聞きたい事
目を覚ました赤城恵一は驚いた。現在彼がいるのは、四畳くらいの小さな部屋。怪しげな黒色のコンピュータが壁に埋め込まれたこの場所は、仮想空間の自分の部屋ではないことは、一目瞭然だった。
床に倒れていた恵一は、立ち上がり周囲を見渡してみる。部屋の中にいるのは自分だけ。後方には、鉄製の扉がある。
ここがどこなのか。なぜ仮想空間にいたはずの自分が、この場所にいるのか。色々なことが気になった恵一は、後方の扉から部屋を脱出しようと足を進めた。しかし、それよりも早く鉄製のドアが開き、ピンク色のチャック柄なパジャマ姿の少女が顔を出した。
腰の高さまで伸びたストレートの後ろ髪に、可愛らしい二重瞼が特徴的な少女の顔を見て、恵一が瞳を大きく見開く。
「東郷深雪か?」
その問いを聞き、少女は思わず苦笑いした。
「さっきのメールで、椎名真紀かって聞いといて、目の前にメールの差出人が現れたら東郷深雪かって聞く。まあ、東郷深雪と私は声質や容姿まで似ているから無理もないけど」
少女の言うように、声は東郷深雪に似ていると恵一は思った。
「ということは、お前があのメールの差出人か?」
「もちろん。赤城君。何が起きているのかが分からないようだから、ちゃんと説明するね。ここはシニガミヒロインのサブコンピュータ室。ラブやゲームの動向を監視してる人たちは、この部屋かホストコンピュータがある部屋で、仮想空間にログインする。今は、シニガミヒロインのバグを利用して、一時的に赤城君をログアウトさせてるんだけどね。つまり赤城君は、今現実世界にいる」
「ここが現実世界だと!」
「そう。こっちから一方的にログアウトさせて、現実世界に呼び戻しただけど」
赤城恵一は、現実世界に戻ってきたという実感がなかった。目の前にいる少女の言っていることが正しいとしたら。赤城恵一の行動は決まっている。今すぐにでも部屋を飛び出して、白井美緒に会いに行くと。
そのために、恵一は部屋の唯一の出入り口であるドアへと歩み寄る。ところが、彼の気持ちを察した少女は彼の右腕を強く握った。
「離せよ。1か月くらい美緒を待たせているんだ」
恵一の右腕を掴む少女は、彼の発言を聞きクスっと笑った。
「無駄なことだから伝えなかったみたいね。赤城君。現実世界と仮想空間では時間の流れ方が違うんだよ。簡単に説明すると、仮想空間の24時間は現実世界の2時間に相当する。だから現実世界では、赤城君が美緒と離れ離れになってから1週間も経過していない」
「そんなの関係ない。美緒は俺のことを待っている」
何としてでも幼馴染の元に戻らないといけないという強い決意を感じ取った少女は、それでも彼の手を離さず、首を横に振った。
「早く美緒に会いに行きたい気持ちは分かるけど、それはできないよ。現実世界に戻ってきたとは言ってもあなたは、この部屋から出られない。この部屋から出ようとしたら、口から大量の血液を吐き出して、死んじゃうからね。本当は、この部屋に美緒を連れていきたかったけれど、5分しか留まることができないあなたと美緒を会わせるわけにはいかないから、諦めたわ。これ以上美緒を悲しませたらいけないから」
「何となく状況は飲み込めたよ。ここまで話しを聞いて、お前が椎名真紀だってことも分かった。そこまで美緒のことを思っているのは、真紀しかいないからな」
恵一の推測に、その少女椎名真紀は首を縦に振って微笑んだ。
「正解」
「真紀。お前に聞きたいことがある。どうしてお前は、シニガミヒロインに関わっているんだ。あの時真紀は、白井美緒が死んだって嘘を吐けってメールを打った。そんなことができるのは、シニガミヒロインに関わっている証拠だ」
事実を突きつけられ、真紀は悲しそうな表情を恵一に見せた。
「友達として美緒を悲しませたらいけないって思ったから」
「だが、なぜ俺を一時的に現実世界へ帰還させた理由が分からない」
「謝りたかったから。現実世界へ一時的でも帰すことができるんだったら、そのチャンスを生かさないと一生後悔する。そんな気がして」
「謝りたいこと?」
赤城恵一が首を傾げてみせると少女は、ある言葉を口にした。
「ごめんなさい。あなたを巻き込んで」
「えっ」
東郷深雪が『ごめんなさい』と言えば赤城恵一の時間が停まり、そのまま何かしらの事故や事件が起き、死亡する。そのはずなのに、何も起きていない。ということは、目の前にいるのは東郷深雪ではないのか。疑惑が強まる中で、真紀は恵一に質問を投げかける。
「プロトタイプアンサーの時や、2回戦のルール説明映像の時に、赤城君は東郷深雪の顔を見ているよね。だけど、赤城君は何とも思わなかった。私と声質や顔まで似ているはずなのに。それと、どうして赤城君が通っている高校だけ、あなただけを拉致したのも気になっているよね。その2つの謎の答えは、私と赤城君が友達だったから」
「友達だったから、俺を危険なデスゲームに巻き込んだって言いたいのか。ふざけるな!」
理解しがたい椎名真紀の答えに、恵一は激怒した。だが、真紀は首を横に振り、彼の怒りを否定した。
「違うよ。少し言葉不足だったかな。正確には、私と赤城君が友達だったから、それをラブが利用した。赤城君は、デスゲームの参加者であると共に、ある人体実験の被験者として選ばれたの。シニガミヒロインの世界って奇妙だよね。死んだ人に関する記憶は、最初からなかったことにされて、そうやって生まれた記憶の穴は強引に埋められる」
「何が言いたい」
「そのシステムを応用して、ある特定の人物の記憶を消去する薬を開発したの。赤城君は、その薬を注射され、椎名真紀に関する記憶を消去されていた。数少ない私の友達の中から、ラブはあなたを被験者として選んだ。DNAデータさえあれば、特定の人物の記憶を消し去ることができたはずなのに、あの薬は未完成で、赤城君は私の名前を思い出してしまった。ここで質問ね。どこまで椎名真紀のことを覚えてる?」
「美緒の友達だってことだけ」
「完全に記憶を取り戻していない。それだけの性能ってことね」
椎名真紀に関する記憶を消す薬を注射された。そうならば、敗者復活戦までに彼女の存在を思い出すことができなかったことも説明できる。だが真紀の話しには、腑に落ちない点が多かった。
「何のためにお前の記憶を消す薬を投与されたんだ?」
「ただ実験がやりたかっただけ。どの程度の人間関係なら、薬の効果があるのか。それを確かめたかっただけ。最初は、出会って1年以内の友達の記憶を消す。それで成功したら今度は別の期間関わった友達の記憶を消す薬の開発。そうやって最終的には1番の親友や好きな人の記憶を消す薬が開発する。恋人に振られても、親友に裏切られても、この薬を注射するだけで、最初から自分を傷つけた人物なんて思い出さなくて済む。結構需要がありそうな薬だよね」
「まさかラブは、その記憶を消すシステムを構築するために、恋愛シミュレーションデスゲームを開催しているのか?」
「違うよ。それはサイドビジネス。薬を売って活動資金を稼ぐ。本当の目的は別にある。その目的についても話したいけど、それを話しちゃうと、時間をオーバーしちゃって聞きたいことが聞けなくなるから。それとどうして私がデスゲームに関与しているのかも説明したいけど、残された時間では語れそうにないから」
「聞きたいことだと?」
「私は赤城君と同じように、無意味なゲームを終わらせたいと思ってる。これが私の本心だから、赤城君の本心を聞かせて。美緒は赤城君を助けたいって思っているけど、彼女を計画に巻き込んでいいかな? 危険な目に遭わせることになるけど。美緒の気持ちを尊重するのなら、今すぐ彼女と言葉を交わすことができるよ」
そう言いながら椎名真紀は、自分の携帯電話を恵一に見せる。
「それは……」
「私の携帯電話。当然のように美緒の電話番号も入っている。赤城君の携帯はラブに壊されちゃったから、連絡するにはこれを使うしかない。それは同時に私の事情を美緒に知らせることになる。だって私からかかってくる電話から赤城君の声が聞こえてきたら、私と赤城君が一緒にいるという証明になるから。それで、どうする? 美緒を危険なことに巻き込むのなら、これで今すぐ言葉を伝えることができる。最も時間がないから、一言しか伝えられないかもしれないけれど。もちろん彼女を守るために、断るという選択肢もあるよ」
その問いを聞き、恵一は強く唇を噛んだ。
「俺は美緒を危険な目に遭わせたくない。それにどんな事情があるのかは知らないけど、真紀がデスゲームに関与していることを美緒が知ったら、それこそ美緒を悲しませることになる。それと、真紀が仮想空間に行ったら、美緒は独りになってしまう。だから真紀は美緒と一緒にいてくれ。どうやら俺は美緒と一緒にはいられないらしいからな」
恵一の言葉を聞き、真紀はクスっと笑った。
「私が仮想空間に行っても、美緒は独りにならないよ。現実世界での日常生活に支障が出ないように、ログインするから。それとね。一時的だけど現実世界に戻ることができるってことは、誰にも話さないで」
「なぜだ?」
「あなたたちの中には、シニガミヒロインの関係者を恨んでいる人がいる。自分の命を危険に晒した奴を許さないっていう、強い殺意を持った人。そんな人がこの部屋で私に会ったらどうなると思う? 殺すよね? この部屋には凶器がないから、掌で首を絞めるか、何度も拳で殴る。このいずれかの方法を使って。私が死んでバグが見つかったら、ラブはあなたたち24名を皆殺しにしちゃうから」
「それで、どうやってゲームを……」
そう言いかけた時、赤城恵一に体は、白い光に包まれた。
「美緒は巻き込まないから」
椎名真紀が優しく微笑むと、赤城恵一は仮想空間に引き戻された。
それと同じタイミングで、椎名家のインターフォンが鳴り響く。