第十章 ウォータリアス暦1015年
王城、スフィア・パレスの一室には、騎士団団長の執務室がある。
週に一回、エナ隊、ドゥーエ隊、トゥリア隊の隊長が執務室を訪れ、一週間の近況報告をする決まりとなっているのだ。
王都・アルモニアの街並みを見下ろすことができる大窓の前に、この部屋の主はいた。
歳は三十台半ばだろうか。短い黒髪を整え、精悍な顔つきをした男だった。
衣服は、群青色のシャツに紺のズボンを穿き、腰には、深緑色の帯を締めている。足は、膝丈まである焦げ茶色のブーツに覆われ、体つきは、細身ではあるが、華奢ではなかった。
男は、黒塗りのテーブルの前で、数枚の書類を手に取り、眺めていた。
そのテーブルを挟んだ反対側には、三人の人間がいた。皆、一様に灰色のコート、黒のブーツを履き、腰には剣がささっている。色違いのシャツと枯れ草色のズボンの上からは、白の鎧を身につけていた。
男から見て右側には、臙脂のシャツを着たエナ隊の隊長。その隣に黒のシャツのドゥーエ隊の隊長。そして、その隣を白のシャツを着たトゥリア隊の隊長が直立不動の態勢で立っていた。
「分かった。ラーマとの会食は、陛下の希望も兼ねてテラスで行うと。同時に、騎士達の配置も考えなくてはいけないな。」
「はい。」
エナ隊の隊長が、栗色の髪を揺らし、頷く。
「この間の、王都内でのボヤ騒ぎ。犯人は見つかったか?」
次に、男は、ドゥーエ隊の隊長に尋ねる。隊長は、切れ長の目を細め、真摯な口調で告げた。
「探索中です。ですが、目撃証言もあり、また、騎士達の働きのおかげで、犯人と思われるアジトの場所を絞り込めました。両日中には、私を含め、数人を連れて踏み込む予定です。」
「そうか。慎重にな。」
「はっ。」
軽く頭を下げるドゥーエ隊隊長を見ながら、男は、隣に立つトゥリア隊の隊長の方を向いた。
「先日のガルド村、モデス村、レティ村の三村とセレーネの町との暴動。怪我人や死者はいるか?」
トゥリア隊隊長は、緊張した面持ちで言葉を紡いだ。
「いえ、死者はおりません。怪我人はガルド村で十人。モデス村で五人。レティ村で八人。セレーネで二十人。重傷者がいなかったのは幸いでした。」
「・・・そうか。確か、暴動の発端は、セレーネの陶磁器工房で働くガルド村の人間が、親方に暴行を加えられ、亡くなったことで発展したんだったな。」
「はい。ガルド村は、資源も乏しく、多くの村人が自給自足の生活を送っています。最近では、豊かになりたい思う若者がセレーネに出稼ぎに来ることも多いようです。それは、モデスもレティも同様でした。しかし、セレーネを訪れたとしても、職にありつけない者も多く、中には、劣悪な環境で仕事をしている者もいるとか。」
「そこで、起こった事件。日ごろの不平不満が爆発し、大がかりな暴動になったか。」
男は、顎に手を当て、考える。
「分かった。明日、この三つの村とセレーネを見に行く。」
「団長自ら行かれるのですか?」
驚いた様子で、トゥリア隊隊長が問う。
「アルモニア周辺の町や村は、今だ貧富の差が激しい。今回の暴動は始まりに過ぎない。迅速に行動し、対策を考えなければ死者がでかねん。」
「了解しました。」
トゥリア隊隊長は、姿勢を正す。
しばしの沈黙が、執務室を満たした。
「・・・くっ、くくくくっ。」
それを破ったのは、団長と呼ばれた男だった。
肩を振るわせながら、顔を俯かせて笑っている。
「アトル、いつも通りにもどっていいぞ。」
男は、姿勢を正したままのトゥリア隊隊長―アトルに笑いながら告げた。
「なんだよ、リョウスケ!敬語使って話せって言ったのはお前だろ。何で笑うんだよ!」
納得いかないといった表情で、アトルは男―椋介に詰め寄る。
「でも、普段敬語を使わない奴が使うと、なんか笑えるわよね。」
エナ隊隊長であるマーガレットが、首筋の辺りで切りそろえた髪を震わせながら、小さく笑う。
「アトル、敬語は普段から使いなれていた方がいい。話す方にとっても聞く方にとっても幸せだ。」
「サガ!ほめるか、けなすかどっちかにしろ!」
アトルがサガを睨みつける。すねたようなその口調に、椋介はアトルに悪いと思いながらも、吹き出してしまった。
「だが、不思議なものだな。」
サガが感慨深げに声を漏らす。
「ばらばらだった我々が、今この場に揃っているとは。」
「そうね。私とリョウスケは可能性があったけど、アトルとサガ。あんた達まで隊長になるなんてね。」
「俺の場合は成り行きだ。」
サガが短く答える。
「俺も似たようなもんだぜ?椋介が団長(オ―ザ)になった後、次の隊長を誰にするか揉めに揉めて、なぜか俺になったんだからな。」
アトルが、なんで俺になったか分からないといった表情を浮かべる。
「それでも、お前は立派にやっているよ。アトルだけじゃない。サガ、マーガレット。お前達が中心にいるからこそ、この騎士団は回っている。」
すると、マーガレットが顔をしかめた。椋介としては本当の事を言っただけなのだが、何かが気に障ったらしい。
「団長(オ―ザ)になると、世辞がうまくなるのかしら。なんか素直に喜べないわ。」
「は?」
「俺達だけでは無理だ。お前がいてこそだろう。」
「え、いや・・・。」
「そうそう。町や村のいざこざに首突っ込んで、新米やベテランの騎士達の愚痴を聞いて、俺達の意見をまとめてってさ。そんな行動的な団長、ほかにいないぜ?」
アトルの言葉に、マーガレットとサガが頷く。
「・・・・・。」
椋介にとっては、当たり前のようにこなしていた事が、彼らにとってはそうではなかったらしい。
これが文化の―いや、惑星の違いってやつか?
何と言っていいか分からず、戸惑っていると、執務室の扉を鋭く叩く音がした。
「入れ。」
椋介が許可を出すと、「失礼します!」という声とともに、新緑のドレスを身に付けた、ふくよかな女性が現れた。その顔には、今にも泣き出しそうな表情が浮かんでいた。
「どうした、メリッサ。何かあったか?」
すると、女性―メリッサは、椋介の顔を見るなり、涙をぼろぼろと零し始めた。
ぎょっとする椋介に、メリッサが引き攣った声で叫んだ。
「ど、どうしましょう、リョウスケ様!み、ミオ様とアオイ様がどこにもいらっしゃらないんですー!」
「何?」
ミオとアオイは、ランとリョウスケの子供だ。メリッサには彼らの教育係を務めてもらっている。
「楽しく遊んでおられて、その後、眠ってしまわれたので、寝室に移動させたのです。その後、厨房からお二人のおやつを持って戻ったのですが、寝室にお二人の姿がなかったんです!」
「部屋の周辺は探したのか?」
「もちろんです!一応、お二人が行きそうな広間や厨房、中庭にも行ってみました!」
鼻をぐずらせながら即答するメリッサに、椋介は、顎に手を当て考え込んだ。
二人はまだ四歳だ。行ける範囲は限られている。まさか。
「メリッサ。裏庭は見たか?」
メリッサは首を振った。
「い、いえ。でもあそこは茨が茂っていてあぶないから、立ち入り禁止になさったのでは?」
「そうだ。だが、目的をもって動いているあいつらに、そんなことは関係ないだろう。」
「目的?」
マーガレットが不思議そうに聞く。
「昨日のことだ。今日、ヴォルクードから帰ってくるランのために、フラウジーナを探しに行くといっていた。」
「フラウジーナ?あの黄色い花か?だが、あれは春に咲くのではなかったか?」
「あぁ。」
椋介は椅子から立ちあがり、メリッサに言った。
「メリッサ。湯の用意を頼む。」
「え?」
椋介は、苦く笑った。
「花を探してるなら、あいつらの服は泥だらけだろうからな。いっそのこと、風呂に入れたほうが早いだろ。ミオとアオイは俺が連れ戻してくる。」
「わ、分かりました!お手数かけて申し訳ありません!」
頭を下げるメリッサに、椋介は首を振った。
「いや、謝るのはこっちのほうだ。・・・っていうことだから、今日は解散だ。アトル、明日は頼むぞ。」
「おう!任せとけ!」
頼もしいアトルの言葉に笑みを返し、椋介は執務室を出た。
スフィア・パレスの裏庭は、かつて、ランの祖母、リリー・キアナ・ウォータリアスが薔薇に似た赤い花、ロスリアンを趣味で育てていた場所だった。
お抱えの庭師にも内緒にしていた秘密の庭は、孫のランしか知る者はなかった。ランがその庭を引き継ぐ予定だったが、祖母が亡くなり、女王としての仕事に追われたランは、裏庭に行く余裕もなかった。
ランが思い出し、数年ぶりに裏庭に訪れた時には、すでにロスリアンは枯れ、その茨が庭全体を覆ってしまっていた。
どうにもできないと悟ったランは、庭師に見てもらったが、除草剤をかけても、火をつけて焼きはらおうとしても、茨をなくすことはできなかった。その後、裏庭は立ち入り禁止となった。
椋介の目に、枯れ草色の茨が見えた。
その時、舌たらずな少女の声が聞こえてきた。
「アオイ、おかあさまのすきなおはな、ぜったいみつけるわよ!」
「うん。」
同時に、気弱そうだが、優しい少年の声も聞こえる。
足音を押し殺し、椋介は声の主の方へ向かう。
すると、茨の前に二人の子供がいた。
長い黒髪を橙色のリボンで二つ結びにし、同じ橙色のドレスを身につけている少女。さらさらとした黒髪に、白いシャツの上から水色のチョッキに同色のズボンを穿いた少年。
「ミオ、アオイ。」
名を呼ぶと、二人は振り返った。
性別は違えど、彼らの顔は鏡のように瓜二つだった。
「おとうさま。」
発した言葉も、驚いた表情も同じ。双子特有のシンクロに、小さく笑いを噛みしめながら、椋介は言った。
「メリッサが泣きながら探してたぞ。」
その言葉に、ミオとアオイは顔を見合わせる。椋介は二人に近づき、膝をついて目線を合わせた。
「誰にも、何も言わずに行くのはだめだと言っただろ?」
「・・・ごめんなさい。」
ミオとアオイはしゅんとなり、揃って頭を下げた。椋介は、小さく息を吐き、そんな彼らの頭を撫でた。
王族の血なのか、二人は四歳という年齢にしては賢かった。寂しいとわがままを言って困らせることもない。しかも、やりたいことは進んで自分でやろうとする。
椋介自身、それに甘えていることは自覚している。
仕事は王城が中心だが、彼らのそばにいる時間は少ない。町や村の様子を見に行く時は、何日も帰らない日もある。
「母さんにフラウジーナをあげたかったのか?」
ミオとアオイは同時に椋介を見る。どうして知っているのといった顔だった。
「昨日、寝る前にベッドの上で話してただろ?お前達は聞かれてないと思っていたようだが、ばっちり聞こえてたぞ。」
実際は、はっきり聞こえていたわけではなかった。
昨日は仕事で疲れていて、双子達が眠るキングサイズのベッドの上に体を横たえた瞬間、意識を失くしそうなほどだった。
その時、聞こえてきたのは、「おかあさま」「フラウジーナ」「さがす」という彼らの言葉だった。
メリッサの話を聞いた椋介は、ミオとオアイがあの言葉通りに行動するなら部屋の外に出るだろうと考えた。王城の外には、まだ一度も連れていっていないので除外する。
広間や厨房、中庭。彼らが城の中で行きそうな場所はそのくらいだ。それ以外で、ランの好きな花を探すとなれば、裏庭のほかにないだろう。
案の定、彼らはいた。安堵する気持ちと、双子達の思いきった行動力に驚きを感じながら、椋介は言葉を紡いだ。
「お前達の気持ちは嬉しいだろうが、もし怪我でもしていたら母さんが悲しむだろう?」
裏庭は手入れされておらず、雑草や下草が伸び放題だ。茨もまるで王城の壁を覆う勢いでそこにある。
ミオとアオイの髪は、汗でペタリと張り付いており、服や靴は土や草の汁で汚れていた。
部屋から裏庭までは、いくつもの階段を降り、長い道のりを歩けなければいけない。四歳の子供が行くには、辛いものがあったはずだ。そんな疲れた状態で、茨に覆われた庭を歩こうとしていたのだ。
怪我がなくて、本当によかった。椋介は、心の内で息を吐いた。
「それにな、フラウジーナはこの季節にはまだ咲かないんだ。」
目を見開く二人を視界に入れながら、椋介は続けた。酷だろうと思いながら、いずれ知れてしまうのなら言ったほうがいいと思ったのだ。
「今は秋だ。フラウジーナは春に咲く花だから、今は咲いていない。」
そう告げると、ミオとアオイは小さな瞳に涙をため、ついには泣き出してしまった。
椋介は、ミオとアオイを抱きしめる。
小さな体でここまで来るのは大変だったろう。しかも、探していたフラウジーナはないと言われてしまったのだ。ショックを受けるのも当然だろう。
「ごめんな、二人とも。だが、フラウジーナに決めつけなくても、母さんはお前達が一生懸命探してきた花なら何だって喜んでくれるさ。」
「ほんと?」
しゃくり上げながら、ミオが問いかけた。
「あぁ、ホントだ。」
椋介はミオの背中をぽんぽんと叩く。
「おかあさま、いやがったりしない?」
アオイの言葉に椋介は目を瞠る。
「嫌がる?どうしてだ?」
抱きしめる腕を緩め、椋介はアオイの顔を見る。すると、アオイとミオは目元の赤くなった顔を見合わせ、言った。
「だって、このまえ、なかにわのチェリスのおはな、あげたら、おかあさま、ないてた。」
チェリス。日本の桜に似た薄紅色の花だ。だが、桜とは違い、春ではなく秋に咲く。
この時期になると、王城の中庭や、アルモニアの通りなどそこかしこで咲き乱れるのだ。
「そうか。」
おそらく、地球にいた時のことを思い出したのだろう。椋介もチェリスを見ると、胸をかきむしるほどの郷愁にかられることがある。
アオイとミオの頭を撫で、椋介は言った。
「むかし、父さんと母さんはこの惑星とは違う惑星にいたんだ。」
「ちがうほし?」
「そう。そこには、春になるとチェリスに似た花がたくさん咲くんだ。風が吹くと、雨のように降り注いで、すごく綺麗なんだ。」
「だから、おかあさま、ないたの?」
「きれいなのに、ないたの?」
アオイとミオの不思議そうな声に、椋介は頷く。
「あぁ。そうだな・・・。」
思い出す。子供の頃、父と母と三人で歩いた桜並木。
小学生の時、ランとランの父親、両親とでやったお花見。
中学生の時、ランの背中を見ながら歩いた学校の帰り道。そこに咲く桜の数々。
高校の時、翔と蓮と歩いた商店街の桜。
桜と同時に思い出す。
幼稚園、小学校、中学校、高校。幼稚園の頃、お気に入りだった公園。旅行でいった小笠原の海。映画館。プラネタリウム。十六年間、住んでいた家。
思い出のなかにしかない記憶。どんなに願ってもそこに帰ることはできない。
「おとうさま、どこかいたいの?」
「え?」
アオイの言葉に顔を上げれば、二人とも心配そうな顔で椋介を覗きこんでいた。
「いや、痛くないぞ?」
「でも、ここがぎゅっーてなってるよ。」
ミオが自分の眉間を両手で指さす。
「そうか?」
ミオの言うとおりに眉間に触れる。地球の事を思い出して、知らず、痛みに耐えるような表情になっていたのだろうか。
困惑したように立つ二人に微笑みかけ、椋介は促した。
「さぁ、一端、部屋に戻ろう。疲れてるだろう。メリッサが風呂沸かして待ってるぞ。」
「おはなは?」
ミオが言う。
「風呂入ってから中庭で探そう。トムにも手伝ってもらって。きっといい花束ができるぞ。」
「はなたば?」
「そう、見たことあるだろ。いろんな種類の花をまとめて、一つにするんだ。」
椋介は立ちあがり、右手でミオの手を、左手でアオイの手を握り、部屋へ向かって歩き出した。
風呂に入り、新しい服に着替え、身ぎれいにしたミオとアオイを連れ、椋介は中庭へとやってきた。
そこで庭師のトムに手伝ってもらい、中庭に咲く花を花束にしてもらった。それは、ミオとアオイ、椋介が選んだもので、桃色、白、橙の花を盛り込んだ明るい花束となった。
「これがそうなんだね。」
ランは、木彫りの丸テーブルの上に置かれた花束に指先で触れた。
ランプに灯された火が陰影をつくり、彼女の穏やかな笑みを浮かびあがらせる。
「ありがとう、リョウちゃん。それから、ミオとアオイにも明日言わないと・・・。」
そう言って、ランは椅子に座ったまま、後ろを向く。ランの背中側には、扉がある。そこには双子達が眠る寝室があり、二人は今、夢の中だ。
ランと椋介の寝室はこの部屋にあるが、ランが視察に行っていない時などは、双子達のベッドに一緒に入って眠る時もある。普段いられない分、せめて眠る時くらいは一緒にいようという気持ちからだった。
「それから、謝らなくちゃ。チェリスの花のことを気にしているなんて思いもしなかった。」
体を正面に戻し、ランは痛みをこらえるような顔で両手を握った。
「俺もだよ。ちゃんと見てるよな、あいつら。たいしたもんだ。」
椋介は、ランの向かいに腰かける。
腰掛ける直前、椋介から見て右斜めの場所に、銀で縁どりされ、壁に埋め込まれた大窓が目に入った。そこから覗く空に星は見えず、吸い込まれそうな闇色の空間がそこにあった。
「ねぇ、リョウちゃん・・・。」
ランが真剣な声で話しかけきたため、椋介は窓から視線を外し、ランを見た。
「私、あの子たちのお母さんになれてるかな?仕事に追われているばかりで、あの子たちの顔もまともに見ていない気がするの。」
ランは、母親を子どもの頃に亡くしている。祖母がいたが、十六の時に亡くし、その後、八年を女王として過ごしてきた。
そして、事故に遭い、赤ん坊にまで退化したランを育ててくれた養父、月島智もすでに妻を亡くしていた。そのため、母親という存在があやふやだ。不安なのだろう。
だが、椋介にとっても、それは同じだった。血の繋がった父、グレンの記憶と養父・リオネスの存在。父親がどういうものなのか、分かっていたつもりだったが、いざなってみるとままならないことばかりで、そんな自分に嫌気がさすことも多々あった。
「俺も似たようなもんだよ。でも、この間、リオネスに言われたんだ。お前は父親になったといっても新米の新米だ。背負い込むな。周りの人間を利用しろって。」
「利用・・・。」
「ま、言い方は悪いが、要は他人を頼れってことだ。俺もお前も仕事を全部放り出すことはできないが、色んな人間に仕事を分担させて、自分の仕事量を減らして、その余った時間をミオとアオイの時間にあてればいい。」
「そっか・・・。そうだね。」
椋介の言葉に納得して、ランは頷く。
「偉そうなことを言ったが、全部リオネスの受け売りだ。さすが、一児の父だったことはある。」
リオネスの息子、ローワンは十の時に病で亡くなっている。子育てに悩む椋介に、かつての自分をリオネスは見たのかもしれなかった。
すると、ランは、苦笑とも自嘲ともつかない表情を浮かべた。
「どうした?」
「私、リョウちゃんに甘えてばかりだなって思って。リョウちゃんに色々弱いところ見せてるし・・・。」
「夫婦なんだし、別に普通だろ?俺だって、仕事の愚痴をお前に言ってることもあるし。」
何を今さらと椋介は思ったが、ランは固い表情を崩さなかった。
「でも、私、リョウちゃんが泣いたところ見たことない。」
ランの言葉に、椋介は目を見開く。
「リョウちゃん、無理してない?団長としても、お父さんとしても。」
その言葉に、椋介は思わず言葉に詰まった。無理をしていないか。その考えすら頭にはなかった。団長として、父親として、目の前の現実に立ち向かい、生きていた。
「どうして、今になってそんなこと聞くんだ?」
だからだろうか、口から出てきた言葉は、答えではなく問いだった。
ランは、椋介から視線を外し、花束に目を移した。しかし、花束を見てはおらず、どこか遠い所を見ているようだった。
「・・・チェリスの花を見たからかな。今まで、この時期に他の国の視察に訪れることがなかったから、アルモニアに帰ってきて、大通りにいっぱいに咲いているチェリスを見た時、地球にいた時のこと思い出しちゃって。お父さんが今の私を見たらどう思うかなとか、ミオとアオイに会わせてあげたかったな、とか。思い出したら、泣きそうになっちゃった。その時、リョウちゃんのことも思い出して、思ったの。リョウちゃんの泣いた顔見たことないなって。」
ランの瞳に力強さが戻り、椋介の視線を真っ直ぐに見つめ返す。
「一人で泣いたことは、きっとあると思う。でも、リョウちゃん。あまり辛いこととか苦しいこととか言わないでしょ?」
ランは立ち上がり、椋介のそばまで来ると、座ったままの椋介をぎゅっと抱きしめた。
「ラン?」
何がしたいのか分からず、椋介は困惑したようにランを呼んだ。
「ごめんね。リョウちゃん。私、自分のことで精いっぱいで。今さらだけど、無理しなくていいから。隠さなくていいんだよ。辛い時は辛いって言っていい。泣きたい時は泣いていいから。」
「・・・そう言われてもな。」
ランの気持ちは嬉しいが、今のところ辛いわけでも泣きたいわけでもない。
どうしたらいいだろうか、と考えていると、ランの手が椋介の背中に触れ、幼子を慰めるかのように優しくさすり始めた。
「リョウちゃんは頑張ってるよ。文化も、文字も分からないこの惑星で、ずっと走ってきたんだもの。すごいよ。団長になるっていう目標も、大公になる夢も、本当に叶えてしまって、私にはもったいないくらいの人だよ。」
背中にランの手を感じながら、椋介はゆるゆると息を吐く。
「俺は、自分のためにやっていただけなんだがな。」
「それでも叶えるのは難しいんだよ。諦めてしまう人もいるなかで、リョウちゃんは諦めなかった。それは、誇っていいことだよ。」
「そうか。」
「うん。」
ランが椋介の肩の上で頷く。頬に髪がかかって、少しくすぐったい。ランの体温がじわりと椋介を温める。体が、心が、ゆっくりとほぐれるのを椋介は感じた。
「なぁ、ラン。」
「なに?」
「小学生の時、一緒に花見したこと覚えてるか?」
「え、ああ、うん。おじさん、おばさん、リョウちゃんに、お父さんと私。五人でいったね。」
ランが懐かしそうに呟く。
「ミオとアオイに、お前がチェリスの花をみて泣いたって聞いた時、俺は、地球で―小金井沢で見た桜を思い出してた。同時に、街や学校のこととか、旅行で見た海とか、十六年住んでいた家とか。帰れないと分かってるのに、思い出して、感傷に浸って。・・・ほんと、女女しいったらない。あげく、ミオとアオイにも心配かけるし。ほんと、情けねぇよ。」
不覚に目頭が熱くなる。椋介は、胸につかえる何かを吐き出すように大きく息を吐いた。
その時、ランが不意に体を離した。毛の長い絨毯に膝をつき、椋介と目線を合わせる。
その瞳には、微かに涙の膜が張っていた。
「そんなことない。」
泣き笑いのような表情を浮かべながら、ランは椋介に言った。
「それだけ、リョウちゃんにとって大事なんだよ。情けなくなんかない。女女しくなんかない。あそこはあなたにとって、ただ一つの故郷なんだから。思い出す事を責める人なんて誰もいないよ。」
「そうかな。」
「うん。責める人がいたら、私が怒ってあげる。」
「ははっ。ほんと、お前には敵わねぇな。」
ランの言葉に、椋介は笑う。同時に、彼女の優しさが胸に染みた。
「・・・ありがとう。」
気づけば、一筋、涙が零れていた。
「お前がいてくれてよかった。」
ランへの愛おしさが湧水のように溢れ出る。その感情に逆らうことなく、椋介はその頬に触れ、顎に手をかけた。そして、おもむろに顔を近づける。
「んっ。」
ランの唇を、椋介は優しく塞いだ。
翌日、まだ眠りのなかにいた双子達は、ランの「おはよう」の声に飛び起きた。
「おかあさま!」
「おかあさま!」
同じ言葉を叫び、ランに飛びつく。
ランは、フラウジーナの色のような鮮やかな黄色のドレスを身にまとっていた。
「ミオ、アオイ。おはよう。」
「おはようございます!」
ミオとアオイは同時に声を上げる。相変わらずのシンクロ率だ、と椋介が苦笑いしながら、ランにしがみつく二人の頭にぽんと手を置いた。
「ほら、二人とも。着替えて来い。そんな格好じゃ朝ご飯も一緒に食べられないぞ。」
「ごはん!?」
「いっしょにたべられるの!?おとうさまも!?」
「ごはん」と反応したのはミオ。「一緒に食べられる」と言ったのは、アオイ。
「あぁ。今日は四人で一緒に食べよう。」
普段、ランと椋介の朝は早い。日が昇り、支度を整え、七時にはそれぞれ仕事につく。
ミオとアオイが起きる八時にはもういない。
だが、ランは宰相のギルバートや貴族や官吏達を説得し、これから、いつも行う朝の会議を二時間ほど遅らせてほしいと伝えたのだ。
ランは、ミオとアオイのことを考え、食事の時間を共にとろうと考えたのだ。しかし、それだけでは仕事を補佐する彼らを説得する根拠にはなりえない。ランは、家族と食事をともにすることで、子供たちの会話能力も上がり、将来の布石となるだとか、気持ちが切り替わり、自身のやる気が上がるとか、もっともらしいこと―いや、事実だが―を彼らに高々と説明した。
ギルバートは、たとえ二時間遅れても、ランのやる気が上がり、仕事がはかどればかまわないと特に反対しなかった。貴族や官吏達も、補佐役のギルバートが賛成したために声高に反対することもできず、結果、『家族と一緒に朝食をとろう作戦(ラン命名)』はランの勝利に終わった。
目を覚ますやいなや、自分の考えを伝えるランを、椋介は呆気にとられながら見ていることしかできなかった。
そして思う。昨日の今日で、行動を起こすランのエネルギーは、確実に娘と息子に受け継がれている、と。
椋介の場合、七時という時間は確実なものではない。出勤時間は九時なのだが、溜まった書類や急ぎの案件があると、一日で終わらない場合があるのだ。
そのため、二時間前に来ているのだが、部下には、書類を溜めないでくださいと怒られている。つまりは、自身の処理能力を改善すればいいので、ランのような事は起こらない。
要は、椋介が頑張ればいいだけの話だ。
「コック長に、二人の好きな肉入りロレットを頼んでおいたから。」
「やったー!」
ランに言われ、ミオとアオイは歓声を上げた。
ロレットとは、地球でいうオムレツだ。二人はこれが大のお気に入りだった。
食事をする「赤の間」は、王族やその親族が食事をする場所だ。
扉を開けて最初に目にはいるのは、外にあるテラスとアルモニアの山並みが一望できる巨大な窓だった。開閉式になっており、テラスで食事やお茶を飲む事もできる。
次に目につくのは、木彫りで、赤茶色の光沢をもつ長テーブルだ。壁の向こうまで伸びている。そのテーブルには、これまた木彫りで装飾された同色の椅子が等間隔で置かれていた。
朝食はすでに用意されていた。
とろりとした黄色いロレット。みずみずしいチシャ(地球でいうレタス)とリキータ(地球でいうキュウリ)、赤いトト(地球でいうトマト)ののったサラダ。ふんわりとした白い丸パンがふたつ。グラスには、白い液体―マカ(地球でいうところの牛乳)がなみなみと注がれている。
「さぁ、食べよう。」
ランがにこりと笑い、ミオの手をとって、テーブルに近づく。そして、椅子のところまで来ると、自分の隣にミオを座らせた。
椋介はランとミオに向かい合う形で座り、その隣にアオイを座らせた。
「おとうさま、これでいいの?」
アオイが不安そうな表情で椋介を見上げる。ミオの方も同じ顔をしていた。
無理もない。普段は二人きりで座っているし、たとえ、一緒に食事をしていても、ランは常に上座にいる。こうして向かい合って座ることはありえない。
「いいの。だって、ここにはお母さんとお父さん、ミオとアオイしかいないんだから。」
ランがきっぱりといい、丸パンに手を伸ばす。
「四人でいる時は、こういう風にして食べようって決めたんだ。ほら、早く食べないと冷めるぞ。」
椋介が補足し、二人に食べるように促す。ミオとアオイはおずおずと丸パンに手を伸ばした。
全員が食べ終えた頃、ナプキンで口をふいたランがやおら口を開き、双子達を見た。
「ミオ、アオイ。昨日はお花をありがとう。お母さん、とっても嬉しかった。」
その言葉に、ミオは「よかった」と言い、アオイは嬉しそうに頷いた。
「それでね、そのお礼に、お外に出かけようと思うの。二人はどこに行きたい?」
外と言われ、ピンとこなかったのか、二人はぼうっとランを見ているだけだった。
「外っていうのはこの城の外、つまり街だ。」
椋介が説明すると、ミオが目を丸くし、ランを見た。
「お外に行けるの!?」
「えぇ。」
ランが頷く。
「おかあさまとおとうさまと?」
そう聞いてきたのは、アオイだ。
「そうだ。」
椋介が頷く。
「わたし、スーリャがたべてみたい!つめたくて、あまくておいしいってメリッサがいってたの!」
目をきらきらさせて、ミオが言った。
スーリャは地球でいうアイスクリームのことだ。コルキスの菓子職人から伝わったというそれは、主に女性と子供に人気で、専用の店もアルモニアにいくつかできている。
「・・・ぼくはほんやさんにいってみたい。」
ぽつりとアオイが呟く。
メリッサに絵本を読んでもらい、それ以来、物語の虜となったアオイは、王城の図書室に何度も足を運んでいる。
「よし、決まりね。行くところはスーリャ屋さんと本屋さん!」
ポンと手を叩き、ランは、子供のような笑みを浮かべた。
部屋に戻り、歯を磨き、身支度を整えた椋介達は、扉を叩く音で一斉に振り返った。
「陛下。会議の時間が迫っていると、ギルバート様からの伝言です。」
扉の向こうで、メイド頭のマリアの声がする。
「はい。今、行きます。」
ランは返事を返すと、膝をつき、ミオとアオイに視線を合わせた。
「お母さんはお仕事だから。二人とも、いっぱい遊んで、いっぱい勉強するんだよ。」
「はい。いってらっしゃい、おかあさま。」
「いってらっしゃい。」
ミオとアオイが手を振る。素直な双子に、ランは、痛みをこらえるような表情を浮かべる。だが、一瞬で笑みを浮かべ、同じように手を振り返した。
扉を開け、部屋から出て行いったランの背中を、二人は寂しそうな目で見送った。
椋介は、双子達の頭を無言で撫で回す。ミオとアオイは小さく悲鳴をあげるが、かまわなかった。
「お父さんも仕事だ。また夜にな。」
「・・・・・。」
二人は、顔を俯かせて何も言わない。
「ミオ、アオイ。」
椋介は、彼らと向かい合い、腰を下ろして、目線を合わせた。
「寂しい時は寂しいっていっていいんだ。誰もそれを責める奴はいない。」
それは、昨日の夜、ランに言われた言葉と同じだった。
椋介は心のなかで苦笑しながら、思う。ミオやアオイが寂しい気持ちや辛い気持ちを押し殺すのは、自分に似たのかもしれない、と。
「ほんと?」
「おとうさまとおかあさま、こまらない?」
「困らない。むしろ、言ってくれないと分からないこともあるからな。それに、頼ってもらえないのも、少し寂しいぞ。」
「おとうさまがさびしいの?」
ミオが、意外だとでもいうような顔で聞いてきた。
「おう、寂しいぞ。多分、母さんもな。」
そう告げると、ミオとアオイは互いの顔を見合わせる。
やがて、二人は口を開いた。
「ほんとはね、いっしょにあそんでもらいたいの。」
「よるねるときにえほんもよんでもらいたい。」
「おかあさまのドレス、おおきいけどきてみたい。」
「おとうさまもほんがすきだって、おかあさまからきいたけど、どんなほんがすきなの?」
「あとね、うまにものってみたい。ハンスにいったら、だめっていわれたけど。」
「でんしょばとって、このおしろのうえにいるんでしょ?みてみたいな。」
ランと椋介にしてもらいたいこと、二人の許可がなければできないこと。湯水のようにミオとアオイの口から零れる。
「でも、それよりもね。」
ミオが口火を切り、アオイと目を合わす。二人は椋介の目を真っ直ぐ見て言った。
「おとうさまとおかあさまがずっとここにいてくれればいい。」
それは、心の奥底からの彼らの願いだった。
してもらいたいこと、やりたいこと。それ以上に、一緒にいたい、いてほしい。
純粋な眼差しが、椋介の胸を抉る。
ランが女王でなければ、椋介が団長でなければ、そういう暮らしもあっただろう。
だが、どちらが違っていても、二人は生まれていない。
椋介はミオとアオイを抱きしめた。二人の顔は見れない。
顔を上げれば、情けない顔を二人に見せそうだった。
「ごめん。ミオ、アオイ。その願いは叶えられない。でも。」
椋介は、大きく息を吐き、顔を上げる。彼らの視線を真っ向から受け止める。
「お前達がしてほしいこと、やりたいことは分かった。それは、出来る限り叶えるから。絶対だ。」
「やくそく?」
「ああ、約束だ。」
約束という言葉に、ミオとアオイはこくりと頷く。目を細め、椋介は双子の頭を優しく撫でた。
「離れてても、お父さんとお母さんは二人のことを思ってる。辛かったら辛いっていっていい。泣いてもいい。だから、我慢するなよ。」
「はい。」
声を合わせ、二人は頷いた。
「じゃ、いってくる。」
「いってらっしゃい。おとうさま。」
「いってらっしゃい。」
手を振るミオとアオイに、椋介も手を振り返す。
そして、扉を開け、廊下に出た。
磨き上げられた廊下には塵ひとつなく、左側にはめ込まれたいくつもの窓には雲ひとつない青空が映っている。
椋介は、小さく息を吐いた。そして、両手を頬に叩きつけ、活を入れる。
「うしっ。行くか!」
今日は、アトルと共に、ガルド村、モデス村、レティ村の三村とセレーネの町を見に行くのだ。頭を団長に切り替えなければ。
ミオとアオイの願いは、帰って来てからランに伝えよう。少しは、あの顔に笑みが戻るといいんだが。
秋特有のひんやりとした空気を吸い込みながら、椋介は執務室へと歩き出した。




