第一章 その3 ようこそドラゴンの村へ
「ここが私たちの村よ」
ドラゴンの少女に抱きかかえられたまま連れてこられたのは、森に囲まれた巨大な岩山だった。その壁面にはいくつもの洞穴が穿たれ、そこから小さな子供がぴょこぴょこと顔を出している。
みんな獣の皮を巻いただけの簡素な衣服を着ている。文明と呼ぶにはまだ遠いが、自然と調和しながら土地の風土に応じた暮らしを行っているのは見ただけでわかった。
そんな空から帰ってくる仲間を見つけてか、岩山の前の広場にわらわらと人が集まる。
「アナ、無事だったのか!?」
その中で特に大柄な男が叫ぶ。がっしりとした筋骨隆々の体格、首には獣の牙で作ったような装飾を下げている。
そして頭の長い角に背中の翼。見るからにこの集団の長と言った風格だった。
「ただいまお父さん。いや、結局戦わないで帰ってきちゃった」
そう言ってアナと呼ばれたドラゴンの少女はゆっくりと着地する。抱かれていた俺もようやく下ろされる。
「そうか、それは良かった……と、その人間は?」
「いいでしょ。私のフィアンセよ」
男は「はあ!?」と口を開いた。
当然俺も「はあ!?」と振り向く。
そして他のドラゴンも「「「はあ!?」」」と全員で声をそろえた。
おいおいフィアンセって何だよ、そんな話1ミリも聞いてないぞ。
必死で抗議しようとしたその時、ズンと奇妙な音とともに地面が揺れる。
お父さんと呼ばれた逞しい体格の男。その足元の地面がビリビリとひび割れていた。
「人間、ちょっと話がある。なあに悪いことは言わない、こっち来てくれるか?」
絶対悪いことですよね!? お父さん、殺意がメラメラと漏れ出ていますよ!?
「あらあら、アナもそんな年齢になったのねえ」
そんな大男の背後にひとりの女性がひょっこりと姿を現す。こちらも角と翼を備えたドラゴン族のようだ。
「お母さん、どうよこの人間!」
そう言って少女アナはグイッと俺を前に突き出す。
お母さんですと? 俺は思わずぱちぱちと目を瞬きさせてしまった。
何せ突き出た胸にくびれた腰、そして張りの良い肌と、人間で言うと20代半ばくらいにしか見えない。これくらいの子の母親だと言われてもとても信じられない外見だった。
「ま!」
そんな俺と目を合わせた瞬間、ドラゴンのお母さんは口に手を当てて驚く。妙に仕草が艶っぽいのはさすが大人の女性というべきか。
「ねえ、あなた」
突然のことだった。女性は俺の腕をがっしと掴むと、その胸をわざと押し当てるように身体を寄せ付けたのだ。
「え、え?」
キャバクラに初めて入った客ってこんな感じの反応なのだろうか。近付く吐息と腕の柔らかい感触とで頭が真っ白だ。
「娘もいいですけど……私ともお相手してくれません?」
「はい!?」
「お母さん、何言ってるの!?」
「母さん、俺という者がありながら!」
家族は大混乱だった。娘と妻が俺を引っ張り合い、夫が妻に駆け寄る。
「いいじゃない、減るもんじゃありませんし」
そして邪魔者でも追い払うようにぷいっと顔を背ける。夫はショックで今にも泣き出しそうな顔で固まっていた。
「ちょっとこっち来て!」
ついに娘のアナが俺を母親から引き離す。アナに手を引かれたまま、俺は森の中へと連れ込まれていった。
まさかお母さんまであんな風に接してくるなんて。ドラゴン族ではそれが普通なのか?
それとも、愛染明王様が話していた『愛の力』ってのは……まさか?
「あ、あのー」
「ふう、まったくお母さんってばどうしたってのよ」
がさがさと草を踏み分けて森を進む。その先は小川、澄んだ水がゆらゆらと流れるせせらぎだった。
「ここまで来れば安心ね。ドラゴンの姿って疲れるのに、まったくもう」
アナは俺から手を離し、川の水を手ですくうとバシャバシャと自分の顔を洗った。
「あのーすみません」
「そういえばあなた、何て名前なの?」
こっちの話をちゃんと聞いているのかどうなのか、アナは思い出したようにくるりと振り返る。深い琥珀のような瞳は水面の光を反射してギラギラと輝いていた。
「俺はシンヤ。ちょっと事情があってここまで来たんだけど……一体ここはどういう場所なんだ?」
「どういう場所って? ドラゴンの村に決まってるじゃない」
「いや、それは先ほど聞いたんだけれども……」
ぽりぽりと頬を掻く。
異世界から来ました、なんて言っても信じてもらえるだろうか。そもそもこの世界の地理についても知らないし、果たして何からどうやって尋ねれば良いものか。
あれこれと思考を巡らせていたその時だった。アナはじっと俺の顔を覗き込んでいたかと思えば、何を考えついたのか突如飛びかかり、俺を背中から押し倒したのだ。
「え、え!?」
地面に背中をぶつけた痛み。それに加えて俺の腹の上に馬乗りになるアナ。
「それよりも、ここはほら誰も見てないわよ。ねえシンヤ、あなたのこともっともっと教えてよ」
「ど、どういうわけですか!?」
悪戯っぽく笑うアナ。薄々勘付いていたが、この子相当肉食系らしい。
ちょっと待って、いくら俺モテたいとか願ったけど、こういうモテ方はちょっとにノーサンキューだよ。もっとこう少しずつ仲を深めていくというか……そう、健全な感じでいきたいよ。
ピュアって呼ばれてもいい、童貞臭いって笑ってくれてもいい。だから誰か助けて!
「アナ、ここにいたのか!」
願いは通じた。ガサガサと草を踏み分けて若い男が茂みから顔を出し、慌てたようにアナに声をかける。
「何よ今大事な話してんのよ」
相変わらず俺にまたがったまま動じないアナ。だが男はそんな彼女のことなど全く気にする余裕はなかった。
「それどころじゃないよ、人間が来たんだよ!」
岩山の前の広場がごった返す。この岩山に住む老若男女全てのドラゴン族が集まっていたようだった。
「突然の邪魔、失礼する」
さっきの甲冑を着込んだ女騎士だった。馬を駆ってここまで単騎でここまで来た女騎士は村の人々から敵意にも似た怪訝な眼差しを向けられていた。
だが彼女は腰の剣を抜く気配は無く、相手に背中を見せながら馬を降りる。
「実は先ほどそちらの姫君が人間の民間人をひとり連れて帰ってしまってな。その者の身柄はわからないが、この近辺は我らネウレイデンの管轄にある。身柄の引き渡しを願いたい」
「随分とでかい面下げてやってきたものだな」
村人のひとりがぎろりと睨みつけて言い放つ。まるで喧嘩を吹っ掛けているようだ。
「あれは誤解だ、決して我々の行いではない」
「まだそんな嘘を抜かすか!? 騙そうったってそうはいかねえぞ!」
「やめろ!」
一同が騒ぎだしそうになったその瞬間、全員を制したのはアナのお父さんだった。ドラゴン族も女騎士も、あまりの凄みに皆が黙り込む。
居辛さ漂うピリピリした空気。こういうの苦手だ。
「あ、あのー」
ドラゴン族の間から、俺は申し訳なさそうにゆっくりと手を挙げた。途端、全員の視線が注がれる。
「その人と少し話がしたいんですけど……いいですか?」
一瞬にして皆の表情が豹変した。
「おい、何を言ってるんだ!?」
「人間が口出しするな、これは我々の問題だ!」
口々に俺に罵声が浴びせられる。会社で鬼上司にどやされるのはいつものことだが、こうもサラウンドで一斉に怒鳴られるのですくみ上ってしまった。
「お願い、お父さん!」
だがその時皆を止めたのはドラゴンの少女アナだった。
「この人は私が監視しておく、変な気は絶対に起こさせない! だからお願い!」
必死で頭を下げるアナ。自分にとって何の利にもならないというのに、この子は俺の代わりに懇願していた。
皆がしんと静まる中、俺は恐る恐る「いいの?」と尋ねた。
「シンヤがいいならそれでいい。でも私も同席するわ、それでいいでしょ?」
「わかった」
娘の瞳を見つめ返し、父は頷いた。そしてちらりと女騎士にも目配せする。
「ああ、かまわん」
男が何を言いたいのかは無言でも伝わったようだ。女騎士はこくりと頷き答えた。