第五章 友よ、一発殴ってもいいですか?
翌朝、朝食を食べ、叶恵に「行ってくる」と手を上げて、椋介は家を出た。
通学路を歩きながら、いつ、藍に伝えようかと考える。
一緒に帰ろうといって、誘おうか。
藍のクラスの生徒達に注目されるかもしれないが、そこは腹を括ろう。誰かにかっさらわれて、後悔するよりましだ。
(勢いって大事だよな。)
そんなことを考えながら、椋介は、いつもどおりに教室のドアを開けた。
「椋介、おはよ。」
その声は、ドアに近い一番前の席に座る少年からだった。髪を短く刈り上げ、目立つほくろが左目の下にある。
少年の名を、佐々木翔という。
翔は、隣の市の三神出身だ。無類のサッカー好きで、部活もサッカー部に入っている。ゲームも好きで、新作が出たと聞けば、深夜に並んででも買いに行くというゲーム馬鹿でもある。翔の影響か、椋介は、やたらとサッカー選手やゲームのことにくわしくなってしまった。今では、テレビでサッカー観戦があれば必ず見るし、翔の好きなゲームの情報を伝えることもあった。
彼との出会いは、入学する前、翔が助っ人として出ていた、この高校のサッカーの試合だった。
翔は、スポーツ特待生として、小金井沢高校の入学がすでに決まっていた。入学する前だが、サッカー部の実力が知りたいと、無理やりいれてもらったという。
その時、椋介は試験を終えた直後で、放心状態だった。試験が終わり、安堵したのもつかの間、翔の蹴ったボールが後頭部にクリーンヒットしたのだ。脳震盪までは起こさなかったものの、それは最悪なものだった。
その後、入学式で翔と再会し、しかも同じクラスだと知った時は、ひどく驚いた。今ではいい笑い話になっている。
「おはよう。」
翔の隣の席に座り、文庫本を読んでいる少年―倉橋蓮にも声をかけられる。細面の顔に、すっきりとした目鼻立ち。俗にいう美形の部類に入る。同学年には、彼の隠れファンがいるらしい。
蓮は、小金井沢にある倉橋医院の一人息子だった。
将来は医者になるべく、高校は進学校を目指していたらしいが、冒険家の叔父に言われた『人生は一度きりなんだから、楽しめ』という言葉に一念発起し、公立の小金井沢高校に入ったという。今まで、親の言うとおりにしてきた蓮にとって、それは大きな冒険だった。
しかし、両親は認めてくれない。見切りをつけた蓮は、家を出て、叔父の家で暮らすことになった。
椋介が蓮と親しくなったのは、彼の文庫本を拾ったことがきっかけだった。
それは、かつて父が読んでいた、冒険家で考古学者のアレクサンダー・トパーズの著書だった。
椋介が父のことを話すと、蓮は目を輝かせて、父の話をせがんだ。どうやら、叔父の影響で、自分とは違った生き方をしている人間に興味があるらしかった。
いつものすました表情とは裏腹に、年相応の顔をした蓮を見て、椋介は少し驚いた覚えがある。
「おはよ、二人とも。」
椋介は片手を上げると、翔の後ろにある自分の席に座り、ショルダーバックを机のフックに引っかけた。
「なぁなぁ、お前、昨日の帰り、女子と歩いてたって本当か?」
椅子の背もたれに体を預け、顔を椋介の方に向けるや、翔が唐突に聞いてきた。
女子―藍のことだ。
椋介は、勢いよく顔を上げ、翔を見る。翔はにやにやと気味悪い笑みを浮かべ、椋介を見ていた。
「やっぱり本当なんだな。」
「それ、どっから出た情報だ?」
椋介の問いに答えたのは、蓮だった。文庫本を机に置き、体を椋介の方に向けて、説明する体勢にはいっている。
「新聞部の金城だ。お前と女生徒が親しげに歩いているところを見たらしい。女生徒の顔までは分からなかったたしいが。」
厄介な奴に見られた、と椋介は思った。
金城―本名、金城美姫。その名とは真逆の、ゴシップや噂好きで有名な同学年の女生徒だ。それが高じて、部活では新聞部に入っており、同学年や先輩、後輩の根も葉もない噂や、スキャンダル話を集めて、月に一回、掲示板に記事を掲載している。
当事者には迷惑以外の何物でもないが、この記事は、意外に好評でファンが多い。
放課後、藍に会おうと思ったが、美姫に目をつけられたとなると、そう簡単にはいかない。
だが、と椋介は思案する。
いっそ、それを逆手にとって公表してもらうのもいいかもしれない。余計な虫がつくこともないだろうし。
「おい、椋介。」
不意に、翔に話しかけられ視線を向けると、やけに真剣な翔と目が合った。
「頼む。俺にもその子を紹介してくれ!」
拝むように頭を下げる翔に、椋介は、自分でも信じられないほど冷たい声を出した。
「なんで?」
蓮がそれに気づき、意外だとでもいうように片眉を上げた。それを横目に見ながら、椋介は翔の頭を見つめた。
「だって、憧れの高校生活だってのに、彼女の一人もできないのは寂しいじゃんか!なっ、頼む!」
顔を上げ、再度頼む翔を、椋介はすっぱりと切り捨てた。
「断る。」
「えー、いいじゃん。」
「やだったら、やだ。」
ふいっと横を向くが、翔はめげなかった。
「その子、お前の知り合いなんだろ?」
「あぁ、幼馴染だ。」
「だったら、少しくらいいいじゃん。恋人同士ってわけでもないんだろ?」
その言葉に、胃がせりあがるような嫌な気分を覚え、椋介は、きっと正面を向いた。
そして、翔に向かって、睨みつけるようにして叫んだ。
「その予定だ!」
「・・・は?」
訳が分からないと言った風な翔に、蓮がおもむろに椅子から立ち上がり、翔の隣に立った。
そして、翔の肩にぽんと手を置いた。
「恋人になる予定だそうだ。残念だったな、佐々木。出会う前から振られるなんて滅多にないが、貴重な経験ができたな。」
「え、あ、う・・・・・。」
意味不明な単語を口走る翔だったが、蓮の言葉の意味が分かったのか、次の瞬間、教室の皆が驚くような叫び声を上げた。
「ウソだろおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
昼休み、学校の屋上で、椋介達三人は、昼食を取っていた。
二月ではあるが、ほどよく日の当たる場所を確保し、椋介達は、朝の話の続きをしていた。
翔が叫び声を上げた時、タイミング良く、ホームルームの時間を知らせるチャイムがなり、その場はお開きになったからだ。
「たくっ。驚くにも限度があるだろ。みんな、びっくりしてたぞ。」
サンドイッチを口に入れ、咀嚼しながら、椋介はじっとりとした眼差しを翔に向けた。
「ふぁるい、ふぁるい(悪い、悪い)。」
焼そばパンを口に頬張りながら、翔が謝った。リスのようなその顔では、謝られた感は欠片もなかったが。
「だが、今まで浮いた話の一つもなかったお前に好きな人がいたとはな。翔でなくとも叫び出したくなる。」
オレンジジュースをすすりながら、蓮は静かに言葉を紡いだ。
「頼む、蓮。冷静に言わないでくれ。すっごく恥ずかしいから。」
翔のようににやにやとするわけでも、赤くなるわけでもない。ただ、淡々と事実を述べる蓮の様子に、椋介は居たたまれなくなった。
「でも、十一年間片思いとかどんだけだよ。気が長いにもほどがあるぞ?」
「大きな声で言うな、馬鹿。」
「いいじゃん。ここ屋上だし、誰も聞いてねえよ。」
「俺だっておかしいとは思う。だけど自覚したのは昨日なんだから。」
「しかも、女の子のほうから告白されてな。」
「うっさい。」
「だが、それで気持ちが分かったのだから、万々歳じゃないのか?」
「そうだよな。それで、昨日の今日で告白しようってのが、お前らしいけど。」
「・・・・・。」
二人になんだかんだと言われ、椋介は何も言えなくなる。
「ま、頑張れよって、言っても意味ないか。もうすでに両思いみたいなもんだし。」
「待て、佐々木。もしかしたら、海野が緊張して何も言えなくなる場合もある。」
「おー、そうかー。だとしたら、片思い歴がさらに伸びるな。椋介、気をつけろよー。」
冷静に告白する椋介の心情を読む蓮と、投げやり気味に注意を促す翔に怒りを覚えた椋介は、思わず怒鳴った。
「応援してるのか、おちょっくってるのか、どっちかにしろ!」
その時だった。
激しい震動が、椋介達を襲った。それは、立っていられなくなるほどの大きな揺れで、座っていても、体が斜めになるほどの揺れ方だった。
「・・・おさまった、のか?」
しばらくして、揺れは止んだ。しかし、その余波がまだ体に残り、椋介が立ち上がろうとすると、がくがくと足が震えた。
「地震だったよな。」
「あぁ。」
「とてつもなく激しかったな。」
顔を見合わせた椋介達は、屋上の扉を開け、一気に階段を駆け降りた。