第六章 愛が憎しみに変わる瞬間
校内は、散乱としていた。
窓ガラスは飛び散り、教室にあった机や椅子が廊下に飛び出し、通路を塞いでいた。
ガラスで怪我をした女生徒や、机や椅子の下敷きにあい、ぐったりとしている男子生徒もいた。
悲鳴と混乱、そして恐怖が、この場を覆い尽くしていた。
しばらくして、担任が机や椅子を越えて、椋介達の所へやってきた。
動ける者は、動けない者達を運びながら、体育館へ避難するように。
そう指示を出され、椋介は、足を怪我した男子生徒の肩を貸し、翔と蓮は、ぐったりとした男子生徒の腕を片方ずつ持って運び、歩き出した。
体育館へ避難した椋介達は、怪我をした生徒を救護医の先生に託すと、集まった全校生徒達とまとまって座りながら、奥の方で固まって話をしている教員達の指示を待っていた。
その時、不意に、椋介は『藍』という名前を聞いた気がした。
振り向けば、髪を一つに縛った女生徒が、集まった生徒達に何かを尋ねていた。
「ねぇ、藍を知らない?」
その言葉に目を見開いた椋介は、すぐ様、女生徒に近づいた。
「月島がいないのか?」
椋介に驚いたのか、一瞬固まる女生徒に、椋介は続けて言った。
「君が探しているのは、月島藍だろ?」
女生徒は頷いた。
「え、えぇ。そうよ。教室に一緒にいたんだけど、ここについた時には見当たらなくて。トイレかなと思って探したんだけど、いないの。」
女生徒は、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。
「・・・俺が探してくる。」
教員に許可をもらって出ていくのでは時間がかかり過ぎる。それに、またいつ地震が来るのか分からない。
「えっ。」
目を丸くする女生徒の脇をすり抜け、椋介は体育館を出た。
廊下を塞ぐ椅子や机をまたいで、椋介は、藍がいたクラス、『1-C』に向かった。
しかし、そこには誰もいなかった。
「藍・・・。」
どこにいる。
椋介は、焦る心を押し殺し、教室を飛び出すと、校庭へ出た。辺りを見回すが、藍の姿はない。
校庭から見える学校の周辺は、壊滅状態だった。壁は崩れ、家々には火の手が上がり、建物のなかには、もとは何だったのか分からないほど倒壊したものもあった。そして、人々のうめき声や叫び声のようなものが、椋介の耳に届いた。
救助が来ていないのか。だが、自分には何もできない。
拳を握りしめ、椋介は振り切るように校庭を後にした。
校舎と体育館の間にある中庭にも行ってみたが、そこにもいない。
「くそっ!」
芝生の上に立ち、苛立ちながら、椋介は歯がみした。
その時、椋介の耳に、何か物音のようなものが響いた。耳を澄ましてみれば、それは、機械の振動音に似ていた。
こんな所に機械類は置いていないはず。
その音に導かれるように、椋介は歩き出した。
聞こえてくる場所は、校庭のある方向とは反対側にある、プール脇の路地からだった。
赤茶けた土がむき出しになっているが目を引くその場所に、藍と昨日出会った三人の男達がいた。
そして、そのそばには、人が入れるほどの大きさの円形状の物体が宙に浮いていた。
「藍っ!!」
椋介は、藍を見つけたことの安堵で、男達と妙な物体を目に入れてはいたが、認識してはいなかった。
「藍、大丈夫か!?怪我はないか?」
藍の元へ駆け寄り、椋介は藍の肩を掴んだ。
「椋ちゃん・・・」
茫然とした風の藍に、椋介は安心させるように微笑んだ。
「怪我はなさそうだな。よかった。さぁ、体育館に行こう。みんな、避難してる。」
そう言い、藍の肩を掴んで歩き出そうとした次の瞬間、再び、激しい揺れが起きた。
立っていられず、椋介は思わずしゃがみ込み、同じようにしゃがみ込んだ藍を庇うように、自身の胸元へと引き寄せた。
やがて揺れはおさまり、椋介は、藍と共に立ち上がった。
「大丈夫か?」
「う、うん・・・。」
不安げに瞳を揺らがせ、藍が頷いた時、三人の男達が「陛下!」と叫びながら、こちらに走ってくるのが見える。
その直後、むき出しの地面が割れ、中から赤い炎―否、マグマが噴出した。それは、あちらこちらで上がり、雪崩のように、プールを、体育館を、校舎を赤く染めていく。
「なっ!?」
まるでパニック映画に出てくるような惨状に、椋介の動きが止まる。
「・・・こっち!!」
ぐいっと勢いよく体が引っ張られ、体ごとそちらに向ければ、藍に腕を取られていた。
「おい、藍!?」
急に走り出した藍を止めるひまもなく、椋介も足を動かす羽目になった。
藍は、円形状の奇妙な物体に向かっていた。
その物体は、銀色に光っており、まるで巨大な鏡のようだった。そして、椋介達が近づくと、その銀色がきれいに縦に割れ、その先には、天井も地面も、青く輝く何かに覆われたトンネルのようなものが広がっていた。
藍は臆することなく、そこへ入った。
「なんなんだよ、これ!?」
訳が分からず、藍の腕から手を引き抜こうとするが、藍は椋介の腕を離そうとしなかった。
後ろから、複数の足音が聞こえ、振り向けば、三人の男達も後ろについてきていた。
「なぁ!あいつらもついてきてるぞ!?どういうことが説明しろっ!」
押し黙ったままの藍。地面から噴き出したマグマに覆われる学校。奇妙なトンネル。
それら全てが、椋介の不安を掻き立てる。藍にぶつけるように叫んだ言葉は、我知らず震えていた。
「地球はもうすぐ消滅するの。」
「・・・は?」
唐突に、藍の口から発された「地球」、「消滅」という言葉に、椋介は一瞬、頭が真っ白になった。
藍は振り返ることなく、淡々と椋介に告げた。
「地球は、地殻変動によって跡形もなくなくなるの。さっきのはその前兆。あと、十分で何もかもなくなる。早くここを出ないと、私達の命もあぶないわ。」
「じょっ、冗談きついぜ!いくらお前でも、言っていい事と悪い事が・・・。」
引きつった笑みを浮かべ、椋介は藍の不吉な台詞を否定した。
信じられない。信じたくない。だが、あのマグマは一体どう説明すればいい?
否定する心と疑念がごちゃごちゃに混ざりあい、椋介はどうすればいいか分からなかった。
だが、その思いも振り返った藍の表情によって打ち砕かれた。
藍は、ぎゅっと眉を寄せ、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
その表情が、『真実』だと告げていた。
「――!!」
椋介は、藍の腕を振り払い、もと来た道を戻ろうとした。
「椋ちゃん!!」
慌てたように、藍が椋介の腕を取る。
「離せ!!俺は戻る!!あそこには母さんもいる!!翔も蓮も、学校の連中も!町の人達だって!!ここがどこだかわからねぇが、ここに連れてくれば助かるんだろ!?」
「もう間に合わないよ!」
「やってみなきゃわからねぇだろ!!」
椋介が叫んだその時、ドォンッという何かが爆発したような音が響き、地面がぐらりと揺れた。
「お願いっ!セージ、椋ちゃんを運んで!!」
椋介がその言葉の意味を理解する間はなかった。
首筋に痛みを感じたかと思うと、椋介の意識はそこで途切れた。
椋介が意識を取り戻したそこは、埃っぽく、湿った空気が充満する部屋だった。目の前には、椋介が藍とともに入った円形状の奇妙な物体が、いくつものヒビが入った状態で床に転がっていた。
藍の姿が目に入った瞬間、椋介は、怒りのままに、藍に詰め寄った。目元に傷のある男が椋介を床に押さえつけるが、それを些細なことだと感じるほど、椋介は必死だった。
「離せよっ!!行かなきゃ、みんな死んじまう!!」
しかし、体格と力の差があり過ぎ、じりじりと前へ進むのが精いっぱいだった。
すると、座り込んでいた藍が立ち上がり、椋介の前に立った。
煤と埃にまみれた制服姿で、けれど、どこか冷ややかな眼差しで、藍は椋介を見た。
それは、椋介の知っている『月島藍』ではなかった。
「あなたが目を覚ます前に、あの円形状のもの、私達は『星の扉』と呼んでいますが、地球の地殻変動の余波で壊れました。もう、地球へ行くことは敵いません。あなたは、ここ、ウォータリアスで生きていくことになるのです。」
「はぁっ!?ふざけるなっ!!そこをどけっ!!」
ウォータリアスなどという聞き慣れない名前。地球にはいけないという言葉。
訳が分からず、だが、学校に戻ることができないということだけは分かった。
男の腕から逃れようと、椋介は体をよじらせる。そこに、藍が膝をつき、椋介を見下ろした。その手の中には、青色のフロッピーディスクがあった。
「・・・これは、星の扉に入っていた記録映像を入れたディスクです。ここの黒いボタンを押すと、映像が見られるようになっています。」
そう言って、藍はディスクを平行にし、その脇にある黒いボタンを押した。
すると、椋介の目に、数分前までいた小金井沢高校の姿が現れた。
しかし、しばらくして、プールも、体育感も、校舎も、地面から噴き出たマグマで覆われ、灼熱地獄のごとく、全てを覆い尽くしていく。そして、その映像が大きくぶれたかと思うと、ぷつりと唐突に途切れた。
「・・・分かりましたか?地球はもうないのです。あなたの家族も、友も、出会った人々も、いないのです。」
見据える藍の瞳には、怒りも悲しみも、絶望も、何も浮かんでいなかった。ただ、事実だけを映す暗い闇があるだけだった。
「・・・い、ない?」
「ええ、いません。」
椋介は、藍を茫然と見つめていたが、しばらくして、目を伏せた。
母と話したのは、学校に向かう時だった。行ってくると言っただけで、顔さえ見ていない。
翔と蓮。彼らに何も言わないまま出て行ってしまった。心配していただろうに。
学校の皆。町の人達。
「俺は・・・。」
どうして、家を出る時に母の顔を見なかったのか。
どうして、翔と蓮に一言でも言わなかったのか。
学校の皆を、町の人達を見捨て、今、ここにいる自分。
なぜ、あの時、無理やりでも藍の腕を振り払わなかったのか。
なぜ、走らなかったのか。
もしかしたら、一人でも救えたかもしれないのに。
後悔の二文字が椋介の頭を覆いつくし、再び、藍に目を向けた瞬間、何かが弾けた。
「ぐぅっ!!」
気づけば、椋介は藍の首に手を掛けていた。
「どうしてっ、どうして、俺を止めた!?あの時、お前が俺を止めていなければ、一人だけでも救えたかもしれないのに!?なぜっ!!」
傷のある男が、椋介の手を藍の首から引きはがし、赤髪と金髪の男が椋介の肩を交互に掴み、床に押し付けた。
ごほごほと苦しそうに咳をする藍を、椋介は怒りを込めて見つめる。
息を整えた藍は、怒りを露わにすることなく、淡々と機械のように言葉を紡いだ。
「・・・もう、時間はありませんでした。戻っていれば、あなたは死んでいた。」
「そんなのはどうでもよかった!!」
「・・・あなたはよくても私は困るのです。私には、この惑星の民を守る義務がある。この惑星の民の血をひくあなたを死なせるわけにはいかない。」
「なに・・・?」
目を見開く椋介に、藍は言った。
「グレン・シーカー。彼は、この惑星の人間です。そして、あなたは地球人とウォータリアス人の間に生まれた子供なのです。」
「嘘だ!父さんはイギリス出身で・・・!」
「戸籍を見る機会などそうそうありません。グレン・シーカーが嘘をついていたのか、お母様が全てを知っていたかどうかは分かりませんが、まぎれもなく、彼は私達の星の出身です。」
藍の口調に、冗談を言っているような気配は微塵も感じなかった。
そういえば、椋介はグレンの父母―彼にとっては祖父母―に会ったことがなかった。話も聞いたことはなかったし、写真すら見たことはない。
それから、父は機械全般もダメだった。携帯電話もパソコンも苦手で、書類やメモも全て手書きだったように思う。母が昔話していたが、初めて会った頃、キッチンの火の消し方が分からず、水でコンロの火を消そうとしたことがあったらしい。三十代のいい大人がそんな行動をとったことに、母は驚いたという。
「・・・百歩譲って、俺がそうだったとしよう。だが、そんなのは関係ない!俺はあそこで生まれて、あそこで育った!お前だってそうだろう!!」
口調や態度まで変わり、地球のことを切り捨て、ウォータリアスという知らない惑星を守るという藍は、まるで王族のような威圧感を感じさせた。
首を絞めかけ、怒りに燃えながら、それでも椋介は、彼女が幼馴染の藍であることを信じたかった。
だが、椋介の想いもむなしく、藍の瞳には、ただ冷えた光があるだけだった。
「私の名は、ラン・シエル・ウォータリアス。この惑星の女王です。わけあって、グレン・シーカーを探しに、星の扉を使って、地球へと訪れました。その時、事故が起こり、赤ん坊にまで退化した私を見つけ、育ててくれたのが月島智教授です。彼には、何度礼を言っても足りないということはありません。しかし、地球か、このウォータリアスかどちらかを選べと言われたら、私は迷わずウォータリアスを選ぶでしょう。」
藍が地球の人間でなかったという事実よりも、ウォータリアスを選ぶと断言する藍に、椋介は体の奥底から震えが走るのを感じた。
「・・・あいつらを見捨ててもよかったって?」
「言ったはずです。私は女王。この惑星の民を幸福にするという義務がありま」
「聞いてるのは、女王のお前じゃない!『月島藍』としてどうだと聞いてるんだ!!」
藍の言葉尻を遮り、声を荒げて、椋介は藍を睨みつけた。
「関係ありません。それに、地球では十六年という長い歳月ですが、ウォータリアス時間では十六日しか経っていない。それだけの日数で、どう愛着を持てというのです?私が大事なのは、ウォータリアスの民です。」
小さく鼻を鳴らし、見下す表情を隠しもせず、藍は告げた。
「お前っ!!」
少しでも、地球を、彼女が暮らした小金井沢を悼む気持ちがあるのなら、この怒りも収まると思っていた。
だが、藍は、十六年間暮らした地球を、家族を、友を、関係ないと言い切った。さらに、ウォータリアスという、椋介にとって聞いたこともない惑星の人間のほうが大事なのだと堂々と言い放ったのだ。
許せない。
育ての父も、心配してくれた友さえ、彼女にとっては、道端にある石ころのようにしか見ていなかったのか。
激しい怒りと憎しみが、椋介の胸を駆け巡った。
唇を噛み締め、憎悪を込めて、椋介は藍を見上げた。
だが、藍の表情は、彫像のようにぴくりともせず、嘲るような眼差しを椋介に向けるだけだった。
「私を怨むというのなら、怨みなさい。殺したいと思うなら殺せばいい。けれど、私も、ただでは殺されません。王宮には無数の罠が仕掛けられています。それに、私の周りには、多くの護衛、―騎士がいます。彼らを倒せるほどに強くならなければ、私の命を奪うなど夢のまた夢でしょう。」
そして、藍は瞳に力を込め、椋介に告げた。
「海野椋介。ウォータリアス女王として命じます。この惑星の民として生きなさい。」
こうして、椋介は、別れも、感謝の言葉さえ言えずに、帰るべき故郷を失った。