第一章 その2 いきなりの休戦
「突撃ぃ!」
進軍する騎兵隊の先頭、ひとりの騎士が剣を抜いて号令をかけると騎兵たちはさらに馬を速めた。
対するドラゴンも雄叫びのような咆哮を上げる。足元の石ころがびりびりと振動し、俺の足は震えて歩くことさえできなかった。
やばい、このままだと挟まれて潰されてしまう!
「ちょ、ちょっとタンマタンマ!」
俺は必死で叫んだ。何度も手を振って自分の存在をアピールする。
「待て、人がいるぞ。全軍止まれ!」
先に気付いたのは騎兵隊だった。先頭を突っ切っていた騎士が手を挙げ、後続の騎兵を制止させる。
一方のドラゴンの方も平原に佇む俺が目に入ったようで、先頭を飛行するドラゴンが首を後ろに回して合図する。そして全員がゆっくりと降下し、静かに地上に降り立ったのだった。
「た、助かった」
バックンバックンと鳴る心臓を押さえて俺はへたりこむ。危うく二度目の人生を開始早々ゲームオーバーさせていたところだった。
向こうから騎兵のひとりが馬を駆らせて近付く。ドラゴンも先頭の一体だけが地上スレスレを滑空してこちらに飛来するが、両者とも戦おうという意志は感じられなかった。
「そこの者、これからここは戦場になる。危険だ、さっさと離れてくれ」
騎士が話しかける。その声に地面に目を落としてぜえぜえと息を切らしていた俺は、思わず固まってしまった。
女の声だった。驚いたことにあんなに重そうな甲冑を着て馬にまたがっていたのは、女の人だったようだ。
「どこの者だ? 顔を見せよ」
しかしやはりそこらの男も威圧してしまいそうな凄みのある声、きっと剛腕の持ち主だろう。まずいなあと俺は恐る恐る顔を上げた。
目に飛び込んできたのは鎖帷子の上に甲冑を着込み、馬にまたがった金髪碧眼の女性。肩までかかるほどの長さのブロンドヘアは太陽の光を照り返していた。
「な……!?」
そんな女騎士は俺を見た途端青い瞳を大きく開き、そしてぷいっと目を逸らしたのだった。さっきまでの威厳溢れる姿が急にしおらしくなってしまった。
直後、ズシンとすぐ背後に大きな音が響く。
恐る恐る振り返る。そこにはなんと巨大なドラゴンが顔を近づけて覗き込んでいたのだった。
俺はもう全身が震えあがり、何を話そうにも「あわわわわわ」と声にならなかった。
体高は動物園で見たアフリカゾウほどだろうか。皮膚は金属のように硬そうな深い緑の鱗に覆われ、俺の頭を一噛みでカチ割ってしまいそうな巨大な口にはナイフのように鋭い牙が並んでいた。
「どうしたのよ、知り合い?」
突如ドラゴンが口を開いた。それも思ったより高い女の子の声、まさか、メスだったのか。
女騎士はそんなことに驚く様子も無く、ドラゴンの質問にいいやと首を横に振る。
ドラゴンは「ふーん」と言い、そして俺をぎろりと睨みつけた。ソフトボールほどもある巨大なふたつの瞳が、俺をがっしりととらえる。
「あのね、ここにいたら邪魔だからさっさとどこかに……え!?」
まるで子供をなだめるように話すドラゴンだが、途中で声に詰まる。俺は何が起こっているのかわからず、相変わらず固まったままだった。
「メリッサ様、いかがなされましたか?」
異様な雰囲気を察したか、騎兵の一人が駆けつける。はっと気が付いた女騎士は馬の向きをくるりと変えると、コホンとわざとらしく咳き込んだ。
「我々が戦ったとして今ここで何を得られるだろうか。まだ交渉の余地はあるだろう」
聞いて騎兵は茫然とする。信じられないと言いたげな表情だった。
俺も同じような顔だっただろう。どういうことだ、今にも開戦せんとしていた女騎士が突如戦意を失ったぞ?
その時、俺の身体に巨大な何かがぐるりと回される。ドラゴンの手だ、先ほどのメスのドラゴンが俺野身体を人形のようにつかんでいるのだ。
「ねえ、この男をしばらく私に預からせてくれるなら、今日は仕切り直しってことにしない?」
そして不意に尋ねるドラゴン。
当然ながら俺は「え? え?」とこの場にいる全員を目で往復させる。もう何が何やらさっぱりだ。
「そ、それは……」
女騎士は戸惑ったような顔を見せたものの、しばらくして納得したようにうんと頷く。
「そうだな、今日は日が悪い。今一度話し合いを再開しても良いぞ」
「それじゃ決定ね。じゃあ、この人は私がもらっていくから」
勝手に話しを進める女性たち。
「ちょっと、もらっていくってどういう……」
「乱暴に扱うなよ」
「そんなことしないって」
俺の言うことなど全く聞く様子はなかった。そしてドラゴンは俺の身体をつかんだまま、その翼を広げる。
直後、俺の足がふわりと浮き上がる。
「と、飛んでる!? 俺、飛んでる!?」
気が付いた時には既にドラゴンは俺を抱えたまま方向転換し、仲間の元へと戻っていた。高さで言うと地上3階くらいだろうか、そこまで高くはなく街中の自動車と同じくらいで子供向けのジェットコースター並の速さだが、それでもやはり体が浮くという体験は恐怖以外の何物でもなかった。
そもそもジェットコースターとかのアトラクションは苦手なのだ、寿命が縮まって仕方がない。
「姫、何をしておられるのです!?」
「同朋の敵は取らなくてもよいのですか!?」
待っていた仲間たちが戻ってきたドラゴンに口々に訊く。ドラゴン的には驚いたような顔をしているようだが、生憎人間の俺にはわからない。
「仇討ちしたところで人間もあの数よ、勝てたとしてもこっちの大損害は免れないわ」
そう言って仲間たちの上空を通過し、さらに空高くへとはばたく。他のドラゴンはやれやれと言いたげに頭を振ると、全員が人間たちにくるりと背を向けて一斉に飛び立つ。
はるか彼方まで広がる大空、我が物顔で大地を見下ろしながら飛翔するドラゴンの群れ。どれほどの壮観だろう。
だが当の俺はあまりの高さに石のように固まり、心臓さえ凍りついてしまった気分だった。
「ふふふ、あんた見たら戦おうって気が完全に削がれちゃった。ちょっとうちに来てよ」
俺をつかんだままドラゴンが嬉しそうに笑いかける。が、俺がガッチガチに固まっているのを見てふと目を丸くし、「そうか」と呟く。
「あら、この姿じゃ怖がらせちゃうわね。よっと!」
突然のことだった。俺を抱えるドラゴンが淡い光に包まれたかと思うと、その巨躯が徐々に徐々に小さくなる。それでもなお空中で飛行を続けていたのは神秘としか言いようがない。
そして巨大なドラゴンは姿を変えた。現れたのは俺よりも小さな女の子だった。
黒く長い髪から突き出た2本の角、動物の皮で作ったビキニのような布で胸と腰の周りだけを隠している。そして筋肉で引き締まった健康的に焼けた肌。そんな小柄な女の子が、俺を抱えたまま、背中の翼をはばたかせて飛び続けている。
つまり俺はこのドラゴンの翼と角を持った女の子に、お姫様抱っこされていたのだった。
「私はアナ。ドラゴン族のアナよ」
そう言って少女はにかっとほほ笑んだ。まっすぐに向けられた黄色い瞳。開いた口元からは鋭い牙が見え隠れしていた。