さじを投げては一投目
腹が、減っていた。
都板市、川越町。
この町に住む、担当作家宅からの帰り、私は本物川沿いにあるらしいレストランを探しながら歩いていた。
時期は初夏、川沿いに植えられた、セカイ樹とやらの木陰を辿りながら、それらしき建物を探す。
「はぁ、それにしても、暑い」
ハンカチで、うっすらと浮かんだ額の汗を拭う。セカイ樹の枝から漏れる光が、眩しかった。
「原稿、受け取れなかったなぁ」
もとより締め切りにルーズな、気分屋の人気作家のお守り。
彼女からお呼びがかかったのは、担当をして以来初めてのことだ。
原稿の催促に関して、何かしらいい知らせでもあるのかと、すこしだけ期待して社をでた。
今思いだしてみると、呼び出しがかかった時に見た、前担当のあの胡乱なまなざしについてもう少し考えておくべきだった。
「で、どうだいこの町は」
人気作家様のご自宅を窺うと、挨拶も早々に書斎に通されこう聞かれた。
入り口以外の三方が本に囲まれた、なんともいかにもな書斎。そこで私を出迎えてくれたのは、この家の主、大澤めぐみ女史であるらしい。
ゴシックロリータとでもいうのか、夏場、室内でしか許されないような重装備。フリルにフリルを重ねフリルで仕上げた趣味の塊。
噂にたがわぬ少女趣味っぷりが目に痛かった。なるほど。これは会う度にうんざりする気持ちもわかるかもしれない。
「えぇ、あぁ、いい町、なのでは?」
この町についてからしたことといえば、駅で帰宅の際の乗り換えの確認、その後地図を確認しながら歩いただけ。そんな町について聞かれて、何が言えるというのだろう。まさか下調べをして来い、という話でもあるまい。取材でもないのだ。今回は作家先生からのお呼び出し。だがそんな事を言っても、話がこじれるだけだろう。余計な事は口にせず、事の成り行きを見守ることにした。
「つまらない男だね、君は。そんなんじゃ、原稿は渡せないなぁ」
まさか原稿を用意してあるとは。その驚きを顔に出してしまっていたのが失敗だった。
「君はあれだな、つまらない上に失礼な男だな。全く。私は気分を害してしまったぞ」
どこかの意地悪なネコを思い起こさせるような、ニヤニヤ笑いをして、彼女は私にこう提案した。
「そうだ、ちょっとばかりこの町を散策してみたらどうだ。すぐそこに、川がある。本物川というのだが、これがまた無駄に長くてね、そのほとりに、レストランがあるんだ。結構な人気店なんだけどね、ちょっとそこに行ってみてはどうだね、私の機嫌もなおるかもしれないよ」
うふふと笑うその顔には、底意地の悪さ以外残されていないような気がした。