第二章 全てはそこから始まった
「幸せ」と聞かれ、思い出したのは、四年前のことだった。
四年前、椋介は、小金井沢高校に通う普通の高校生だった。
底冷えする二月のある日、部活帰りの椋介は、ヨーロッパの中世時代に似た服を着た三人の男と藍―高校に入ってからは疎遠になっていた幼馴染―が、通い慣れた道の脇で相対しているのを見た。
藍の表情からは、困惑と怯えが見て取れた。
いくら疎遠になっているといっても、幼馴染だ。椋介は、ほとんど反射的に藍の前に立っていた。
「こいつに何か用ですか?」
三人の男は、一様に灰色のコートを着ており、また、黒のロングブーツを履いていた。首元まで覆うシャツだけは色が違い、それぞれ、白、黒、臙脂と異なっていた。
まるで映画から抜け出したかのような男達の姿に、一瞬、劇団員かと勘繰るが、彼らの放つ雰囲気が違うと告げていた。それは、安穏と暮らしている椋介でも分かるような『戦っている』気配だった。
すると、三人の内の一人―黒の短髪で目元に傷のある男が、口を開いた。
「・・・今日はここで失礼します。ですが、時間はあまりありません。また、参ります。」
そう言って、男は一礼する。
黒髪の男に合わせるように、二人の男―長く伸ばした赤髪を束ねた優男と、その二人よりも年若い金髪の男も頭を下げた。
三人は、そのまま振り返らず、道の向こうへと消えていった。
「月島、大丈夫か?」
何事も起こらなくてよかったと思いながら、椋介は藍を振り返った。
「うん、大丈夫。ありがとう。」
藍の表情に硬さは抜けていなかったが、幾分、ほっとしたような笑みを浮かべていた。
こうして二人で話すのは、中学生の時以来だ。何とも言えないむず痒さを感じつつ、それを振り払うかのように、椋介は口を開いた。
「あいつら、お前に何か用だったのか?」
すると、藍は、軽く眉を寄せて首を振った。
「分からない。いきなり、私のことを『陛下』って呼んで、一緒に来てくださいって言われたの。」
「何だそりゃ?」
まるでドラマか小説のような台詞に、椋介は思わず顔を顰めた。
新手の誘拐か、詐欺か。どちらにしろ胡散臭いことに変わりはないが、何とも奇妙な連中だ。
「それから、この星は地殻変動で滅びるって。」
さらりと言い放たれた言葉に、椋介は深く考えず、問い返した。
「星?地球ってことか?」
「うん・・・。多分。」
藍は、顔を曇らせ、頷いた。
「お前、それ、信じたのか?」
地球が滅びるなんて、映画じゃあるまいし。椋介は、そんな嘘で藍を連れて行こうとしたあの三人を、心の底から馬鹿にした。
「そうじゃないけど。ただ、あの男の人が嘘をついているようには見えなかったから。」
(おいおい。)
藍のその言葉に、椋介は、内心、疲れたように息を吐いた。
「お前なぁ、それは信じてるって言ってるようなもんだろ。」
「そうなの?」
首を傾げる藍に、椋介は力強く返した。
「そうだ。っていうか、地球が滅びるなんてあるわけないだろ。あったとしても、もっとずっと先。俺らが死んだ後だよ。」
全く、信じやすいというか、お人よしというか。いつか、騙されるんじゃないだろうか。
別の意味での不安を感じながら、椋介は、高校指定のショルダーバックを肩に背負い直し、不安そうな表情を浮かべている藍に言った。
「月島、夕飯、家に食べに来るか?」
「え?」
「親父さん、この時期、帰りが遅かっただろ?変な奴もいるし、家に一人でいるより、俺の家にいたほうがいいんじゃないか?・・・母さんも喜ぶと思うし。」
じっとこちらを見る藍に、居心地の悪さを感じながら、椋介は言葉を紡いだ。
藍の父―月島智は、宇宙物理学の教授だ。二月は大学入試があり、何かと忙しい。
かつて、父子家庭である月島家を慮って、母・叶恵は、幼い藍を家に泊めることもあった。今は亡き父と、母、藍。四人で食べる夕食は、いつもより豪華で、椋介は密かにずっと続いてくれればいいと思っていた。
「どうだ?嫌なら別にいいけど・・・。」
提案したはいいが、やはり急だったかもしれない。口にしながら、椋介の口調は急激にしぼんでいく。
何かを考え込むように俯いていた藍が、しばらくして口を開いた。
「おばさん、迷惑じゃないかな?」
「へ?」
断られると思っていたが、母に迷惑をかける、かけないを心配してのことだと分かり、椋介は、思わず拍子抜けした声を上げる。
「別に平気だろ。今さら一人増えたところで問題ねぇよ。」
「それは、椋ちゃんの考えでしょ。」
幼子を叱るような目で、藍が椋介を見る。表情とは裏腹に、口調は優しく、本気で怒っているわけではないことは一目瞭然だった。
「じゃぁ、どうすりゃいいんだよ。」
昔の呼び方で呼ばれ、懐かしさがこみ上げてくるのを感じながら、椋介は藍に問う。
「おばさんに聞いて、大丈夫だというなら来ます。」
すっと姿勢を伸ばし、藍は大きく頷いた。
「分かったよ。ちょっと待ってろ。」
小さく息をつき、苦笑しながら、椋介はバッグの中から携帯電話を取り出し、家に電話をかけた。
数回のコール音の後、叶恵が電話に出た。
『もしもし、海野です。』
「あ、母さん。俺だけど。」
『俺、じゃわかりません。名前を言ってください。』
その言葉に眉を顰めながら、わざと、椋介はゆっくりと言った。
「りょう、すけ、だ、け、ど。」
『あら、どうしたの?電話なんて珍しいわね。明日は雪かしら。』
楽しげな叶恵の台詞に頭痛を感じながら、椋介は用件を伝えた。
「あのさ、月島、じゃない、―藍をさ、夕食に招待してもいいかな。」
『え?藍ちゃんを?懐かしいわねぇ。小学校の時以来かしら。』
「で、いいか?」
『別に構わないわよ。でも、急にどうしたの?あんた、高校に入ってから、藍ちゃんとほとんど話してなかったじゃない?たまに、学校に行く時に一緒になっても、挨拶もしないで先に行っちゃうし。』
余計なところを見るな、と思いながら、実際、事実なので椋介は何も言えなかった。
『あ、まさか。告白して恋人になっちゃったとか!?あらあら、そうならそうと言ってくれればいいのに。』
「違う!!」
叶恵の恋人発言を、椋介は即座に否定した。どこをどうしたらそんな話になるのか、全く理解できなかった。
「藍が変な連中に絡まれてて、家に一人でいたんじゃあぶないかもしれないから、夕飯だけでも一緒にどうかと思ったんだよ。」
『・・あら、それは怖いわね。いいわよ。家に連れてきてらっしゃい。腕によりをかけてごちそうするわ。』
叶恵は納得したらしく、さらりと応じた。
「あぁ。じゃぁ、頼むな。」
精神的な疲れを感じながら、椋介は電話を切った。
そして、隣に立つ藍のほうを向いた。
「いいってさ。」
椋介の言葉に、藍は軽く目を見開いた。
「そっか。・・・じゃぁ、ご相伴に預かろうかな。」
「おう。」
目を細めて微笑む藍に、椋介はにっと笑った。