秋6 長兄
成形したチョコレートとオレンジを乗せて、ケーキをデコレーションしていく。あぁ、この甘い匂い……とても落ち着く。甘くて美味しくて美しい、この世界で生きていくための俺達の武器。
この世界の人は、菓子を知らない。そして、これを作る工程を魔法だと勘違いする。菓子作りは魔法ではない。化学だ。分量や作る工程を間違えれば、美しく美味い菓子を作ることなど出来はしないのだ。
「アキ兄、今日のアレン様用ケーキは何?」
「……今日はガトー・オ・オランジュ」
ナツが、美味しそうだね!と言いながらケーキトレーを用意してくれる。パレットナイフを使い、ケーキをトレーの上に乗せた。後はこれを王子に見せるだけだ。王子のことだから、今日も素晴らしいなと褒めてくれるだろう。俺の自慢の娘達が、素晴らしくないはずはないけど。
「………ナツ、今日の娘も美しいだろ?」
「……はぁ。本当アキ兄ってば、親バカなんだから」
ケーキ口説いてないで、後数年で三十路なんだから早く良い人見つけて嫁に貰えば?とナツに罵られるのだが、生憎結婚する相手もいないし、ケーキとお前達がいてくれるのだから結婚しようとか思えないと伝えると、顔を真っ赤に染め上げ、アキ兄のバーカバーカ!ケーキに壁ドンでもして口説いてろー!と再度罵倒された。
「………ケーキと結婚の次は、ケーキに壁ドンか」
今度やってみるか、ケーキに壁ドン……略すとケーキドンか……。なんか、ダサいな……。
すると、ナツと入れ替わるようにハルが厨房に顔を出した。
「アキ兄、アレン様がアキ兄呼んでこいって」
「……あぁ、今行く。丁度、ケーキも出来上がったからな」
ガトー・オ・オランジュとホールケーキ用の箱を手に持ち、俺の厨房から喫茶の方へと出る。リーザさんが俺を見て、アキくん元気か?と聞いてくるのでコクリと頷いておいた。
「…………王子、お待たせいたしました。本日のお持ち帰り用はこちらでいかがでしょうか」
王子の前に、トレーに乗せられたガトー・オ・オランジュを差し出す。彼は、おおっと感声を上げた後、今日も美しい仕上がりだなと褒めた。どうやら満足していただけたらしいので、箱の中へとしまう。
「………そうだ、アキ。あのシュバルラビンのことだが」
「………シュバルラビン?ラビラビンではなく?」
頭にクエスチョンマークをフヨフヨと浮かせながら首を傾げると、気付いてくれたのか、あれはラビラビンそっくりな魔物なんだと説明してくれた。
あれ魔物だったのか……。漫画とかアニメだとウサギの魔物ってもっとこう、目つきが悪かったりツノが付いていたり耳が刃になっていたりしているのだが、この世界ではそんなことはないんだな。王子が教えてくれなければ、俺もウサギの魔物だとわからなかっただろう。
ブルメールは、魔物に関してのことは最低限しか教えてくれなかったからな。異世界で、魔法があるのだから魔物もいるだろうとわかっていながら詳しく聞かなかった俺達にも非はあるが……。こういう、無害なものにそっくりな魔物がいると言うことは教えておいてもらいたかった。
「ハルはあんな調子で、シュバルラビンの恐ろしさをまるでわかっていない」
これ以上あいつに何か言っても無駄だと思ったからお前を呼んだんだと言われた。
……………流石、毎回来る度にハルをからかって遊んでいる王子だ。ハルのことをよくわかってる。
とりあえず、シュバルラビンのことが未だよくわかっていないので、王子に説明を乞う。丁寧に特徴や性質を教えてくれた。シュバルラビンとラビラビンの違いは目と耳にあり、目が赤く、耳の先端が尖っていればシュバルラビン、目が金色または水色で耳の先端が丸ければラビラビンということらしい。
また、シュバルラビンは可愛い見た目で誘き寄せた後、気を許した者に対して襲いかかり、顔面を喰うそうだ。
「今は怪我を治すために大人しくしているのかも知れないが、シュバルラビンは早々に始末しろ」
頬を舐めて味見をしていたからな。放っておいたら、お前の可愛い妹が喰い殺されるかも知れんぞと忠告を受ける。
………それは流石に困るな。うちの可愛い看板娘達がいなくなると店が回らない。シュバルラビンっていうのはそんなに恐ろしい魔物なのか。
「何にせよ、用心しておいた方がいい。特に、寝静まっている夜には」
「………ありがとうございます、王子」
「礼などいい。俺はこの店を気に入っているんだ。無くなられてはこちらが困る」
すると、王子の隣に控えていた執事さんが、お時間ですと声をかけた。帰宅されるということで、出入り口までお見送りする。
「アキ、そう言うことだから頼んだぞ」
「………忠告感謝いたします、王子」
「それじゃあな、ハル、ナツ。また来る」
そう言い残し、王子は従者と共に店を後にした。
ハルに何を話していたのか聞かれるが、男同士の秘密だということにしておいた。
……しばらくは様子見だが、ハルが目を離した隙に逃がしてしまった方がいいだろう。それが出来なければ、ハルが寝静まった後に始末するしかない。
見ている限り、あのシュバルラビンは利口だ。気付かれないよう事を進めなくてはな……。
睡眠時間を削ることになりそうだが、可愛い妹を守るために長兄として一肌脱ぐか。
そう考えを固めながら、店の閉店後に俺達は次の日の仕込みを済ませると2階にある自宅へと戻る。
ナツが、晩御飯のリクエストを聞いてくるので悩んだ結果ケークサレかキッシュと答えたら、どれだけケーキ好きなんだと言われた後に却下されてしまう。結局出てきた夕飯はハルリクエストのオムライスだった。
「ハル聞いてよー!このバカ兄ってば、夕飯にケークサレかキッシュって言ったんだよー!」
「アキ兄、ケークサレもキッシュもご飯だけどご飯じゃないよ」
ハルにまで否定されてしまった。………美味しいし、腹持ちもいいのに……。
なんて考えながら、シュバルラビンの様子を伺う。もっしもっしと、頬袋を一杯にしながらナツが用意した野菜を食べている。………今の所は大丈夫だろう。
モグモグとオムライスを口に入れる。食い終わり、ご馳走様と挨拶すると食器をシンクへと置いた。スポンジと洗剤を手に取って洗い物を始める。洗い終わった食器をハルが拭いていってくれるのだが、その間もシュバルラビンはハルの肩に乗っていた。
「…………肩、重くないか……?」
そう尋ねると、ちょっと重たいけどなんかくっ付きたいみたいだしと警戒心ゼロの返事が返ってきた。はぁっとため息を吐く。
「ハルー、お風呂沸いたから入りなー」
「はーい」
ナツに呼ばれて、シュバルラビンと共に風呂場へ行ってしまう。
………しまった。ハルが風呂に入っている間にシュバルラビンを逃がしてしまおうと思っていたのに……連れていかれた。思わず、キッチンで項垂れる。
ハルと入れ替わりに戻ってきたナツが、俺の様子に気が付いたらしい。
「アキ兄、どうしたの?」
と声をかけてきた。
大丈夫、明日は何のケーキを作ろうか悩んでいただけだからと誤魔化すと、流石ケーキバカと罵られた後、私はベイクドリンゴタルトがいいなーと言葉が返ってきた。
本当にリンゴ好きだな……。ナツが食べれるわけでもないんだが……、売れ残ったら食わせてやればいいか。残らないとは思うが。
「……そうだ、ナツ、明日6時になっても俺が起きていなかったら起こしてくれ」
「え?うん、わかった」
なんでと理由を聞いてこない辺り、ナツの優しさだな……。
……さて、ハルやナツに気付かれないように、シュバルラビンを始末する準備を進めなくてはな。あぁ、後、シュバルラビンがいなくなった後のハルへの言い訳も考えておかないと……、あの子は寂しがるだろうから。
言い訳を考えながら、包丁の手入れという名目でカステラナイフを研ぎ始めた。
用語集
【ガトー・オ・オランジュ】『オレンジのケーキ』という意味を持つ。真ん中のオを抜かされてガトー・オランジュと呼ばれることも。
ガトーという言葉が『ケーキ』と言う意味なので、ガトーショコラになると『チョコレートケーキ』という意味になる。
【ケークサレ】玉ねぎやじゃがいも、チーズなどを加えて作る、甘くないお惣菜系パウンドケーキ。
『塩味ケーキ』という意味を持つ。
【キッシュ】パイ型やタルト型の生地の中に、ほうれん草やベーコン、玉ねぎなどの野菜を入れて、卵と牛乳または生クリームを合わせた液を注いで、上にチーズを乗せてオーブンで焼いた物。
オードブルに用いられる。