだった。
「まさか愛の力って、このことですか?」
俺は自分の目を瞬かせながら指差して訊いた。
「はい、あなたには魔性の瞳を授けました。あなたの目を見た異性は誰しも一瞬で恋に落ちてしまうのです」
「その力はありがたいのですが……効果時間はどれほどですか?」
「もちろん一生です。あなたを見れば皆誰しもあなたの虜です」
なんてこったい。呆れて怒鳴る気にもなれん。
「いくらなんでも迷惑過ぎるでしょ。こんなんじゃ街中もろくに歩けませんよ」
「それもそうですね……では、こちらをどうぞ」
明王が指を突き出すと、俺の目の前に小さな光が集まり何かの形を作り出す。
それはサングラスだった。突如空間に現れた色の濃いサングラスを俺は慌てて両手でキャッチする。
「それをはめていればあなたの瞳を見せなくて済みます」
随分と原始的な方法ではあるが、たしかに理にかなってはいる。俺は試しにサングラスをかけてみた。
一見遮光性は高いが、不思議なことに何もかけていないときと全く変わらず、むしろ陰影も色彩も裸眼以上にくっきり見える。神仏特製だろうか?
しかしこれでモジャ毛に色黒のサングラス男と、完全に近付いてはダメな人のオーラが出てしまうな。俺の望むピュアな恋愛はからはまた一歩遠ざかった気がする。
こんな力、便利ではあってもまるで相手の心をもてあそんでいるようで気持ちの良いものではない。使うのはどうしようもない時、ここぞという時に限ろう。
「あの、明王様」
サングラスの感触を確かめながら尋ねると、相手は「はい?」とのんびり答える。
「この世界では人間とドラゴン族が争っています。私はこの争いを治めれば、この瞳を授かっただけの報いは受けられるのでしょうか?」
聞くなり明王様はふふっと微笑んだ。
「ドラゴン族だけではありません。それに人間同士も争いは絶えないもの。あなたはその愛の力を使い、可能な限り多くの人を幸福に導いてください」
「可能な限り、ですか……」
そんなざっくりと。もうちょっと具体的な目標設定をしてくれないものかな?
その時だった。何も触れていないはずの頬に何か生暖かい感触を感じ、俺は「ひっ」と声をあげた。
「あら、お迎えね」
くすくすと笑う明王様。何がお迎えなのか、異様にくすぐったい。
「な、何だ?」
そして続くはねちょりとした感触。俺はうっすらと目を開いた。
いつの間にやら俺は仏の世界から引き戻されていた。代わりに眼前には、巨大な犬の顔が3つ並んでいた。
「ぎゃあああ!」
俺は飛び起きた。そりゃ誰だって驚くだろ。獰猛なセントバーナードをさらにふたまわり大きくしたような犬が3頭、俺の顔を舐めていたんだぞ。
いや違う、3頭の犬じゃない。
こいつはライオンのような巨体に、3つの犬の頭が生えた化け物だ。現実では生まれ得ない、異形の怪物だった。
「あはは、チビもシンヤのことが気に入ったみたいね」
その背後からひょっこり顔を出したのはアナだった。けらけらと笑いながらびびる俺を面白がっている。
「チビ!? このでかいのが!?」
「ええ、ケルベロスのチビよ。私の相棒」
どこがチビだ、ボスかドンとでも改名しろ!
だがチビは巨体に似合わずおとなしいようで、自分より小さな俺を襲おうと言う雰囲気はまったく無い。それどころか俺を取り囲むように座り込むと、耳を垂れてくぅーんと唸っている。
悪い犬ではなさそうだ。
「チビはしゃべらないのか」
「この子は魔物だからね。私たち魔族とは別よ」
アナがチビの大きな頭を撫でる。どうやらこの世界では魔族と魔物とで、定義が異なるらしい。
本当に、この世界はまだまだ俺の知らないことだらけだ。明王様に課された条件を叶えるためにも、まずはこの世界についてより深く知る必要がある。
「アナ、頼みがある」
俺は手を合わせ拝んだ。突然のことにアナも「え?」と戸惑う。
「明日、俺をネウレイデンに連れていってくれ!」