第七章 黄金の星 青の月
「・・・幸せねえ。」
ランに問われ、椋介は顎に手を当てる。
「まぁ、一年間、お前を憎みながら騎士見習いをやってた頃よりはましかな。」
藍―ラン・シエル・ウォータリアスに命じられ、椋介は、ここ、ウォータリアスで生きることになった。
だが、何の後ろ盾もなく、この惑星の文化にも通じていない椋介が一人で暮らすのには無理があった。
そこで、ランを探しに来た三人の男の内の一人―赤髪の優男、リオネス・バーミリオンの養子となった。
椋介は、リョウスケ・バーミリオンとなり、半年間、語学と文化の研修を受けた。
そして、市井の中で生活するには問題ないと判断され、騎士となるため、椋介は、王都付属の騎士学校に入学した。
ウォータリアスの女王を殺すために。
椋介は、騎士学校の講義、訓練に明け暮れた。寮生活だったため、そこで、後に親友となるアトル、サガ、そして、女性騎士を目指すマーガレットにも出会うが、青春を謳歌する気などさらさらなかった。
騎士になるには、最低四年かかる。それまでは、騎士見習いとして、講義、訓練、実践を繰り返す。そして、最終試験をクリアした者が騎士となり、騎士団に入団することができるのだ。
騎士団には、三つの隊があった。
第一隊エナ、第二隊ドゥーエ、第三隊トゥリア。
彼らの服装は、灰色のコートに黒のロングブーツが基本だが、シャツの色でどの隊なのかが分かるようになっている。
エナ隊は、臙脂。ドゥーエ隊は黒。トゥリア隊は白。
かつて、ランを探しに来た男達は、その隊の一人だ。セージという名の、目元に傷をつけた男はエナ隊で、養父、リオネスはドゥーエ隊。金髪の若い男―マルコはトゥリア隊だ。
騎士となると、その三隊のなかでどちらかに配属される。配属先によって仕事も違い、エナ隊は主に王宮の警護を担当し、ドゥーエ隊は王都の治安を守り、トゥリア隊は、王都以外の町、村全ての警護を担当している。
三つの隊には、それぞれ隊長がいる。彼らの上には、団長がおり、団長は、三つの隊の情報を把握しながら、騎士団の維持に努めている。また、騎士団学校の支援も行っている。
惑星の女王はランであるが、そこには、多くの国々が存在し、それぞれ独自の文化を持ちながら、日々暮らしている。
しかし、国であっても、そこに王は存在しない。『領主』と呼ばれる者達が統治し、民に税を課し、国の経済を動かしている。
領主は女王の下についているため、何か問題が起きれば、女王直属の密偵、『女王の薔薇』が情報を直に送る。ちなみに、誰が女王の薔薇であるかは、領主も女王も知らない。
ちなみに、騎士団は、領主(テリーチャ―)が治める国同士の争いに関与しないが、あまりに目に余る時は、女王自ら命を下し、少数を除いて、第一、第二、第三の隊のほぼ全員が出動することもある。
そんな、地球とはまるで違う文化に戸惑いながらも、椋介は着々と騎士見習いとして力をつけていった。
その過程で、王宮内での内紛や領主同士の抗争など、様々な争いに巻き込まれていき、やがて、椋介は、ランの真意とウォータリアス家の秘密、そして父とランがなぜ地球にやってきたのか、その理由を知ることになる。
それは、彼が騎士見習いとなって一年が過ぎようという頃だった。
「お前も、たいした役者だよな。」
「え?」
「俺がここで生きていけるように、わざと憎まれるようなことしてさ。」
すると、ランは、バツが悪そうに目を伏せる。
「・・・だって、そうでもしないと、リョウちゃん、自分で自分を責めそうだったから。リョウちゃんは悪くないのに。」
「そりゃ、後悔は山のようにするだろうさ。なんてったって、生き残ったんだからな、俺は。」
「だから!」
「落ち込んでも、どうにかして浮上してたろうさ。それを、お前、ややこしくしてくれちゃって、まぁ。」
そう。ランは、地球人のなかでただ一人生き残った椋介を自責の念にからせないよう、―下手をすれば自殺という可能性もあると考慮して―、わざと己を憎ませるように仕向けたのだ。
『月島藍』としての感情を押し殺して。
「考えればおかしかったんだよな。俺が騎士になるなんて言った時、女王を殺すためだって勘づいてたはずなのに、リオネスは何も言わなかった。まぁ、そうなるように仕向けたお前に頼まれちゃ、嫌とは言えないよな。」
「う・・・。」
ランは、言葉が詰まったように呻く。
「まぁ、色々あって、お前の真意に気づいたからよかったものの、気づかなかったらどうするつもりだったんだ?」
椋介が気づかなければ、今のように、なごやかに話すことなどできなかったはず。
それさえ覚悟して、ランは憎しみの対象となったのか。
椋介が問いかけると、ランは瞳を上げ、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「・・・このまま、憎まれたままでいいと思ってた。だって、私は、お父さんやおばさんや、佳奈ちゃん、みんなを見捨てて、あなただけ助けた。ひどい女だから。」
「ひどい・・・?」
どうして、「ひどい」などという言葉が出てくるのか。意味が分からず、眉を寄せる椋介に、ランは眉を寄せ、痛みを堪えるように目を閉じた。
「あなたを助けたのは、ウォータリアス人の血を引いていたからというのもあるけど、それだけじゃない。・・・本当は、あなたを死なせたくなかった。あなたに生きていて欲しかった!!」
血を吐くようなその叫びに、椋介は思わず目を瞠る。
「あなたと一緒に星の扉から出て、誰かを無理やりでも引っ張ってくれば、二人くらいは助けられたかもしれない。でも、あの時、私の意識は、すでに女王のものに切り替わっていた。待っている民のために、死ぬかどうかわからない危険を冒せない。女王として、『月島藍』として、どちらもできたのは、あなたを連れてくることだった。」
そこまで一気に言いつのったランは、だが、何かを否定するように首をゆるく振った。
「・・・ごめんなさい。それは建前ね。私は・・・。」
ぐっと顔を上げ、ランは椋介を見つめた。瞳に、わずかだか涙の膜が張っている。
綺麗だと、不謹慎ながら、椋介は頭の角で思った。
「リョウちゃんが大好きだから。もし、あのままいなくなってたらと思うと耐えられなかった。憎まれても、怨まれてもよかった。この星のどこかで生きてさえいてくれれば、私は幸せだった。」
泣き笑いのような表情を浮かべ、おそらく、ずっと溜めていただろう想いを告げたランに、椋介は何も言えなかった。
そして、まざまざと思い知る。女王だろうと、四年経とうと、ランの想いは『月島藍』の時と何ら変わらないということを。
「俺が好き、か。お前を殺そうとした俺でもか?」
「そういうところも含めて、私はリョウちゃんが好きだもの。幼稚園の時からずーっとね。」
『藍』のように砕けた口調。けれど、その瞳には、『藍』の頃にはなかった全てを包み込むような温かさがあった。
「・・・はっ。」
椋介は、思わず息を吐き出す。
憎まれても、怨まれても、生きてくれればいいと。負の感情を叩きつけられ、辛く、苦しくなかったはずはないだろうに、それでも幸せだとランは言う。
その想いの深さに、椋介はただただ圧倒される。
自分は、生き残った罪悪感をラン一人に押し付けて楽になろうとしていた。地に足などついておらず、ウォータリスの人間がどうなろうと知ったことではなかった。
周りに目を向けるようになったのは、ここ、三年の話だ。
「敵わないな、お前には・・・。」
半ば独り言のように呟く。
だからこそ、言わなければ。ランの真意を知り、憎む気持ちは薄れ、地球にいた頃のような関係に徐々に戻ってきたとはいえ、椋介はランにきちんと伝えてはいない。
「ラン。」
「ん?」
「お前に伝えたいことがあるんだ。色々あって、なし崩しになってたけど。千年式典の後に、俺も騎士になるし。今しかないと思ってさ。」
「うん。」
ランが頷く。
「神殿に来たのは、この絵を見るのもあったけど、お前に会えるんじゃないかって期待したのもある。」
「・・・うん。」
不思議そうな顔で、ランは椋介をじっと見つめる。
椋介は、拳を握りしめ、ランを見た。
「ありがとう。」
その言葉に驚いたように、ランが目を見開いた。
「俺をここに連れてきてくれて、ありがとう。感謝してる。」
ランは茫然としたまま、椋介を見ている。
「この惑星に来て、色んな奴にあって。辛い事もあったけど、それは生きているからこそなんだよな。あの時、お前が引っ張ってくれなきゃ、こうやって地球のことを思い出すこともできなかったんだ。もう、自分一人が生き残ったことを、責めるのは止めにする。俺は、地球人最後の一人として誇りを持って、ここで根を張って生きていこうって思う。」
ランの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。それは、湧水のように溢れだし、頬を伝って、神殿の白い床にぽたりぽたりと落ちていく。
声もなく泣くランを、椋介は優しく抱きしめた。
「ごめんな。ずっと一人で辛かっただろ。俺はもう大丈夫だから。」
されるがままのランに、椋介は幼子にするかのように髪を何度も撫でた。すると、ランの左手が椋介の袖口をぎゅっと掴む。
しばらくして、ランは小さく嗚咽をこぼしながら、泣き始めた。
椋介は、ランを抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
「ありがとう、リョウちゃん。もう、大丈夫。」
鼻をすすりながら、少しかすれた声を上げて、ランは言った。左手を袖口からおろし、椋介から離れようと身を動かす。だが、椋介はランを離そうとはしなかった。
「リョウちゃん?」
困惑した声を上げるランに構わず、涼介は言った。
「もうひとつ、言うことがあるんだ。」
椋介は、ランの両肩を掴み、少し距離を取った。目の前には、目元を赤くしたランの顔があった。
「お前の言葉を聞いて、どれだけ自分が馬鹿だったのか分かった。・・・今さらかもしれないけど、言わないで後悔するのはごめんだから。」
じっと、ランは椋介を見る。その邪気のない瞳に気後れしながら、それをどうにか押し殺して、涼介は口を開いた。
「俺はお前が好きだ。」
目を丸くするランに、涼介は言葉を続けた。
「本当は、お前に告白された次の日に言おうと思ってた。でも、あれが起きて、それどころじゃなくなった。それからの俺は、復讐しようと躍起になって、そんな気持ちを持っていたことすら忘れていた。でも、お前が小金井沢の皆の事を忘れてないって知って、俺のために自分を憎ませるようなことをしたって知って、どうすればいいのか分からなくなった。でも、冷静に考えてみれば、地球が滅んだことはお前のせいじゃない。俺はただ、みんなを見捨てて生き残った罪悪感を、お前に押し付けていたんだってことにようやく気づいたんだ。」
「リョウちゃん・・・。」
「騎士になれば、お前が大切に思うこの惑星の人間を守ることもできる。それで、俺が世話になった奴や、この惑星で出会った人達に少しでも恩返しができたらって思うんだ。」
「・・・・・。」
「こうしてお前に話せるのも、今日くらいしかないから言えてよかったよ。」
ほっと息をつき、椋介はランに柔らかな笑みを浮かべた。
「・・・私も、あなたが好きです。」
今にも泣きそうな顔で、ランが吐息混じりに呟いた。
「ラン・・・。」
「女王としても、『月島藍』としても、あなたが好き。」
好き、と繰り返すランに、たまらないほどの愛おしさを椋介は感じた。
今すぐにでも口づけてしまいたい衝動を渾身の力でねじ伏せ、椋介は、ランの肩から手を離すと、コートのポケットの中からあるものを取り出した。
それは、二つの首飾りだった。
一つには、麦の色に似た黄金色に輝く石が、もう一つには、青空を写し取ったかのような青い石がついていた。
椋介は、黄金色の石がついた首飾りをランの前にかざす。
「これ、お前にやる。」
「え?」
「ほら。」
椋介に促され、ランは、おずおずと掌を差し出した。その上に椋介は、首飾りを置く。
ランが掴んだのを確認した椋介は、青い石のついた首飾りを自身の首にかけた。
「小学校の頃、プラネタリウム見にいったの覚えてるか?」
「うん。」
「あの時、キーホルダー、もらっただろ。黄色と青の。」
ランが考え込むように目を泳がる。しばらくして、あっという声とともに、目を輝かせた。
「はくちょう座のアルなんとかって星を元にしたっていってた?」
「アルビレオ。望遠鏡で見ると、二つの星が並んでいるように見えるあれな。この二つを見た時、それを思い出したんだ。それと、ウォータリアスと月にも似てるなって。」
「ウォータリアスと月に?」
「お前も見ただろ?移民船の記録映像。この惑星と月のさ。」
古代遺物調査で移民船を発見した時、椋介とランは偶然、移民船の船員が撮っていたウォータリアスと月の映像を見たのだった。
それは、この首飾りの色のようだった。
ウォータリアスは、麦色の地表に覆われ、その隣には青い月が浮かんでいた。
「私がウォータリアス?」
「そ。女王だし、ぴったりだろ。で、俺が月。」
すると、ランがおかしそうに口元を震わせた。
「なんだよ?」
「リョウちゃんがそんなロマンチストだとは思わなかった。」
笑いをこらえるランを見て、椋介は思わずむくれる。
「悪いかよ?」
「ううん。素敵だよ。私にはもったいないくらい。」
そう言って、ランは首飾りを首にかける。白い壁の隙間にできた太陽の光に反射して、黄金色の石がきらりと光った。
「ありがとう。大切にするからね。」
「おう。・・・ちなみにそれ、保険だから。」
「保険?」
首を傾げるランを見つめながら、椋介は腹を決める。
「五年、いや十年だな。俺は団長を目指す。そして、王宮の人間に俺を認めさせる。そして、大公を目指す。」
「リョウ、ちゃん・・・。」
思ってもみないことだったのか、ランは口をぽかんと開けて、椋介を見ていた。
耳がじわじわと熱くなるのを感じながら、椋介は口を動かした。
「俺は、お前のそばにいたい。騎士だって、お前の支えになることはできるが、それじゃ意味がない。お前が泣いている時に、何もしてやれないのは辛い。お前がどこの馬の骨とも分からない奴の腕の中で泣いているのを想像するのも嫌だ。だから・・・。」
ぐっと口元を引き締め、椋介はランを見た。
「その首飾りを証として、私、リョウスケ・バーミリオンは、ラン・シエル・ウォータリアスに結婚を申し込みます。」