第一章 幸せかと、その女性(ひと)は聞いた
後半から、災害の描写が入ります。
苦手な方はご注意ください。
王都、アルモニアから南へ20キロメートルの場所に、それはあった。
周囲に、蔦や雑草を張り巡らせた石造りの建物。
三角屋根が特徴のその建物は、地球で言うところの教会に似ていた。
白い岩石で作られたそれは、千年も経っているとは思えないほど美しく、しかし、その年月の重みを感じさせるほどの重厚感に満ちていた。
雑草を踏み越えながら、椋介は、扉のない入り口に足を入れた。
白壁に包まれた廊下が、椋介を出迎える。
おそらく窓だったのだろう、壁に等間隔に開けられた四角い穴からは、西日が差し込み、白の床を茜色に染めていた。
カツン。
足を一歩進ませると、石造りの床が音がをたてて反響し、周囲の空気を震わせた。
ナナツドリの鳴き声も風の音も聞こえない。
己が息をする音以外、ほぼ無音だった。
「静かだな…。」
濃い緑の匂いを感じながら、椋介は奥へと歩き出した。
一直線に伸びる廊下を歩くと、突き当たりに出た。右側は壁で塞がれ、左側には、人一人通れる隙間があった。そこに足を踏み入れると、広い空間が姿を現した。
扉も窓もないその場所に、壁を背にして、三体の石像が鎮座していた。
椋介から見て、左側には男の像、その隣には女の像があり、その二つの石像に挟まるような形で、幼い子供の像が並んでいた。
男の像は、右手に剣、左手に槍を持ち、眉を釣り上げ、睨みをきかせている。それに対し、女の像は優しく微笑みながら、何かを掬いあげるかのように、両の手を差し出していた。
子供の像は、今にもにこりと笑いそうな雰囲気を醸し出して、椋介を見上げていた。
男の像は、月と戦いの神、シュラ。女の像は、太陽と慈愛の女神、マーナ。子供の像は、二神の子供で、星と幸運をもたらす神、アリオ。
この三神は、かつてこの惑星で崇拝されていた神々だ。そして、この場所は千年前、当時の人々が訪れる神殿だった。
今は古代の遺産として保護され、訪れる者達を静かに迎えている。
三体の石像を背にして、椋介は振り返った。
そこには、壁画があった。
黒を背景に、青と緑、白のグラデーションが美しい星が描かれている。それは、椋介の故郷・地球によく似ていた。
この絵は、今から五百年前に、レオノールという著名な画家が夢で見た光景を描いたとされている。
その壁画の絵を見つめる一人の女がいた。
長い黒髪を後ろに流した後ろ姿は、凛としていたが、同時に寂しさを感じさせた。
「ラン」
椋介が名を呼ぶと、女が振り返った。椋介をみとめた女ーランは、驚いたように軽く目を見張った。
「リョウちゃん、どうしてここに?」
「俺もこの絵を見に来たんだよ」
椋介はランへ近付き、その隣に立った。
「そっくりだよな。この絵、…地球にさ。」
「うん…。」
―地球。口にし、思い描く度に、苦いものが胸に広がる。
決して戻ることのできない失われた故郷。
椋介が十六の時、地球は、地殻変動によって消滅した。
「早いもんだよな。あれから四年か。」
「…そうだね。」
椋介はランを見る。
彼女は目を細め、懐かしさと愛おしさ、そして痛みが入り混じった表情を浮かべながら、絵を見つめていた。長く伸びた黒髪が頬を隠す。
「髪、伸びたよな。」
「え?。」
椋介に言われ、ランは壁画から視線を外し、目を瞬かせた。
「昔はすごい短かっただろ。」
「あぁ、うん。でも、もう、あんなに短く切ることはないかな。これからは見栄えも大事になるから。」
髪を触りながら、ランが言った。
「女王、か。明日だよな。ウォータリアスの千年式典。」
明日、ランはウォータリアスの女王として、公の場に姿を現すことになる。今までは、影武者のミリアムが式典やパーティーに出席していたが、二十歳の誕生日を迎えた今年から、全ての行事を藍自身が行うことを決めたのだ。
ランは、石像の一体である、アリオ神の妻で、水と花の女神ウォータリアの血をひく。
惑星の名でもあるウォータリアスは、彼女の名からきており、王族は、ウォータリアス(水を与える者の意)の人間が継ぐことが決まっている。
地球で生まれ育った椋介には、王族が神の血をひくなど不可解でしがなかったが、この惑星ではそれが普通なのだと理解するほかなかった。
そして、そのことが、父・グレンが殺されかけ、地球へやってきた原因であり、ランが真実を知るため、地球に行こうとした理由でもあった。
「ウォータリアがこの惑星に降り立った最初の人間の一人で、その子供が惑星を統治することになったから今の自分たちがある、なんて言っても誰も信じないだろうな。」
投げやり気味に呟くと、ランが諫めるように声を上げた。
「それ、他の人に言っちゃ駄目だよ。」
「言わねえよ。」
ウォータリアが神ではなく、人間だということは、亡くなった椋介の父・グレンと、ラン、椋介、そして、ランが集めた『血を誇り、けれど血に驕らず、ウォータリアスの未来を創る者(貴族、平民問はず)』達だけだ。
「ここには、まだ拠り所が必要だ。ウォータリアスっていう神の血をひいた存在が。」
「うん」
瞳に力強い光を宿し、ランは頷く。
「気の長い話だよな。下手をすりゃ、お前がしわくちゃの婆さんになっても、『本当のこと』は言えないかもしれないんだぜ?」
「表には出せなくても、知っている人はいる。大切なのは、それを忘れずに繋げることだから。いつかこの惑星の人達も気づくはずだよ。その時、リョウちゃんやみんなが伝えてくれれば、『私』は言えなくてもかまわない。」
人ではなく、神の血をひく者として生きる。その覚悟を、ランはすでに持っていた。
「全く、お前は潔いというか、肝が据わっているっていうか・・・。」
動じないランに、椋介は思わず苦笑する。
いや、そうではないだろう。
彼女の言葉には、確かに、他者の期待と、そうあってほしいという希望も含まれていたが、自分さえ耐えればいいという自己犠牲的な決意も感じ取れた。
しかし、それは椋介にとって望まないものだった。
椋介は、ランの頭に手をやり、ぐしゃぐしゃと黒髪をかき混ぜた。
「へっ?な、何!?」
ランは驚いたように目を丸くし、固まった。
「あんまり気張るなよ。辛けりゃ、誰かに愚痴れ。王宮にはミリアムやセージのおっさん、気にくわねぇが、ギルバートの野郎もいる。お前は一人じゃない」
「リョウちゃん・・・」
感じいったかのように自分を見つめてくるランを見て、急に気恥かしくなり、椋介はランの頭から手を離し、思わず顔を背けた。
地球に似た青い惑星の姿が、椋介の目に入る。
初めてこの絵を見た時は、地球に似ているあまり、郷愁と罪悪感が一気に押し寄せ、息が詰まるほどだった。けれど、今は、水面に柔らかな風が吹くような穏やかさで見ることができる。
それができるのも。
椋介は、乱れた髪を整えるランの姿を見つめた。
たとえ、この惑星の女王になろうとも、その仕草は変わらない。幼稚園の時からの幼馴染、月島藍のままだった。
「リョウちゃんもだよ。」
不意に聞こえてきたランの声に、椋介は、沈ませていた意識を浮上させた。
ランを見れば、真剣な眼差しを、椋介に向けていた。
「リョウちゃんも一人で溜めこんだりしちゃだめだよ。マーガレットやアトル、サガ。騎士見習いのみんながいるんだからね。ちゃんとお話するんだよ。」
「わかってるよ。」
幼い子供に言い聞かせるような口ぶりをするランに、椋介は肩をすくめながらも頷いた。
「・・・ねぇ、リョウちゃん。私、あなたに聞きたいことがあったの。」
すると、ランは張りつめた表情を浮かべながら、椋介を見た。
「何だ?」
「今、幸せ?」
その言葉の答えを、椋介はすぐに返せなかった。