教室の2人
岩田波留と別れた小倉明美は、そのまま自宅へと戻る一本道を進む。青い屋根の一軒家の前で彼女は立ち止まり、玄関へと視線を向ける。その一軒家は小倉明美の自宅だった。
だが玄関の前には、見慣れない人物が立っている。額にピンク色のハートマークが印刷された白い覆面で顔を覆った人物が、恐怖の空気を漂わせる。その人物と視線が合わさり、小倉明美は体が動かなくなる。
「お久しぶり」
「ラブ」
小倉明美は玄関の前に佇むラブの元へ歩み寄る。その口調を聞きラブは覆面の下で頬を緩めた。
「Xの方で来ましたか。Xとお話したかったから好都合ですよ。というか、記憶は全消去したはずなのにゲームマスターの名前を覚えているのね」
「消去したのは小倉明美の記憶だけでしょう。Xとしての人格の記憶はちゃんと残っているのよ。人格の統合はあり得ないから、ゲームとして成立できるよね。この会話は小倉明美には聞こえていないから、安心してお話しましょう。何なら紅茶をご馳走するよ」
「立ち話でいいよ。次の標的は赤城様にして。続けて矢倉様か滝田様を狩ってもいいから」
「了解って言いたいけど、次の標的は彼じゃないのよ。順番待ちだから、次の次に赤城君を狩る」
ラブは小倉明美の背後に回り込む。背中合わせになった2人は、明美と視線を合わせず釘をさす。
「あなたの目的は、内側の条件を達成させること。それを忘れないで」
「外側は?」
明美が体をラブの背中に身を預けるように傾け尋ねる。
「まだ把握していないけど、こっちの世界で2学期が始まる頃にはクリアできそう。だからちゃんとサポートしてね」
「了解。早く会いたいです。10年前の親友」
小倉明美が背後を振り向くと、そこにラブの姿はなかった。
5月11日。週明けの月曜日。赤城恵一は悠々高校の下駄箱の前で思考回路を停止させた。
彼の下駄箱の中には14枚のカードの束が置かれている。
先週金曜日では、新たに千春と高橋が2回戦進出を決めたこと以外は、木曜日と同じ8人がメインヒロインと下校しただけだった。
校門を潜る前にスマートフォンでカード所持者を確認したら、今日もXがカードを独占していたようだった。しかしXが手にしているはずのカードは赤城恵一の下駄箱の中にある。周囲を警戒して再びスマートフォンの画面を見ると、Xと表示されていた名前が、赤城恵一という文字に変わっている。
理由が分からず困惑していると、彼の視界に下駄箱の前の廊下を通過する小倉明美が映った。明美は笑みを浮かべ、恵一の顔を見つめている。
この後の赤城恵一の行動は決まっていた。今手にしているカードを各教室に分配する。
赤城は急いで階段を昇って空き教室を2か所通り過ぎた先にある2年C組の教室のドアを開ける。
「優しいのね」
ドアを開けると教卓の前に小倉明美が立っていた。誰もいない教室に2人きり。この状況を気にせず赤城は小倉明美に近づく。
「何でお前がここにいるんだ!」
「優しいあなたなら、ここに来るって思ったからね。折角2人きりになれたのだから、キスでもしちゃう?」
「質問に答えろ!」
恵一は明美の顔を睨み付ける。しかし明美は肩を竦めるだけだった。
「私があなたの下駄箱の中に、カードの束を隠したのよ。面白いね。半径10メートル以内の場所に隠したら、ちゃんとXって表示されていたから」
「何でお前が……」
「言いたいことは分かるよ。そもそもあなたの目の前にいるのは、小倉明美じゃなくてX。別人格で、何でも知っている。この世界は恋愛シミュレーションデスゲームの舞台だってこと。現実世界のあなたたちのこと。ラブの正体と目的」
小倉明美が赤城恵一の目の前で笑う。
「なるほどな。お前がカードを独占しているXだってことは分かった。岩田君は小倉明美を庇って嘘を吐いたんだ。矢倉君の解釈は間違っていなかった」
赤城の推理を聞き明美は指を鳴らす。
「正解。じゃあ、次の問題ね。私の目的は何でしょうか?」
「差し詰めラブの命令でゲームを支配して、プレイヤーたちを恐怖の淵へ追い詰めるってところだろう」
「残念。不正解。恋愛シミュレーションゲーム初心者だったら、分からないよね。ここは桐谷君を襲った方が効率的だけど、ルートを潰すのは嫌だから」
「ルートって数学の?」
聞き慣れない言葉に赤城は首を傾げる。そんな彼の発言を聞いた小倉明美は腹を抱え笑う。
「おかしい。桐谷君。岩田君。内田君。千春君。高坂君。現状この5人以外は殺せないっていうルールになってるの。それに加えて3回戦進出者は2回戦終了まで手が出せない。この2つが私に与えられたゲームのルールよ。それだけ分かっていたら、大丈夫よ。ということで次は矢倉君を爆弾で殺そうかな?」
緊迫した空気が流れ、恵一は頬から汗を落とす。
「矢倉君を爆弾で殺す? そんなことしたらお前は退学処分に……」
「大丈夫。遺体と証拠は全て吹っ飛ぶから、殺人事件は立証されない」
小倉明美は笑顔を見せた。赤城は小倉明美が本気で言っていると感じ、鳥肌を立て身体を震わせた。
「やめろ」
本気で叫んだが、小倉明美には彼の声は届かない。彼女は力が抜けた恵一が手にしていた14枚のカードを奪い取り、床にばら撒いた。
「最初は28枚もカードがあったのに、今では14枚。たった2回のゲームが終了しただけで半分以下になるとはね。矢倉君が死んだら、カードは2枚減って12枚になる。ライバルが1人減るから、攻略に有利になるじゃない」
「うるさい。俺は絶対に矢倉君を見捨てない。矢倉君を殺すんだったら、俺を殺せ」
赤城恵一は小倉明美に泣きつき、直談判する。
「泣いた顔もかわいいね。予想通りの答えをありがとう」
明美は振るえる恵一の体を抱きしめた。彼女と初めて会った時と同じように、恵一の体に巨乳が振れる。カーテンが閉まっているため、外からはそこで何が行われているのかは分からない。
「ほら、顔を向き合って。早くしないと誰かが……」
このままでは小倉明美とキスする羽目になる。何とかこのピンチを切り抜けたかったが、体が思うように動かない。ダメだと恵一は瞳を閉じた。その瞬間、明美は思わず唇を噛む。
「時間切れ。残念……」
そう呟くと、彼女はなぜか恵一の体から手を離した。
次に恵一が瞳を開けると、彼の目の前で小倉明美がオロオロとしていた。その印象は先程の冷たい印象ではなく、普通な女子高生といった印象だった。
「えっと、赤城君。なぜあなたを抱きしめていたのか。説明できる?」
口調も冷酷さは感じられず、平凡な感じ。こちらが本物の小倉明美なのか。恵一は何が起きたのか分からず、目を点にする。
「もしかして赤城君から私を抱きしめたの?」
続けて明美は目の前にいる彼に尋ねてくる。
「小倉さんから俺を抱きしめて来たんだ。これで2回目だった」
明美は赤城の話を聞きながら、きょろきょろと辺りを見渡す。
「赤城君。何か紙とペンを持ってない?」
「ああ、持ってるよ。プリントの裏紙でいいか」
「うん。何でもいい」
小倉明美は、なぜか筆記用具を紙をねだってきた。何が始まるのか分からず、恵一は鞄から適当に紙を取りだし、筆箱からシャープペンシルを取り出す。それらを彼女に渡すと、明美は真剣な表情で尋ねてくる。
「赤城君。最初にあなたを抱きしめたのはいつのことなの?」
「何でそんなことを聞くんだよ」
「記憶にない奇行をできるだけ覚えていたいから」
簡単な説明を聞き、恵一は思い出す。
「最初は先週の木曜日。朝礼が始まる前のことだったな。廊下でいきなり小倉さんが抱きしめてきたんだ。俺を誘惑しているようだった」
「それで2回目は、さっき起きた。なんで抱きしめたのかは分からないけど、これだけ分かったら大丈夫。早速だけど、このことは秘密にして。また猥褻行為やって悦子に怒られるのも嫌だから」
冷酷な小倉明美とは違い、今の小倉明美は素直に思えた。状況を把握できずアタフタしている様も可愛らしい。そんなことを赤城が考えていると、彼女は思い出したかのように、両手を叩いた。
「忘れてたわ。何かカードみたいな物を私が独占して、皆を困らせたみたいだから、謝るよ」
唐突に明美は頭を下げる。その姿勢は冷酷ではない。素直で可愛らしいと恵一は思った。
「別に謝る必要はない。その堅実な姿勢があったら、誰でも許すだろう」
「本当? だったら男子たちに謝り続けるわ。それと筆記用具。ありがとうね」
筆記用具と彼に返しながら、再び尋ねる。
「ところで私の鞄はどこでしょう? 気が付いたらあなたを抱きしめていて、どこにあるのか分からない。ちゃんと鞄を持って家に出た所までは覚えているんだけど」
恵一は明美からの質問を聞き目を点にする。
「ここはC組の教室だから、隣のB組なんじゃないか」
「本当? じゃあB組探してみるわ。何か迷惑かけたみたいでごめんなさいね」
小倉明美は頭を下げ、C組のドアを開け教室から立ち去る。
「何だ。あのギャップ。残酷な人格と素直な人格。どうやら二重人格っていうのは本当らしいな」
閉められたドアを見つめ、恵一は床に散らばったカードを集める。カードを分配するために。




